概ね自己評価はアテにならない
クライヴ・バルヒェットはときどき、周囲から受ける評価と自分自身に当てる自分の評価がちぐはぐなことに首を傾げる。
腕に自信はある。
騎士団長という肩書きは何も家名だけで取ったものではない。法術式騎士団は実力社会を圧縮したような団だ。家柄よりも武力がある者が一番、偉い。
その中でもっとも高い位、団長の位に居るのだから武力ももっとも高いと言えるだろう。
現にクライヴは騎士団の誰かと戦って、今まで負けたことがない。
内紛では武勲も立てた。
当時の国敵を討ち取り、騎士として注目を浴びた。
もっとも内紛終了と共に真実を告げられて、茫然自失とした記憶はまだ鮮明に残っている。
騎士の在り方を問われる真実。
同時に、気持ち新たに騎士として在りたいとも願った契機とも言えた。
ともあれ、それからクライヴはより騎士として修行に明け暮れる。
それらを総合して腕に自信があると言えば、あまりにも謙虚と言われるだろう。
騎士百人抜きの日課は伊達ではなく、武闘大会優勝者の実績も侮れない。
ほぼリスリアの武の顕現とも言ってもいいだろう。
しかし、そんなクライヴでも強いかと聞かれれば首を振るだろう。
強さというものがどういうものか今一つわからない。
単純な武力が高い者が強いとは言い切れないのも一つの理由だ。
そうでなければ、先日の決闘に負けたりしないのだから。
密使の仕事を終え、リーングラード学園から王都に戻ってきたクライヴ・バルヒェットは一人、闘技場のど真ん中で槍を振り回す。
その様子を見た、とある貴族の友人はこう言った。
「お前、今だって充分に強いってのにまだ修練するのか?」
己の武はまだまだだと思っている自分。
そして、周囲にそう答えると何時だって返ってくる言葉があった。
「もうお前より強いヤツはいないんだから、修行よりも嫁さんを貰ったらどうだ? 婚期を逃したってお前なら引く手数多、ハーレムだろ」
何故、周囲が充分だというのがわからない。
実際に強いのならヨシュアン・グラムに負けることはなかったし、まだクライヴの武は先があるような気がするのだ。まだまだ強くなれる余地がある。
なのに、まるで今のクライヴで頭打ちのような、これ以上の実力を付けるのは無駄だと言われているような評価ばかり聞く。
「―――」
声にならない裂帛を上げ、槍の先端を払いあげ、手首を返して槍を逆手に持つ。
一度、槍の握りを持ち直し、石突きを横に払う動作をしようとして、ビクリとクライヴの身体が跳ね上がる。
「……ダメだ」
払いのけの修練をしている途中ではあったが、力なく槍を下げた。
クライヴが行なっている動作はリスリア王槍術では『十字の型』と呼ばれているものだ。
槍術における払いのけの型、ソレは剣道の稽古で言う『正眼の構え』に近い、オーソドックスな型に過ぎない。
どんな武術にしても、ただ型をトレースしているだけでは本当の意味で身にはつかない。初心者ならまだしも、熟練者となれば型をしている間にも相手がいるとイメージして臨む。
クライヴもまた基本に漏れず、仮想敵をイメージしながらの型練習だった。
だが、クライヴが仮想した敵は持ち直しの一瞬を突いて、喉元に『ブレードナイフ』を突きつけてきた。
それはクライヴにとって、おかしなイメージでもあった。
実際、仮想敵はもっと別の武器を持っていたはずだった。
その武器は奇妙極まりない武器だった。
おおよそ、クライヴが知る中にはそんな武器は使わないだろうし、使う用途や意図すらわからないものだった。
いや、そもそも武器かどうかすら怪しいものだったろう。
ただ、形状だけはよく覚えている。
折れた直剣と言えば、一番、近いイメージだろう。いや、それも怪しい。
剣というにはあまりにも剣を構成する部位が多過ぎるのだ。
剣は大体、柄と刀身、この二種類に分けられる。
もっと端的に言えば刀身と刀身以外、という分け方だ。
しかし、仮想敵の持つ武器は、刀身の片刃に鉄板が覆い被せてあって、手を護るガードと刀身がほぼ同じ大きさなのだ。護るためのガードの意味を無くし、刀身を一側面潰すほどの利点を感じられない。持ち手も微妙に複雑な歪曲があって、握りがまるで曲剣のソレに近い。なのに刀身は直剣と変わらない。そんなチグハグな造りだと振るう力が逃げてしまうはずなのだ。そのうえ、刀身はあまりにも短すぎるし、太さだけなら大剣と同じなのだ。
一体、どんな使われ方をするのかすら想像つかない武器だが、武器ならば使い方は変わらない。
だから折れた直剣をイメージした。クライヴが一番、想像しやすい武器だからだ。
とはいえ、突然、ブレードナイフに置き換わってしまった理由はもう見当がついている。
「俺が思うより、よほど堪えたのか……、あの敗北は」
武器が武器なだけあって、イメージしきれなかったのは確かだ。
しかし、それを含めてもこんなことは一度もなかった。
つまり、ブレードナイフを振るう仮想敵……、学園教師のヨシュアン・グラムがよほど鮮烈に印象づけられてしまったのだろうと予想する。
いくらお互い、手加減の上の本気だったとはいえ、負けて悔しくないかと問われれば悔しいと答えるだろう。
雪辱は返さねばならない。
王国騎士として、一人の武人として、ましてや――
「これではレギンヒルト嬢に合わせる顔がっ!」
「私の顔がどうかされましたか?」
凛と鳴る鈴のような声に、クライヴの心臓は跳ね上がりそうになる。
それを必死で堪えて、ゆっくりと振り向くとそこには期待を裏切らない女性の姿があった。
闘技場に立つには似つかわしくない細い姿。
まるで一輪の花のように麗しい存在感。
そこに在るだけで荒れた土と砂の闘技場が花畑にでも変わったかのような錯覚を受ける。
流れる白金の髪。整った美貌に歳よりも若く映る見た目。新雪のように色素の薄い肌は絹のように滑らかで、クライヴの手と比較しても本当に人間なのかとさえ思ってしまう。
白を基調にしたフリルブラウスにブルーのリボンタイ。蝶々のようにヒラヒラとしたカフスは膝までの長さに留めてあるのは貴婦人としての嗜みと動きやすさを折半したせいだろう。
足元まで隠す同色のロングパニエは妙齢の女性が付けるものよりも身体のラインを隠すようにと意識されたのか、何重もの薄いベールに覆われている。
それでも体型のスマートさを隠せないのだから、どれだけ細いのかと見る者に思わせる。
それこそ手折ればポキリと摘み取れそうな儚さがある。
うっすらと微笑む笑顔は、誰が見ても息を忘れてしまうだろう。
リスリア王国が武をクライヴに例えるのならば、美を目の前の女性に例えるだろう。
完成された一つの美がそこにあった。
穏やかなカーテシーを披露し、その洗練された動きに気遅れすら感じてしまったクライヴだった。
「いや、なんでもない。レギンヒルト嬢」
短く、追求されたくない心を隠す。
本当はレギンヒルトと顔を合わせたくなかった。敗北した身体で愛している女性に会うのは非常に申し訳ない気持ちになるのだ。
クライヴにとってレギンヒルトは天上の華そのものだ。
この恋とも言われる気持ちに気づいたのも、長らく時間がかかった。最初は何故、自分がレギンヒルトを目で追ってしまうのか理解できなかった。
レギンヒルトの新しい面を見つけるたびにその光景が夢にまで出てきた。もしかして呪いなのかと疑ったこともある。
それでも悪いと思う気持ちになれず、次第にレギンヒルトの事ばかり考えるようになった。その頃から見合いや立食会で女性貴族の相手をするのが苦痛になり始めてきた。
どうして他の女性に接するだけで、こんなに窮屈な気持ちになるのだろうか。
そして、他の女性と居るところをレギンヒルトに見られただけで心臓を掴まれたような気持ちになるのか。
自分のことがわからない。
これは武人として、情けない限りだ。
たとえどんな状況でも自分のコンディションを理解していない武人はいない。
自らの未熟を恥じるばかりの日々。
その日々、疑問と想いを素直に受け入れた瞬間もまた情けない話だった。
当のレギンヒルトに指摘されて、ようやく気づけたほどだ。自分の鈍感具合に腹が立ったこともあった。
愛し愛しの美の顕現は何も言わず、何かを待っている。
当然だろうとクライヴは思う。
運悪くとはいえ、本人の目の前で名前を出せば気になってしまうだろう。
「気にしないでもらいたい」
「そう? それなら良いのだけれども」
「それより、何をしに……」
きた、と言おうとして止まる。
用件を聞こうとしているのに、どうしてもつっけんどんになってしまう。
本人にその気は無くても、気が急いてしまっているため、どうにも上手く言葉が飾れない。
貴婦人をエスコートする時のような台詞ならば、スラスラと出てくることを考えれば臍を噛む気分だった。
しかし、このままだと、あまりに変わっていない。
成長していないのと同じだ。
あのヨシュアン・グラムですら変わったというのに、クライヴが成長していないのでは到底、追いつける気がしない。
幸い、当のヨシュアンに『言葉の使い方』を指摘されている。
ここで少しは成長していると見せてやるべきだ。誰に見せるかは定かではないが、意を決して言葉を紡ぐ。
「本日におきましては如何様な御要件であらせられるか」
さんざん考えて、言い直してなお、コレだった。
ただの堅い丁寧語である。
壊滅的にお喋りが苦手な騎士だった。
「そう格式ばることはありません。いつもどおりでお願いします。用向きは個人的なことですので、お邪魔でしたら日を改めます」
「む……、むぅ、いや、いい」
失敗した手前を許されたとあっては唸るしかないクライヴだった。
一方、レギンヒルトはクライヴの『いつにもまして堅い』様子から重要な練習の邪魔をしてしまったものだと勘違いしていた。それでも当人が問題ないと言っているので、わずかに浮かんだ気後れを忘れることにした。
せめて、話だけは短くしようと決意した瞬間だった。
それがクライヴの意に反していると気づけないレギンヒルトだった。
「話を聞こう。茶の一つも出せずに済まない」
「闘技場にお茶のセットを期待する人もいないでしょう。お気になさらず」
またしても唸るしかないクライヴだった。
「お忙しいようですので手短にお尋ねします。先月にクライヴ様は国政の実験施設に赴かれたとか」
「……あぁ」
やはりというか、予想していた聞きたくない言葉が飛んできた。
「グラムのことか」
その名前を出した瞬間、レギンヒルトは微笑みに少し喜びを混ぜる。
照れているような、自慢したいような、そんな顔に肺が締めつけられる。
「はい、ヨシュアンのことです。ヨシュアンは少し、やりすぎるきらいがありますから。それに教師……、誰かを教え導く者として少々、偏った思想の持ち主だと思っています。ちゃんと上手くやれているかどうか心配で」
その癖、子供を自慢したい母親のようなことを言うので目も当てられない。
鈍感なクライヴでも、レギンヒルトがヨシュアンに一定以上の好意を抱いているように見える。
答えたくないのが本音だ。
しかし、本当の事を言わない自分が幼稚に思えてしまい、
「……大丈夫だ。グラムだぞ」
答えているのか答えられていないのかよくわからない返答を返してしまう。
もっとハッキリ、ちゃんと様子を伝えてやることが最良であるとわかっていても、口下手なのと想いが邪魔して、言い切れない。
もどかしいとさえ思う。
「変なことを教えてないと良いのですが」
それでも心配し続けているレギンヒルトが何を心配しているのかわからない。
そういえば、と思い出す。
ヨシュアンの弟子だった少女の二人の会話を思い出す。
自分に合った相手が無難で、並んで立つ美貌がどうのこうの、と。
こうしてクライヴとレギンヒルトが向かい合っている姿を客観的に見たらどうなるだろうか?
疑問を浮かべ、似合う、似合わないかと問われればやはり、無理がある。
よく美形だのなんだの言われるクライヴであるが、それ以前に武人だ。
女性を賭けた決闘で敗北をした以上、今のクライヴがレギンヒルトの隣に座るのは分不相応だろう。
一方、黙っているクライヴに向かって別の男性のことを話し続けるレギンヒルト。
時折、相槌を打っているので聞いていないことはないのだろうが、どこか上の空だと言うのがレギンヒルトからでもわかる。
「(やっぱり、お忙しいのかしら?)」
そうなるとこうしてお喋りに興じているのも悪い気がする。
一端、キリのいいところで御暇を告げなければ。
まったくもってクライヴの葛藤に気づけない。
これは実はクライヴにも問題があった。
何せクライヴは騎士は動じてはならないと思いこんでしまっているため、極力、感情や視線を動かさないようにしているからだ。
内心はともかく、表面にだけは出ないようにしている。
その成果が自分の気持ちをレギンヒルトに気付かせられない原因でもあるのだが、この場にいる誰一人として理解していなかった。
「ヨシュアンの様子も聞けたので、ここで失礼します。クライヴ様も修練、頑張ってください」
微笑みながら去ろうとするレギンヒルト。
ここでただ見送るだけではいけない。
本来なら帰り道をエスコートするべきなのだが、隣に立てないクライヴではその役目は重すぎる。
しかし、なんとか気持ちを伝えたい。
伝えきれなくても、決意だけは汲み取ってもらいたい。
そんな気持ちがクライヴを動かす。
「レギンヒルト嬢」
呼び止められたレギンヒルトが振り返る。
「俺は強くなるぞ」
『貴女の隣に立てる男として』、の件が言えない、言い切れない、思いつきもしないクライヴの言葉をレギンヒルトは受け取って、少し首を傾げる。
一体、その決意はなんなのか?
というより、どうしてあんなに強い瞳をしているのかすら理解できない。
言葉の意味と真意を考えて、ふと思い出す。
クライヴがヨシュアンと戦いたがっていたことを。
どうやら、向こうで手合わせをしたのだろう。
その結果が芳しくなかったので、苦々しい想いをしたに違いない。
となると修練に力を入れていた理由もわかる。
今度は負けたくない、という気持ちが湧いてきたのだろう。
「(負けず嫌いなところはヨシュアンそっくりね)」
ほんの少し、微笑ましく思える。
何時もだらけているヨシュアンも、勤勉なクライヴと武を競えばちょっとは生活態度を改めるかもしれない。
クライヴにヨシュアンを重ねたレギンヒルトは、そんな自分にも向けて、弾むような気持ちで目を細めた。
「クライヴ様のそういうところはとても良いと思います」
素直に好感が持てたので、正直に伝える。
できればそのまま、ヨシュアンの良いお手本となって欲しいという意味だ。
「――あぁ」
クライヴは思いがけなかった応援の言葉に胸が熱くなる。
愛しい人に期待されている。それは千人の味方よりも心強い応援だった。
その期待に応えるべく、すぐさま向き直り、型の構えを取る。
背後にレギンヒルトの視線を感じながら、力強く槍を振る。
何より、周囲と違い、レギンヒルトはクライヴの強さに対する執着を否定しなかった。
それどころか肯定とも取れる返事を返した。
まだチャンスがあるのだろうか。
そう、期待してしまう迂闊な自分を戒めるように訓練に没頭する。
現金なものだと自分自身を皮肉りながらも、そんな自分が嫌いになりきれなかったクライヴだった。
その想いが決定的にすれ違ったままだと、気づくのは何時になるのだろうか。
おそらく、それは誰にもわからない。
訓練に没頭し始めたクライヴに一礼して闘技場を後にしたレギンヒルトは、少し考えこむ。
「(ヨシュアンが変わりない様だったのは良かったけれど、何せ初めて弟子を持ったのだから、きっと彼は苦労しているはずね、うん。何か彼の苦労に報えるようなものはないかしら?)」
上機嫌で歩くレギンヒルトに貴族の女性がため息を付く。
男の貴族は声をかけようと近寄ろうとするが、その上機嫌を壊して良いものだろうかと躊躇いを覚えてしまうくらい、美しく映えるのだ。
そうこうしている間にレギンヒルトは見えなくなってしまう。
残されたのは男女問わず魅了する桃色ため息ばかりだった。
「(あのヨシュアンが『人形』を送ってきたのだから、嫌われてはいないはずなのよ。そうでなくても彼の役に立つ何かを持っていけたら『人形』のお返しになるし、悪いと思うことはないわね)」
なるべく確率の高い算段をつけて、レギンヒルトは考えこむ。
上機嫌であったり、落ちこむように考える様はまるで恋する女性そのものだったが、レギンヒルトは自分のそんな様子に気づかないまま、目的を決める。
自らの立場を壊さないように、ヨシュアンの手助けをする。
そう決めた瞬間、レギンヒルトは策を練り始める。
そこに疑問はなく、どうしてそこまでヨシュアンを気にかけるのか理由もわかっている。
ただ、例に漏れずレギンヒルトもまた鈍感だったというだけの話。




