Defeat is an orphan.
「決闘を許可しましょう」
グランハザードを伴って学園長室に入り、事情を話した自分は今、まさかの返答に驚きを隠しきれませんでした。
いつもと変わらない、変わらなさすぎる、もしやこの老婆は地獄でも同じように微笑むのではないかと錯覚するような態度に自分はつい机に手をつき、身を乗り出してしまいました。
「学園長? ちょっと待ってください。学園側が決闘を受けなければならない理由はありません。もしも本当に儀礼をおこなうなら、なら卒業後が正しい筋道ではありませんか。それを今、この状況で行うとは如何なものでしょうか」
学習要綱が赤字続きなんで、もう面倒事に時間をかけたくありません。
さらに三者面談、父兄の対応にティルレッタ父の心情を理解して、さらに好印象を与えなければならないという面倒極まりない状態なんですよ。
というか来月は二回目の試練も控えているんですよ。模擬試練の内容も今から手を付けている途中ですよ?
さては自分たちを過労死させるつもりですね。
「それでよろしいですか?」
学園長は自分を無視するようにグランハザードを見て、言いました。
グランハザードも目上への礼をし、口を開きました。
「国政の実験の最中にも関わらず家庭の事情をご考慮いただき誠にありがとうございました。学園事業に差し障りのない範囲で収めることをお約束すると同時に、このような事態を招いた所存を深くお許しください」
「いいえいいえ。儀礼とはいえ親娘での決闘……、さぞお辛いでしょう。何事もなく、大過もなく、発災がないことを祈るばかりです。とはいえ急な申し出、期日は……、そうですね。ちょうど商隊の出発の日としましょうか。もちろん、それまでに問題が解決できるのならそれに越したはありませんよ」
「過分なご対処に再度の感謝を。そして、これは私共も予定になかったこと。急ぎの用意もございますのでここで失礼します」
グランハザードは妙に畏まった態度のまま、さっさと職員室から出て行ってしまいました。
アレではまるで貴族を相手にするような態度ですが……、グランハザードも学園長を警戒していたようですし、あえてそうしたんでしょうね。
それよりもこっちです。
密かな忙殺の危機以上に納得できません。
「ヨシュアン先生の心配もよくわかりますよ。その慌てようからかなり分の悪い賭けであることも承知です。ですが冷静にお考えなさい」
せめて学園長が何かしらの策を考えての発言だったと祈りたいところです。
「今回の件、我々に何か不都合な点はありますか?」
学園長は立ち上がり、窓の向こう側へと視線をやりました。
その背中がこちらを拒絶しているように見えてしまいます。
「残酷な話かもしれませんが、私はこうも考えています」
確かに学園にとってマッフル君の将来はそう大きな影響を与えないでしょう。
何故なら第三者からすれば家業を継ごうが継ぐまいがマッフル君は商人になり、『将来の希望を叶えた』と見て取れるからです。
どういう進路についたかも情報として集めておけば特定層の支持も得られる以上、進路に問題がないなら問題ない、と言ってしまってもいいのでしょう。
「夢破れることもまた経験の一つ、と」
そう、マッフル君の気持ちを除けば。
「しかし、学園長」
「もちろん夢や野心を叶えることは最上なのでしょう。そのことに是非を持ちません。ですがヨシュアン先生。貴方の言う半年後、卒業の後に我々の手を離れたマッフルさんが父親と決闘を行い、負けた場合はどうしますか?」
半年後なら可能性はあります。
少なくともそれだけのことを教えられるでしょう。
しかし、自分は何も言えませんでした。
卒業後のマッフル君に自分は責任を持てません。
「例えば半年後、ヨシュアン先生が誇れるほどの力を身に着けたマッフルさんが親との決闘を無視し、新天地で商売を始めてしまった場合はどうでしょう?」
「それはありえません」
半年後のマッフル君がどうなっているかまで想像できませんが、少なくとも性格上だと逃げないでしょう。
現時点で勝てると考えているくらいですから半年後はさらに勝てると思うでしょう。
ですが、その方が良いとマッフル君が判断してしまった場合はなんとも言えません。
やはり不安は付きまといます。
「少なくとも私やヨシュアン先生なら『そういう風に仕組む』ことが可能ではありませんか?」
フツフツと怒りがこみあげる言葉ではありましたが、同時にそう単純な言葉でなかったことに気づき、頭が冷えてきました。
これは単純な確率の問題です。
半年後のサイコロの出目を予測するよりも現状の出目が悪い方がまだマシだからなんでしょう。
自分たちの手と責任が届かないところで決闘されるより遥かにマシという考え方ですね。
最悪の事態を回避するつもりなら一つの選択肢としてアリだと思います。
そして、『学園長が教育を洗脳として使うつもりがない』という意思表示でもあり、同時に学園の在り方を示したと言えるでしょう。
逆に言うと自分が意識してマッフル君を『父親に勝たせる、戦わせるようにする』というのはある種の洗脳と同じです。
この辺の線引きは非常に曖昧で複雑なので一概に言い切れません。
少なくとも自分は半年後の責任が取れないことと洗脳という疑問のせいで自信が持ちきれませんでした。
しかし、学園長の案なら希望が一つだけあります。
おおよそ一週間後、もう六日切っていますがグランハザードとの決闘までにマッフル君を鍛えなおせる期間があります。
不確実な未来を選ぶか、成功は低くても確実な手段を選ぶか、少なくとも学園長は後者の方に賭けたのでしょう。
そうと決まればマッフル君を鍛えなおしましょうか。
この決定をマッフル君にも伝えないといけませんし、今からだと生半可な手段では到底、勝ちを拾えません。
放課後、決定を伝えたと同時に修行です、修行。
それも悲鳴をあげる系のすごいヤツです。
「話は以上ですが最後に一つ、言っておかなければなりません。ヨシュアン先生は決闘の件に『積極的な介入』を禁じます」
……はい? 今回、二度目の想定外に目を白黒させてしまいました。
※
非常に厄介な通告を受けた自分はとっとと学園長室から出てきました。
もう何を言っても無駄でしょう。
学園長が一度、言葉に出してしまった以上、覆すのは困難です。
「今度はどんな注文がついたんだ? まさか竜狩りにでも行ってこいとか言われたか」
自分の机に戻ろうとした時、アレフレットが急に話しかけてきました。
机と書類を親の仇のように凝視したままでしたが、それがまた現状を物語っていました。
「主に知恵でどうにかしなければならない類ですよ。勇気と力が必要と言われなかっただけ余裕ですね。難解さはテノートの要求くらいでしょうか」
「知名度の低い喩えだな。僕ならヒュティパとハミンギアの知恵比べにするところだ」
あぁ、そういえばアレフレットに連絡事項がありましたね。
「神話で思い出しましたがもしアレフレット先生に個別で進路相談に来る生徒が居たら、対応してもらえますか?」
「ふん。まぁ、それくらいは構わないが……」
ここでようやくアレフレットが顔を上げて、こちらに向き直りました。
今気づきましたが目の下に隈……、あぁ、奥さんもやってきたというのにコレは一体、どういうことでしょうド畜生が。
「そう何人も来ると困るからな」
「いえ、しかし少なくともウチのクラスから神を学ぶ子が出てくるかもしれませんので」
「……官位か祭位か、それで色々変わるが、いや、相手はセロか。ふん、それなら祭位だな。確か修道院育ちだったはずだ。なら基本的なことよりもまずは祭位がどういうものかというところからか教えてやればいい。よし、わかった。そのくらいなら簡単だ」
「よろしくお願いします。それと実際に決断した時は紹介状もお願いします」
「さらっと紹介状までねだるな! 大体、僕の紹介状でも不十分だぞ。後ろ盾が修道院だけなら後二、三人くらい貴族の祭位持ちの紹介が欲しいな」
「それはアテがありますので」
これでセロ君も相談相手に困ることはないでしょう。
あとはレギィに相談に乗ってもらえるよう手紙を書く程度です。
「それよりお前。もう一つの厄種を忘れているだろ」
はて? これ以上の厄介事なんてありましたっけ?
「落ち着いて座ってみたらわかるんじゃないか」
アレフレットもそれ以上の時間を割くつもりがないのかすぐに机とにらみ合いを始めました。
自分もこれ以上、アレフレットの邪魔をするつもりはありませんので素直に机に座ってみて、ようやく理解しました。
「………」
正しく三点リーダでしか表現できない沈黙でした。
それを表現するのなら『暗鬱な感情で積み重なった山』というべきでしょうか?
本来なら対極の位置にいるシャルティア先生は今、肘を机に立て、両手を組みながら目元を覆うという中々見ない姿を晒していました。
「……リィティカ先生、一つお聞きしたいのですよろしいですか?」
瞬間的にリィティカ先生に話しかけたのは間違いではないと思っています。
断じて話しかける勇気がなかったわけではありません。
普通に話しかけづらいだけです。
「シャルティア先生は何時からこんな状態に?」
「え? え~っとぉ……、私が職員室に戻ってきた時にはもぅ……」
沈痛な空気と共に言われてしまいました。
その沈んだ表情を笑顔にしてあげたいところですが、シャルティア先生の沈みっぷりが天変地異レベルなので先にこっちをどうにかしないとなりませんね。
シャルティア先生が浮上すればリィティカ先生もきっと朗らかな微笑を浮かべてくださる以上、張り切って頑張れますね苦行ですか? よろしい望むところです。
「シャルティア先生。どうかしましたか? もしや風邪がぶり返して――」
自分が話しかけたと同時にぐるりとシャルティア先生は前を見ました。
その瞬間、自分の意識は戦闘へと引っ張られました。
背筋を舐める特大級の寒気、命の危機を明確に感じられる、その圧倒的な死のイメージ。
それらは突然、森の中で『無色の獣』と遭遇するくらい予想できないものでした。
殺られる前に殺るしかありません。
それが経験に裏打ちされた、危機に対する答えでした。
一方で目の前の光景は大きく違いました。
強いて言うなら呪詛の塊のような瞳でこっちを見てくるシャルティア先生がいるくらいで、物理的な危険なんて周囲に存在しません。
イメージと現実の巨大な差についていけなかった自分はシャルティア先生を見て、硬直するしかありませんでした。
ようするにちょー怖ぇです。固まるくらいには。
「――お体の調子がお悪いようでしたら迅速に手配させてくださいませシャルティア先生」
警戒の鐘の音が頭の中でガンガン鳴るのを無視して、よくわからない謙譲が口からダダ漏れでした。
「……あぁ」
地の底から亡者を絞り殺すような音と共にシャルティア先生は呻きました。
そして、緩やかな動きで立ち上がると無造作に自分の肩に手を置きました。
「……ちょっと付き合え。何、嫌とは言わせん。何せお前にも関わりがあることだからな」
「あぁ、それは嬉しいお誘いですがあいにく学園長より竜狩りにも勝る強大かつ凶悪な案件がございま――」
「来い」
YES以外の選択肢はありませんでした。
振り払えるはずの力には一切、抗えず、勝手に早上がりしてしまう自分とシャルティア先生に各教員、誰一人として非難の目を浮かべていません。
若干、ハンカチを噛みしめて羨ましそうにしている事務員を除けば皆、状況を理解しているのでしょう。
『暗鬱な感情で積み重なった山』は活火山だった、ということを。
でもって活火山の活動を阻止する生贄役は自分なんでしょうね。
今はまだ静かかつ強引に学び舎を歩く姿しか見えませんが、それがまた余計に噴火前を思わせて冷や汗が頬を伝いました。
何を言うべきか。
あるいは何と言うべきか。
迷うのはシャルティア先生の苦悩の理由を知らないからです。
とは言えストレートに苦悩を聞いても答えてくれそうには見えませんし、口を開いたら歪曲して伝えてくることでしょう。
だからこそのチャンスです。
義務教育計画の教師側には参加の代わりに何かしらの恩赦が与えられます。
例えば自分ですが、非常に鬱陶しい貴族院を潰せるのが報酬といえば報酬になるのでしょうか?
明確に報酬と定められているわけではありませんが似たようなものでしょう。
リィティカ先生なら投獄された師の解放。
アレフレットなら明確な地位向上とそれに伴う旧い因習の排除。
ヘグマントとピットラット先生はおおよその目途はついていますので、そのうちにでも突いてみるとして、教師陣でもっとも動機を調べるのが困難だと思われる相手がシャルティア先生でした。
何せ彼女は、彼女だけはベルベールさんをして『おそらく』という前書きをして、動機面が書かれていた相手でした。
ベルベールさんの読心術でも動機を読み切れなかったのは脅威と同時に驚異を抱かせました。
高い自尊心と自己管理能力がおいそれと心の奥底にある弱みを見せたりはしないのでしょう。
ベルベールさんの読心術は全能のような完全なものではなく、心の奥底にある自らも知らないものや強烈な意志すぎて他の感情が聞こえない、と言った弱点もあります。
だから完全に調べきれない責任をベルベールさんに押しつけるつもりはありません。
まずシャルティア先生がおかしいのでしょう。
シャルティア先生は前者、強固な意志のせいで裏の声が聞こえづらいタイプです。
シャルティア先生が自ら行動して、自分に何かを伝えようとしている今こそがシャルティア先生の動機を――この義務教育計画に賭ける望みを知るチャンスです。
その望みと自分がベルベールさんからもらった情報との矛盾、そして裏を調べることが出来れば、そこから突き崩せます。
「……で、何故に社宅ですか」
「呑むぞ」
「自分は下戸です」
「呑むところでも見てろ」
なるほど、ただの拷問ですね。
「今日の私は途方もなく傷心だ。何せ風邪で倒れていたと思ったらいつの間にか快復し、その副作用で私とは思えないほどの大興奮したまま授業に向かい、『全世界、私のもの計画』なる野望を父兄に語ってしまったくらいだ」
「是非、お供させてくださいお願いします」
混じりっ気がなく自分の責任でした。
色々と突っ込みたい気持ちもありますが、ソレをここで聞くのはきっと野暮なんでしょうね。
「それにしてもよく不敬罪になりませんでしたね」
なので一番、面倒な部分だけ聞いてみました。
『全世界、私のもの計画』の内容は知りませんが題名だけでもわかることがあります。
それは現政権への不穏分子となるように曲解できるということです。
なんていうか貴族相手に『王すら己の物』と言い放ったら、そりゃ不敬罪でしょっ引くくらいやります。特に忠義の騎士や忠誠心溢れる小物なんてサイコロを振るよりも確実な未来が待っています。
もっともクレティアスは忠義よりも経済、商人寄りの貴族です。
故に利用するため、義務教育計画を阻止するため、そして愛娘を守るために不敬罪くらい言い放ちそうです。
「……予想以上にティルレッタが反応してしまってな。大賛成の構えだ」
不意かつ無駄に理解してしまいました。
今日、クレティアスが非常に不機嫌だった理由です。
愛娘の授業を愛でようとしていたのにクレティアスにとって、女教師の誇大妄想かつ軽挙妄動な計画に愛娘が両手を挙げて喜んでいたらどうでしょう?
誰が見たって洗脳に見えます。
洗脳以外の何物でもありませんが実のところ、洗脳以上の暗闇ちっくな精神性が垣間見える一面です。
何故なら教えている側からもあの子が何をどう解釈して、どう理解を示したのか一切、わからないのですから。
わからないのに賛成されているのだからたまったものではありません。
ちなみにクレティアスから見たらある意味、人質です。
もしかして一段、二段くらい曲解して娘を盗られたくらい思ってそうですね。
むしろ、そう思っていた方が不機嫌の理由としてはストレートでわかりやすいくらいです。
こうなるとクレティアスは娘を奪った教師、ひいては義務教育そのものに忌避感を抱いているかもしれません。
「いくら正気ではなかったとはいえ失策だった。正直、消してしまいたい過去だ。しかし、やらかしたことは消えん。せいぜい今日は愚痴らしてもらうぞ」
本来なら反対派のクレティアスに好感を抱いてもらうための授業参観、そして三者面談でしたが、こうなってしまうとクレティアスは『愛娘を奪還する=義務教育を阻止する』という考えに固執するでしょうね。
やらかした、という言葉は正しく、正しいわけです。
「お手柔らかに頼みます」
観念して社宅の扉に手を伸ばした時、二つ隣の社宅の扉が開きました。
「あら。あらあら、おかえりなさいませ先生方」
現れたのは赤ちゃんを抱いたヘグマント夫人ことグラリアさんと何故かいるアレフレット夫人ことエリノワールさんでした。
ヘグマントの社宅から出てきたということはお茶会でも嗜んでいたのでしょうか。
「とても大人しい赤ちゃんで安心してみてられました。きっとお父さんに似て聡明な子に育つのでしょう。今から楽しみで仕方ありません。そういえばこの子のお名前を――」
「あー、はい。その、ありがとうございました。それとその子は自分の子ではなく」
「あら。それは込み入ったことを」
「いえ、いえいえ。何はともあれ朝、唐突なお願いだったにも関わらずお預かりいただき本当にありがとうございました」
そうでした。
正直、頭痛の種が多すぎて最初の厄介事を忘れてしまっていました。
どうしても赤ん坊の面倒を見てくれる人がいなくて困っていたところ、今日の朝、見かねたグラリアさんに預かってもらったのでした。
ヘグマントも了承していたどころか『是非、頼む』と言っていたので好意だけではなく、何かしらの理由もあるのかもしれませんね。
最初に出会った時は自分とシャルティア先生以外は抱かせるものかと泣いていたのに、今ではグラリアさんの腕でスヤスヤと眠っていました。
ずいぶん素直になったものです。
「こちらこそ、とても楽しい時間を過ごせました」
グラリアさんに代わってエリノワールさんが一歩、前に出て口を開きました。
「こうして赤ん坊を見ていると私も子供が欲しくなってきます。それに色んなことも教われてとても有意義な時間でした」
微笑み合う奥様方。
きっとエリノワールさんはグラリアさんから子育てのアレコレを教わっていたんでしょうね。
騎士爵を持つヘグマントの奥方であるグラリアさんと地方木っ端貴族の次男の妻であるエリノワールさん、ともに弱小貴族の分類ではありますが一代限りの騎士爵や地方の下っ端領主の次男なんて平民に毛が生えたような生活水準も多く、自分の子供は自分で育てなければなりません。
子育ても先達に教わる以上、教育というべきでしょうか。
余裕があれば保育の続きで子供の成育についての体育の授業でやるべきなんでしょうが、今はちょっと手が足りませんね。
「では赤ん坊はこちらで」
赤ん坊を受け取ろうとして自然に出した手を、にこやかな奥様方は静かにスルーしました。
「……ところで先生方」
両手が届くほどの距離なのに何故か奥様ーズが遠く見えるのは新しい術式か何かですか?
「夜も赤ん坊をお預かりさせていただけませんか? いいえ、ラーシーの名にかけてお預かりするだけですので」
「えぇ、えぇ! 赤ん坊が居ては大変でしょうし色々と」
「特にお若いお二人なら持て余してしまうこともありましょう。あ、こちらは大丈夫です。主人も理解してくださるでしょうし」
「あ、そういえば今、お仕事が大変らしいじゃないですか。ご主人もお疲れでしょう。こうしましょう! グラリアさんがウチに泊まって、ウチの主人をグラリアさんのところに泊めましょう」
「あら。なら大丈夫、お夕飯だけ作ってしまえば主人も何も言わないでしょう」
「そうですね! 夜泣きしたら大変ですもの、ここは主人にも協力してもらわないと」
亜音速でヘグマントとアレフレットの嬉しくなさそうなお泊りが決定されました。
というより自分の意思とは関係ないところで赤ん坊が拉致されるようです。
別に困りはしませんが、奥様ーズの目的はハッキリしています。
アレですか?
泥沼に突き刺さって勇者を待ち続ける伝説の剣のような目つきをしたシャルティア先生と自分のスキャンダラスな日常を聞きたい的なアレですよね。
「いえ、ご迷惑をおかけするのは気が引けます。それに見つけた責任というのもありますし」
「そんなお忙しい先生方を少しでも手助けするために私たちはリーングラードに参ったのです。どうかご遠慮なさらないでください」
どうしましょう、親切心から出た言葉と信じたいのですがどうしても下心が見え隠れしているようにしか見えません。
どうやって勘違いを解き、好奇心を抑えるか、同僚の奥さんであることも差っ引いて言葉を選んでいるとポンッと肩に手を置かれました。
「諦めろ。何を言ってもどうにもならんぞ」
「いいんですか? アレ」
一部の変な噂を除けば自分はそこまで風聞を気にしません。
しかし、シャルティア先生は女性です。
嫁ぐことが前提の女性貴族とはまた事情が違うのでしょうが、あまり異性の影を匂わせるのは今後の嫁ぎ先に影響があるんじゃないでしょうか?
リーングラード内で収まればいいのですが、今はグランハザード商会と父兄が来ています。
回り回ってどうなるか、ちょっと予想できませんね。
「どうせ誰かさんが倒れた時に泊まっている。それに同僚と呑むのはおかしいか?」
どうも変ですね。
いえ、今まで微妙に見逃してきたことですがシャルティア先生の自分への対応です。
何時ぞやの散歩のお誘いに始まり、この奥様ーズの反応が周囲にどんな影響を与え、どういう風に観られるかについて頭が回らないはずがありません。
性格的に男女の仲を勘ぐられても無頓着とは絶対に思えませんし、しかし、その目つきに嘘や誤魔化しは見受けられません。
意図的に考えないようにしているか、考えていても無視している、あるいは考える必要がないように見えます。
実は内心、恥ずかしいけれどプライドが邪魔して顔に魔剣を装備している可能性もありますがコレは少し飛躍しすぎでしょう。
うまく説明できませんがもしもシャルティア先生が恥ずかしがっていたのなら、もっと別のアプローチをするような気がします。
「気持ちはわかる。ただ今は月よりも胸が灼けるような酒が呑みたい」
考える、考えない以前の問題でした。
一刻も早く正常な思考をお空に放り投げたい気持ちなんでしょうね。
「わかりました」
こうまで言われたら仕方ありません。
奥様ーズに向き直り、自分は頭を下げました。
「すみません。朝に引き続いてご迷惑をおかけしますがどうかよろしくお願いします」
「はい。承りました」
ふと笑顔の奥様ーズを見て、思いつきました。
「それともしも思い出したらで結構なのですが、その子の引き取り手について、お願いしてもよろしいでしょうか? おそらくお聞きでしょうが来月の試練まで教師陣に余裕がありません。その間の面倒やこれから先、その子の幸いを考えるとこの朴訥な男が育てるのは少し……」
ちゃんと目を伏せ、残念そうな表情を忘れません。
まるで赤ん坊の将来を心配しつつも仕事のせいで引き取れないように見えるはずです。
これに奥様ーズも眉根を八の字にさせ、困った顔をしました。
ただ困った顔と違い、そこにはある種の憐憫を感じます。
「まぁ……、なら私どもでも何かお力になれないかどうかお手伝いさせていただきます」
「ありがとうございます、ラーシー夫人。フランクハイン夫人。そしてどうかよろしくお願いします」
「わかりました。先生なら学園施設はすでにお聞きでしょうから商会の方々にも聞いて回ってみます」
さすがというかグラリアさんはよく自分を観察しています。
自分がすでに学園施設に手を回したという情報を人となりから把握し、現状で引き取り手探しをしていないだろうグランハザード商会に焦点を絞り、的確に己のできる領分を見定めています。
これらを理性ではなく、直感的に行っているところを見るとヘグマントとグラリアさんの関係が少し見えてきますね。
夫をサポートするために機微に鋭くなったのか、機微に鋭いからヘグマントの奥さんになれたのかはわかりませんが、少なくともヘグマントにとってグラリアさんはなくてはならない存在のようです。
神妙で楚々とした様子なのに何故か背中は嬉しそうな奥様ーズを見送って、自分とシャルティア先生は顔を見合わせました。
「どちらかが引き取ってくれるなら大歓迎ですがエルフの子ということを考えると生半可に預けるわけにもいきませんね」
「営利目的、好奇心や安請け合いももっての外。そもそもエルフ特区の件を考慮すればお前の知り合いに連れて帰ってもらうのが一番だろう」
「そこはすでに物理で話をつけています」
ですが突然、ヴィリーが本気で嫌がることも考えておかないといけません。
現時点ではかなり無責任な話になりますが現状でできる精一杯なのも事実です。
「赤ん坊か……」
無責任についてシャルティア先生が畳みかけてくるものだと思っていた自分は、しかし、呟きが落ちた音に驚いてしまいました。
「いや、なんでもない」
すぐにシャルティア先生はうなじを見せて、勝手に社宅に入ってしまいました。
あの一瞬の、失敗と困惑が入り混じった顔は一体、何だったのでしょう?
シャルティア先生を追って社宅に入った自分が見たものは立ち尽くすシャルティア先生と、その向こう側の景色でした。
「ちょ――ころ、ころされる!? わりと普通に殺される!? なんで煙幕も爆薬も毒薬も作動しないっていうか身動き一つ取れねー!?」
『見知った盗人が入ったがどうする? 同胞』
モフモフに首筋を噛まれ、引きずり回されているヴィリーがいました。
「――よし。噛み砕いてよし!」
真っ新な気持ちでGOサインを出しました。
もちろん後悔はありませんでした。




