学園長との邂逅
「どうぞ」
「失礼します」
案内された統括職員室に開けて入る。
ようするに校長室、と言えばいいのだろうか。
しかし、いつ以来だろうか。
このちょっとしたドキドキ感。
あまり褒められた話ではないが自分が学生のころ、校長室に入るときは怒られるときと相場は決まっていた。
吊るし上げを食らわされたあげく、仲間同士で醜い罪のなすり合いをしたことなど思い出したくもない過去だ。
「私がこのリーングラード学園を執りしきることになりました、クレオ・シュアルツ・アースバルトです。ようこそ。ヨシュアン・グラム先生。歓迎しますよ」
好々とした老婆だ。にっこり微笑む姿は郷愁感を沸き立たせて、うっかり涙ぐみそうになる。
あぁ実家のおばあちゃんは元気だろうか?
ニワトリ相手に無情にナタを振るう思い出姿が眼に浮かんで、吐き気がしてしまった。
まぁ、それはいい。
クレオ・シュアルツ? どこかで聞いたことがあるような……。
おっと。初対面の眼前で逡巡していては失礼にあたる。
あまり不自然な態度をとっていると、後々の人間関係で困ることになる。
人間関係は大事です。とても今後に影響を与えます。
「どうかなされましたか?」
「いえ」
あまり自分で自分に心労をかけるべきじゃない。
学園長の正体はおいおい思い出すとして、今はキチンと礼儀を示しておこう。
えー、リスリアでは確か目上の人には手を右胸に当てて、腰を45度? だったような。日常的に使わない技術っていうのはどうも忘れがちになるな。
しかし、毎日のように登城していたのに礼儀について忘れてるとか……、どれだけ礼儀が必要ない状況だったかわかろうものだ畜生。
「ヨシュアン・グラムです。リスリア王国ランスバール王たっての願いを受け、こちらに教師として配属されることになりました。一年間、よろしくお願いします」
学園長から不快な視線は感じない。どうやら間違ってないようだ。
よくよく他人に『目上の人間に礼儀がなってない』と言われるが、それなりに敬意を持って人に接することだってできる。
バカ王? はっ、目上にしたってピンキリですよ。
「たしかヨシュアン先生は、自国で義務教育を経験なされたとか。ですが、リスリア王国にとっては初の試み。至らぬ点をお教え頂くことになるでしょう。こちらこそよろしく願いたいものです」
「はい。よろしくお願いします」
うん。優しそうな人で良かった。
母校のハゲとも無抵抗なニワトリに凶器を奮うババアとは大きな違いだ。
「他に何か質問などはありますか?」
「そうですね……、まずは」
今まで通ってきた学び舎の中を思い出す。
自分の歩く靴音だけが響くというのは、どこか開放感があると同時に不安になってきたのが印象的だった。
そんな自分の心中とは別に、ところどころに人の気配を感じられた。
どうやら生徒や他の教師はもう到着済みなのだろう。
「遅れている生徒や教師は?」
「明日に何名か到着予定の者がいますね。この計画に必要な人間は既に到着していますので心配することはありませんよ」
これはしまったかもしれない。
バカ王が計画の頓挫を警戒して自分を教師に仕立てたというのなら、貴族院も同じことを考えていてもおかしくない。
ベルベールさんの選定だ。抜かりはないだろう。
しかし、過去をさかのぼって人員を配置されていたり、生徒側に何も知らされていない場合、ベルベールさんの読心術だってそうアテにはならない。
中には書類とは違う人物が入りこんでいたりもするのだ。
テスト不合格者が6名居るだけで、この計画は全て水の泡になる。
言ってしまえば生徒側に貴族院の息がかかった6名を配置するだけで貴族院の勝利だ。
怪しい場所や人間は今のうちに調べておくべきだろう。
「心配事ですか?」
「いいえ、何でもありません」
「それは良かった。ところで今回の案件、その性質から背後の関係を洗う必要がありましたが、全てクリーンでしたよ。生徒たちや教師、他にも業者などの人員に不明点はありませんから、そう思い悩む心配もないのではありませんかね? ヨシュアン先生」
見透かされていたのだった。
さすがは年の功……、伊達に年を食ってるわけじゃないな。
「何か失礼なことを考えていませんか?」
「いいえ、まさか。感心していただけです。先に人員を洗っていたことに」
「まぁ、計画の遂行は貴族院も王も手が出せないように、とされていますのでね。ある程度の調べは当然でしょう」
……ん?
待てよ? それは何かおかしくないか?
貴族院はともかく、バカ王も? となると自分はどうなる。
一応はバカ王側についている。なのに『自分だけがバカ王の協力者』っていうのはおかしくないか。
さっき考えていたように、貴族院側も自分のような誰かを用意していてもおかしくない。
「それはバカ……ではなく、ランスバール王の息がかかった者もいない、ということですか?」
「えぇ。極めて公平に人選をされています。これは驚くべきことであり喜ばしいことでもありますね。教育は教師になるものの思想が生徒に伝わってしまいます。真っ白な紙ほど赤く染めやすい。生徒の可能性を追求する場としては申し分ないでしょう」
そのあたりは義務教育を施すにあたって、懸念としていたことだ。
そんなことよりも、この奇妙な状況はどうだ? ほとんどが貴族院、バカ王共に関係ない者がそろえられているという。
自分一人だけが『バカ王側』なんて都合のいい話はないだろう。調査で洗いきれなかった部分がガッチリ貴族院と絡まっていたりしないだろうか。むしろそう考えるのが自然だろう。
貴族院側の人間も紛れこんでいると考えるべきだ。
となると、調べきれなかった部分から重点的に調べておくべきか。
「ところで、どちらかの陣営の人間がいた場合、どうされますか?」
「程度もよりますね。あまりに計画に支障をきたすような者であるようなら、哀しいことですが計画から追い出すことも視野にいれてます」
「見つけ次第、ベルゼルガ・リオフラムを撃ってはいけないわけですかそうですか」
「……ヨシュアン先生。教育者として乱暴なことは避けてくださいね」
学園長の批難するような眼が痛いです。
見敵必殺は基本なのになぁ。
とまれ貴族院側の人間探しをするべきか、貴族院側の策謀を阻止するために泳がしておくべきか。
ケースバイケースになりそうだ。一応、色々準備しておくにこしたことはないが、気を張りすぎるのも自分の首を絞めかねない。
とりあえず最初は学園の立地から施設に至るまで、隅々まで調べておくことにしよう。
「それでは学園を見て回りたいので、これで失礼させていただきます」
「案内は必要ですか?」
「いえ。まぁ、入学式まで二日あります。それまでに記憶しておきます。特に他意はありませんよ? 自分の足と手で見て触って感じておかないと忘れがちになるので。性分のようなものです。では、自分はこれで」
「えぇ。お互い忙しくなりそうですね」
そう、忙しくなる。
教師としての仕事。
それは自分にとっては未知なものなのだ。
そして貴族院側への妨害。
慣れたものだが自分がバカ王側だと悟られる面倒も避けなければならない。
ため息をつきそうになって、我慢する。
たとえ今回の件が強制だったとしても請け負った以上、自分は手を抜くつもりはない。