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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二章
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まだまだ朝と夜は寒い夏が来た

 月は高く、空は低い夏の夜。

 すでに皆も寝静まる、そんな時間。


 こんな時間にも自分のような世の常に習わないものもいるようで。

 ヒラヒラと窓の奥で蛍のような光が蠢いている。


 夜光蝶というのはご存知だろうか?

 初夏から秋始めまでに夜をヒラヒラと舞う、冷光の蝶のことです。


 リスリア王国にとって夏の風物詩と言えば、ミンミンと五月蝿いセミや異常繁殖しはじめる黒いのとかよりも、こちらこそが夏の虫として親しまれていることだろう。

 季節の虫というのは、なんとなくその時期が来たと実感させてくれるもの。


 自分もまた、夏が来たんだなぁ、という気持ちになります。


 さて、王都から程遠い、このリーングラードの土地は夜光蝶の繁殖地と知られていたそうです。

 夜光蝶が好きな草花が多いのも原因の一つなんでしょう。


 最近では森の奥でチラチラと光っているな、と思ったら夜光蝶だったということもあります。

 自分たち教師陣は【宿泊施設】の一番奥ですからね。つまり森に一番近い立地ということです。なので窓を開けるとそこは森。そして、その窓から夜光蝶が観察できるのです。


 風流人には堪らない立地条件でしょうね。えぇ。


 そんな季語を代表するような蝶も、大群を見つけるとビクリとします。幽玄と言ってもいい光景なんでしょうが、正直、不気味に思うこともあります。


 夏を代表する昆虫としての面。

 幽玄にして不気味な昆虫としての面。


 そして、意外と知られていない夜光蝶の面。


 夜光蝶は死体の匂いに集まるという、面。

 妖しく見えるのもこのせいなのかもしれません。


 多面性。

 どんなものにも二つ以上の面があって、一方だけの物の見方というのは思い込みや狭窄ゆえの過ちのなせる業。信じたいからこそそう在るように見えてしまう。


 忙しい生活の合間、しばし、この多面性を意識しないと忘れそうになる。

 誰かの、その一面だけが真実だと思いこんでしまう。

 誰だって、そうあって欲しいと信じてしまうものだ。自分だってそうだ。


 現在の時刻は月が頂点に差し掛かったころ。

 部屋の闇を術式ランプの光で押しのけて、机の上に鎮座した書類の束を見やる。


 一ヶ月前、メルサラ来襲と共にベルベールさんが送ってきた追加調査書だ。

 さすがはベルベールさん、必要だと思う時に必要な情報を送ってくれる。人の心を読むだけではなく、例え遠く離れていたとしても察知し、フォローに回る。こうした面こそベルベールさんが究極のメイドたる所以だろう。


 教師陣、生徒たちの深い事情はもちろん、その周囲のことまで明確に記載されていた。

 この一ヶ月、覚えるほど何度も読み直した調査書をもう一度、開く。


「目新しい項目は少なかったが……」


 前回の調査書が生徒たちの個人情報というのなら、この調査書は個人エピソードというべきか。


 例えば……、クリスティーナ君の『本当の入学理由』、マッフル君が背負った『グランハザードという重さ』、エリエス君の謎に満ちた『半生』、セロ君が過ごしてきた『修道女生活』、リリーナ君を導く運びとなった『エルフと王の会談』


 教師陣にしても、ややこしいものが多い。

 リィティカ先生と『投獄された師』、シャルティア先生の実家が起こした『権力争い』、アレフレットの『向上意欲の源』、ヘグマントと『軍閥の意向』、ピットラット先生の主『ワーズルシア家の没落』……。


 他の残り25名の生徒たちも色々とあるが、ヨシュアンクラスや教師陣に比べて真に迫った理由は見えない。

 かといって、理由の重さを誰かと比べて重い軽いもあったものでもないけれど。

 足元を掬われない程度には理解しておいて良いくらいか。


 学園長のみ、何の情報こそなかったものの、ほぼ全ての裏がとれた状態だ。

 これ以上となると『密談』に類するものか、あるいは……、知らずに利用されているか、だ。

 どちらも知ることができない、という面で見れば、呆れるほど有効な古臭い方法だろう。

 効果が覿面だということが面倒臭さに拍車をかけている。


 しかし、ここまで読み解いてなお、明確に貴族院の手先と示す情報はない。


「かなり慎重に行動している? そりゃ、相手ももう次が無い状態だ。慎重にもなろうさ。だからだ。だから大胆な橋を渡らなきゃいけない状況だってあるはずだ。にも関わらず尻尾を出さない。ベルベールさんを相手にだぞ? 貴族院が観念した、と考えたほうがまだ納得がいく」


 そう。これが調査書を何度も読み直す理由にもなっているもの。


 ないのだ。

 貴族院との明確な繋がりが。


 もちろん、本気で貴族院が観念しただなんて思っていない。

 あいつらは自分のためなら国すら売るようなゲスだ。先代国王の暗殺の遠因にもなったヤツらだ。悪足掻きなんて呼吸をするようにやるに決まっている。


「なさすぎて不気味だろ」


 自分は凝り固まった肩を解しながら、背もたれに体重を預ける。


 この義務教育推進計画はバカ王ランスバールの用意した罠だ。

 あの、日常で戯言とたわ言をフルオーケストラで奏でるバカ王だが、策謀という面においては巷でも良く聞く『賢王』の名は伊達ではない。


 貴族院にとって、この罠を踏み抜かない限り、生き抜く手段がない状態に追いこまれている。一方、自分に対しても罠だというのが気に入らないが、それは復讐帳に書いてあるのでこれ以上、言及しても仕方ない。


 そして、義務教育推進計画が成功すればしたでバカ王の利益になる。

 後40年ほど使いつぶせる人材という名の資源がバカ王の采配で振るわれるのだ。


 義務教育推進計画という単語一つでもこれだけの理由と面が渦巻いている。


 今、王宮ではどんな術数策謀が繰り広げられているか。

 王都に居座っていて、それに巻きこまれなかっただけマシだったかもしれない。


「むしろ要らない知識が増えたせいでやりにくくなったじゃないか」


 ヘビィすぎる理由ばっかり知ってしまって、教師や生徒にどんな顔して話してやればいいものか。


 いや、まぁ、そのあたりはなんとかなりますけれど。

 胃にくるんですよ、胃に。自分の胃壁、どれだけ頑丈に出来てるんだと自問自答ですよ。


 問題は山積み。先は見えない。

 その昔、原初の旅人スィ・ムーランが夜光蝶の道標にあったように、誰か道を照らしてくれないものか。


 嘆きそうになって止めた。

 もう、誰かの明かりに頼っている時期は過ぎてしまっている。

 もはや自分たちが明かりを持って、誰か先頭に立つ立場なのだ。


 こうなって初めて気付く。

 自分の前を歩いていた人たちの、そのなんとも重たい荷物を背負って頼りない道を歩いてきたことへの敬う気持ち。


「あの子たちも後十年もすれば、こんな気持ちになったりするのかね……」


 ぼんやり呟いて、ふと窓を見直して吹きました。

 擬音にして「ブホワッ」でした。


 ヒラヒラと舞う夜光蝶。

 その光を遮ってチラチラと映る小さな影。


 おそらく五名。虫網を持って必死で夜光蝶を追いかける姿に頭が痛くなってきます。


 我武者羅に虫網を振り回すフリルの影。一匹一匹、丁寧に捕まえる赤毛の影。

 一際、小さな影がコテン、とコケる。同じような影が宙空に術式を刻みこみ、それに気づいた一番、大きな影に止められている。


 どうやら影たちは視界が悪いことに気づき、一人がフロウ・プリムの光で周囲を照らし始めました。

 おかげで今やバッチリ、その姿が自分にも見えます。


「はっはっはっ、あのバカたちは……ッ!」


 自分は立ち上がり、すぐさま玄関から外に出ました。


 なんでこんな時間に夜光蝶捕まえようとしてるんだよウチの生徒どもは!

 門限ブッチしやがって!


 こんな時間でも休まらない生活。

 以前の自分にはなかった面なのか、隠れていた面なのか?


 それは、一ヶ月前に訪れた騎士団長クライヴ・バルヒェットが言うように変わったせいなのか。

 そんなものはわからない。


 まぁ、なるようになりますよ。

 貴族院のこともこれからのことも。


 今、しなければならないのはあの生徒たちへのオシオキですからね。


「まったく気楽なもんですよっ!」


 こうして夏が始まる。

 自分にとって一番、衝撃的な事実を突きつけられた夏へ。



第二章スタートです。

以前のスピードを保てるかは……謎です。

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