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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二章
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お酒と聞いてやってきました

 専門制も板につき、自分たち教師陣はそれぞれの担当教科に集中できるようになりました。


 教本の編集や生徒たちへの問題文、その答えなんかを共有しなくて済む、というのは実に快適です。

 自分の専門分野ですから、前のめりになりがちですがそこは様々な意見交換で補う形でしょうか。


「ヨシュアン先生、ちょっといいかね?」


 職員室で次の授業のための教本造りをしていると、ヘグマントの声がする。

 ヤダなぁ、集中してる時に何の用だよ。


「なんでしょう?」

「夜間授業、来週はヨシュアン先生だったな」


 鷹揚に頷いておく。

 そして、無意味にサイドチェストしているヘグマントはスルー。


 夜間授業。


 学園は全ての層の生徒たち、平民貴族問わず教え導く義務教育が基本です。

 ですが、元々、識字や教養などのリテラシーがあった貴族と違い、未だに字が書けない読めないわからない生徒がいるのです。


 ヨシュアンクラスは何の因果か皆、識字率が100%で快適な授業を送れま……、代わりに非常に困ったちゃん揃いで快適には程遠いですが。


 ともあれ、字について困ったことは一つもなかった。

 あー、ときおりリリーナ君が妙な間違いをしたりしますが、まぁ許容範囲内というべきでしょう。


 ヘグマントクラスやリィティカクラスは平民勢で構成されているため、字が書けない子も多く、教師歴の薄い自分ではきっと対処も難しかったでしょう。逆転、だからこそヘグマントクラスとリィティカクラスに字が書けない子を入れたのかもしれません。

 当初から予想されていた識字の問題は、通常授業に含め、夜間授業を盛り込むことで字の書けない生徒を集めて勉強させようという試みでした。


 教える教師も週替わりで順々に受け持つ形です。

 男連中が、ですが。


「うむ。そろそろ基本的な字は読めるようになった頃合だろう。生徒どもにも字が読めたことで今までの授業でやってきた本を読み返し、新しい発見をし始める時期だ」

「復習させたい、というところですか?」

「うむ。それで基礎術式の教本を譲ってもらいたくてな」


 なるほどなるほど。


 初めからあった基礎術式の本を数冊まとめて一冊に編集した『ヨシュアン式基礎術式教本』は、わかりやすいと教師内で評判です。

 不満と文句しか言わないアレフレットが苦々しい顔で無言になったところから、教本としての優秀さは保証されています。


 机の奥に並べられた教本の一つを取り、ヘグマント先生に手渡す。


「問題文は同じで?」

「反復は力とは言うが、答えの分かった問題ほどつまらんものはないだろう」

「さいですか」


 反復運動ばかりの男が良く言うのである。

 仕方ないので予備に用意しておいた問題集もセットで渡してあげました。


 テストに予備なんか普通は用意しません。

 しかし、小テストに10問あったら20問、用意しておくのがベストだと最近、悟りました。

 誰のおかげかって? もちろん、ウチの生徒ですよ。


 小テストが全部、水浸しになったりした時は、地獄のようなオシオキをしてやろうと思ったものです。

 術式を覚え始めたウチの生徒のやんちゃっぷりは、びりびりハリセンも過労ぎみです。


「そういえばヘグマント先生は何か金策案を考えられましたか?」

「ん? あぁ、体育の授業の一部を、農業にしようかと考えている」

「兵農分離の逆パターンですね」


 今は騎士と言われている軍人たちも、その昔は農業に携わっていた。

 兵が持つ剣や槍に通じる技術が農業にもあったので「じゃぁ、それらを組み合わせれば糧食も得られて一針双魚だ!」と昔の偉い人は思いついたようです。


 しかし、それも軍事レベルが上がり、全身甲冑や騎馬の登場で兵は農業をしている暇がなくなる。

 全身甲冑を着てると動かすのに苦労しますし、必要筋力もバカ高いですからね。

 騎馬もテクニックが必要で訓練に時間が取られるわけです。


 農作業自体は農民たちがコツコツと行なっているのだから、もう専業軍人を作っていいんじゃないかという意見の台頭、貴族社会による身分社会制度の結果、「騎士が農民みたいに土をいじるなんてとんでもない!」という意見によって、兵農分離に至りました。


 まぁ、効率的にも専業職を増やすことのほうが良いわけですから。

 そのことについて、とやかく言うつもりはありません。


「兵や騎士ならば、現体制に不満があるのかと余計な目で見られるものだが、生徒どもは騎士ではないからな。土地も潤沢に余ってあって遊ばせておくには惜しい。切り出した木材も売りに出せれば、訓練にもなり基礎体力も上がり食料も得られる。一針で二の魚を得られるとはこのことだ」


 一針で二の魚、云々のくだりはアレです。

 一石二鳥という意味です。先にも出ましたね。

 テストに出ますよ? よく覚えておくように。


 しかし、往々にして木材は安いのですよ。

 何せ、そこら中にあるものと勘違いされていますから。

 実際、用途によって木材は変わりますし、種類種別も数多い。


 ところが専門知識の無い層で木材を必要とする人たちのなんと多いことか。

 

 農民たちが小屋を作るときなんかは適当に切って乾かした木材ですし、商人が木材を売るときは結構、適当です。整っているのは形だけ。

 唯一、こだわるのは職人さんだけでしょうね。

 剣の鞘や戦車の木材なんかは結構、吟味されて使われています。

 後は家具類と豪邸くらいでしょうか。


 逆に言えば、職人が使うもの以外は適当な木材だということです。


 だから、それを使う層、つまり低賃金層に絞られますし、提供する金額もそれ相応、と。

 狙いは広葉樹材、オーク材でもあれば嬉しいですね。ある程度の需要も価値もありますし。


「体育の教育要綱は実技が中心だ。よほどの出来損ないが6名以上いない限り、貴族院のテストも問題ないと言える」

「正直、ヘグマント先生は安牌だと思っていましたよ」


 哀しいことに、この男の教育は非常に効率的です。

 あの壊滅的運動神経の持ち主、セロ君が先週、木刀を一回も落とさずに素振り100回を達成したときなんか、年甲斐もなく涙が溢れました。


 もう、ここで学園生活エピローグにしてもいいんじゃね? くらいの勢いです。


「農業に関しては、そう心配する必要はない。むしろ生徒どものほうが詳しいやもしれん。何かあったら議題にあげるとしよう。それより、どうかね?」


 案の成否を問いているのでしょう。


「良い案ですね。自給率が上がればキャラバンから食料を買う必要も無くなりますし、逆に余剰食料をキャラバンに売ることでキャラバン側も移動中の糧食が安上がりになります」


 そう、この案のもっとも良い部分は学園とキャラバン双方にわずかなプラスがあることです。

 そして、自分の考えている案の助けにもなってくれます。


「そういうヨシュアン先生は何か考えているのかね?」

「生徒が術式具を個人的に教えて欲しいと言っていたので、技術を教えるのと同時に個々人の消費に見合った適切なお金稼ぎをしてもらいます」

「ん? また妙に回りくどい説明だな。まるで商人のようだぞヨシュアン先生」


 一応、商人の部類です。職人も兼業してます。


「ヨシュアン先生のことだ。また奇妙なことを思いついたのだろう。何か手伝えることがあるのなら大いに頼りにするといい。等分に頼りにしているからな。あぁ、それと教科書の件、ありがたく借り受けよう!」


 ぐわぁはっはっ、と、大笑いして肩を叩かれました。


 しかし、奇妙とはまた人を怪談みたいに扱って。

 シャルティア先生といい、ヘグマントといい、一体、自分をなんだと思っているのやら。


「よくもそう、まぁ、楽観的にいられるものだね」


 ポツリと呟かれたので、そちらに目線をやってみると。

 一心に小テストの採点しているアレフレットが居ました。


「何やら意味深だがどうした? アレフレット先生」

「予算の不足分への深刻さが足りないんじゃないかって話さ」


 喋りながらテストの採点は止めてません。

 拙いながらも並行思考くらいできるというわけですか。


「もちろん。だからこそこうして筋肉を絞って知恵を出しているわけだ」


 筋肉からインテリジェンスは溢れ出てきません。


「都市部の年間予算、その半分を埋めるってどれほどのものか、軍人でもソレがどういう意味かわかってると思ってたけどな」


 豪邸一つを軽く建てられるほどの金額です。

 一個人がそんな金額を得ようと思えば、50年近く働いてもまだ半分にも満ちません。

 もちろん、休みなしです。


「そういうアレフレット先生は何か案が?」

「あれほどの金額を短期で埋めようと考える自体が間違ってるって言ってるんだよ。いかにも数字だけでモノを考えそうなバカ女のしそうなことだ。たとえ年単位で時間がかかっても安定した品質管理とブランド化を両方推し進めるべきだろ」


 ……んん?


「具体的なブランド品は何にする予定ですか」

「いいか。リーングラードの土地の隣は穀倉帯だ。良質の麦が取れるとされるカリフディオス領だ。そしてリーングラードの水質は極上と言ってもいい。土地も余っている。となると導かれる答えは一つだろう?」

「あぁ、醸造業ですか」


 あっけなく答えられたアレフレットはつんのめってしまいました。


「……ふ、ふん! 頭は良く回るようだな!」

「まぁ、良質の麦に水となれば比較的、温度差のないリーングラードだと酒造くらいしか思いつきませんしね」

「酒は消費力のある商品だ。条件も上々というならやらない手はないだろ」


 確かに美味い手だと思います。

 ですが問題点が多数ある。


「酒造、したことあるんですか?」


 酒造や醸造に関する技術は、とにかく秘密にされがちです。

 鍛治業の製鉄技術に近い秘匿性。

 鍛治が直接、武力に携わるのなら、酒造の醸造技術は時に外交の顔になることすらあります。


 どんなものでも政に関われば、必然、隠そうとするのが政治というものです。


 職人たち自体にも技術を他に漏らすメリットがない、というのも理由ですね。


 専門職はとにかく、横幅が狭いのです。


「図書院の司書が酒造りの経験があるとでも思ってるのか」

「となると人を誘致して、酒作りを促す、くらいですかね。人件費、材料費と初期費用がパないんですが」

「酒造りが安定すればすぐに初期費用くらい、取り戻せる」

「いえ、もう予算的に水際なんですけれど」


 正直、やや反対です。

 長期的視点で見れば、間違いではないのが困りどころです。


 できれば、余裕があるときにやってほしい。


「正直、眉をひそめます。軌道に乗りさえすれば安定した高額の収入が得られる。見込みはアリですが、一応、ここは国政の実験施設ですからね。秘匿義務がある義務教育推進計画では、外部の人間を呼べないでしょうに」

「だから、施設内ではなくて、外に作る。施設の外部設備としてなら文句はないはずだ」


 貴族院のスパイが入りやすい空間を作られても困りますよ。

 他にも他国のスパイとかが絡むと、ほとほと面倒ですから。


 というわけで外部施設は却下です却下。


「むぅ。聞いてみるとできなくはないのか?」

「義務教育推進計画が終わった後、成否はともかく、ここまで作ったリーングラードをそのままにしておく手もないだろ。成功すれば教育施設のまま、失敗すれば学術施設にしてしまえばいいんだ。どちらにしても施設の形は残ったまま。そこに名産があれば現状のデメリットより長く収益が得られる。いっそ酒造職人を養成する科目を作るなんてアリだと思うね」


 理屈では説得できないっぽいですね。

 それなりにちゃんと考えてますし。


「しかし、英断ですね」

「英断? はは、先見の明があるとでもいいたいのか? ようやくお前も僕のすごさが――」

「いえ、初期費用に関してシャルティア先生に打診しなければいけませんし。あえての、まさかの、酒造ですよ?」

「……ぐ」


 シャルティア先生とアレフレットは犬猿の仲です。

 このお金がない状態で、酒造をしようとすれば必然、予算の経理を担当しているシャルティア先生に頭を下げなければいけないわけで。


「さらに酒の絡むことでシャルティア先生が黙っているわけありません。非常かつ非情で非常識ちっくな意見という名の口出しが盛んにおこなわれるでしょう」

「………」


 容易に想像のつく未来でしたね。

 先見どころか、先を見すぎて足元すら見えてませんよ?


「仲直りする気になったんですね。いやぁ、良かった良かった。仲が悪いよりも仲が良いほうがいいですもんね。大人なんだから、ここらを期に計画の成功のために個人的な険悪を越えて、仲間として結束するわけです。イイハナシデスネ」


 輝く笑顔で言ってあげました。


 頭を抱えたまま、唸るアレフレット。

 この場合、アレフレットから頭を下げる形になるのがポイントです。

 シャルティア先生の性格なら、アレフレットを精神的にチクチクやれる機会を決して見逃すはずがない。


 それはもう、この機会を利用して二度と歯向かわないように、反骨心の骨の随までむしりとってくるでしょう。

 別名、トラウマ。あるいはMに目覚めるかのどちらかです。


「外部施設はともかく、名産自体は最初から出てた案ですし。お酒以外をオススメしますよ。できればお金がかからず、専門知識の必要のないものとか、ね」


 想像よりもわかりきった未来です。

 アレフレットもアレフレットで、シャルティア先生に足蹴にされるのはイヤでしょう。

 せいぜい、自分のプランの役に立ちそうな案に考え直してくださいね。


 思いとどまってくれたアレフレットの向こう側で、ヘグマント先生が呆れたような顔をしてました。


「相変わらず手腕が悪辣だぞ。ヨシュアン先生」

「なんのことでしょう?」


 ヘグマントにたしなめられてしまったが、まぁ、問題ないでしょう。


 夜間授業の件もそうですが、金策の件も準備を進めなきゃいけない。

 余計な手間をかけるわけにもいきません。


 着実に形にしていきますか。


 アレフレットの苦悶の声をBGMに、自分は教本造りを再開するのでした。



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