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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五間章
332/374

少女たちの成長譚 その三

「何を書いておるのじゃ?」


 リリーナの手帳に興味を持ったアルファスリンは覗きこむように身体を動かした。

 それにリリーナは珍しく目を丸くして手帳を見せないように逃げる。


 しかし室内には六人もいるせいで狭い。

 すぐにアルファスリンはリリーナの腰にしがみついた。


「なぁ、なんじゃ? 隠さんでも良いじゃろう! 何を書いておったのじゃ」

「やーであります。まだダメでありますー」


 ぐねぐねと動くリリーナに負けないようにより強くしがみつく。

 その結果、アルファスリンの手足がセロの背中やエリエスに当たる。


「こら! こんなところで暴れたら危ないじゃん!」

「二人とも落ち着きなさい! エリエスさんも手伝いなさい!」

「わかった」


 リリーナとアルファスリンを止めるために三人は覆いかぶさる。一番、この中で身体的に優れているからといってリリーナも四人をまとめて持ち上げるような力はない。

 直に身体を支えきれなくなり倒れてしまう。


 セロも近場に居たせいか「ぐにゅ」と変な声を出して潰されてしまった。


 六人でできたダンゴムシが生まれた瞬間だった。


「重い! でかいケツを顔に乗せんなこのバカ!」

「なっ! 貴方こそ私の顔に足を向けないでくださる愚民臭い!」

「……リューム」

「のわっ! こんなところで術式を使おうとするのではないエリエス! 誰ぞエリエスを止めよ!」

「うにー、重いであります……。およ? なんでありますか? これ」

「フラ――下着、触らないで」

「……うぅ」


 お互い、あーだこーだと叫びながら絡まりあった身体を解いていくとやがて気を失ったセロ以外は元の位置に戻り始める。

 その顔は一様に非常に疲れた、といった感じだった。


「……妾たちは何をしとるのじゃ」

「ファスリンが最初にからみついてきたでありますよ?」

「汝が書いておるものを見せぬからじゃ!」

「リリーナは悪くないであります……?」


 ふとリリーナは狭い室内をきょろきょろと探り始める。

 手に持っていたはずの手帳がどこかに消えたのを知って、アルファスリンも周囲を探し始める。

 リリーナが気絶したセロをひっくり返すとそこから手帳が出てくると素早く胸に抱えてしまった。


「何が書いておるのじゃ! なんで教えんのじゃ!」


 とうとう床をバンバンと叩き始めるアルファスリンにリリーナは唇を突き出しただけだった。


「そんなに聞かなくたって絵を描いてるんだと思うんだけど?」


 何気なく答えたマッフルにアルファスリンはポカンっとした顔をする。

 これにエリエスもゆっくりと頷く。


「通常、文字を書くとき左から右へと腕が動く。なのにリリーナの手は上下左右に動いていた」

「なるほどの。文字を書くのでなければ絵を描くしかない、というわけじゃな」


 あっさりバラされたリリーナは眉を顰めて、口を閉じてしまった。


「どんな絵じゃ? というか絵の具をもっておったのか? 高いと聞くぞ?」

「先生にもらったであります」


 ぶすっと返事されたアルファスリンは首を傾げる。

 絵の具は高価な代物だ。

 いくら教師とはいえ、そんな高価な代物を生徒にポンッと与えるだろうか。


 金持ちなら可能だがアルファスリンが知る限りだとヨシュアンは貴族のような官位についているわけではない。

 あくまで術式具元師と言い張る。

 

 金に頓着しないのかリリーナの才能を買っているのかはわからない。


 そんな軽い疑問もそれ以上の興味に塗りつぶされる。


 自分と同年代がどんなものを見て、どんな想いをもって、どんな絵を描くのか。

 近しい友人がいなかったからこそ異なる視点というものに純然たる興味を惹かれる。


「リリーナは将来、絵描きになるのか?」

「んー、先生にやってみろと言われてやってるだけであります」

「素直にやっておるならちょっとは何か考えておるんじゃろう?」

「さぁ? もう一度見たいものならあるであります」


 リリーナは曖昧な顔でぼんやりとした口調でそう言う。


「空に浮かぶ海であります」

「なんじゃ、それは?」

「海ってアレ、でっかい湖のこと? 海は空には浮かばないって。また変なことを言ってさぁ」

「先生と一緒に見たでありますよ?」

「先生、一体、何やってんの……」


 ヨシュアンが関わった以上、本当なのだろう。

 むしろそんな訳のわからない秘境にリリーナを連れていったことに驚く。

 しかし、それ以上の感想はなくマッフルはそこで興味を失ってしまった。


「浪漫で耽美ですわね……、空に浮かぶ海だなんて」


 一方、クリスティーナはクリスティーナでまだ見ぬ謎の風景に夢を見ていた。

 クリスティーナも乙女心を搭載しているのだ。リリーナから詳しく聞こうとクリスティーナが質問攻めする光景を見ながらアルファスリンもまた興味が湧いていた。

 ただしそれは空に浮かぶ海の話ではない。


「のう、セロ。起きよ。寝ておる場合ではないぞ」


 アルファスリンに頬を無造作に叩かれたセロはむずがりながら起き始める。


「セロは何になりたいのじゃ。何が欲しくて何をしたいのじゃ」

「ふぇ? セロは……」


 セロは目をこすりながらポツポツと呟く。


 以前、学園に試練官として訪れたレギンヒルトに憧れていること。

 レギンヒルトとは道は違うけれど、修道院に戻って体育で習った最新の農業技術や時々、女医に習った医術などを役立てたいとハッキリとした目標を語る。

 今のセロなら術式具のメンテナンスもでき、畑を荒らす狼を追い払う術式もある。


 喋っているうちに眠気から覚めたのかアルファスリンの目をハッキリと見つめていた。


「帰って、施しをあたえられたら修道院の皆がよろこんでくれるのです。それで皆をたくさん楽させてあげられるのです。だからセロはがんばってるのですっ」


 一番、頼りないと思っていたセロは誰よりも明確な目標をもって動いていたと知り、アルファスリンは目を見張った。


 修道院の活動はアルファスリンもよく知っている。

 どの神を奉るかで内容が少し変わるものの基本は生きることだ。

 修道院の生活は世俗とは違う『教えという規律』を守り、共同生活を営むことにある。

 それはもう一つの家族だ。


 神に祈り、畑を耕し、織物をし、時には冒険者を泊める宿にもなる。

 しかし、ほとんどは自給自足し、教えにふさわしい活動で資金を得るくらいしか手がない。

 それで修道院が賄えるのなら問題はない。


 場所によっては自給自足もままならず寄付金しかない修道院もある。

 セロがいた修道院はまさにそうした貧しい修道院だった。


「セロは良い行いをしようとしておるのじゃな。風神ヒュティパ様は心ある良き行いにとても喜んでおるじゃろう」


 セロの頭を撫で、大司教としての言葉をかける。

 ちなみにアルファスリンの立場は四聖団のトップになるにあたって大司教の位を与えられている。

 アルファスリン自体、欲しくもなかった位だったがこうしてセロを安心させるためにだったのならもらって良かったと一人、喜んでいた。


 セロの話を聞けたアルファスリンは次の人物を眺めようとして――


「今のところ、ありません」


 突然、エリエスに言われ、ぽやん、とした顔をした。


「強いて言うならここで学ぶことが目的」


 アルファスリンがヨシュアンクラスから夢や学ぶ目的を聞いていたのはエリエスから見ても一目瞭然だ。

 なので尋ねられるより先に話しておこうとしたのだろう。


「むぅ。学んでどうするんじゃ? いや、学べばそれは賢くなったりするんじゃろうが……」


 具体的な内容が思いつかず、首をひねってしまう。


「初めから私の知らない知識があると言われたからここに来た」


 これに反応したのはリリーナの耳を引っ張っていたクリスティーナだった。


「来たって言いますけれど義務教育計画の被験者は国に選ばれるのですわよ?」

「選ばれたからベルベールが私に告げたのか、ベルベールが選んだのかまでは知らない。ただ行けば私の知りたいことがわかる、とだけ言われた」

「ベルベール……、どこかで聞いた名前ですわね」


 一番、しっかりしていると思っていたエリエスが実はぼんやりとした目的しか持っていないことにアルファスリンは驚いた。

 そして、他の生徒たちは別のところで驚いていた。


 自分のことをあまり語らないエリエスが初めて過去らしきことを喋ったのだ。


「そんなことより貴女、前に出自を聞いた時に『興味ない』と言ったじゃありませんの」

「それは興味ない」

「……エリエスさんらしいというべきかしら」

「目的はもう果たしてる。だから次はヨシュアン先生の跡を継ぐ」

「その『だから』というのはどういう意味ですの……」

 

 時々、エリエスは繋がらない会話をすることがある。

 追及しても何も言わないことが多く、クリスティーナもいつものことかと鼻から息を出し諦める。


 誰もがそれぞれの道を曖昧ながらも目指していた。

 この義務教育計画が終わる頃には目指すべき道を踏み固めて歩き出すのだろう。


 気づけばリリーナはまた絵を描き始め、エリエスからちゃんと話を聞こうとマッフルが質問を投げかけていた。

 再び眠たくなったセロはクリスティーナのフリルを掴んでウトウトとしており、クリスティーナもまんざらではないのか優しい顔をしている。


 皆を眺めたアルファスリンは少し微笑む。


 リリーナの絵が書き終わったらアルファスリンも描いてもらえるのだろうか――そこまで楽しい興味に浸っていたアルファスリンは思い出してしまった。


 遺跡調査が終わり、文化祭が終わり、そうしたらすぐにでも王都に向かわなければならないことを。

 タラスタット平原の浄化が終われば、そのまま法国に帰ってしまう。


 この騒々しくも楽しい時間が終わってしまう。

 本来の立場なら絶対に手に入らなかった時間の意味を知ってしまった。


 そう思うと微笑んでいたのが嘘のように強ばってしまう。

 何かが握り締めた指先に落ち、そのことで初めてアルファスリンは己が泣いていることに気づいた。


「(……妾は皆より先に行ってしまう)」


 顔を下げて、眠たいフリまでして涙を見せたくなかった。


「(どうしてじゃ……? どうして妾は、妾だけが)」


 アルファスリンは気づいていた。


 法国の姫という立場ではもう二度と王族と平民が同じ部屋で毛布をかぶって寝るなんて真似はできないということを。


「(妾はどうして姫なんじゃろう?)」


 朝が来るまでしか楽しめない、この時間に涙を見せたいわけではない。

 だけども涙は溢れてくる。


 彼女の涙に気づいたリリーナは目を細め、小さく唇を閉じた。

 そして、手帳の中に描かれた光景にそっと目を落とすのだった。


 ※


 こっそりと【室内運動場】から抜け出したヨシュアンクラスは計画通り二手に分かれた。

 クリスティーナ、マッフル、リリーナの三人は倉庫で装備を受け取り、野営のための道具類を持ってすぐさま牧場を目指した。

 管理人さんの世間話をぶった斬り、すんなりと牧場まで行動できたまでは良かった。


 問題は牧場のチーム、すなわちエリエス、セロ、そしてアルファスリンだった。


「どうして騎竜を選ばんのじゃ!」

「ダメ」

「にべもないの! 少しは考えんか!」


 アルファスリンはぎらんぎらんと打ち合う刃物のように瞳を輝かせ、のんびりと草を食む騎竜に指を伸ばしていた。

 明らかに騎竜に乗りたいオーラを出しているのに難色を示したのはエリエスとセロだった。


「ダメ。それは背徳の使徒」

「誰が誰に対して背徳なのじゃ! 急ぐのなら騎竜のほうが良いじゃろ? 馬より耐久力があって速いんじゃろ、なら騎竜はうってつけではないか」


 合流したクリスティーナ、マッフル、リリーナも最初こそアルファスリンの剣幕に驚いていたが話の内容を聞いて、すぐにエリエスの意見に賛同した。

 それはもう、綺麗な味方っぷりだった。


「え、だってそいつら、前にあたしたち置いて逃げたし」

「信用なりませんわ、この駄竜どもは」

「根性なしであります」


 根性なしと言われた騎竜は気づかずにまだ食べ続けていたが、それもヤグーが近寄ると一目散に逃げて牧場の隅でまたモソモソと食べ始めていた。

 他の馬たちはヤグーと仲良くしているのに何故か騎竜同士で固まっている。


 アルファスリンはそれがどうにも『自分の世界に閉じこもって他を拒絶している』ように見えてしまい、モヤモヤとしてくる。

 しかし、それでも憧れというのは強いのだろう。

 気を取り直して柳眉を逆立てる。


「じゃが騎竜じゃろ!」

「ていうか馬でいいじゃん。早くしないと気づいた先生たちが――はともかくヨシュアン先生がヤバいって話なんだから急がなきゃ」

「マルコはおとなしいのです」


 マッフルの説得に続いてまさかのセロの畳み掛けにアルファスリンは肩を落とす。


 なんかよくわからないショックに身を固めていたアルファスリンだが、たしかに事は一刻を争う。それくらい理解している。


 しかし、それはそれ、これはこれなのだ。


 唸り、しかめ面をしたが結局、アルファスリンは馬で我慢した。

 授業でも文化祭のせいで騎竜に乗れず、ここでもまた機会を逃すのだった


 ちなみに牧場主は生徒たちが馬を借りに来た時に嫌な予感がしたがアルファスリンを見た瞬間、一切の思考を無にして貸し出してしまった。


 このことで牧場主はシャルティアに睨まれることになるのだがアルファスリンに睨まれるよりマシだと考えたのだろう。


 誰も上司の上司の、さらにそのまた上司に当たる人物に歯向かいたくはない。


 馬は五頭。

 一番、騎芸が下手だったアルファスリンはセロの後ろに乗せ、ヨシュアンクラスの面々は堂々と【宿泊施設】を通り、西の森の入り口を抜けていった。


 夕闇の森はどこまでも深く、闇への恐怖を掻き立てる。

 しかし、術式ランプの光を灯し、馬を駆るヨシュアンクラスは恐怖なんてものを感じずに突き進んでいた。


 大きな目的が恐怖をごまかしていると誰も気づいていなかったが、それが今回に限ってうまく功を奏していた。

 遺跡の時と同じならおっかなびっくりと進んでいただろうが、今回の行程は極めて速い。


 すでに冒険者たちが作った中継点を過ぎ去っているにも関わらず、まだ夕陽は落ちていない。


「ところでどこに行くのじゃ?」


 カポカポとした早駆けの音に慣れた頃、疑問を投げかけてみた。

 ほとんど衝動的に動いてきた生徒たちだが、ここでアルファスリンはふと正気に戻る。

 実は全員、ポルルン・ポッカの居場所を知っているわけではない。


 今はマッフルの言うとおりに西の森を目指している途中で、具体的な場所は一切、聞かされていないのだ。


「遺跡! あそこに居たってことは近くにいるってこと」


 曖昧で行き当たりばったりな答えが返ってきてアルファスリンは馬上で面食らった。


「他にも理由があるんじゃろう!」

「もちろん!」


 さすがにそれだけで行動していると思いたくなかったアルファスリンはホッと胸を撫で下ろす。


「ようするにリーングラードで一ヶ所――というか一地域? とにかく『そこにだけは行けない場所』があるんだよね。というか怪しい場所ってそこ以外、ちょっと考えにくいっていうか。それが西の森。今からそこに向かってるんだけど問題は――」


 どうして誰もそこに行けなかったのか。

 マッフルに懸案事項があるのならその一点に尽きた。


 生徒たちよりもずっと腕が立つ冒険者たちが西の森に行かなかったはずがない。

 なのに生徒会活動で使う地図に西の森の詳細はない。これは本職が調査に失敗した可能性が高い。


 そして、教師たちからも西の森へと近寄ることはやんわりと禁じられている。

 教師たちも西の森は危険か、あるいは行ってはいけない場所と認識されていることを意味している。


 そのことから本職ですら対応できない原生生物がいるか、地形的にその森に行けないかくらいしか想像がつかない。

 どんなものがあるかわからないが、情報を欲しいとなれば現地にいくしかない。


「――本職でも太刀打ちできないような原生生物とか居たら流石にどうしようもないけどさ、ウチはスカウトだけなら本職以上だしね。『そのためにリリーナを先行させてる』んだしさ。どんな生き物も先に見つけちゃえば戦うにしても逃げるにしてもかなり有利になるしさ。あたしらの『勝ち』は【ポルフィルの実】を見つけることだけ頭に入れときゃいいし。もしも行けない場所だったら状況次第だけどどっちにしてもポルルン・ポッカが関わってるなら見つけて協力をお願いすれば、二つとも気にしなくていいじゃん」


 ある意味、シンプルな解答であったがマッフルには勝算はあった。

 それが言葉にも自信として表れていたのだろう。

 聞いたアルファスリンも戦術ではなく戦略を意識したマッフルの返答に少しばかり光が見えてきていた。


「じゃがポルルン・ポッカを探さねばならんのじゃろ?」

「そうそう。付近でゴソゴソしてたら顔くらい見に来るんじゃない?」


 次いで出た大雑把な答えにアルファスリンは光に雲がかかったような気分になった。


「結局、出たとこ勝負なんじゃな……」


 肩を落としても、どうやってもそれ以上の答えを見つけられない。

 文句を言っても仕方ないとわかっている。


 確実な手段がない以上、賭けに出るしかない。

 そのためにこうして学園を抜け出してきたのだから今更だ。


 だからこそ不安になる。


 打てる全ての手を打ち、しかし、成果を出せない。

 その結果、ヨシュアンが死ぬと思うと言いようのない恐怖が頭をよぎる。


 ぎゅっと握り締める胸。

 何か言いたくても出せない言葉を無理やり出そうと口を開いた瞬間――


「見つけたでありますよー」


 ――ポルルン・ポッカを抱えたリリーナが逆走してきたのだった。


「なんなのじゃー!? というか本当になんなのじゃー!!」


 リリーナの腕でぐったりとしているポルルン・ポッカを見た瞬間、心配と恐怖は怒りに変換されたのだった。

 もう、両手でセロの股の間をバンバンと叩いて叫びだしてしまった。


 馬も馬で突然、鞍を叩くという衝撃に驚き、走り始めてしまった。


「ふぇ~っ」


 意図してない加速にセロが生ぬるく叫び、そして、ちょうどいい位置にあった梢の葉叢はむらに顔面をぶつけ、二人で落馬したのだった。


「何をしてますの、ファスリンさん……」

「馬の上で暴れたら危ないし。何? 新手の持病? 叩かずにはいられなかったわけ?」


 なんか可哀想な子を見る目でクリスティーナに見られたアルファスリンだった。

 マッフルは頬を掻き苦笑し、エリエスは素早く馬を近づけ、すぐに降りる。

 そして、二人の頭に危険な怪我がないかチェックし始めた。


 ただ一人、状況がわからないリリーナはぐったりしたポルルン・ポッカと見つめ合い、お互い、首を傾げるのだった。


 ※


 すでに夕陽は落ち、これ以上の探索は不可能だと判断したヨシュアンクラスはテキパキと野営の準備を始める。

 本当なら夜を明かしてでも先に進みたかったが慣れた狩人ほど夜間の移動を控えると聞かされたこともあって、時間を費やしてでも足を止めたのだ。


 実際にリリーナも夜間の森を踏破し傷だらけになったこともある。

 騎芸を学び、それほどの時間が経っていない生徒たちに夜駆けは危険でしかない。


 無茶と無謀の区別が付き始めたということは己の技術を理解し始めている証拠なのだろう。


 それでもまだ先に進みたいという意思は残る。

 納得できてはいない。


 ただここで止まるしかないという理屈に納得がいかないだけだ。

 そのせいかヨシュアンクラスはどこか集中力を欠いていたが、敵がいるわけでもない森の中で特別なことは起こらなかった。


 予定調和のように焚き火で食事を作り、一段落着く。


 むしろ、その静かな時間はヨシュアンクラスを少しだけ別のことに意識を向けさせた。


「それでリリーナさん。どこでポルルン・ポッカを見つけましたの? 見た感じ、弱っているように見えますけれど」


 クリスティーナは今日、最大の疑問へと取り掛かる。

 この、焚き火の前で横たわるポルルン・ポッカがどうして現れたのか、という疑問だ。


 マッフルの言うとおり、ヨシュアンクラスにポルルン・ポッカを見つける術はなかった。

 偶然、見つけたと言えばそれまでだが、だからといってすんなり認めるほどヨシュアンクラスは素直ではなかった。


 他にも疑問はある。


 以前に見たポルルン・ポッカは子供のようにハシャいでいたのに今は動くのも億劫だといわんばかりに身動きしない。

 だる~んと短い手足を放り投げて、どんよりとした空気を放っている。


「枝にぶらさがってたであります。それと、見つけた時からこんなでありますよ」


 リリーナがツンツンすると嫌がるように身じろぎするが、やがて『どーにでもなれー』みたいな脱力するポルルン・ポッカ。


 セロはそんなポルルン・ポッカが心配なのか布をかけてあげてポンポンと優しく叩いている。

 そのリズムが心地よかったのかスヤァと眠り始めた。


 それがまた周囲のジト目率を加速させる。


「枝って……、まぁ、すんなり見つかったからいいけどさ」

「ふてぶてしいですわね、本当に」

「しかし、ポルルン・ポッカが弱るなどとはないはずなんじゃが……」


 三人三様の意見がポルルン・ポッカに突き刺さる。


 中でも一番、疑問に思っていたアルファスリンは二人と違い、予備知識があった。


 ポルルン・ポッカは『生きる浄化術式』のようなものだと記憶している。

 生きているだけで周辺の源素バランスを整え浄化し、【ナカテー】ではさらにその力が増す。

 自然に生まれることがなく、よくわからない方法で増え、大抵は禁域の近くか聖域に住む。


 神話にそれらしい姿があり、法国ではヒュティパの眷属ではないかと解釈されている。


 無限に分裂し、周辺源素を喰らい、死ぬことのない源素生命体。

 【ナカテー】より来たりし者、ポルルン・ポッカ。


 ある意味、生命体としては優れているポルルン・ポッカが弱っているということ自体が考えづらい。


「ポルルン・ポッカは清浄の使者とされ、法国のフェーリアーたちと年がら年中、踊って暮らしておるという。体調を崩したなどという話は聞いたことがないぞ」

「お気楽ですわね」


 考えを放棄したような口調でクリスティーナは薪を焚き火に放りこんだ。

 『敬うべき生き物』として喋ったつもりなのに株を下げるようなことを言ってしまって密かに凹んでしまったアルファスリンだった。


 一方、リリーナは眉根を寄せてひっきりなしに首を傾げていた。

 ポルルン・ポッカの謎の生態についてではなく、もっと別のことだ。


「何か問題でも?」


 見かねたエリエスが尋ねると、リリーナはさらに首を傾け、横に倒れてしまう。


「ん~、なんか変であります」

「具体的に」

「ふわ~っとして、くるんって感じだったのが皆、よそよそしているであります」

「わかる言葉で具体的に」


 具体的にと言われてもそもそもリリーナもよくわかっていないのだろう。

 強いて言うのなら『以前と森の空気が違う』ということだけがよくわかる。


 遺跡事件の時もまた野営をしたのだがリリーナは不安なんて一切感じなかった。

 まるで父親に包まれたように暖かかった森は今ではどこか余所余所しく、皆でそっぽを向いているような感触を受けた。


「うむ。わからんでもないの」


 凹んでいたアルファスリンもリリーナの言葉を聞いて、顔をあげる。


 アルファスリンもまた遺跡に向かった時に森の様子を感じている。

 そして、確かに今の感触はリリーナが言うとおり『そっぽ向いている』と表現してもいい。


 これではまるで『どこにでもある普通の森』のような感触だ。


「静かじゃし、ヒソヒソとすらしておらん。まったく茫洋としていて掴みづらいのじゃ」

「前はぬぼ~ってしてたでありますよ」

「そうそう、ぬぼ~、じゃ。そんな感じじゃ!」

「リリーナとファスリンが奇妙な言語で会話し始めた」

「大丈夫、世の中、同じ言葉でもわかんないこととかあるから。例えばヨシュアン先生の女の趣味とかさ」


 この話題にピクリと反応したセロだったが幸い、誰もセロの渦巻いた瞳を見る者はいなかった。


「……むぅ。心当たりがないわけでもないんじゃがな」


 この変化は数日前までなかったとすれば原因はおおよそ見当がつく。


 ヨシュアンとモフモフが【無色の獣】を討伐したから、森に変化が起きたと考えるべきだろう。

 そして、アルファスリンにとってソレは当たり前の感覚だった。


 封印機構が役目を終えたら当然、変化が生まれる。

 封印しているものがものなだけにそれが人知の及ばぬものだとしてもアルファスリンたちには理解できない。


 森のよそよそしさもそれが原因だと考えれば辻褄は合う。


「もしかしてソレが原因じゃろうか?」


 ポルルン・ポッカは封印機構と密接な関係にある。

 封印機構の一部分でもあるポルルン・ポッカは封印がなくなったことで変調を来たしたのではないか、という推測だ。


 しかし、そこまで推測しておいてこの答えは無駄だったのだろう。


 なすべきことは謎を解くことではない。


「……いや、それよりもコレを見てくれんか?」


 眠るポルルン・ポッカを叩き起し、その顔に【ポルフィルの実】の絵を突きつける。


「この実が必要なのじゃ! ヨシュアン先生が病気なのじゃ! 【ポルフィルの実】があるのなら教えて欲しいのじゃ、頼む!」


 地面に頭がつかんばかりに下げた。


 アルファスリンは自分で自分の行動に驚き、しかし、必死で頭を上げないように踏みとどまった。


 乞わなければ手に入らないものがある。

 逆に言えば這いつくばっても手に入らないものだってあるのだ。


 ならば頭を下げることのなんと容易いことか。


 ぼんやりとアルファスリンを見ていたポルルン・ポッカはむくりと立ち上がり、くるんと片足を軸に一回転すると、


「うきゃっ」


 ピタリと止まって一声、鳴いた。


「おぉ! 助かるのじゃ!」


 意味不明の行動だったが否定的な感じは受けないのだからきっと了承したのだろうと勝手に決めつけるアルファスリンだった。


「これで明日には【ポルフィルの実】が手に入るでいいのかな? 全然、意味わかんないけど」


 ポルルン・ポッカはまたパタンと倒れてしまい、慌ててセロが布を被せる光景を余所にヨシュアンクラスの間にはどこか弛緩したような空気が流れる。

 一番、問題だった部分の見通しがついたのだから胸の一つくらい撫で下ろすだろう。


「それにしても良かったぁ。これで成果なしだったら本気、先生らにぶっ殺されてたしね」

「その前にヨシュアン先生が死んでしまいますわよ。何を呑気なことを言いますの、この愚民は不謹慎ですわね」

「あんたにだけは言われたくないし。あんたのその空気を読まない性格の方が真面目な場面を茶化してるし。髪型も含めたら存在がもう冗談の類じゃん」

「先生を助ける前に生命を助けてあげてもよろしくてよ?」

「寝てるんなら隅っこに行ってくんない、うざいから」


 同時に立ち上がり、同時に剣を抜き、そして、同時に斬りかかる二人。


 お互い、半年の授業で上達したのか一合当ててからはジリジリと足を動かすだけの【支配戦】に突入する。

 目線、足の動き、身体の緊張、その全てから次の攻撃を予測するために意識を割いているために表面上は睨み合いが続いている。


「ところでファスリンに聞きたい。ヨシュアン先生の病気の名前は?」


 後ろの緊迫した状況はさておき、エリエスはアルファスリンへとゆっくり顔を向ける。

 『説明を要求する』という絶対に折れそうにない瞳にアルファスリンは引きつった顔をする。


「う、うむ。しかし、それは重要なことではないのじゃ。問題は――」

「どんな病気でどんな症状か、名前からでもわかることがある」


 エリエスの問いかけは純粋な好奇心だ。

 無碍にするの偲びないが本当のことも言えない。かと言ってどうやって切り抜けるのかわからない。

 いっそ有耶無耶にしようと思ってもエリエスはアルファスリンを追い詰めるように眺め続けている。


 それがまたアルファスリンの余裕を削っていく。


「ひ――」


 何を言うべきか。

 何を言えばいいのか。


 冷や汗を垂れるほど考え、開いた口は――


「――ヒッポッポトトグリム病じゃ!」


 ――謎の単語を吐き出すのだった。


 瞬間、全員が身動きを止める。

 争っていたクリスティーナとマッフルですら剣を構えたままアルファスリンを見つめていた。

 当然、ポルルン・ポッカを看ていたセロやリリーナも同じだ。


 五人のきょとんとした視線の先でアルファスリンの顔が真っ赤に染まっていく。

 『違う』『そうではない』『何を言ったのか』様々な疑問が頭を駆け巡り、今すぐ穴に埋まりたい気分でいっぱいになる。


「ヒッポッポトトグリム病。聞いたことがない」


 『そりゃ、そうじゃろーなー!』と心の中で小さなアルファスリンが叫ぶ。

 言った本人が理解できないのだから当然と言えるだろう。


「ひぽぽ……、なのです」


 響きが気に入ったのかポツリと呟くセロ。

 その呟き加減に涙が出そうになる。


「え? あ、何それ? ごめん、よく聞こえなかったからもう一回言ってくれる?」


 マッフルが困ったように聞き返してくる。

 聞き取れなかったというよりも覚えきれなかったという感じだが、アルファスリンにしてみれば火刑台に送られるより酷い話だった。


「そんなこともわかりませんの、この愚民は」

「じゃぁ、あんた言ってみてよ」

「ヒポッポ……、グトト……、フィポッポトグリマス病ですわ!」


 『なんか変な成長をして覚えられた!?』と無言の絶叫が迸る。

 変な汗がダラダラと流れ、息すら乱れてきたが気づかれるわけにはいかないと必死で眉に力を込める。


「エリリン。エリリン。ファスリンの顔が変でありますよ?」


 顔は赤く、眉に力をこめ、涙目で言葉を出さないように唇を必死で閉じている表情は確かに変だろう。


「まさか感染……」


 その一言で全員がざわりと身を震わせる。

 もちろんヨシュアンの病気は血を飲まない限り感染したりしないが、事情の知らない者からすれば謎の奇病だ。

 もしも感染する病であった場合、【ポルフィルの実】がいくつも必要になってしまう。

 持ちきれる数は決まっているので最悪、足りない場合もあるだろう。


 もちろん【ポルフィルの実】で治せるのはヨシュアンだけ、という情報を伝えていないせいで『奇病の特効薬』というイメージを持つ生徒たちはひどく慌てた。


「感染していた場合、看病していた人たちも発病している可能性がある。【ポルフィルの実】が一つしかない場合……」

「ちょ、最悪なこといわないでよ!」

「まだ一つしかないとは決まったわけではありませんわ。たくさん採ってくれば良いんですわ」

「乱獲はダメであります。森だって生きてるであります。先生もそういう無茶な採り方はダメって言ってたであります」

「そうも言ってられない。学園で多くの病人を抱えることになる。最悪、燃やされることも」

「もやっ、燃やしちゃうのです、か?」

「病を増やさないために昔からよくやってたと本に書いてあった。実際に人が感染源の病は多い」

「そんなのひどいのですっ」

「でも燃やせば確実に被害は出ない」


 普通の子供ならここまで想像しないだろう。

 しかし、彼女たちはリスリアの才能ある教師たちから日夜、薫陶を受けている。


 教師たちが地道に教えていった『知識』。

 ヨシュアンが豆知識的に教えていった、なんか間違った方向に正確な『知恵』。

 学園六訓からなる『価値観』と『思想』。


 体育で習う『戦術』『戦略』。歴史から知る『対処法』。錬成で学ぶ『薬学』。

 数学の『数字的効率』の有用性。あまり関係なさそうな教養ですら『舞踏』や『会話術』などの流れを掴む力を育んでいる。

 彼女たちに確実に先見の明や予測対処の仕方を積み上げていた。


 そのせいか彼女たちは下手をすれば地方都市の陪臣くらいなら考えつきそうなことを平気で考え始める。

 もっともまだ情報の中に紛れている偽りを見破るほどではないのが、アルファスリンにとっては深刻そうな会話とは裏腹に地獄の音にしか聞こえなかった。


「ち、ちが――これはちがうのじゃ!」


 なんとかして誤解を解きたいのだが、なんと言っていいかわからず地面の草をブチブチと乱暴に引っこ抜いていたのだった。


 ※


 アルファスリンが誤解を解き、生徒たちと共に泣き疲れたように眠っている頃。

 ヨシュアンの社宅では難しい顔をした五人がテーブルを囲んでいた。


 ヨシュアンクラスの脱走を知り、頭痛の種を植えられた教師陣だ。


「あいつらは先月に言ったことをまったく理解していないぞ! 上級魔獣の次はなんだ? 上級竜種か? それとも邪神でも蘇らせるつもりか!」


 アレフレットは怒り狂いながら机を叩く。


 アレフレットがここを会議室に選んだ理由はリィティカがいたからだった。

 リィティカがヨシュアンの容態が急変したときのために社宅に控えていると知り、移動の手間を少なくするためにここを臨時の会議室に使った。


 もっともリィティカも常に待機しているわけではない。

 シャルティアや女医とも交代するし、身の回りの世話はシェスタが担当している。

 たまにこっそりテーレが洗濯物などを干していたり、食器を洗ったり、こっそり調理の下ごしらえをしては帰っていくのだがそれに気づく者はいない。


「やめろ。縁起でもないことを。すでに上級魔獣が出た土地だぞ。いくら調査隊が浄化したとしても西の森付近は未だに魔窟と変わらん」


 シャルティアはあくまで普通の様子だった。

 その変調にアレフレットとヘグマントは気づかなかったか、同じ女性のリィティカと気遣いのプロのピットラットだけが気づくことができた。

 普段のシャルティアなら皮肉の一つも交えてアレフレットを見下すのだが、そうした素振りは一切ない。


 普段より明るめの化粧をしているのは疲れた顔を明るく見せるためだろう。


 しかし、そう感じているリィティカもまた疲労は濃い。


 今までにヨシュアンが苦しげな顔で暴れたのは二回。

 そのうち一回は腕が取れかけたのだ。

 社宅の外から浄化の結界を張っているためかヨシュアンの腕はじわじわと溶け始めている。

 そうしてもろくなった腕がぶらんとした時はさすがにリィティカも青ざめた。


 普通なら切除するところだがエドウィンが無理やり針と糸でくっつけてしまったのだ。

 それもしばらくすれば付け根から銀の糸が飛び出し、無理やり肉体を修復してしまう。

 それを初めて見た時はさすがのリィティカもドン引きしてしまったものだ。


 リィティカたちの知識にはないが【虚空衣からからぎぬ】をもっともわかりやすく説明するのならば一種の群体と言えるだろう。

 金属でできた、髪よりも細い繊維で構成された【虚空衣からからぎぬ】は使用者の脳と心臓に神経節を打ちこみ、望むとおりの機能を引き出す。


 強い身体を望めば筋繊維に潜りこみ、屈伸運動の補助を。

 身体の回復を求めれば肉体内部からの縫合、筋繊維の疲労物質の分解を行う。

 精神を変容させる場合は神経節よりシナプスに似た働きをする繊維を脳内に潜りこませ、『まったく別の人格』を作ることもできる。


 ヨシュアンの感情が憎悪だけしか残されていなくとも喜怒哀楽を表現し、一般の社会生活を営めたのも【虚空衣からからぎぬ】のおかげとも言える。


 使用者の望むことを理解し、群体のように働き、時には自らで化学物質を生み出し、肉体を変質させる異形の術式具。


 その動力は他に漏れず内源素だ。当然、動かし続ければすぐに人は干からびるがヨシュアンは二割の【虚空衣からからぎぬ】を外源素の吸収に当てて、長期間の稼働を可能にしている。


 もしもこの知識と使用法をヨシュアン以外が知ったら『本当に人類か?』とつっこみたくなるだろう。

 それくらい人間離れしている状態だ。


 もっともエドウィンは『通常の怪我だと出てこない銀の糸』を見られてご満悦のようだった。

 どうやら欠損でもしない限り飛び出してこないようだ。


 リィティカの疲労はそんなショッキングな光景を見ただけではなく、いつ暴れるかわからないヨシュアンを看ているせいなのだろう。

 成人男性が暴れているすぐそばで腕を押さえ、注射を打つのだから重労働だ。


「先月に引き続きだからな。さらなる厳罰を与えてやらねばならんが……」


 規律に対して一過言あるヘグマントもヨシュアンクラスの動機を考えると難しい顔になる。


 遺跡事件の時は生徒たちの都合だ。

 しかし、今回は誰にもできないから行ったという風にも取れる。


 しかもアルファスリンが指揮をして皆を連れて行ったなんてことになれば両国側から責任問題にまで発展しかねない。

 そうなるともう学園の規則だけでは話はまとまらない。

 そのせいか勝手に判断していいものか迷ってしまうのだ。


 大事には大事を収めるだけの権利と人物が必要だ。


 もちろんどんな理由であれ規律を破ったのだから生徒たちの説教は確実だ。懲罰も当然だろう。


「彼女たちも心配なのでしょうな。ヨシュアン先生によく懐いていたようですから居ても立ってもいられなかったのでしょう」

「わからんでもないが生徒の保護は我々の仕事でもある。すでに守衛たちが後を追っているのが幸いか……、ぬぅ!」


 守衛たち冒険者もまた【ポルフィルの実】の捜索にあたっている。

 その結果、残った人員は四バカたちと通常警備の者たちだけ、合わせて十名もいない。


 【宿泊施設】の狩人に協力を要請したが、それでも夜になった以上、身動きが取れないだろう。

 生徒たちに追いつくのなら明日の昼頃、それくらいには生徒たちも西の森にたどり着いてしまうと考えるともどかしく感じるヘグマントだった。


「生徒たちはともかくアルファスリン姫はどうする? そろそろ出立する以上、罰の意味がほとんどないぞ」


 アルファスリンはもう学園生徒ではなくなる。

 帰ってきてすぐ厳罰を与えたとしてもやりきれるほどの時間がない。


「反省を促すだけならアンドレアス殿に任せるしか……」


 そう考え、大仰に手を広げアルファスリンを賛美するアンドレアスの姿を思い浮かべ、げんなりする。

 とても厳罰を与えられるような人物とは思えない。


「どちらかというとインガルズ殿に任せるのが一番か。了承するかどうかはわからないが帰ってきすぐに話してみよう!」


 これにヘグマントが妥協案を出す。

 実のところ、インガルズはあまり教師たちと話をしていない。


 武人然とした佇まいや厳しい面は、どうにも話しかけづらい。

 実際にインガルズと会話しているのはヨシュアンとヘグマントくらいだ。それ以外はほぼ一方的にこちらが要求をつきつけ、インガルズが頷くだけでコミュニケーションが成立してしまっている。


「わかっていると思うがこの『やりづらさ』は担当教師が不在のためだ」


 アレフレットはイラついたようにコップを置き、腕を組み始める。


「基本、罰は規律に則っているがさじ加減は担当教師が決めている。今回の件のように担当教師が不在の場合でも罰を行えるように規律の強化、明確な指針を立てておくべきだろう。無断外泊したら校舎掃除する、みたいに明文化しておくのも必要だ」

「うむ。こう言っては難だが懲戒権があればやりやすいとは思えんか?」

「あのぉ、懲戒権ってなんですかぁ」


 聞きなれない単語にリィティカは不思議そうな顔をする。


「軍でいうところの部下を裁く権利だな!」

「えっとぉ、ヘグマント先生やヨシュアン先生はよく生徒たちをぉ……」


 オシオキしている、と言いかけて止まる。

 ようするに何を今更、と言いたいのだろう。


「実は僕たち教師に生徒たちを裁く権利がない」

「そうだったんですかぁ?」

「明言されていない以上、権利がないのと同じだ。従来の師弟観なら必要がないんだが義務と権威、ようするに国の法によって作られた学園にはそうした教師の権利も必要になってくるという話だ。法で守られているんだ、当然、有する権利や義務もまた明確にしておくべきだろう」


 元々、穴だらけの法整備の上に建てられた学園だ。

 必要とあれば審議し、デメリットも考慮の上で権利を加えていくのも計画の一側面でもある。


「この懲戒権がなければ今まで生徒たちに行わせてきた全てが虐待と言われても反論できない――いや、話が逸れている。そんな話をしていたわけじゃない」

「ようするに担当教師の不在の場合、誰に責任が帰属するのか、という話をしているんだ」


 珍しくシャルティアがアレフレットの言葉を引き継ぐ。

 これにアレフレットは不審げな顔をするものの特別、問題ではないと考え、すぐさまテーブルの中央を睨みつける。


「うむ。軍ならば小隊長が討ち死にした場合、副隊長かその上位指揮官が代わりを務めるのだがな」

「方法は二つ。一つは連名制にすること。教師の間で二人組を作り、片方の不在の間は片方が責任を務める。もう一つは教師に上下関係を作ることだ。どちらもヘグマントが言った方法と対して変わらないな」


 話は進んでいるように見える。

 しかし、リィティカには違和感があった。

 

「懲戒権はすぐに与えられないとなると学園長に報告の後、中央に持っていくのが一番か。それまで何一つ変わらないのでは芸がない。今回は私がヨシュアンの責任を請け負おう」


 責任の落としどころさえついてしまえば話はこれでおしまいだ。

 どれくらいの罰にするのかはシャルティアに任せられる。


 リィティカはそれしかないのかな、と思う反面、やはり何かが足りないことに眉を下げてしまう。


 リィティカも気づいているのだ。

 本当なら『じゃぁ、こうしたらどうでしょうか』と言って変な案を持ってくる人がいないことに。

 奇妙ではあるが不思議と教師と生徒、両方が活気づく案に目を回す、そんなお祭りのような案がでないことに物足りなさを感じていた。


 そして同時に『ヨシュアンを意図的に考えない』ようにしている会議もまた違和感の一つだ。

 

 人の生命を諦めたくないリィティカと違い、生存を諦めている、というよりも諦めたことも視野に入れて話し合っている姿がどうしても馴染めない。

 しかし、何かを訴えてもそれは会議の時間を長くするだけだ。


 ヨシュアンの看護をしなければならない以上、会議だけに集中してはいられない。


 言葉だけでは解決できない問題もある。

 リィティカの手では守れない生命があるのと同じだろう。


 皆、ぞろぞろと立ち上がる中、ピットラットだけは椅子に座ったまま、中身のないカップの前で指を組んでいた。


「少しだけ言わせてもらってもよろしいでしょうか」


 ピットラットの静かな声に教師陣は再び椅子につくことで答えた。


「以前、お館様のご子息が勉学に精を出された時にこう仰っていました。『父に怒られるからちゃんと勉強する』と。結果として勉学に励まれる、周りには良いことのように見えてしまいます。しかし、それは本当に勉学に励む意味を理解しておられるのでしょうか? ご子息は将来、人の上に立つことを義務付けられております。その重さは怖いからなどという後ろ向きな気持ちでは務まりません。自らの責任と意思を持って学ぶ姿勢を理解していただくために私は言いました」


 突然、始まったピットラットの過去の話に誰も驚きはしない。

 むしろ会議で積極的に話をしていることのほうが驚きだ。


「ご子息が賢くなるのは苦しみからではなく昨日解けなかった問題が今日、解けるようになっていく、そんな喜びからです、と。私たちは生徒を訓練するのではなく教育しているのだと皆さんも覚えていてください」


 ピットラットが言わんとしていることをそれぞれの教師が受け止める。


 罰則に目が行きがちだけどもその罰が正しいものかどうかを考える人は必要だということなのだろう。


「そうして学べる者はきっといくつになってもそのことを忘れはしません」


 それで話はおしまいとばかりに香茶を片付け始める。


 ここでピットラットが話を止めた以上、そこには何かの意味があるのだろう。



 ヨシュアンが無茶で体調を崩し、その結果、生徒たちは暴走した。

 原因だけを見ればヨシュアンが原因だ。だがその原因にしたってクリック・クラックという謎の人物が上級魔獣を復活させたために起こったことだ。


 本当の意味で生徒たちを罰せることなどできるのだろうか。


 生徒たちがヨシュアンを救うために動いたことを誰が責められるだろうか。

 叱らなければならない立場からリィティカもまた苦悩する。


 もしもヨシュアンが死んでしまったらシャルティアが生徒たちを罰するのなら、その苦しみをどうすべきなのだろうか。


「シャルティア先生ぇっ!」

「ん? 突然、どうした」


 リィティカが見るシャルティアの姿は精細を欠いている。


「がんばりましょうっ!」


 彼女ができるのはシャルティアが体調を崩さないように疲労回復薬を与え、変調にいち早く気づき、こうして力強い言葉をかけるだけなのだろう。


「……あ、あぁ?」


 その気持ちはシャルティアの気持ちを上滑りし、目を白黒させるにとどまった。


 一方、エドウィン・フンディングは一人だけソファーに座って目を瞑っていた。

 何も会話に参加していないわけではない。

 耳はちゃんと教師陣の会話を聞いている。


 それでもエドウィンが会話に入らなかったのは深夜の番のために少しでも仮眠を取ろうとしているからだ。


「……問題しかないのねぇ、この学園って」


 励まそうとしているリィティカと何やら抱えているシャルティアの二人。

 外様だからこそ二人の気持ちがわかるが、あえて何も言わない。


 子供ではないのだ。

 手を差し伸べずとも答えは見つかるだろう。

 どうしようもなくなるまでエドウィンは何も言わないで薄い睡魔に身を委ねた。


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