少女たちの成長譚 その五(終)
薄汚れた飛沫が飛び散る。
腹部を貫かれたアルファスリンから飛び出したものが周囲を汚し、生徒たちを青ざめさせた。
姫が死ぬ。
姫を殺した。
臓腑の手触りを感じながら、ガルージンの胸に去来したのは開放感と背徳感だった。
守るべきだった者を殺す。
それは決して守護を任務とする兵が為してはならない愚行だ。
背徳であり、背信であり、背反であり、叛逆だ。
勝利の声が衝動的に喉から迸った。
虐げられ、解放された心が自由を吠える。
彼の心に法国へと尽くす気持ちがあり、誇りがあり、全ての起因だったとしても戒めでもあった。
強くあるべきと心に強いたのもまたその心が原因だ。
解き放たれたいという願望を戒めることで彼は兵として在った。
だが、彼は己で忠誠を解き放った。
そうなれば後に残るものはない。
今は喜びと背徳に占められていても、直に気づいてしまうだろう。
原因も過程も、守るべきも信念も何もなくなった心がどうなってしまうか。
それを知るよりも先にガルージンは驚くことになる。
「―――なッ!?」
突然、アルファスリンが両手でガルージンの首を締める。
腹部を貫かれたとは思えない力と不条理さに目を見開く。
片腕で無理やり、拘束を引き剥がすとボロボロと腕が落ちていく。
唖然としている間にアルファスリンだったものは更に崩れていく。
やがて、薄皮でも剥がれるかのようにアルファスリンの姿が消え、手に持っていたのは一握の石だけだった。
「……精神干渉ッ! あの小娘かッ!!」
騙されたことに気づき、脳裏に浮かんだのはセロだった。
驚異の連携を見せるクリスティーナとマッフル、常軌を逸した強化術式を使うエリエス、ヴェーア種に迫る身体能力とエルフ種の高い術式行使力を持つリリーナ、この四人よりも何よりもまずセロを倒すべきだったとようやく『理解した』。
物理結界に精神干渉、持っている術式だけなら神官と遜色なく、的確にガルージンの邪魔をする存在。
憎々しげに振り向くと同時に見えたのは、二つの拳だった。
※
ガルージンはそもそもどこから騙されていたのか。
なんてことはない、『最初から』だ。
ガルージンの狙いは最初の時点でわかっていた。
奇襲してきたこと、立場と主張、情念、そこから導かれる答えは疑いようもないくらい明白で、生徒たちもその場で話し合いをせずに対処が可能だったくらいだ。
敵の目的がわかれば次は自分たちの敗北条件の確認だ。
現状において、敗北条件とは『ポルフィルの実を奪われること』『今日の夜までに学園に戻れないこと』、そして、『仲間を殺されること』だ。
『アルファスリンを殺されること』と『仲間を殺されること』はほぼ等価なので、一番、狙われる可能性があるアルファスリンを守ることに是非もない。
むしろ当然だと考えていた。
なら気をつける部分は『ポルフィルの実を奪われること』『今日の夜までに学園に戻れないこと』だ。
しかし、相手は法国正規兵。
格上相手に複数の目的をそれぞれ守るほどの余裕はない。
現に生徒たちも実戦投入したことのない技術を何度も使うハメとなった。
偶然でもあったがアルファスリンが『ポルフィルの実』を持っていたことで敗北条件を束ねられた。
リスクが上がった代わりに敗北条件の数を減らせたのは生徒たちにとっても余裕に繋がった。
時間がまだある現状、確実にガルージンを倒せば『今日の夜までに学園に戻れないこと』も回避できる。
それでも『狂支配』だけは流石に肝を冷やした。
想定できない事態に青ざめ、足を止めてしまった。
最悪の状況だったと言える。
その中で『どうすれば敗北条件を回避できるか』と考えて、最悪の回避のために一つの答えを出したのはセロだった。
セロが逆転のアイディアを言葉にしたわけではない。
彼女たちがしたのは信用だった。
それは教師の見えないところで、しかし、しっかりと認知されながら続いてきた。
文化祭が始まる前も後も、舞台の時も――いや、そもそもが義務教育計画が始まった時から生徒たちは生徒たちなりに考え、話し合うことにしていた。
個人単位で、クラス単位で、全員で、機会こそ不定期ではあるが何度も何度も話し合ってきた。
自分ができることを他人もできると『理解してきた』。
大人が教えることを自分たちができていくと『把握していた』。
そして、その上で自分たちしかできないことを『分かり合ってきた』。
自己理解から相互理解に至るまで生徒たちは貪欲に学んできた。
教師たち大人が義務教育を手探りで考え、実施してきたように生徒たち、子供もまた手探りですべきことを考え続けていたとすれば当然の結果だった。
その結果が示すのが、打ち合わせなし、アドリブありの連携であり、そして『敗北条件を回避するための独自の防御策』だった。
例えば『セロが精神干渉を使い、舞台の演出を担当していた』ことを知っていた彼女たちはアルファスリンの幻影を作るだろうことも想定していた。
そのための時間稼ぎ、そして、あわよくばガルージンの撃破すら視野に入れていたことも想定の内だったろう。
幻影だけでは見破られる可能性も考慮した。
そのため、アルファスリンは石の人形を大地から作り、自らの身代わりとして用意した。
セロもまた、全員の想定を汲んで努力していたことが最悪の回避に繋がった。
戦闘中、セロが妙に苦しそうな素振りを見せていたのは、戦闘を見ることに苦しんでいたわけではない。
『最初からアルファスリンの幻影を作るためにリソースを割り振り』、そのうえで全員を守れるように物理結界まで使っていたからだ。
その集中力をヨシュアンが見たら、きっと舌を巻いただろう。
そして、次の瞬間、理解していただろう。
セロに要求されるものは周囲に合わせられている。
自分よりも一つないし二つ、年上の内容をセロは与えられていた。
そんなセロは仲間に追いつくためには、誰よりも必死で日常的に集中しなければならなかった。
高い集中力が上級術式師でも難しい技術を可能にせしめた。
生徒たちの可能性の発露は今、この瞬間でも芽吹いていく。
「はぅ……」
しかし、それがどれだけセロの負担になるのか。
セロの足はふらりと縺れ、倒れかける。
それを支えたのはリリーナだった。
素早く駆け寄り、セロを腕で抱きかかえる。
そのリリーナ自身、いくつも指に切り傷がついていた。
血がつかないよう、痛まないよう、腕で抱きしめたのだろう。
「セロ……、リリーナ……」
ふっ、とアルファスリンの姿が現れる。
ずっと姿を隠し、今はガルージンが最初に立っていた場所に立っていた。
同じアルファスリンの姿を瓦解していく姿を背景に、傷ついた仲間を見やる。
「エリエス……」
傷ついたのはセロやリリーナだけではない。
エリエスも片足を引きずっている。
【仔兎のグリーヴ】は確かに強力な強化術式だったが、器となるべきエリエスの体がまだ完成していないために、術式の反動をそのまま受けてしまったのだろう。
どれほど酷いかわからないが、少なくとも走り回れはしないだろう。
「クリスティーナ、マッフル……」
クリスティーナとマッフルもそれぞれ、色んな場所を怪我している。
擦過傷や斬傷、マッフルなんかは防具の一部が壊れてしまっている。
王になると決め、その覚悟もした。
戦った者がさらに傷つかないように、誰かの為に戦う者を癒し、傷つく者をそのままにはしておかない。
そんな法国にするために王道を往くと決めた。
だけど、歩き始めて、ようやく気づく。
自分が傷ついた方が何倍もマシだった、と。
自らのワガママのために仲間が傷つくのならば、この首、くれてやっても良かった、と。
「ウル・ウォルルム!」
「エス・ウォルルム!」
二つの声がアルファスリンを心の海から引きずり戻す。
ガルージンが呆然としている今がチャンスだと、クリスティーナとマッフルが強化術式を諳んじる。
稲妻のように地を駆けるクリスティーナ。
背を押されたかのように爆発的に進むマッフル。
傷を負っていたとしても彼女たちは走り出す。
今、十全でなくとも動けるのは直前まで休んでいられた自分たちだけだと理解しているからだ。
その二人が、一瞬にして姿をかき消す。
気づいた時にはガルージンの目の前で加速したままの拳を振りかぶっていた。
アルファスリンの知識にはないが、二人が行ったのは【瞬歩】だ。
術式を纏ったまま歩法を行うなんて手段をヨシュアンもヘグマントもまだ教えていない。
教えてなくとも二人は教わってきた。
それぞれの基礎、それぞれの技術、それぞれの意志――それだけのものを詰めこまれた生徒たちにとって応用は必然だった。
拳がガルージンの長い鼻に突き刺さり、二人分の体重と速さがガルージンを大きく吹き飛ばす。
ガルージンは緑の壁に身を沈め、口元から血を流しながら立とうとする。
強かに背を打ったせいか、動きはやけに緩慢だった。
「――そうじゃったな」
クリスティーナとマッフルにそのつもりがなくとも、わかる。
彼女たちが何のために拳を握り、何を示すために拳を痛め、何のために限界を越えたのか。
自分が傷ついた方が、とか、首をくれてやってもいい、なんてものは決して口に出してはいけないことだ。
今、アルファスリンを守ろうとしている仲間への最大限の侮辱に等しい。
だから、胸を張ろう。
決意がそのまま胸に突き刺さろうとも、歩もうとしている道は間違いではないのだから。
そのために今の今まで練り上げていた術式を解き放つ。
「クリスティーナ、マッフル! 下がるのじゃ!」
アルファスリンの呼び声に追撃のために再度、動こうとした二人は止まり、すぐさま踵を返して走ってくる。
「とくと見やれ。神巫女にのみ使うことを許されたオーディス方式、その真髄を」
本来、術陣というものは意識を逸らした瞬間、霧散する。
複数の意識のリソースを術式に割り当て、維持するからこそ術陣は組み合わさり――術式は展開される。
オーディス方式はこの前提を覆す。
サートール方式のような力任せの圧縮式ではなく、空間と融合させることで術陣をその場に残す。
残された術陣はいずれ消えるものの、しばらくの間、力と共にその場に残る。
つまり時間の程度こそあれ、オーディス方式もまた個人の許容量を越えた術式を構築できる。
サートール方式の保有術陣数の圧縮拡大を遥かに凌駕する、巨大な術式を個人で運用できる。
「フリクセル・レンツァーラ」
アルファスリンが術韻を綻ばせると、場の術陣が活性化し、繋がっていく。
それは大地に根づいた陣が、まるで時計の中身が噛み合うようにがっちりと組み合わさっていく。
「霊性の海より来たれ。汝が名は――」
わずか二週間であったとしても、戦術の基礎、連携の基礎をアルファスリンもまた学園で培ってきた。
後衛の役割とは来るべき瞬間、可能な限りの一撃を放ち、戦況を揺るがせることだ。
※
ソレは遥か昔に作られた術式具だった。
鋼の生体で作られ、人の再現できない術式によって思考を与えられた機物。
神々の時代から劣化する我が身をひたすら修復し続けて生きる、鋼の生者。
かつて世界の滅びに抗おうとした者たちが残した、魔獣を狩る者たち。
かつて百万騎だった、残された精鋭の一つ。
――呼んでいる。
ソレは深海の森にて、ゆっくりと瞳を開いた。
かすかな呼び声に応え、駆動するように四肢を振動させる。
――あぁ、呼んでいる。
その身じろぎで煌く魚影と無数の輝く泡が七色の海面へと昇っていく。
空の海面を見上げながら身を起こすと、土煙が立ち上る。
それもすぐに沈殿むと、ハッキリと姿を現した。
洋梨のようなずんぐりとした体格に、太く短い手足。
くすんだ白甲冑で身を包む姿は騎士のようにも見えるが、ごっそりと張りついた苔や蔦がどちらかというと騎士の石像を思わせる。
眉庇に隠された瞳が赤く輝くと同時に、ソレはゆっくりと浮上していく。
――我々を呼ぶ、幼子の声がする。
呼び声に誘われるように、ゆったりと空の海面を目指す。
そこに人が居れば、その上昇を壮大な光景と受け取ったのだろう。
しかし、そこには人はいない。
ここはナカテーと呼ばれる世界。
煌く静寂と不可解な息吹が満ちる世界。
――行かねばならない。
やがて、穏やかな光がソレを包む。
ソレを求めた幼子を救うため――それ以外の望みはなかった。
※
「――【苔の騎士】!」
輝く術陣が描かれた緑の大地から鋼の腕が生えてくる。
子供三人が手を繋いで、輪っかになったくらい巨大な腕が大地を裂き、現れようとしていた。
いくら様々なものを経験し、様々な不思議に出会ってきても生徒たちは驚かざるをえなかった。
今日一番の驚いた顔だったろう。
「……ヘグマント先生、三人分くらい?」
アルファスリンの元に辿りついたマッフルがポツリと感想を述べた。
その全容は鋼の騎士だ。
ずんぐりむっくりの、どこか愛嬌を匂わせる姿とは裏腹にその巨大さは圧巻の一言だった。
「……召喚、術式ですの?」
クリスティーナが呆然とした声で呟く。
見れば戦闘中にも関わらず、生徒たち全員はアルファスリンの近くでその威容を見上げていた。
大きさもそうだが、生徒たちが持つ知識とは違いすぎたからだ。
通常、召喚術式は生物だけと決められていた。
それも己よりも格の低い、抗術式力の低い生物だけだと教えられていただけに鋼の巨人が出てきた時の衝撃は誰よりも大きかった。
定理を越えた摂理が目の前にあった。
「古より続く法国の力を甘くみるでないぞ!」
と言いつつも、本当に召喚できてホッとしていたアルファスリンだった。
何せ一度も召喚に成功したことのない、王の証とも言える召喚術式だ。
何故、今になってできたのかと言うと半分くらいはノリだったことは否めない。
しかし、今ならできる、と妙な確信があっただけだ。
この仲間たちが居れば、絶対にできると信じた。
理由なんてわからない。
だからこそ、成功した今になって失敗のことを考えて、頬が引き攣るアルファスリンだった。
そんなアルファスリンの様子を見て、理解した『リリーナを除く』生徒たち全員が思い思い、苦笑いやらため息をつく。
「な、なんじゃ? その『どうしようもない』みたいな態度は! 妾も頑張ったのじゃ、初めてでもちゃんと出来たのじゃぞ?」
「バラしてる、バラしてる。口から完全に出てる、心の中のもの」
マッフルのジト目にちょっと焦りながら、アルファスリンは前を向く。
ガルージンを見ようとしても【苔の騎士】が邪魔で見えないことを除けば、特に問題のない――いや、【苔の騎士】が現れた瞬間から一切の心配事はなかった。
「大体、なんですの、このドングリみたいな騎士像は。本当に戦えますの? どう思います――?」
口数が少ないことを不思議に思った二人がリリーナを見ると、髪の毛が逆立ち、目を見開いていた。
エリエスのスカートを掴み、懸命に引っ張っていた。
半開きの口は懸命に閉めようとしているのか、小さく戦慄いていた。
「どしたの、リリーナ?」
「クリクリ、マフマフ! リリーナの後ろに下がるであります!」
それはすぐに焦りと苛立ちを顕にする。
二人は初めて見るリリーナの表情に戸惑うが、逆に考えればリリーナがそこまで警戒する以上、何かしらあると踏んで、すぐに言われた通りにする。
「【苔の騎士】よ。汝が【稲妻の槍】を見せてやるが良い」
命令を受けた【苔の騎士】の瞳が赤く染まり、動き出す。
振りかぶった右腕の装甲が剥がれ、開き、いくつもの鋼の突起物が飛び出す。
さらに肘から飛び出した鋼の環が高速で回転し、つんざくような音に生徒たちは耳を塞ぐ。
「―――ッ!」
鋼の環から漏れる雷が突起物に励起して、腕全体が青白く発光していく。
それでも【苔の騎士】から目を離せないでいた。
何が起こるのか、という不安と期待に生徒たちは目を細めながら、光を眺めた。
【苔の騎士】の手が突き出された瞬間、生徒たちは真っ白な光に包まれていた。
※
ガルージンはガチガチと鳴る音が、己の口から発せられていることに気づき、身体の皮膚から汗という汗を流した。
身動きすることもできず、木にめりこんだまま、その存在から目を離せずにいた。
「バ、バカな……、そんなはずはないッ」
辛うじて出たのは否定の言葉だ。
しかし、現実は否定できない。
目の前のソレは法王の血統のみが喚び出せる、言わば王の証だ。
単騎で数百の魔獣を一瞬で滅ぼす破壊の化身であり、【戦略級】という規模の元となったモノ。
それは目の前に【戦略級】的存在が現れたことに等しい。
その伝説はガルージンでも知っている。
いや、ガルージンは実際に見たことがあった。
まだ記憶に新しい。
誇りと憎悪に満ちた帝国との戦争の時だ。
軍姫の操る【苔の騎士】は多くの帝国兵をなぎ払ったものだ。
あまりの絶対さ故に『モモ・クローミの功績なんて目に入らない』くらいに焼きついて離れない。
その強さ――圧倒的さに感動すら覚え、そうなりたいと憧れすら抱いた。
絶対的な憧れが己の敵であると理解した瞬間から恐怖が身体を支配した。
「俺が! 俺の悲しみの何が間違っているというのだ! 答えろ! 自動人形!」
恐怖の余りか、それとも一周回って怒りが湧いてきたのか。
ガルージンは懇願するような、怒鳴るような言葉を吐き出す。
ガルージンにとって何よりも耐え難い理不尽だった。
王の証が姫を守るために立った以上、どんな理屈をもってもガルージンが間違っていると突きつけられているのと同じことだ。
それでは死んでしまった友人たちに報いることすら悪だったと言われているように思え、叫ばずにはいられなかった。
答えは雄弁に示された。
死神よりも無感動な眼が赤く輝き、腕を大きく振りかぶった。
その腕が突起物を生やし、稲妻がまとわりついた瞬間、何が始まるか理解し、大慌てで木からの脱出を計る。
爪の間に木片が突き刺さろうとも、敵の目の前だろうが関係ない。
【苔の騎士】の目の前にいること、そのものが危険でしかない。
矜持も恐怖も怒りも何もかも捨てて、ただ逃げ出した。
ガルージンが地面をひっかくように走り出したその時――
「―――ッ!」
――彼の居た場所が光によって貫かれた。
熱と光と衝撃波に大の大人が宙に浮き、吹き飛ばされる。
四肢が引きちぎられたではないかと錯覚するような痛みが体中を駆け巡り、天も地もわからないくらい、ぐちゃぐちゃになった意識が途切れるまで、そう時間はかからなかった。
何が間違い、何を失敗し、何を思い違いしていたのか。
彼は意識を失うまで、気づくことはなかった。
※
生徒たちは唖然とする。
【苔の騎士】の手のひらから放たれる光の線。
『ガルージンがいた場所』をたやすく撃ち貫き、消滅させ、破壊を撒き散らす。
後ろにいたはずの生徒たちであっても、びりびりとする空気が肌を通り、破壊の衝撃が心臓を叩く。
破壊跡は凄まじいの一言だった。
苔の絨毯だった場所は炭化した土が露出し、木の焦げた匂いが鼻につく。
直線上に伸びた炭化の跡は光線に熱量があったことを物語る。
「お……、うわ」
【苔の騎士】の装甲の隙間から吹き出す水蒸気の音を聞き、肩を震わせた。
それで少し正気に戻った生徒たちは大きく息を吐き出した。
「見よ、これが【苔の騎士】じゃ」
振り返って胸を張るアルファスリンのことすら、目に入らない。
彼女たちが見ているものはたった一つ。
「ポ……、ポルルン・ポッカの集落が」
ポルルン・ポッカの集落を守る、緑の壁が消し飛んでいた。
光線の直線上に集落があったのなら跡形もなくなっているだろう。
それだけの威力があったと誰もが確信していた。
「アレをどうしますの?」
クリスティーナの指摘と同時に全員の視線がアルファスリンに向けられる。
理由を察したアルファスリンの頬に、つつぅーっと汗が流れた。
「う、うむ。それはその……、神に祈るしかあるまい?」
「神に祈っても消滅してしまっていたら私たち、恩知らずですわよ!」
困って周囲を見るアルファスリンだった。
「も、もうちょっと手加減できんかったのか【苔の騎士】よ」
言われても困るとばかりに【苔の騎士】の瞳がゆっくり明暗する。
「ど、どうしようかの……?」
首を傾げて焦るアルファスリンの目の前で、【苔の騎士】は地面へと沈んでいく。
タイミングの良すぎる退場ではあったが、これは単に制限時間が過ぎてしまったからだ。
通常の召喚術式と違い、オーディス方式による【戦略級】召喚術式は術陣の保持時間という時間制限がある。
空間に術陣を留めている以上、いつかは霧散する。
本来、召喚維持や隷属術式に使われる術陣まで霧散してしまえば、自動的に送還されてしまう。
召喚術式の本場である法国で術式を学んだアルファスリンからすれば、分かっていてもため息は出る。
何せ、ひっそりと【苔の騎士】に罪をなすりつけようと思っていたからだ。
とはいえ助けられた手前であって何も言い出せないのも実情だ。
ましてや被召喚者の粗相は召喚者の責任だ。
うまい責任の擦りつけ方も思いつかず、オロオロするしかない。
「そ、そうじゃ、ガルージンじゃ! あやつがどうなっておるかをじゃな」
「現実から目を逸らさないでくださいまし」
「ポルルン・ポッカはもう二度と還らないんだよ?」
クリスティーナとマッフルに肩を掴まれ、冷や汗のアルファスリンだった。
助けを求めようと視線を彷徨わせるとリリーナと目が合う。
「ん~、あーいう危ないのはちょっと、であります」
「なんでじゃ!?」
「今の術式についてくわしく」
「エリエスもどこに食いついてくるんじゃ!?」
生徒たちの中でリリーナだけが【苔の騎士】の危険性を察していた。
【稲妻の槍】が放たれる前から【苔の騎士】の内在する何かを直感で理解し、『一つでも制御を誤れば何が起こるかわからない』という恐怖に総身の毛が逆立ったくらいだ。
あの【稲妻の槍】はおそらく力の一端でしかない。
全開放しようものなら、ポルルン・ポッカの集落どころの話ではない。生徒たちも巻きこんで周囲を消滅させるだろう。
同じようなものをヨシュアンにも感じているが、ヨシュアンに恐怖せず、【苔の騎士】には恐怖する。
その理由がわからないからリリーナも言い切れないものがあった。
アルファスリンが失敗する、とは思っていない。
思っていなくともリリーナは恐怖を抑えきれなかった。
ちなみにエリエスは『あの光線をどうすれば術式で再現できるのか』を考え、少しでも情報を得ようとしていた。
「妾は頑張ったというのに、どうしてそこまで弾圧されねばならん!」
「いや、弾圧て……、人聞きの悪い」
「助かったのは事実ですわ。ですが、それはそれ、これはこれですの」
「汝ら、ちょっとヨシュアン先生に染まりすぎてはおらんか?」
もうアルファスリンは涙目だった。
「ぁ……」
リリーナに抱かれたまま、セロが小さな声をこぼす。
焼けた木々の隙間から、ポルルン・ポッカがヨロヨロと姿を現したからだ。
その小さな手で親指を立て、ゆっくりと倒れる。
初めは大怪我をしたのかと心配した生徒たちだったが、チラチラとこっちを見ていることに気づいて、眉がさらに下がった。
「……大丈夫そうじゃぞ?」
「そういえば殺しても死ななそうでしたわね。分裂とかしますし」
今度はアルファスリンが皆にジト目を返す番だった。
クリスティーナとマッフルはどこ吹く風のように、お互い顔を逸らしていた。
「あ、もう木が生えてきてるし」
「何事もなくて良かったですわ」
「……汝ら、わかっておってからかったじゃろ」
壊れたはずの緑の壁はメキメキと音を立てながら修復されていく。
気絶したガルージンを巻きこんで修復していく。
まるで磔刑のような姿でガルージンが上昇していく姿を見ると、敵ながら憐れに思ってしまう生徒たちだった。
「そういえばファスリンさん。あの者をどうしますの? もっとも、性懲りもなく自国と他国の王族に手を出した痴れ者の末路なんて決まっていますけれど」
クリスティーナの言うとおり、ガルージンは貴族社会において大罪を犯した。
王家への叛逆はそっくりそのまま王国侮辱罪ならびに内乱罪、軍規であれば反乱罪が適応される。
そのままでも極刑は免れ得ないが、さらに罪を重ねたとなるともはや一族郎党皆殺しであっても非難の声は上がらないだろう。
処罰するが当然であり、妥当な判断だ。
ましてやアルファスリンが王となるのなら不誠実や不忠に対して、厳しい処罰を指示していく立場だ。
甘さを見せては誰のためにもならない。
「……話をせねばなるまい」
頭では分かっている。
しかし、ガルージンもまた同じ『傷ついた者』だった。
言葉では届かないとわかっているからこそ打ち倒さなければならなかった。
打ち倒した今なら、言葉が通じるかもしれない。
そんな気持ちがただ処罰するだけではいけないと思ってしまうのだ。
「リオ・プリム」
クリスティーナが指先を翻すと、ガルージンの頭に水の弾が飛んでいく。
突然の衝撃に目を覚ましたガルージンは、焦点の合わない目でアルファスリンを見下ろしている。
「見せていただきますわ。貴女の王道、アルファスリン・ルーカルバーラ・ユーグニスタニアの道を」
道を譲り、そっと背を身守るクリスティーナに心の中で感謝しつつ、アルファスリンはガルージンの前に出る。
「……殺せ」
若干、『何を偉そうに、罪人の言えた口か』という気持ちが湧いてきたが、大きく深呼吸をして心をなだめる。
ガルージンは踏みにじられてきた。
国と国の事情に翻弄された者であり、狂わなければアルファスリンが救うべき相手だった。
結末はきっと変えられなくとも別の救い方があるかもしれない。
その努力だけは欠かしてはいけない。
「かつて女神パルミアが眠りにつく前に神の声を聞いた七つの氏族が集った。エルフィンテルメキア、ヴェーアティーガー、ヴェーアドラッヘン、マグル族、フェーリアー、リーゼス」
何を語るべきか、何を諭すべきか。
何を理解し、何を語ればいいのかアルファスリンにはわからない。
「そしてヒト種じゃ」
ガルージンの瞳はまだ憎悪に濡れていた。
神話の事実が受け入れ難いと口角を歪ませていた。
「神の前では皆、等しく使命を聞く子羊であり、共に支え合う仲間でもある。現に法国でもヒト種は南部で住まい、中央部へと食糧を運んできてくれておる」
法国の食糧事情はモモ・クローミより知った、何気ない事実だ。
常識であり、誰もが知っていることだ。
ただその昔、アルファスリンは理解していなかった。
口にするもの、食べるものを誰かが生み出していることを知っていても。実際に汗水垂らして働くヒトのことを理解していなかった。
「それはヤツらの卑劣さを隠すための一面だッ」
「じゃが一面じゃ。主の言うとおり残酷な一面もあろう。同時にどれほど誇りを持ち、どれだけ法国に尽くした汝が子を斬ろうとしたのもまた一面じゃ」
「ヒトの子など――」
「ヒトであれば斬って良いという理屈などない! それはヒト種も選んだ神への侮辱でしかないのじゃ」
理想がわからなかった。
己のしている意味を知っていても、理想を持つ意味を理解していなかった。
ヨシュアンによって王の道を説かれ、傷つきながら身を持って教えられなければ、今も意味を理解せず、王道を目指そうとはしていなかっただろう。
「我らにとって帝国は仇敵じゃ。許してはおけん相手じゃ。多くの兵が散っていったのをこの目でしかと見た。じゃが――」
敵はいた。
敵の意味は理解していた。
自分を害する存在で、真綿のように首を絞めてくる連中だ。
だが、それすらもひっくり返せば、それぞれの事情に通じてくる。
彼らは彼らで守るべき者や保持したいモノのためにアルファスリンの敵になった。
敵の意味を理解していても、敵がいる意味を理解していなかった。
「敵であろうとも手を差し伸べなければ未来永劫、命が散っていくのじゃ」
目の前で散る命が怖いと思った。
誰かを守ることの意味を命で知らされた。
そして、同じように恐怖を感じていただろうモモ・クローミは立って、別の道を切り開いた。
その事実が何よりも眩しく見えた。
こうなりたいと憧れすら抱いた。
命を失う怖さがわかっていても、何のために散るのか理解していなかった。
「そのためならば手を差し伸べよう。未来の傷つく者を増やさぬために。汝はそれを惰弱と呼ぶが、汝の言う強い法国は未来の傷つく者を本当に増やさぬのか? 本当に強ければ帝国は手を出さぬのか? 何より、本当に帝国を下すだけで神命を全うできるものじゃろうか」
そして、学園で知った。
姫という立場を考えれば仲間なんて出来ようがなかった。
学園という特殊な世界でなければ、からかうことも、からかわれることもなかっただろう。
一緒の場所で寝て、夢を語ることもなかった。
精一杯、努力して一つのことを成し遂げることもなく、喜びを分かち合うこともなかった。
本当に奇跡のような出来事だった。
「強いだけでは帝国と同じじゃろう。神命を全うするためにはそれでは足りぬ。もしも三国全てが手を繋ぎ合わす未来があれば魔獣の根絶も夢ではない」
「そのような夢物語があろうものかッ!」
「知っておるか、ガルージン」
何時だって独り、雪原の中心で世界を理解していくしかなかったアルファスリンも、気づけば様々な人々たちがいたことに気づけた。
憧れる者がいて、導く者がいて、肩を並べる者がいて、敵もいる。
もはやアルファスリンは昔の爆弾姫ではない。
これだけの者に囲まれ、実感できる以上、一人ではないと言い切れる。
「信条を成し続けるからこそ王と呼ばれるそうじゃ」
ガルージンの虚ろだった目が大きく見開かれる。
しかし、それは一瞬で、見間違いのような変化だった。
「妾はやるぞ。王になり、王国と肩を並べ、帝国とも手を繋いでみせる。汝はできるのか? ヒトを排除するという意志を持ち続け、共有してくれるものはおるか? その先の未来をお主は背負えるか? たった一人で、誰も理解されない未来を」
胸を張り、『自慢の仲間』に手を伸ばす。
「ここにいる仲間は妾の信条に賛同してくれておる!」
リリーナとセロは目をパチクリさせ、マッフルは「あー」と呟き虚空を見上げ、エリエスに至ってはブツブツと何かを呟いて、考えこんでいた。
クリスティーナだけは拳を握っていたが、マッフルに言われ、
「え……?」
と呟きだした。
どうやら無理難題の理由を聞かされ、呆然としているのだろう。
「……ここにいる仲間は妾の信条に賛同してくれておる!」
「無理やり押し通したよ」
アルファスリンの信条、目的は大きなものだ。
『おそらく法国の誰も想像していない』くらい巨大なものだ。
きっと何も知らない者が聞けば、大きすぎて憧れすら抱いてしまうだろう。
しかし、生徒たちは自国の歴史を学んできた。
帝国から分離したという王国の成り立ち、三十年前に起きた帝国と王国の戦争、法国と帝国の戦争も何度目かわからないくらい繰り広げられていると知っている。
その大きな理由の一つに帝国が『ヒト種至上主義』にある。
帝国が方針転換するような事態がなければ当然、法国とは手を結べないだろう。
王国にしても同じだ。
帝国との間で起きた様々な軋轢がある程度、解消されないとやはり共同歩調など見込めない。
若干、帝国のせいなのは生徒たちが王国で学んでいるせいもあるのだろうが、概ね間違いでもなかった。
帝国の強硬姿勢をどうにかしない限り、手を結ぶことすらできないというのは外交官でも思うだろう。
唯一の例外が全ての敵である魔獣討伐という項目だけ。
三国が手を結ぶなんて夢を見るには少々、知識がつきすぎていた。
「まぁ、でも、もしそうなったら商売の機会は増えるだろうね。向こうとこっちじゃ当然、物価も違うし、差額だけでも儲けられそうじゃん。為替が大きく変わったら、お金そのもので稼ぐこともできそうで面白くなるかも」
「つまり、我がハイルハイツ領の技術が帝国、法国、全てに流れるわけですわね。当然、フリルの意匠の素晴らしさを理解できる層も増えるというものですわ」
「それはないわー」
「どうしてですの!?」
「先生が術学の授業でこぼしていた方式の違いを知るためにはチェクト・レノ方式も知らなければならない」
「え? えっと、皆、仲良く……、なのです?」
「面白いものがいっぱい、見られるようになるでありますな」
それでも前向きな意見はこうして出てくる。
彼女たちにすれば昔にあった戦争なんて知っても実感のないものだ。
法国と帝国の軋轢に関しても知識で知っているだけで、実際に経験したわけでもない。
先入観や害を受けたことのない彼女たちは柔らかい頭で三国の未来を思いついていく。
そして、実際にそうなれば『彼女たちが思いつくものを実際に動かせる者たち』が本当にし始める。
先のことはわからなくとも、遥か未来まで続く道の上にある、と誇って言える。
「ガルージンよ。汝は破門じゃ」
この決定はもう変えられない。
ガルージンの未来はアルファスリンを仕留められなかった瞬間から決まってしまった。
ガルージン自身も覚悟の上だろう。
言いたいことは言い終えた。
自らの立ち位置の再確認もできた。
後はガルージンに背を向け、仲間たちの元へと歩いていくだけだ。
生徒たちは話をしている間に傷の応急処置も終わっている。
懸念材料は、もうない。
「じゃが、もしも悔い改め、もう一度、法国の、いや三国の未来に尽くすつもりがあるのなら」
その足を一度だけ止める。
「また神門を叩くが良い」
すぐに仲間たちと馬に乗り、その場を後にする。
初めて自分で処罰した者の顔を見ておきたかったが、それでもアルファスリンは振り向かなかった。
振り向けば、それは『この場で処刑できなかった自分』への未練でしかない。
ガルージンもアルファスリンからこれ以上、甘さを見せられたくないだろう。
ガルージンの覚悟と痛みに報いるために振り向くことだけはできない。
「あんなもの、失格ですわ。王道のくせに甘すぎますわ」
カポカポと帰り道を往く生徒たち。
途中、クリスティーナはアルファスリンとセロの馬に近寄って、仏頂面を隠さずそう言った。
「そのような顔をするな。そうにそうでもないぞ」
今、法国兵はリーングラードの外周部に散っている。
もしもガルージンがリーングラードから逃げようと思ったら傷を負ったまま森に潜伏しなければならない上に、いなくなったことに気づいたインガルズたちから身を隠さなければならない。
すでにリーングラードの地理を把握しているインガルズたちから、どのようにして逃げ切るのか。
一種の賭けだ。
「生き残れる確率は低い……、はずじゃ」
「はず、というところが甘々ですわ」
「あんたが言えたことじゃないし」
食ってかかろうとして、クリスティーナはため息をつく。
実際のところ、クリスティーナもわかっている。
あの場ではガルージンを放置するしかなかった。
生徒たちの目的は『ポルフィルの実を持って帰ること』だ。
時間に余裕があると言っても、早く帰るに越したことはない。
「……はふ」
「眠いか? セロ」
「……はぅ、まだがんばるのです」
馬に乗りながらセロは瞼をこすっている。
エリエスも足が痛むのか、いつもより瞳が無感動だ。
リリーナもなんてことない顔をしているが、手綱を握るたびに指が痛むはずだ。
マッフルもどことなく元気がなく、クリスティーナも気怠さが体を支配していた。
皆、殺し合いを経験したことで大きく疲れていた。
そんな中でガルージンを捕まえて連行すれば、生徒たちはその間、ずっと殺し合いの緊張感を維持したまま学園まで戻らなければならなくなる。
そうなるとまず一番、スタミナのないセロが倒れてしまうだろう。
次はエリエスだ。クリスティーナやマッフルでさえ、気疲れしてしまうだろう。
生徒たちにガルージンを拘束し続ける力は残っていなかった。
下手をすれば寝首を掻かれるような帰り道はごめんだろう。
ヨシュアンクラスの弱点である『継戦能力の低さ』が露呈した形であった。
一方でガルージンを殺してしまえば、そんな憂いはなかった。
しかし、クリスティーナとマッフルの剣にも耐え、エリエスの術式が直撃してもピンピンしていたガルージンをどう殺せばいいかわからず、実は途方に暮れていた。
つまり、決定的に相手を殺しきる力が足りなかった。
そして、アルファスリン自身にも『殺すべきではない』という優しさか逃げかわからない気持ちがあったのも事実だ。
だからガルージンの放置は妥当以外の何物でもなかった。
「ところでさ、なんでガルージンってファスリンを狙ったわけ?」
マッフルの言葉に全員がポカン、として首を傾げる。
「妾の台頭が気に入らんからじゃろう? 本人もそのようなことを言っておったろう」
「いやさ、ファスリンが王様になろうって思ったのって演劇が終わってからじゃなかったっけ? そのときにはもうガルージンは捕まってたしさ、言いふらしたりしたわけじゃないんでしょ」
「それは……、うむ。ヨシュアン先生とインガルズと、アンドレアスと皆くらいじゃ」
「どこで『ファスリンが女王を目指している』って知ったわけ?」
考えてみれば何かが噛み合わない。
誰もが色々と想像を張り巡らせ、誰よりも先に静かに瞳を上げたのはエリエスだった。
「……まだ謎はある。私怨にしても政治的な思惑があったにしろ、ガルージンは『先生が決闘で倒した』はず。なら身柄は当然、四聖団が取り押さえていた」
「うむ。確かに罪人用のツェルトに縛っておいたぞ」
「四聖団から誰もいなくなったから抜け出して来た、というけれど拘束はされていたのなら『一体、誰が拘束を外した』のかという問題もある」
エリエスの新しい疑問に一瞬、疲れも忘れる生徒たちだった。
「……そういえばガルージンのヤツは足を怪我しておったはずじゃ。なのにどうして動き回れておったのじゃ?」
アルファスリンはインガルズたちから決闘の結果と内容を聞かされている。
その内容は『全身、感電傷で足を折られた』だった。
しかし、生徒たちが見たガルージンは傷こそあったものの足の怪我などなかったように見えた。
「早く学園に戻った方がいい。よくわからないことが多すぎる」
「うむ。学園に戻れば、そのうちインガルズたちも戻ってこよう。そのときに話を聞いておくべきじゃな」
答えを知るガルージンに今更、真意を問うわけにもいかない。
もしも再び戦うことになれば、今度は勝てるかどうかわからない。
何か得体の知れない、漠然とした空気に包まれながら生徒たちは馬の手綱を握り直した。
※
「負けてしまったのかい」
生徒たちが去った後、しばらくして道化のような男がガルージンを見上げていた。
「あぁ、なんてことだろう! 信じて送り出した君がまさか少女たちに負けるなんて思わなかったよ!」
嘆いたように胸を握る彼はすぐに手を伸ばし、まるで嘲弄するかのよう言葉を手繰る。
「………」
対してガルージンは無言だった。
彼は磔刑にされながらも考え続けていた。
姫に言われた『未来について』を想像し、真っ暗だったことに衝撃を受けていた。
ヒトを殺す。ヒトに復讐する。
そのためなら何でもできると言い切れる。
だけど、その先に何があるのかと問われ、答えられなかった。
『――憎しみの理屈に狂えないのなら部屋の隅で自決でもしろ』
あの憎悪を隠さなかった男の目を思い出し、ぞっとする。
今になって、アレが己の先であると気づいてしまったのだ。
自らが憎むヒトと同じ存在であったと気づいてしまった以上、ガルージンはもう否定できなかった。
『理解できない』という言い訳では否定しきれない。
ならガルージン/ヒトを殺そうとする己/他人とは何か。
そんな思考の坩堝が道化のような男の言葉に反応すらできなかっただけだ。
ただ嘲笑だけが耳障りで、ガルージンは眉を顰めた。
「いや、いいんだ! 長い人生、敗北だってある。何を隠そう、このボクは【負け組】と呼ばれているくらいさ! いやいや、本当、うまくいかない、なんだってこう誰も彼も邪魔をしてくるんだろうなぁ」
「……ルー、サース?」
その名を思い出そうとしても痛みで思い出せない。
彼ら法国の民にとっては重要なことであったにも関わらず、思い出せない焦りで眉が歪む。
「ところで君に投与した薬。骨折すらも完治させるその妙薬は何から作られているか知っているかい?」
そうこうしている間に話はどんどん進んでいく。
「再生と猛毒の木竜マーヴォック。その無色の変異体――バロル・ヴォックス」
その言葉が頭に浸透し、理解した瞬間、理性が吹き飛んだ。
体を戒める木々を無理やり引きちぎり、ベタリと着地すると道化の男に飛びかかった。
しかし、それも突然、疼きだした足のせいでうまく跳躍できず、地面に転がってしまう。
「君たち法国の氏族は特に無色の源素を恐れるからね! どんな気持ちだい? 己が敵と思っていたものが体の中にある感触は……、あぁ、でも勘違いしないでくれ! ボクはちゃんとお願いしたはずだよ。契約のことはあったけれど、君は拒否しても良かったんだよ?」
疼く足を抱えながら、歯噛みするガルージン。
『姫が何をしに外に出ているのか』を教えているのはこの男であり、『姫が何を目指しているのか』を知っているのも、この男から聞いたからだ。
その上で姫を殺すことを望んだのはガルージンだ。
それ以前に復讐者となるために契約をしたのもガルージンだった。
グゥの音もでない正論であり、しかし、騙されたという気持ちは拭えない。
そんな気持ちなんて知らず道化は踊る。
手を振り、足を動かし、余裕の表情でガルージンを見下していた。
「貴様……ッ! 俺を、利用したのか!」
「そうさ。姫の暗殺に成功するなら良かった。そうすればあの女王と忌々しい小娘は慌てふためくだろうからね。だけど失敗しても良かった。そうすればあの可愛げもない軍姫が悔しがるだろうからね。どちらにしてもボクにとってはとても愉快な結末が迎えてくれる」
腹を抱え、苦しそうな仕草をする道化。
誇りが、憎悪が、苦しみが、痛みが、その全てが真実を知って軋んでいく。
「あぁ……、やはり十倍の量は効果が強い反面、バロル・ヴォックスの特性がそのまま出てしまうなぁ。これはこれで面白いものが見られるからいいけど……、ん? 君が今から何になるか聞きたいって? 実はバロル・ヴォックスが持つ再生能力と『他を取りこむ力』は侵色の特性を持つ無色の源素ととても相性が良くてね。おかげで特殊な変異は起こらない。だから君はなるんだよ――」
全世界に響くように大きく手を広げ、道化は絶望を形作るために叫ぶ。
「――バロル・ヴォックスにね!」
その言葉と共にガルージンの足の皮膚の下がボコボコと波打つ。
鋼の生者に憧れた彼は、異形の化物に変わろうとしていた。
自らが侵される恐ろしさ。
自らが利用されていた悍ましさ。
自らの不明すら操られていたと知ったガルージンの表情は、硬かった。
だが、この世の理不尽を味わうのはこれからだった。
突然、毛皮が燃えるほどの熱量が『音もなく』道化を蹴り倒した。
そいつは吹き飛ばされていく道化に追いつき、首をそのまま掴むと跳ね馬の髪を暴れさせて顔を上げた。
ドス黒い怒りを瞳に宿し、しかし、口元はニンマリと歪んでいた。
今更、思い出したかのように彼女の背後から暴虐の風が撒き散らされる。
それすらも彼女に何の影響も与えないのか、衝撃波は彼女と道化を避けて通り抜けてしまう。
「みぃーつけたぁ……」
衝撃波で吹き飛ばされたガルージンが何度かバウンドする。
やがて、地面に寝転がり、状況を確かめようと瞳を開くと、ありえないものが飛びこんできた。
「まさか……、追ってきた、のかい」
口からボトボトと血を流しながら道化は呟いた。
余波で焼けたフードから驚きに満ちた眼がハッキリと晒されていた。
ヴェーアヴォルフ。
彼が知る、もっとも誇り高いはずの種族。
そして、『その抜けるような白い毛皮』にようやくガルージンはルーサースの名前を思い出す。
かつて法国を荒らしまわった残虐な殺人鬼。
とある冒険者に殺されたはずの男の姿を思い出し、口を開こうとして呻く。
だが、そんなものは彼女には関係がない。
そもそも今更、彼女にとって相手が何だったのか、なんて関係がないのだ。
「あぁん? オレを誰だと思ってやがる? テメェの獲物を取り逃がすようなマヌケのトンチキに見えるってーのか!」
「メルサラ・ヴァリルフーガ! このメス豚がぁ!」
道化は叫ぶ。
今度は自らの絶望のために口を開く。
「カカッ! ようやく本気の悲鳴をあげやがったな、タマ無しぃ!」
灼熱の魔女メルサラ・ヴァリルフーガ。
リーングラードでもっとも迷惑な女。
それは敵味方関係なく、等しく理不尽な存在だった。
※
時は遡る。
四聖団が遺跡調査のために出発した頃、メルサラは警備室で爆睡していた。
彼女がそれまで何をしていたかというと食って寝てを繰り返すだけだった。
そのあまりの怠惰な姿にジルが頭を抱えたくらいだ。
もっとも彼女も好きでそうしたかったわけではない。
以前、上級魔獣と戦った時に負った全身骨折を治すために引きこもっていただけだ。
しかし、ストレスは溜まる。
元々、静寂や安静などという言葉は彼女の頭にはこれっぽっちもない。
いい加減、治療の日々に飽きたメルサラは、ふと目を覚まし警備室から飛び出していった。
何があったのか、というとただの勘だ。
ただし、彼女の勘は戦闘行為という面に置いては誰よりも優れていた。
何かが近づいている。
それも大勢で、大きな何かだ。
体の半分も治っていない状態で戦闘行為など医者が聞けば卒倒するような話だったがメルサラやヨシュアンから言わせると『体の半分も動けば十分』と返すだろう。
付け加えてメルサラなら「あぁ? んなもん戦ってりゃ治る」と叩きつけてくることだろう。
威勢ではなく、それで本当に治ってしまうのがメルサラだった。
彼女が察知したのはリーングラードを囲む山を越えようとするアイガリーゼスの群れだった。
おおよそ百体以上はいる巨人の行進を空中で眺めていたメルサラは舌舐りをする。
嬉々として飛びかかったのは言うまでもないだろう。
半数以上を殺した時、メルサラはルーサースと一戦交わしたのだが結局のところ、今に至るまでルーサースは逃げおおせ、メルサラはしつこくルーサースを追いかけていたことに尽きる。
そして、今、魔女の手は道化を捕まえた。
「おいおい、どうした? 自慢のサル供はお留守番か?」
ルーサースが持っていた『アイガリーゼスを操る笛』はメルサラ自身が叩き潰していた。
その上でこの挑発をされたルーサースも顔を歪めるしかない。
ルーサースもメルサラと戦うことの面倒さを重々承知している。
純粋な戦闘意欲だけでどこまでも追いかけてくる地獄の番犬のような輩だ。そんなものは誰であろうと面倒だろう。
三十六計逃げるに如かず。
ヴェーアヴォルフとして優れた嗅覚と聴覚でメルサラを察知し、逃げ続けてきた。
「テんメェがグタグダ、グダグダ逃げ回りやがるからよぉ。つい、奥の手まで使っちまっただろーが! どうしてくれやがるよ、あぁん?」
なのに、今になって捕まる理由がわからない。
完全に撒いたという自信があったからこそガルージンにちょっかいをかけたのだ。
そうでなければ学園近くに寄りつこうともしなかっただろう。
そもそも、ルーサースより先に探知されたのが理解できない。
『何の気配もなく、ただ唐突に襲われ、見間違うことなく目の前にいる』。
熱さとは違う汗が背中を伝うのがルーサースにもわかる。
「あぁ? わっかんねーって面だなぁ、えぇ、おい。じゃぁ教えてやんよ」
ルーサースの不可解そうな瞳を見て、メルサラは嘲笑する。
「『音を焼いて』来た」
その答えもまた、常軌を逸していた。
「そんな、バカげた話が……」
ルーサースは言われた意味がわからない。
音とは焼くとか焼かないとかの問題ではない。
音とは空気の振動だ。
水面に石を投げて波紋が広がることと理屈は同じだ。
音を遮断する方法は密度の高い物質で覆うか、吸収してしまうか、同じ波紋をぶつけるか、の三つだろう。
メルサラが取ったのはその三つのどれにも当てはまらないものだった。
「燃えるもんはなんでも燃えんだよ。んでもって、燃えねーもんはこの世にねぇよ!」
クラウツルト・エス・ウォルルム。
言ってしまえば、進行方向の空気や摩擦熱を排除し、後方に流すだけだ。
普通に歩くだけで音速までの速度を叩き出すことができる。
それだけに本質は攻撃ではなく、移動するだけの術式だった。
だが、メルサラはこの術式を極限までアレンジし、【戦略級】の術韻と術陣を組みこむことで、前方空間内部にある『ありとあらゆる要素をエネルギー化する』という術式を作り上げた。
そこには音という振動エネルギーすらも移動速度へと『概念的に』変換され、推進エネルギーへと換えられる。
彼女にとってこの工程は『焼く』と同義らしい。
無音による強襲。
熱量移動による衝撃波。
視界に入るまで気づかれず、進むだけで敵を『エネルギーにまで昇華し』、なぎ倒す移動攻撃術式へと進化した。
それがクラウツルト・エス・ウォルルム――クラウジット・ウォルルムだ。
「この無毛のアバズレが!」
何かの金属を握りしめて、ルーサースは無理やりメルサラに殴りかかる。
腰の力が入っていない拳をメルサラは額で受け止める。
割れた額から血が流れようともメルサラは嘲笑う。
「腑抜けたナニじゃぁイケねぇんだよ! 【十本指】」
【十本指】の鉄甲が開き、竜の心臓が露出した瞬間、膨大な熱量がルーサースを焼き尽くす。
パンッと軽い音と共にルーサースが弾けて、灰が空に舞う。
その様子をメルサラは苦虫を咀嚼しきったように顔を歪めて虚空を睨みつけた。
「……クソが! どこまでも緩いケツしやがって、また逃げくさりやがった!」
手応えが軽すぎたのだろう。
ルーサースの居た場所に転がる金属片が真っ二つに割れており、使い捨ての術式具であること、何らかの逃走手段だったことだけがわかる程度だ。
それがまたメルサラの頭を沸騰させる。
「あぁ! クソが! 腰抜けのインキンがクソくだらねーことばかりしやがる!!」
金属片を苛立たしげに踏むと、ジュッと音を立てて金属が溶けてしまう。
何度か溶けた金属を打擲していたが、ふいに顔をあげ、ガルージンを睨みつける。
「おい、そこのクソ犬」
ガルージンは呼ばれても答えられない。
とうとう、蛇のような木の根のような、曰く言い難い触手が皮膚を突き破り、ドス黒い血が吹き出していた。
メルサラが眉を顰めたのは、その異形さではない。
腐った血の匂いを嗅いだからだ。
「あぁ? なんだそりゃ? 新手の流行り病かよ。きたねーから近寄んな」
メルサラに繊細な心配りを期待する方が間違っているのだろう。
あまり興味がないのか、さっさと背を向けてしまう。
「……今のうちに、俺を、殺せ」
「あ?」
後ろから声をかけられ、メルサラが不機嫌そうに振り返る。
這いずりながらもガルージンはメルサラへと近づいていく。
「貴様のような、ヒト種に、殺されたくはないが……ッ! 魔獣なんぞには……ッ!」
ジリジリと近づいてきたガルージンを鋼鉄の足で顔面を蹴る。
「うっせぇ! 近寄んなボケ!」
有無も言わさなければ、遺言を聞くつもりもない。
呻きをあげるガルージンがさらに鬱陶しくなったのか背を仰け反らして見下す。
メルサラの本能は気づく。
ガルージンの右足から生えているものが魔獣の類だということ。
全身に行き渡れば魔獣に変化してしまうことも予測がつく。
ルーサースを殺せなかった鬱憤は『魔獣化したガルージン』でいいか、なんて考えていた。
しかし、ガルージンの体中の傷から別の予測も浮かび上がる。
おそらく強烈な術式師一人と未熟な複数の前衛による一対多を繰り広げたのだろう。
そして、未熟な複数の前衛というのにメルサラは心当たりがあった。
「へぇ……、そういうこったな」
ガルージンと戦ったのは間違いなくヨシュアンの弟子だ。
これも勘だが、『五人で戦って勝てそうなクラス』となるとそう多くない。消去法的かつヨシュアンへの期待値を込みでヨシュアンクラスだと当たりをつけた。
そこまで想定し、ガルージンの肉のつき方から実力を把握し、舌舐りをする。
「(テメェより強いヤツを食ったか、あの玉鋼ども。こいつぁちっとは面白くなってきやがったか)」
ヨシュアンの弟子が強者と戦い、生き残ったというのならさらに強くなっただろう。
下手をすればこの一年、いや、残り半年で化ける者もいるかもしれない。
対等の勝負ができる相手というのは貴重だ。
その内の一人でもメルサラやヨシュアンの領域に到達できるのなら、悪くない想像だった。
上手くをいけばメルサラを喜ばせる人材となるかもしれない。
そこまで考え、ニヤリと嘲笑を浮かべる。
今回のことで生徒たちとガルージンの間には因縁ができた。
こういう因縁は時間をかけると長い年月、寝かしたワインのように極上の敵となる。
再び生徒たちと戦うようなことがあれば、さらに強くなるだろう。
と言っても、そこまで積極的に生かしたいわけでもない。
基本、メルサラは怠惰で、面倒が嫌いだ。面倒事は殺して燃やす派だ。
「おい、クソ犬。あの白いヴェーアヴォルフについて、ありったけ吐きやがれ」
「――ぐっ! ただの、犯罪者だ。法国の……」
「法国かよ! うぜぇ!」
他国と聞いて、一気に萎えた。
【タクティクス・ブロンド】になってしまったせいで他国に行くのも面倒な制限がつく。
他国の強者とやり合おうにも面倒すぎてやる気も起きないのだ。
「テメェが白いヴェーアヴォルフをリスリアに連れてこい。そしたら助けてやんよ」
「……断る!」
「あ? テメェの意見なんざ聞いてねぇよ!」
そのままガルージンの足を踏み潰す。
鋼と熱が伴ったカカトがガルージンの右足を砕き、焼き尽くす。
「―――ッ!?」
突然の激痛にガルージンは目を見開く。
食いしばった歯の隙間から絶叫が上がっても止めない。
「命令に決まってんだろ。ちゃんと『ワン』って鳴けよ」
そんなものお構いなしに熱量を高め、右足を炭化させていく。
「(テメェの右足を餌に魔獣化しようとしてんだ。つまり、右足がなくなれば問題ねぇよな)」
という軽い気持ちだったなんてガルージンは知らない。
ガルージンは右足が焼き尽くされる間、気絶と覚醒を繰り返し、身体中から体液という体液を撒き散らす。
呻きすぎたために嘔吐し、嘔吐している途中も激痛で歯を食いしばるため、鼻から吐瀉物が吹き出る。
右足が炭化した時、もうガルージンに指一本、動かす力はなかった。
それを見たメルサラはもう興味がなくなったのか、軽く地面を蹴って、爆発と共に空に舞ってしまう。
ガルージンがこのまま死んでもメルサラには罪悪感などない。
そもそも生き残れない程度では意味はないし、あまり期待もしていない。
やはり一番、興味を引いたのは生徒たちだ。
「(しっかし、『初めての殺し合い』のくせに妙に冷静な切り口くせぇ。本来なら怯えて震えてションベン漏らして泣きながらガスガス凌辱してるだろ?)」
舌打ちを一つ、すぐに元凶を思いついた。
「(あのメガネ、『闘争の入口』に立たせても狂わせるつもりはねぇってか。殺し合いを経験すると予測を立てて、何かしやがったな。相変わらずクソ小賢しいことばかりしやがってよぉ!)」
もしかしたら近くにいるかもしれないルーサースを探しながら、理不尽に現れたメルサラは理不尽を撒き散らして、ただ帰っていった。
※
生徒たちが学園敷地内に戻った時にはもう夕方だった。
疲れた時や憔悴した時ほど普段から出来ていることができない、そう教わってきた生徒たちは急ぎながらも慎重に戻ってきた。
それも宿泊施設を見た瞬間から変わった。
ゆっくりと茜色に染まっていく【宿泊施設】を横目に、生徒たちはだんだんと焦り始めたのだ。
良くも悪くも緊張していた生徒たちは、自分たちの陣地に帰ってきたという安心感から『ある一つの事実』を思いついてしまった。
それは時間について、だ。
今日中、とは言われているが今日のいつまでがタイムリミットなのかをちゃんと聞いていなかったのだ。
アルファスリンが『文化祭』終了後に聞いたから単純に二日後の今頃を想像していたがヨシュアンの体力がタイムリミットと直結している以上、今、この瞬間に体力が尽きてもおかしくない。
当たり前に思いつくようなことをアルファスリンは考えつかなかった。
漠然とした今日中という期限が、まるで最後の罠のように待ち構えていたのだ。
つい馬の手綱を叩いてもあまり速度を出してくれない。
馬たちも疲労がたまっているのか嫌がって走ってくれないようだ。
次第に生徒たちは馬から降りて、歩いていた。
そこらにいた宿泊施設住民に馬を返してくれとお願いし、ヨシュアンの社宅を目指す。
いつしか早足となり、やがて走り始める。
一番、最初に脱落したセロはリリーナに背負われて走っていく。
社宅広場へと至り、ヨシュアンの社宅にゆっくりと影がかかってくると競うように扉に殺到し始める。
「ヨシュアン先生は無事かの!」
ドアを開けると同時に飛びこんだアルファスリンは後ろからやってきた生徒たちに押されて、つんのめってしまう。
「……お前たちは」
氷河期のような瞳のシャルティアを見た生徒たちはそろって引きつった笑顔だった。
「今まで何をしていたか、じっくり聞かせてもらおうか」
「ま、待つがよい! 【ポルフィルの実】を持ってきたのじゃ! ほら!」
【ポルフィルの実】を差し出すと、仁王立ちしたシャルティアは軽く実を掴む。
「そうか。それだけか?」
「え……」
「お前たち、何か忘れていないか?」
問われ、生徒たちはお互いに見つめ合う。
そろりそろりとお団子状態から抜け出し、首をかしげてしまう。
怒られているのはわかる。
その理由が勝手に抜け出したことにだというのもわかる。
しかし、ちゃんと書き置きを残しておいたので問題なかったはずだ。
なら不備はどこにあるのか。
生徒たちの視線は発案者のマッフルに向かう。
マッフルも『え? あたしが言うの?』という視線を周囲に向けるが、全員、受け取り拒否していた。
「えっと、ちょっと出てくるって書置きしていったけど……」
「そうだな。それで?」
「だ、だからさ、先生たちもあたしらがどこに行ったか、知ってるじゃん?」
「もちろん知っている。それで?」
答える度に気温まで下がっていけば、自然とマッフルも首が下がってくる。
「【宿泊施設】住人への演劇は授業の一環だったはずだ。終わりの学活も参加せずにどこへ行っていた?」
言われて、ようやく気づく。
学活に参加せずに直で森に行ったことに。
「全員で授業をサボるとはいい度胸だな」
「学活は授業じゃ……」
「学活も義務教育計画に定められた項目だ。つまり授業だろう!」
冷たい雷が落ちた。
無意識に背筋を伸ばしてしまうような、背骨に侵食するような声でだ。
しかし、生徒たちの瞳にはまだ不満が残っている。
良くも悪くも彼女たちの行動はヨシュアンの命を救うためのものだ。
誰かに指を差されたり、怒られたりするような行為ではないという自負がある。
「何か他に言い訳でもあるか?」
「わ、妾たちはヨシュアン先生を救うためにじゃな」
「姫本人が取りに行かねばならないほど切羽詰った理由を聞こうか。理由如何では納得してやろう。だが――」
苦労も努力も、正当な過程を踏まなければ評価されない。
犯罪者が不当な行為で国を守ったとしても、すべてが許されるわけではないのと同じことだ。
言葉以上にシャルティアの態度がそう生徒たちに告げていた。
「――私を論破できなかった場合、どうなるかわかるな?」
ここで本日、最強の敵が生徒たちの前に立ちふさがったのだった。
※
「あら~? ずいぶん早かったのねぇ」
ヨシュアンの様子を看ていたエドウィンは階下の騒がしさを聞き、顔を出す。
その光景はエドウィンをして、『あらま』と口を塞ぐほどだった。
生徒たちが横一列でぐったりと玄関に倒れていたからだ。
どうやら正座させる暇も与えずに畳み掛けたらしい。
畳み掛けた本人は鼻から息をして、エドウィンへと振り向く。
「フンディング伯。例の薬の素材だ。任せていいか」
もはや勇者の剣ではなく魔剣みたいな切れ味を誇る目線のシャルティアだった。
エドウィンですら曖昧な笑顔を浮かべるしかなかった。
「いいわよん。後はこっちでやっちゃうけど、シャルティアちゃんも休んでもいいのよぉ?」
「あぁ、休ませてもらうさ。このボロ雑巾どもを『もう一度』きっちり絞った後でな」
その一言に生徒たちはビクンッと肩を震わせた。
「邪魔しちゃ悪いわね。それじゃ、ちょっとお仕事してくるわん」
【ポルフィルの実】を受け取ったエドウィンはすぐさま二階に上がろうとする。
「……助かるか?」
小さく、聞き逃してしまいそうなほどの呟きにエドウィンの足が止まる。
「もちろんよん。時間も十分、素材もある。これだけの条件なら地獄の門を開いてでも帰ってくるわん。特にヨシュアンはあっちと付き合いが深いみたいだからねぇ」
「……そうか」
シャルティアの頬が少し緩む。
じっくり見てみないとわからないほどの変化だったため、あえて見ないふりをしておくことにしたエドウィンだった。
「あぁ、言い忘れていたわぁ。できればリィティカちゃんを呼んできてもらえないかしらん」
「これだけ騒げば、すぐにでも飛んでくるさ」
言ったとおり、騒ぎを聞きつけたリィティカが飛びこんで、その光景に目を開く。
そして、すぐに【ポルフィルの実】がエドウィンの手のひらにあることに気づいて、意を決して生徒たちを跨いでくる。
リィティカと共にヨシュアンの寝室に入ると、すぐに調合の準備を整えていく。
調合自体はそう難しいものではない。
【ポルフィルの実】を絞り、抽出し、精錬し、既存の薬品と混ぜるだけだ。
工程の難易度自体、生徒たちだけでもできる。
出来上がった薬剤をそのままヨシュアンの腕に注入すると、ドス黒かった腕がゆっくりと肌の色を取り戻していく。
若干、肌に銀色の線が走っていること以外は健常者のソレと変わりないように見える。
その様子にリィティカは溜まっていた疲れを出すように息を吐いた。
「……成功、ですかぁ?」
「少なくとも悪くはなっていないわねぇ。今日一晩、様子見ってところかしらん」
エドウィンも少しだけ背伸びし、器材を片付け始める。
成功しても失敗しても、もう器材を使うことはない。
その意図に気づいたリィティカは少しだけ器材を片付ける手が遅かったが、結局、全てを革鞄に押しこんでしまった。
【ポルフィルの実】を使った【強化活性剤】でヨシュアンが救えなければ、もう打つ手はない。
せいぜい、死ぬ時間を遅らせるか両腕を肩から切断するくらいしか手がない。
作れる薬剤はすでに作り終えている以上、やはり器材を置いておく理由がないのだ。
その残酷とも取れる判断をエドウィンは真っ先に取った。
まだやれることがあるのではないか、そう顔に出ているリィティカの気持ちに気づかないエドウィンではなかった。
「大丈夫よん。努力したのなら後は患者の体力と意志だから。ワタシたちは信じて待ちましょう?」
「はぃ……、そうですねぇ」
『後は心配いらない』とエドウィンはリィティカを帰し、ヨシュアンの隣に腰掛ける。
ここから先はリィティカに見せたくない部分だったからだ。
「……さて。驚きの結果が出たわねぇ」
それはエドウィンの貴族としての顔だ。
実のところ、アルファスリンに伝えた二日のタイムリミットというのは真っ赤な嘘だ。
あまり資料がない事例であったとしても事が体力勝負というのなら、ヨシュアンは意地でも保ち続けるだろう。
そもそもここまでの状態になるまで動き続けていたことが良い例だ。
例え中和剤がなく、状態が安定しなくとも後一日は保っただろう。
ヨシュアンが倒れてから少なくとも三日、頑張って四日と言ったところだ。
なので部下にはエドウィンが知る【ポルフィルの実】の成る場所に向かわせていた。
早ければ明日の晩には帰ってくるだろう。
助けられる算段はすでについていた。
なら何故、アルファスリンに嘘を伝えたか。
「見誤ったのは何故かしらん? 法国の行動力? それともアルファスリン姫の資質?」
アルファスリンはヨシュアンを救わねばならない立場だ。
女王を目指している以上、ヨシュアンを見捨てるなどということはできないだろう。
心情的にもヨシュアンに懐いているようなので見捨てるという選択肢は出てこない。
アルファスリンが失敗して困るのは法国だ。
法国は【神話級】魔獣を滅ぼす人材を探している。
もしも法国がアルファスリンの失敗を聞けば、法国は王国に対して大きな負い目を背負うことになる。
王国は一人の命と引き換えに巨大な外交カードを手に入れることができる。
しかし、ただ完全に失敗してもらっては王国も困る。
外交カードに変えられないほどの価値がヨシュアンにあるからだ。
なら王国にとって、もっとも利益となる状態はどういうものか。
それは『ヨシュアンの命が無事であり、なおかつ法国が責任を負う』という状態だ。
そこから導き出される理想的な展開は『アルファスリンが失敗し、エドウィンがヨシュアンを救う形』となる。
そのためにわざとタイムリミットを短くし、アルファスリンの失敗を促した。
「想定以上の成果……、あんなボロボロになってまで必死になる理由」
もちろんリスクもあった。
この嘘がバレた場合、その分だけ外交で足元を見られていただろう。
もしもアンドレアスが侵度Ⅲについて深い見識があった場合、エドウィンの見立てが否定的に受け取られる可能性もあった。
何せ法国は対魔獣のスペシャリストだ。
エドウィンの知らない医療技術を提出してくる可能性もないわけではない。
その場合、一日や二日ほどタイムリミットが伸びていたかもしれなかった。
現にすぐさまタイムリミットを伸ばす提案をしてきた。
それもアルファスリンが否定したので提案通りとはならなかったが、その上で疑われる可能性はゼロではなかった。
そもそもあの提案自体、エドウィンに対して疑念を投げかけていた。
『本当に二日というタイムリミットはどうにかならないのか?』という疑念だ。
これにもしもエドウィンが言い淀むようなことや考えを巡らせる素振りがあれば、すかさず別案を持ってきただろう。
強硬な姿勢を見せておけばアンドレアスは他の可能性を告げることができないと踏んで、別の可能性を否定した。
それ以上にアンドレアスが姫の意向に従う姿勢を見せていたので問題はなかったが、厄介な訪問だったことには変わりない。
ここまでは概ね計画通りだった。
だというのに、アルファスリンはその計画を真正面からぶち破ってみせた。
「王の器というのかしらん。本当、王様っていうのは私たちでは予想できないことをやってのけるから面白いわぁ」
結局のところ、エドウィンは口で信じると言いながら、アルファスリンを信じていなかった。
そもそも他国の姫を意味なく信じる貴族はいない。
個人で口に出せるものと貴族として口に出せないもの。
その二つくらい、容易に使い分けられる。
そして、エドウィン・フンディングはリスリア王国の貴族だ。
その行動に躊躇いなどない。
「でも、一つだけわかったことがあるわん」
こうして計画がご破産になったところでエドウィンは特に困ってもいなかった。
むしろアルファスリンが独断で危険な行為に走ったせいで、管理責任を問われる形になりかねないはずなのにどこかスッキリとした気持ちがあった。
「……ヨシュアン。アナタ、愛されているわねぇ。それもとってもね」
エドウィンは静かに寝息を立てるヨシュアンを眺める。
『看た』感じ、悪化の心配はなさそうだ。
むしろ生徒たちの方が気にかかる。
疲労困憊の状態で汗もかいている。その状態で寝てしまったら夏場の夜とはいえ風邪を引いてしまう。
シャルティアによってトドメを刺された以上、指一本も動かせないだろう。
となると今日はヨシュアンの社宅に泊まることになるか、従者を呼んで寮と貴賓館に運んでもらうことになるだろう。
罪滅ぼしではないが布団くらい用意しておくべきだろう。
一度、ヨシュアンの額をハンカチで優しく拭うと階段を登る音がし、そちらを振り向くとシャルティアが立っていた。
「あらん? 子供たちは寝ちゃったの?」
「疲れて動けないと言って、アルファスリン姫がごねてな。今日はここに泊まる腹だ」
「そう、じゃぁ家主の代わりに引率しちゃおうかしら」
「いや、私が泊まる」
エドウィンが珍しく驚きの顔を見せる。
未婚の女性が生徒たちのためとはいえ、男の家に泊まるのは外聞が悪いだろう。
ましてやシャルティアは貴族。シャルティア本人が良くても家族が黙っていない。
そのことを知らないシャルティアではないはずだ。
「ねぇ、シャルティアちゃん」
「言わんとしていることはわかるが、気にするな」
聞いて欲しくなさそうな空気を感じ、エドウィンも自重する。
詳しく聞こうにも情報不足すぎてとっかかりもない。
ある程度、見えるものがあったとしても所詮、それまでのことだ。
「そうねぇ。なら、お任せしちゃって構わないかしらん。ワタシもなんだか疲れちゃって、見て、このお肌。荒れちゃったわん。まったくヨシュアンは乙女に苦労ばかりかけるんだからん」
「後でヨシュアンがなんとかするだろうさ。ところで――」
シャルティアの代わりに部屋から出ようとしてもシャルティアの視線はぴったりとエドウィンに張りついている。
「――嘘までついて、どうするつもりだ?」
「あらん。なんのことかしらん」
「この二日、待つだけでは暇だったので随分、考えさせてもらった。気づいたのは何、少々、都合が良すぎたように見えたからだ。姫に助けを求めたのも二日という縛りを加えたのも全てフンディング伯。貴女だったような気がしてな」
あえて明言せずに、曖昧な言葉を使い始めるシャルティア。
ここにいるのは数学教師シャルティアではなく、成り上がり貴族のシャルティアだと気づき、エドウィンも思考を変える。
「ちゃんと医者としての見立てどおりよ? ヨシュアンを救おうとしたらどうしても多くの人の力を借りなきゃいけないわん。姫様に力を借りたのも今、動けるのは四聖団とワタシの可愛い下僕たちだけだもの。学園にそんな余裕、なかったでしょ?」
「規律というものは定められていなければその良心に委ねられる。医者にも同じことが言える。リィティカはあの性格だ、嘘をついてもすぐバレる。本人も自覚があるのか常に正直であろうとしている。薬剤が足りないというのは事実なのだろう。だがフンディング伯。貴女はどうだろうな。それとも明言化した方がいいか? 医者は患者と『身内』に対して真摯であれ、と」
「あらん。ヨシュアンは『身内』なのかしらん」
「当然、我々の仲間だ」
シャルティアの目つきは鋭く、エドウィンをして剣を突きつけられているような圧迫感を覚える。
「『王都の術式具現師で王と交流があり、しかし、国政に関わらない』――ただの一般人だ。故に義務教育計画に選ばれ、我々と轡を並べている。ならば仲間の安否を気遣わない者はいまい」
ヨシュアンを取り巻く異常を隠すための建前と矛盾を盾に、シャルティアはジリジリと間合いを詰めていく。
エドウィンもそれがわかるから身動きをしない。
動揺や言い淀みは相手に心情を悟らせる。
微笑むエドウィンに食ってかかるような形だが、どちらも仮面の下で悪意を研いでいる。
「そうねぇ。二日の時間制限は間違いじゃないわよぅ。何せ常人ならもう死んでるもの。ヨシュアンの体力をよく知っているワタシだから推測できた日数よん。結果的にそう見えてしまっただけで他意はないのよん。でも、聞きたいのはそういうことじゃないわよねぇ」
エドウィンが間合いを詰める。
「『もしかしたらワタシがヨシュアンを利用した』かもしれない。そういうことでしょう?」
「利用しない手はない。少なくとも『法国の弱み』には気づいていただろう」
それにシャルティアも動じず、切って返す。
「そうねぇ。そうなればワタシも王様に満足してもらえる手柄になったかもしれないわねぇ。でもならなかった、そうよね」
「結果的にはな。運がいい話だ。足を引っ張る輩も多い中、知らず危険な橋を渡った上での言葉なら寒気がするな」
言葉の刃を引かないシャルティアを見ながら、エドウィンも考える。
何かに対して怒りがあるのはわかる。
それはヨシュアンにも関係しているだろうが、それだけとは思えない。
出会ってそれほど時間が経っていないせいか、シャルティアの裏は見えない。
わかるのは情熱的な気持ちを完全に隠すこともできる、ということくらいだ。
感情的だった部分があれば、そこがとっかかりとなる。
エドウィンの知る限り、シャルティアが感情的に見せた部分は――
「夏場で良かったわぁ。でも、そうね。考えてみればワタシの見立てで『姫様が生徒たちを連れて行ってしまった』のは悪いとは思ってるのよん」
「ほう? 悪いと思っているのなら何をしてくれるんだ?」
「いやぁねぇ。誰も予想できなかったじゃない。生徒たちの暴走も。どちらに責任があるかと言われたらシャルティアちゃん側になるんじゃない?」
「そうだな。そのことについては筋違いだろう。管理責任まで貴女に問うつもりはないさ」
「『まで』、ねぇ」
しばし沈黙が続く。
こうしたやり取りは明確に目的がある。
エドウィンもこれまでの言葉の応酬である程度、予測を立ててきた。
ヨシュアンや生徒たち、両方のことで怒っているのはわかってきたが、そこから先が見えない。
エドウィンからすればシャルティアに言質を取られるとマイナスでしかない。
目的意識があるとすれば『なるべくこの話題を切る』ことだろう。
一方でシャルティア側が曖昧で不明瞭だ。
何かを狙っているのは間違いないが今、この瞬間を狙ってきた意味がわからない。
「ワタシもヨシュアンに関しては医者としての責任があるわぁ。でもシャルティアちゃんの『仲間』を救ったわけでもあるし、許してくれる?」
「そうだな。私も少し、看病疲れが出たのかもしれないな。気を悪くしないでもらいたい。どうにも私は疑問があると刃向かわずには居られないようでな」
停戦を持ちかければ、あっさり刃を下ろす。
しかし、ここで油断するわけにはいかない。
何故なら、お互いの刃を下ろした時こそ油断ができる。
予想外の言葉で揺さぶりに来ることもあるので、最後まで気を抜けない。
「ところで、だ」
「なぁに?」
「活性剤の持ち合わせがなく、中和剤は錬成に二日以上かかる。故に二日と言っていたが活性剤だけなら何日、保てた?」
「……あと一日、合計で三日かしらん」
「活性剤の材料をこの二日で集めていたら、一日、時間を伸ばせていたな」
「そうねぇ、失念していたわぁ。大失態ね」
「……そうか」
流石にこれ以上の回避はできないと踏み、すぐさま素直に詫びる。
「ごめんなさいね」
「結果的にうまくいった。それで納得するさ」
相手が罪悪感を覚えている以上、そこからの追及は少ない。
エドウィンは全力を尽くした上で結果は全てうまくいっている。
そこから無理やり、エドウィンに対して責任追及はできないと踏んでの謝罪だ。
シャルティアもわかっているからこそ完全に刃を下げる。
「――ねぇ、シャルティアちゃん」
「……なんだ」
結局、シャルティアの狙いはわからないままだった。
だけど、エドウィンの心は何かを感じる。
シャルティアの何かに共感を得ている。
どうしてそう思ったのか、エドウィン本人もわからない。
理屈ではない、よくわからない気持ちが中心にあって、どうしたらいいかわからずに藻掻く気持ちに似ていることだけは確かだ。
もしも本当にそうなら看病疲れが出たという言葉は嘘ではないのかもしれない。
謎に向かって八つ当たりをした結果、エドウィンに噛みついているという可能性もなくはない。
シャルティアだって人間だ。
ヨシュアンが安全になった瞬間、敵と見做して斬りかかることくらいあるだろう。
「ワタシたちはきっと止まれない。失ったものが大きすぎて、大切すぎて、どうしてもなかったことにはできないの。それがどんなに人から見て『愚かでどうしようもない』ことだったとしてもワタシたちは失った意味を失うより、何倍もマシだと思ってしまうのよ」
だからだろうか。
つい言葉に出たものは己――【タクティクス・ブロンド】について、だった。
「その理由を許せと言うつもりか?」
ゆっくりと首を振る。
自らの業を許せと希う権利は【タクティクス・ブロンド】にない。
「許せる人はもうこの世にはいないのよ。誰も、きっと代わりはできないの」
「それは免罪符にはならないのにか」
「そう、わかってるの。だからというわけじゃないけれど、ヨシュアンをお願いね」
エドウィンとシャルティアはきっと、同じものを別の順序で見ているのだろう。
ヨシュアンという一人の男に対して、エドウィンは期待がある。
それはヨシュアンの過去から今を見ているから抱ける期待だ。
「ヨシュアンを大事にしているものも含めて」
シャルティアは現在のヨシュアンを見ている。
その上で何らかの期待があり、そのためなら過去を聞いても乗り越えられるだろう。
「それがきっとヨシュアンの幸せに繋がるから」
エドウィンはそのまま階下を目指す。
「――確約はできない。しかし、努力はするさ」
小さな声はほとんど聞こえなかったが、エドウィンは少しだけ満足する。
シャルティアの期待如何では敵に回る可能性だけは残したまま、しかし、その返答にこそ安堵できる。
「(愛されてるわねぇ、とっても)」
シャルティアに聞かせるつもりはない言葉は胸に仕舞い、階下を降りた。
※
「参礼日に『依頼を受けずに森へ行く』ことに罰則はなかったな。せいぜい学活を放棄した程度か」
そうシャルティアに締めくくられ、生徒たちはようやく解放された。
もう手足を動かす気力もなく、アルファスリンたちはみっともなく床と仲良くなっていた。
シャルティアに『帰れ』と言われても『帰りたくない』と言い張り、結局、皆して床にへばりついたままだった。
シャルティアが階段の上に消え、あともう少しでも沈黙が続けば生徒たちの瞼も落ちてしまうだろう。
「あと二日――いや、もう明日じゃの」
今を逃せば、きっともう言う機会はないだろう。
アルファスリンは天井を眺めながら、ポツンと呟いた。
誰に聞かせるつもりはなかった。
だけど、皆にも聞いて欲しかった。
そんな曖昧な気持ちで零した言葉にゴソゴソと動き出す仲間たち。
その音で覚悟は決まった。
「妾は学園を去らねばならん」
皆、知っていることだ。
元々、二週間だけと約束されていた。
「二週間だけじゃったが、こんなに良き勉学は他になかったぞ」
思い起こせばドタバタの連続だった。
学業にお泊まり会に演劇に冒険――どれを取っても初めての経験で得難い経験だった。
「じゃが、もう二度と会うことは、ないじゃろう」
ほんの少し、喉が引き攣る。
たったこれだけのことなのに喉が締まってうまく言葉にできない。
「もう二度と……っ、でも、そんなのうそなのです」
「セロ」
「リリーナちゃんもエリエスちゃんも、ちがうって」
「本当じゃ」
セロの信じたくない気持ちはわかる。
あぁして必死に否定しているのは、アルファスリンの言ったことが本当だと気づいている証拠だろう。
「すまぬ、セロ。妾は姫じゃ。姫じゃから行かねばならん。そして、姫が簡単に市井の民と触れ合うことも……、ない」
ぐずり、と鼻が鳴る音がアルファスリンの胸を締めつける。
「此度のことも元を正せば部下の失態から始まったこと。クリスティーナには悪いことをしたと思っておる」
「……ファスリンさん。私はあの、貴女が教室に飛びこんできた時、ちゃんと『許す』と言いましたわ」
「うむ。じゃが、いや、うむ。ありがとうクリスティーナ」
「それに他はどうか知りませんけれど、私は会えるかもしれませんわよ」
「……うむ。そうかも、しれんな」
クリスティーナは茶化すように言ってくるが、その可能性が低いことくらい容易にわかる。
お互い外交に影響を持つ立場になるまで多忙に目が回るだろう。
特にクリスティーナは現法国外交官であるジグマルド・ヴォーダンよりも優れていると王に証明しなければならない。
他にも歴代外交官は男性という慣習もある。
女性のクリスティーナが外交の場に立つ可能性は低い。
お互い実績を積み続け、ようやく外交に立てたとしても『友人としてではなく国の一部として』出会う形となる。
それ以外となると王国と法国の交流パーティなどがあるだろうが、法国で地盤を固めようとしているアルファスリンが外国基盤とくっついても現状、あまり旨みはない。
せいぜい、代理を立てて旨みを引き出す程度だろう。
積極的に行うほど優先度が高い政ではない。
「皆、最後は笑って見送ってくれんかの。そうしたらリスリア王城に行っても、祖国に帰っても頑張れるような気がするのじゃ」
きっと最後の思い出は心に残る。
そのときに二度と会えない絶望を胸に行きたくない。
もしかしたら会えるかもしれない、そんな希望と共に生きたいのだ。
「いいよ。それくらい」
「マッフル……」
「あたしも楽しかったしさ。初めはまた王族が増えたのかと思ったけどさ、全然、王族らしくなくてさ。演劇の時とかひどかったけど」
「アレは妾のせいではないぞ。即興で時間を稼げと言われたからであってな」
「ファスリンみたいな女王様がいたら、楽しそうだよね」
応援されていると気づき、涙が浮かんでくる。
手で涙をこすっても一つ、二つとこぼれていく。
「帰る前に召喚術式について詳しく」
「エリエス、汝は……」
平常運転なエリエスが羨ましく感じる。
「別に絶対会えないとは限らない。生きている以上、可能性はある。それなら先に術式について聞いておいた方がいい」
「汝らしいの」
「……私らしい?」
言われ、呆然とするエリエス。
その様子からエリエスもまた何かの道の途中だと気づく。
その何かを明確に答えられないけれどアルファスリンはおかしくなって、少しだけ笑った。
「初めて言われた」
「妾も初めて言ったぞ」
そして最後は寝たふりをしているリリーナだ。
「リリーナが居てくれて良かった。リリーナが最後に背中を押してくれなければ妾は自らで【ポルフィルの実】を採りに行こうとは思わんかったじゃろう。そうしたらヨシュアン先生も救えず仕舞じゃった」
リリーナは反応しないが、耳だけはピクピクと動いている。
聞いていないフリはきっと、その分だけ別れを惜しんでくれているのだろう。
「ありがとうリリーナ。皆も、達者でな」
ぐすぐすとそこかしこから鳴る部屋の中で、この一秒一秒が惜しく思える。
皆と一緒に居たいという気持ちは当然、ある。
今だって暴れそうなくらい強い気持ちが喉元までせり上がってきている。
だけど、それを口に出してしまえばアルファスリン自身が我慢できなくなってしまう。
ワガママで仲間を困らせたくない。
困らせたくないことが、辛い。
もう少しだけ、もう少しだけと遠くなる意識をなんとか起こそうとするが、それでも疲労には耐え切れずアルファスリンも目を瞑る。
夢であれば良かった。
でも夢でなくて良かった。
そのどれも本心であったからどれにも抗えず、起きていることで抗っていた。
アルファスリンはたった一人の卒業式を最後の最後まで起きていた。
※
アルファスリンの手元には一冊の手帳があった。
『そのうち会いに来る』と言い残し、決して落とさないように強く握らせた手帳に見覚えがある。
いつかのお泊まり会でリリーナが描いていたものだ。
黄金より価値のあるソレを震える指でゆっくりとめくる。
しかし、どうしてか引っかかった頁の端が溢れてしまう。
「姫様、落ち着いてください」
「わかっておる! 黙っておれ!」
正面に座るアンドレアスを黙らせて、集中する。
急いでもいない、慌ててもいない、しかし、落ち着いてもいない。
今だけはガタゴトと揺れる鳥車の揺れが収まってくれないかと神に祈る。
そんな祈りもすぐに届く。
「―――ッ!」
見開きの頁には六人の姿があった。
本来、描き手であるリリーナまでいる。
目を瞑り、夜の毛布に包まって安心して眠る少女たち。
水気の多い、薄い色合いで描かれたソレはとても幸せそうだった。
これは幻でも、ただの絵でもない。
確かに在った出来事で、揺るぎない事実だ。
「妾の寝顔など、そう見れはせんのだぞ……、それを」
一枚、頁を開くごとに絵が飛び出してくる。
その一枚、一枚、殴り書きで薄い色しかついていないが何よりも鮮やかに見えた。
「これは、テノートの」
何より大変なことは視界がボヤけて見えなくなってしまうことだ。
何度もハンカチで涙を拭い、最後まで見続けていく。
「おぉ、【苔の騎士】まで」
「姫様、今なんと?」
「黙っておれ!」
それぞれの絵にはそれぞれの思い出がある。
リリーナから見た思い出ではあるが、確かにアルファスリンも見たものでもあった。
一つだけ。
たった一つだけ見たことのない光景があった。
一番、最後に描かれたソレをアルファスリンは見たことがないが、知っていた。
空に天上大陸と月が浮かび、足元には雲の海が広がる不思議な光景だ。
その絵だけには人の姿がない。
だけど、わかる。
これはリリーナの夢だ。
もう一度見たいと言っていた『空の海』だ。
きっとリリーナは叶えるだろう。
『空の海』を自分の手で見に行けるようになるだろう。
ならば、『会いに行く』という約束も信じられる。
いや、そもそも疑いようがない。
この素敵な友人に負けないためには何をしたらいいだろうか。
その答えは考えるまでもなく胸にあった。
「――アンドレアス」
この場にインガルズはいないが、先にアンドレアスに伝えるべきだろう。
今までアルファスリンを支え続けてきた重鎮だ。
そして、これからもアルファスリンの支えとなって働いてくれるだろう。
「妾は王になる」
アンドレアスは膝をつき、頭を垂れて、恭順を示す。
「姫様の御心のままに」
手帳を胸に鳥車の外を見る。
ここから先の道が他の五つの道と繋がっていると信じて――
ファンタジーにロボがでないのはおかしい。




