少女たちの成長譚 その一
アルファスリン・ルーカルバーラ・ユーグニスタニアは目的が理解できなかった。
幾人もの教師が彼女に伝えた知識や知恵、思想の全ては法国の女王になるための勉強だった。
明確な目的を持たせられていながら彼女は一切の自覚が持てなかった。
本来、彼女が女王になる可能性は極めて低かった。
今代の跡取りでパルミアの声を聞けたのがアルファスリンでなければ間違いなく、彼女は有力氏族の次期族長――エルフ氏族と結婚していただろう。
氏族同士の繋がりは確かに必要であり、それが代々の女王候補の宿命でもあった。
そう教えられていたし、理解もしている。
『そうなる』ために幼い頃より勉強してきたのだ。是非はない。
だが同時に何かどうしようもない衝動に突き動かされていたのもまた事実だった。
それが国の駒になるしかなかったアルファスリンの、せめてもの反抗だったと気づく者は少なかった。
彼女は周囲に八つ当たりし、無理難題を押しつけてきた。
気に入らないものは権力で押しつけ、諌める声は何一つ聞かなかった。
この時の悪評こそが彼女を爆弾王女と揶揄する理由でもあった。
そうして足掻いていたのは彼女なりに女王候補という宿命を受け入れようとしていたのだろう。
【癒しの姫】や【軍姫】と唄われる姉たちと同等の地位につけたのは神託のおかげだったのだろう。
たしかにアルファスリンは主神パルミアの声を聞くことはできた。
しかし、その証明は困難だった。
パルミアの声は予言でも何でもない。たわいのない言葉の時もあり、自身の在り方を突きつける場合もあった。その全て、他の誰かに影響しないものばかりで声を聞けたかどうかは自己申告制だ。
例え女王がアルファスリンの神託が本当であると宣言しても、理解できない者にとっては疑うに十分なシステムであった。
アルファスリンへの神託が何を意味するかわからない言葉であったせいか、周囲は女王になるための嘘ではないかと囁いた。
それが他の姫を擁立させようとする者たちの声だったとしても、当時、幼かったアルファスリンにとっては傷つく言葉だった。
何故、誰も信じないのか。
どうして顔色ばかり伺っているくせに裏では傷つけてくるのか。
子供にとって大なり小なり、いつかは突きつけられる人間の性であったとしても傷つけられたという気持ちは決して消えない。
幼い心はこう思う。
このままでは殺される。
物理ではなく、アルファスリンという心が殺される。
幼い防衛本能はより激しく周囲に八つ当たりし、それはやがて一人の女性との出会いに繋がる。
モモ・クローミ。
彼女を信じ、また信じられる女性。
アルファスリンの唯一の理解者――否、理解してくれると認識した最初の一人だった。
「それでじゃな。モモはな、妾の前に立ってじゃな。毅然と旗を掲げたのじゃ」
アルファスリンはその時のことを思いだし、嬉々として語りかけていた。
多分に美化されているもののアルファスリンにとっては大事な思い出だった。
「するとじゃな。誰も彼も目が変わった。モモの行動を知る者は恩を感じ、モモそのものを知る者はその意志を思い、そして皆、言ったのだ。声を揃え、一糸も乱れず――『戦乙女の希望のために』と」
真っ暗な部屋の中、術式ランプの光が照らす小さな空間に六人は身を潜め、小さな思い出話が広がっていく。
寮の部屋はそう大きくない。
六人も入れば手狭で肩と肩が擦れ合うような距離だ。
だが、それがアルファスリンにとっては心地よい。
これほど触れ合う距離に配下ではない他人が居て、敵意を向けていないことが新鮮だった。
その仲間と大事な思い出を共有することはこそばゆくも嬉しい時間だった。
「あのさぁ、ファスリンさ」
「なんじゃ? ここからが良いところじゃったのに」
楽しげにしているのも当然だ。
楽しくないわけがない。
マッフルもわかっている。
人の機微に聡くないエリエスですらわかっている。
クリスティーナもリリーナもセロにだって理解できることだ。
ただアルファスリンを除く全員が一つだけ思うことがあった。
「その話、三回目だから」
マッフルは肩を落として、やんわりと三度目の話をぶった切った。
※
その日、アルファスリンは生まれて初めての『お泊まり会』をしていた。
それもかなり突発的に始まったお泊まり会だ。というより当日の昼に決まったのだ。
ヨシュアンクラス全員がサロンに集まっていた時に、管理人から「泊まっていったらどうかしら?」と提案されたことがきっかけだった。
「良かろう! お泊まりするぞ!」
もう目をキラキラとさせたアルファスリンに向かってダメと言える者はいなかった。
そもそもその話を聞いて目を輝かしたのはアルファスリンだけではなかった。
セロもだった。
これに二人を除くヨシュアンクラス全員が目を見合わせた。
ちなみに『貴方が言いなさいよ』『いや、あんたが言えばいいじゃん』とアイコンタクトで損な役割を押しつけあっていたからで、びっくりしたからではなかった。
「いやさ、護衛の人に何も言わなくていいわけ?」
結果、二人のキラキラに挟まれ果敢に聞いてみたのはマッフルだった。
これは押しつけ合いに負けたわけではなく、純粋にマッフルが我慢ならなくなって聞いたのだった。
クリスティーナが勝ち誇った顔をしているのが、微妙に腹が立つマッフルだった。
「無論じゃ。妾の配下じゃぞ。いうことを聞くに決まっておる」
「本当に? わりと怒られているような気がするんだけど」
マッフルが疑うようにアルファスリンを覗きこむと、つつーっと顔を逸らす。
義務教育計画に飛び入り参加したとはいえ、アルファスリンの立場は法国の姫なのだ。
彼女の身は守られなくてはならない。
例え、学園内であったとしても油断していいものではない。
特に『反モモ・クローミ派』の息がかかった氏族がいる以上、アルファスリンを一人でお泊まりさせるような護衛はいないだろう。
そんな事情をマッフルたちは知らない。
ただ普通に姫が泊まると考え、諌める護衛のイメージがあったせいだろう。
「ちょっと言えば黙っておるじゃろ?」
「そこは断言してよ」
「ダ、ダメなのか? お泊まりしてはならんのか?」
途端、泣きそうな顔をするアルファスリン。
といっても、それが泣き真似だということくらいマッフルはお見通しだった。
が、本気に取った者が一人居た。
もちろんセロだった。
「セロ。あれは嘘泣き」
「ふぇ?」
エリエスがセロに耳打ちすると驚き、目を見開く。
そしてアルファスリンを見ると、彼女はさっと背中を見せてしまった。
嘘泣きと騙されたこと、二重の意味でショックなセロだった。
セロはともかく、ヨシュアンクラスは大体、アルファスリンを理解していた。
そもそも初対面から素を晒してきているので、大体はわかってしまう。
「お泊まりくらいさせてくれても良かろう! なぁ、妾が居たらダメか? 迷惑か?」
うるうると見上げてくるアルファスリンにマッフルは肩をすくめた。
セロは見たまんまアルファスリンを歓迎している。
エリエスはさほどアルファスリンの宿泊を重要視していない様子が瞳から伝わってくる。
リリーナはそもそも楽しいことに拒否感を示さない。
若干、クリスティーナだけ焦っているのは立場的なことを考えて、心配なのだろう。特に否定的な部分は見受けられない。
それぞれがそれぞれ、アルファスリンを否定していないのなら答えは決まっている。
「まぁ、別にあたしらは大歓迎だよ。怒られない限りね」
護衛の人にどうやって言い訳するのか、そもそも言って素直に許してくれるのか。
そればかりはアルファスリンの仕事なため何も言えないが、お泊まり会自体を否定していないのだ。
むしろマッフルだって楽しみだ。
娯楽が少ないリーングラードでは楽しみは自発的に見つけていかなければならない。
「なら何も問題ないな!」
胸を張るアルファスリン。
後日、護衛たちはアルファスリンが帰ってこないことに慌て、騒然となったが特別な事件にはならなかった。
このことをインガルズに咎められたのは言うまでもない。
こうしてアルファスリンはお泊まり会を堪能する。
昼の後は文化祭について話し合い、夕方は皆で御飯を食べ、夕餉の腹ごなしにエリエスとボードゲームの『開拓者』で遊び、夜は文化祭について話し合い、こうして寝る前になってお遊びのような話し合いが続く。
狭い中で密集する六人はこの一時だけでも満たされていたのかもしれない。
ただ、その満ちたものが何によって確約されていたのか。
そのことを知るのはもう少し後の話――ヨシュアン・グラムが倒れた後になる。
※
顔色を失ったシャルティアに呼ばれ、エドウィンとリィティカは文化祭――後に後夜祭と呼ばれる宴会の全てを投げ捨てて医務室へと向かった。
無色の源素に侵されたヨシュアンがそこに居て、事態が急変したというのなら将来有望そうな男児やムキムキのヴェーア種を眺めて悦に入っている場合ではない。
ある意味では目をつけられた男たちにとっては幸運なことだったが、エドウィンにとっては不運なんてものではない。
哀しみである。
しかし、それはそれ、これはこれだ。
少なくともヨシュアンの命に代えられない。
「突然、苦しみだしたのねん?」
「あぁ」
「他に見える特徴みたいなものはなかった? 両腕が痣みたいに黒く染まっていたとか」
「ない。だが、尋常じゃなかった」
最悪、国の守護職の一人がいなくなる瀬戸際なのだ。
まだ状態が安定していたから緊急に備えていられたし、貴族としての顔見せにも出られたが事に至ってはその全てを投げ打つ準備は整っていた。
医務室には既に対無色の源素用の薬剤を用意し、即座に投与できる準備が整っていた。
あとはエドとリィティカがヨシュアンを診断し、適切な薬を投与するだけだ。
無色の源素に侵された人間は様々な病に身を弱らせる。
その病状は一定していないのでエドもリィティカも発病してからでしか手が出せない。
「アレは呆れるほど痛みに強い男だ。無駄に痛みを悟らせない」
「そうね。ヨシュアンは昔からそうだったわん」
だからヨシュアンが恋人を失ったことで豹変した時、多くの人がヨシュアンを恐怖し、見限ったが幾名かは彼を信じ続けた。
エドやランスバール王はその筆頭でもあった。
例え心から憎悪以外の感情が抜け落ちても、自ら傷つき、誰よりも血をかぶってきた人を信用しないわけにはいかない。
「そのあいつが私の前で苦悶を浮かべた。殴っていないにも関わらずだ」
「そうね、ちょっと大概ね」
エドには、そこに同僚だけとは思えない感情が少し滲んでいるように見えた。
しかし、それを確認し、聞くような暇はなくなった。
もう目の前に医務室の扉がある。
扉を開け放ち、飛び出してきたのは極寒の風だった。
エドはとっさに青属性の結界と風圧の結界を同時発動し、シャルティアとリィティカの身を守る。
「何事だ!」
風圧を防いでなお、シャルティアの髪を揺らす極寒の風。
その中心部は間違いなくヨシュアンだ。
「【ザ・プール】……、そういうことねん」
エドウィンは足元の霜をふるい落としながら、今起きていることを冷静に分析する。
雪と風の向こう側では今でも苦悶に呻くヨシュアンの顔が見える。意識を失ってなお【ザ・プール】を展開したのは無色の源素に対抗するためだろう。
無色の源素は他の色の源素を食い尽くす。
しかし、その速度は一定していない。
最新の論文では活性化した源素は無色の源素に少しだけ抵抗できるのか侵食を遅らせる働きをするらしいのだ。
ヨシュアンがその論文を知ってか知らないかはわからないが、内源素を活性化させるために【ザ・プール】を使ったことだけはわかった。おそらく本能的に正解を選んだのだろう。
が、その行為がエドウィンたちを妨げているのも事実だった。
「まったく、困ったちゃんだわん。良くも悪くも」
これに対し、エドウィンが取った手段はある意味、暴力的でもあった。
「そうねぇ、【暮雨風域】と呼べばいいかしらん。そういう流行りなんじゃなかったかしらん。又聞きだから自信ないのよん。どう? 知ってる?」
「知らないな。今が季節外れの寒波ということだけはわかる」
シャルティアの皮肉に、頬に手を当てたエドウィンもまた【ザ・プール】を発動させる。
渦巻く緑の源素が活性化し、発光するとすぐさま空気に溶けて消えていく。
それはシャルティアやリィティカから見れば不思議な現象に見えただろう。
一斉に器具やベッドが濡れ始め、軽く頭痛したと思ったら、極寒の風は明らかに勢力を弱め、ゆるく足元を撫でる程度にまで落ちている。
徐々にヨシュアンの【ザ・プール】は収まっているように見えて実は違う。
エドウィンは活性しきる前に緑の源素を押さえこみ、不活性状態にして『極めて濃い緑の源素』が満ちる空間を作り出していた。
膨大な空気がその場に溜まり、場の空気量が増大する。
氷結した雪は気圧によって液状となり、冷気は上空へと逃げようとする。
緑の源素で青の源素を逃がし、散らしただけとも言えるだろう。単純な理屈ではあったが十分、効果は発揮されていた。
しかし、それでも冷気の噴出は止まらず、濡れた機材の一部は氷になっては水に変わるを繰り返していた。
「リィティカちゃん。投薬するから手伝ってねん」
室内に入るエドウィンをリィティカは無言で頷き、その後を追う。
何が起きたかなんてことをリィティカは考えない。
今、目の前に苦しむ人がいる。
師の思想のまま、救うことだけを考える。
ヨシュアンの苦悶や状態から苦痛を和らげる、そのために集中し始めたのだ。
拘束帯を手にのしかかるようにヨシュアンの腕をベッドにくくりつけていく。
腕を固定しないと注射器が使えないからだ。
一方、ヨシュアンを救おうとする二人をシャルティアは見ているだけしかできなかった。
シャルティアのできることなどたかが知れている。
だから濡れたドアに手を置いて、室内の様子をただ眺めていた。
二人がヨシュアンを拘束し、リィティカが注射器を刺し、エドウィンが何らかの液薬を飲ませようとしている姿が別世界の出来事のように見える。
やがて処置がうまくいったのか室内の変化は収まっていき、ヨシュアンも苦悶の表情を弱めていくのがどうしてこんなにモノクロに見えるのかがわからない。
ただ、それだけのことだ。
それだけなのに奥歯を噛み締めている自分がいることにシャルティアは気づく。
その憤りは心配の反動もあったのだろう。
阿呆なことをした同僚に対する怒りもあったのだろう。
何も大事なことを言わないからこんなことになったのだ、という自分勝手な気持ちすらあった。
何もできず、傍にも居られず、叱ることもできない。
こんなに苦しい気持ちにさせるヨシュアンを憎らしくすら思えてきた。
「……そうやって人を掻き回して何が楽しいんだ」
口の中でだけ転がった言葉だ。
近くにいても聞こえることはなかっただろう。
聞こえるはずはない。
「何をしとるのじゃ?」
逆に人の声がし、ハッと廊下の先を見やる。
そこには大皿を持ったアルファスリンが不思議そうな顔をして立っていた。
聞かれてしまったのかと焦る反面、感情的だった心が冷静になっていく。
アルファスリンがやってきたのはおそらく串焼きをヨシュアンに食べさせるつもりだったのだろう。
筋肉ダルマがヨシュアンをさらっていったのはあの場にいた全員が知っていることだ。
気を利かせたのだろう。
きょとんとした顔から聞かれた様子も見られない。
そうなると次に考えるのはこの状況をどうすべきか、だった。
教師の不調を生徒に見せていいものだろうか。
少なくともアルファスリンは不安になるだろう。追及もしてくるだろう。
無闇矢鱈に生徒を不安にさせるつもりはない。
しかし、アルファスリンは遺跡調査の責任者であり、ヨシュアンの事情を知る者の一人だ。
生徒として接するか。
それとも事態を把握する者として接するか。
そうしてふと思いつく。
ヨシュアンがアルファスリンに全てを話しているかどうか、という問題だ。
あのヨシュアンが生徒に自らの不調を言うとは思えない。おそらく強がるだろう。
となるとアルファスリンはヨシュアンの病状を知らない可能性がある。
少しだけ逡巡するが、すぐに答えは出た。
ヨシュアンも弱った姿を生徒に見られたくないだろう、という推測が決断させた。
教師としてアルファスリンに接する。
ただでさえ現状は予断を許さない状況だ。
生徒に治療の邪魔をさせるわけにはいかない。
「何、大したことはない。ヨシュアンに見舞いだというのなら時期が悪かったな。今さっき寝たばかりだ」
アルファスリンの位置からは室内が見えないとわかっていた。
だからすんなりと言葉は出てきた。
「大皿の食事は……、しょうがない。私が置いておこう」
シャルティアはごく自然に手を差し出す。
しかし、アルファスリンはしかめっ面し始める。
「ドタンドタンと暴れる音がしたのじゃが」
「少し痛めつけていただけだ」
「病人を殴るとは何を考えておるのじゃ。大体、それは寝ておるのではなく気絶しておるのではないか?」
当然のようにツッコミを入れられて、シャルティアは内心、臍を噛む。
『そりゃそうだ』と心の片隅にいるシャルティアが主張していたが、ポイッとゴミ箱に捨て去った。
「アレはバカだからな。言葉だけで止められる奴ではないぞ」
「知っておるぞ。ずっと戦っておったらしいからの。今回もそうじゃ」
まるでシャルティア以上に知っていたようなことを言われ、あろうことか表情を崩してしまったのだ。
ただの驚きなら押さえこめる自信があったのに、『シャルティアより知っていた』ことについ表情を崩してしまったのだ。
ありえない失態だった。
「その顔、知っておるぞ。『知られてはならない』ことを知られた顔じゃ。神官どもがときおり、そうした顔をする!」
もうアルファスリンは生徒ではなくなっていた。
王の血族として生まれ、支配する者の顔だ。
「そこをどけ! 先ほどから医務室を見せないようにしておるな! 何かあったのじゃろ! 何があった!」
押し入ろうとしたアルファスリンの前に立ち、両肩を押さえる。
王の血族に触ることへ不敬だという気持ちこそあったがシャルティアも引くわけにはいかない。
だが、その逡巡を隙と見られ、すり抜けられてしまう。
シャルティアが手を伸ばすより先にアルファスリンは扉の前に立ち、そして、目を見開いた。
「な……」
慌ててアルファスリンの肩を後ろから掴み、引き戻す。
何の抵抗もなくシャルティアに抱かれているアルファスリンは戦慄きながら口を開く。
「何故、室内がびしょ濡れなんじゃ!?」
『そこに驚くのか』とゴミ箱に棄てられた小さなシャルティアが顔を出して呟いていたが、そっと蓋をして閉じこめておいた。
「……どうしてお前たちヨシュアンクラスは言うことを聞かない」
「それはほら……、その、可愛いじゃろ?」
「どうやら宿題を出して欲しいようだなアルファスリン姫。帰るまで机にしがみついていたいか?」
青褪めるアルファスリンを見て、ため息をつく。
もう、こうなっては隠す意味もない。
ヨシュアンは嫌がるかもしれないが、それはちゃんと生徒を躾ていないせいだ。
「フンディング伯。この耳無し生徒をどうする?」
「どうせアルファスリン姫様には助けてもらうことになるもの。いいわよん。聞かせましょうよん」
アルファスリンの立場は複雑だ。
この場にいることが彼女の立場を悪いものにする可能性もある。
例えば、国政実験の教員に遺跡調査中に怪我させた件。
ヨシュアンは両国の均衡を気にして、依頼という形で済ませようとした。
この時、ヨシュアンの病状を『アルファスリンが知らない』方が一番、つじつまが合わせやすいと考えたからこそ出てきた発想と自己犠牲だ。
これでもしもアルファスリンが『知っていて何もしていない上に悪化し、死にました』ということになれば、国政の実験を制止させただけではなく、魔獣被害を防ごうとしている法国の主軸にも反してしまう。
さらに、これはシャルティアの知らないことでもあるがヨシュアンが【神話級】魔獣を倒したことにも繋がってくる。
【神話級】魔獣の討伐は法国にとって国是だ。
アルファスリンは【神話級】魔獣を倒せる人材を失わせたばかりか、救うこともできなかったとなれば法国内のアルファスリンを指示する氏族は皆、彼女を見限るだろう。
彼女が女王になる可能性は限りなく低い。
そうした危険もないとは言えないのだ。
「シャルティアちゃんにアルファスリン姫様。ちょっと入って話を聞いてくれる?」
完全に処置が終わったのかエドウィンは両手をだらりと下げている。
リィティカが濡れた布団を片付けているところを見ると峠は越えたようだ。
しかし、エドウィンの表情は硬い。
アルファスリンが医務室に入り、シャルティアは後ろ手で扉を閉める。
大皿は途中、適当な机に置き、話をする態勢を整える。
「あと二日かしらん」
エドウィンは一つ、瓶を取って中身を見せるようにアルファスリンに手渡す。
粉の入った瓶が何かはシャルティアもアルファスリンもよくわかっていない。
「なんじゃ、これは? 妾は薬なんてよくわからんぞ」
「活性剤よ。内源素については知っているわねん? 体内の源素を活性化させる薬よん。普通は内循不全――何らかの理由で内源素の循環を妨げられた時に使う薬なの。これは特殊な調合で活性化だけを促すものでね、あと二日分しかないのよ」
アルファスリンはわかっていないように首を傾げたが、シャルティアにはわかってしまった。
「ようするにね、姫様――」
眠るヨシュアンの顔は静かだ。
ただ何かの異物が体内を這い回っているかのように、定期的に眉を顰めていた。
その様子はちょっと悪夢に魘されているように見えてしまうからこそ、信じられなかった。
同時に『どこか納得するもの』もあった。
「――ヨシュアンが死ぬまで後二日しかないのよ」
エドウィンの宣告にアルファスリンが理解するまで、ほんの少しの時間がかかった。
※
「ヨシュアンの体の中にはね、無色の源素が入りこんでいるの。本当なら一両日中に部位が腐ってもおかしくないわ。それでもここまで生きてこられたのはヨシュアンの……、そうね。簡単に言えば普通の術式師よりも内源素の強化が得意なのよん。自浄作用を最大限まで高めていたみたいなの。だから無色の源素も押さえられたわ。でも、それももう限界だったみたいねぇ」
「……どうしてそのことを早く言わんかったのじゃ!! 肩の怪我だけではなかったのか!?」
爆発するアルファスリンの態度は当然と言えただろう。
「文化祭を成功させるまでヨシュアンは無理をすると決めたから、かしら?」
本質的にヨシュアンという男は人の心配を切り捨てる。
そんなものよりも結果を重視し、犠牲は常に己一人で良いと考えている。
心配している側からすれば嘲笑われているようで腹が立つのだ。
「そんな! そんなことで己の命を犠牲にするバカがおるか!」
「そうよ。そんな些細なことで命を犠牲にできるバカなのよ。貴方も知っているんじゃないかしら姫様?」
途端、何も言えなくなったアルファスリンにシャルティアは眉を顰める。
しかし、何も言わずにただ腕を組んで壁に持たれたままだった。
「だからちゃんと聞いてね。まだ半分も説明してないから。さっきヨシュアンに与えた薬は活性薬ともう一つ」
「――魔薬の中和剤ですぅ」
エドウィンの目線を受けて、リィティカが小さく手を上げて言う。
「本当なら魔薬を中和するだけの薬ですけどぉ、中和剤には無色の源素を不活性化させる薬剤も入っているんですよぅ」
「研究者としてはその辺を一度、くわしく聞きたいところねぇ。無色を不活性化させる薬品だなんて聞いたことがないもの。あのウォルカー・シューリンが作ったというんだけど……、どんな天才なのかしらん」
リィティカは師を褒められ、少し嬉しそうにしながらもどこか悲しげにしていた。
しかし、すぐに真面目な顔をして、居住まいを整える。
「中和剤と活性剤。この二つで今、ようやくヨシュアン先生の容態が安定したんですけどぉ、もうあと少ししか中和剤がないんですぅ、あ、材料はあるんですけどぉ」
リィティカは申し訳なさそうに眉を八の字にする。
魔薬の中和剤を作るための器材はある。
シューリン師の息子が送ってきた医療品の中には材料もあった。
足りないものは一つだけだ。
「作る時間が……、ちょっと足りなくてぇ。後二日で中和剤を作れませぇん」
通常調合に一日、熟成に一ヶ月かかると手振りで教えてくる。
現状、熟成中のものがあるにはあるが、あと半月しないと出来上がらない。
「ついでに活性剤もそこまで使う機会がないから、あまり持ち合わせがないのよねぇ」
「なるほど。ならば妾の出番じゃな」
無色の源素の一番の特効薬は『浄化技術』だ。
長年、法国が研究し、編み出した浄化技術は無色の源素に侵された生物を癒すことができる。
「今すぐ神官どもに伝えてこよう! 妾の指示があればすぐにでも治してやれるぞ!」
「そうできたら一番なんだけどねぇ……」
「妾の四聖団なら問題ないぞ! 此度の案件はそちらの良い形で終わらせても良い!」
「ね~ぇ、姫様。ワタシの記憶が確かなら侵度Ⅲは治せなかったんじゃないかしら?」
「……冗談じゃろう? 侵度Ⅲ? ドロドロでグチャグチャになっておらんぞ? この人の形をしたヨシュアン先生は抜型で作られた焼菓子か?」
ひっきりなしに頭の上に『?』マークを浮かべているアルファスリンと対照的にシャルティアはなんとなく腑に落ちていた。
どうして専門家の四聖団がいるにも関わらず、薬でヨシュアンを治そうとしていたのか。
そもそもその疑問が最初に出てこない時点で薄々おかしいのだ。
「ヨシュアンの腕ね。もう変異が始まっているのよ。変異したものは治せない、そうでしょう?」
「じゃが人の形をしておる! そこに寝て、腕だって黒い痣があるだけで!」
アルファスリンの言うとおり、ヨシュアンの腕にはドス黒い痣が浮かんでいた。
内部から蛇にでも締めつけられたようにくっきりと跡がついている。
「あのぅ、シャルティア先生、説明をしましょうかぁ?」
リィティカが耳打ちしてくるがシャルティアはゆっくりと首を振った。
「いや、見ればわかるさ」
通常、侵度Ⅰとは無色の源素の侵入から内源素の抵抗力が落ち、様々な併発病を引き起こしたものを指す。
侵度Ⅱとは体内の無色の源素が内源素を食い破り、人としての活動が出来ていない状態だ。この時点で人間として死んでいると見做される。
そして侵度Ⅲとは変異が始まり、魔獣となりかけている状態になる。
人の形を失い、もはや浄化で滅する以外の道がない。
完全な魔獣は侵度Ⅳと呼ばれるがこうなると区分する必要すらなくなり、完全な討伐対象として人々に認識される。
こうした知識のないシャルティアでも侵度Ⅲというものがどういうものかわかる。
未だかつて見たことのないほど真剣なリィティカの顔を見れば、絶望的な症状だと察することができた。
「そして、リィティカとフンディング伯の言いたいこともな」
だが、まだ絶望する時ではない。
シャルティアは注意深く耳を傾け、心の中で話の要点を分類にまとめていく。
「体の一部から変異が始まるものもあるのよ。人間性を保ちながら魔獣の体を持った――特殊な実例がね。分類上、侵度Ⅲに当たるわねん」
アルファスリンは眉を歪めて、今までの勉強を思い出す。
魔獣という存在、浄化の理屈、浄化技術の最先端にいるからこそアルファスリンは何をすればヨシュアンを助けられるかを考える。
しかし、どんなに悩んでも『やったことがないからわからない』という部分で躓いてしまう。
どれだけの技術を用いても変異した者が一度として元に戻れた事例はない。
だからこそ何度も記憶している事例を思い出し、仮説を破棄しては思い出す。
「侵度Ⅲ以降の浄化は苦しみを与えると言われているわねぇ。そのあたりは姫様のほうがくわしいはずよん。ヨシュアンは体力があるから今は少し消耗しているだけだけど、それも時間の問題ね。体力が尽きたら死と同時に侵食が始まり、すぐに魔獣になってしまうわん」
今なお、考え続けながらも話を聞く。
魔獣の強さは元の生物の強さが基準だとするのならこれ以上にない、厄介な魔獣が誕生してしまう。
そうなればヨシュアンが守りたかったものや譲れないものを全て、己の手で滅ぼす結末になるだろう。
そして、やがて理解してしまう。
アルファスリンが自信を持って勧められる四聖団。
女王になるために培った知識と術式。
その全てをもってしても現状で治療する手段はないことに、気がついてしまう。
「何故、妾はもっと勉強してこなかったのか……」
意欲がある分だけに後悔は大きかった。
八つ当たりなんて真似をする暇があったら一つでも多くの術式や知識を学ぶべきだったと拳を白くしながら俯いてしまった。
それでもなお他に手段はないかと考えてしまう。
夢や幻のような手段がないか目線を彷徨わせて探してしまう。
「手段はあるわん。たった一つだけ、ね」
「――あるのか!」
そんなアルファスリンに出された助け舟はひどく落ち着き払った声だった。
「【ポルフィルの実】はご存知?」
「知っておるぞ。旅人スィ・ムーランが魔除けの実として神々に送った品物じゃな。食べると甘い汁を出し、健康な体になるという。それがどうしたのじゃ」
「その【ポルフィルの実】を錬成すると強活性剤という薬が作れるのよん。詳しいことは省くけれど強活性剤を使えば、もしかしたらヨシュアンを治せるかもしれないわん」
「どこにあるんじゃ! そこまで言うなら知っておるんじゃろう!」
疑問の暗雲に一筋の光が見えた。
そんなキラキラした顔でエドウィンに詰め寄るアルファスリン。
「ごめんなさいねぇ、知らないの」
「なんで希望を持たせるようなことを言うた! 妾は真面目に考えておるんじゃぞ!」
ついぞ机をバンバンと叩き始めたアルファスリンだった。
「伝説の果実ではあるけれど実際にあるものだから、探せば見つかるのよん。ただねぇ、大体は霊峰と呼ばれる『源素が満ちた場所』か人の手が届かない秘境にあるくらいしか知らないのよ」
「そんなものどう探せというのじゃ!」
「だから、探して欲しいのよん。四聖団を使って」
四聖団と言われ、アルファスリンもピタリと動きを止めた。
まだ何か希望がある、と瞳に力を入れてエドウィンを見やる。
「本当なら伝承や文献を元に手に入りやすい場所まで行くべきなのでしょうけれど、この近くで知っている場所はないわぁ。ワタシが知っている場所は【薔薇園の鉄騎兵】でも二日では帰ってこられないところなの。それに例え行けたとしてもその間にヨシュアンの容態が急変したらリィティカちゃんだけでヨシュアンを抑えられないわん」
またヨシュアンが【ザ・プール】を使った場合、抑えこめるのは四聖団の神官たちかエドウィンだけだ。
神官が何人体制でヨシュアンを抑えこめるかはわからないが少なくとも十人以上はくだらないだろう。
そうなると十人以上の探し手をヨシュアンに割いてしまうことになる。
今必要なのは人海戦術。
あるかわからないものを探すために全てを探す人の数の力が必要なのだ。
「ワタシとリィティカちゃんで必ず二日間、ヨシュアンを守るから姫様はヨシュアンを救うために【ポルフィルの実】を探して欲しいの」
「――わかった。今すぐ探させよう! ここは任せたぞ!」
すぐさま扉に向かって走り出す。
一刻の猶予もないということくらいわかっている。
ならば急がねばならない。
「にゅわー!?」
そうして急に視界が一回転し、背中に痛みが走る。
濡れた床で急に動いたら滑るのは言うまでもない。
「落ち着いてね、姫様。大丈夫?」
「妾はこんなことではくじけん! くじけぬ心は奇跡とか起こすとモモも言っておった……ような気がする!」
ちょっと涙目だったことを誰もツッコミはしなかった。
皆、大人なのだ。
「【ポルフィルの実】がどんなものかわからないのに探させるつもりなの? もし四聖団の誰かが知っていたとして、まずそこから探すのも面倒じゃない」
エドウィンが差し出してくる一枚の紙をアルファスリンはひっくり返ったまま眺める。
その見た目はクルミのような形だった。
硬い果皮を纏い、表面には桃色の髭のようなものが頭頂から全体を包みこんでいる。果皮自体にも不思議な模様が描かれており、おおよそ食用のようには見えない。
「……これは食べるものなのか? ちょっと今、信仰が揺らぎそうになったのじゃ」
「必要なのは中身だから、ね? 見た目が変でも美味しいものってあるじゃない」
慰めなのか、それとも気にするなと言いたいのか。
エドウィンは曖昧なフォローをするのだった。
「見た目はともかく! これで助けられるというのなら是非もないのじゃ! ヨシュアン先生を頼んだぞ! 絶対に死なすではないぞ! 絶対じゃぞ!」
アルファスリンは立ち上がり、再び扉に向かっていく。
アルファスリンは目的があっても目的意識がなかった。
例えるなら薬の効果を知っているけれど病人に使うつもりがないみたいなものだろう。
意味のなかったはずの目的はアイガリーゼスに襲われた兵を見て、ヨシュアンの話を聞き、実際に四聖団の顔として体験で意欲という形で目覚めた。
その意欲はアルファスリンに語りかける。
本当に諦めていいのか、と。
もちろん諦めきれるはずはない。
ヨシュアンは死にたがりかもしれないが、アルファスリンは素直に『ヨシュアンに生きて欲しい』と願っているのだ。
【神話級】魔獣を倒したから、タクティクス・ブロンドだからだとか、そうした不純物は一切、考えずに『先生を救いたい』という気持ちだけで諦められなかった。
その気持ちのまま突き進む。
疑問も持たない。法国の意向など考えない。
ただ前に進む愚者のような背中を見せて、扉を抜けていった。
※
アルファスリンの迷わない背中をシャルティアは小さなため息で見送った。
「私たちでは、あぁした行動はできないな」
子供特有のまっすぐさを時折、羨ましく感じる。
心で救いたいと願っていても、シャルティアやエドウィンのような立場の人間は簡単に動けない。
何故なら失敗した時の負債は残された者が行うからだ。
例えばヨシュアンが死んだとしたらどうなるだろうか。
少なくともすぐに新しい教師が派遣されてくるわけではない。
一ヶ月、あるいはもっと長い期間、人員に穴ができたまま授業を進めることになる。それでも貴族院の試練は待ってはくれないのだ。
当然、その穴を埋めるのは誰かと言えば、シャルティアたち教師だ。
結果、義務教育計画自体が失敗になればシャルティアたちのキャリアに傷がつく。
それだけなら良いが生徒たちの人材価値も下がってしまう。
せっかく教育を施しているのに教師が原因で偏見の目で見られては生徒たちの努力が無駄になってしまうかもしれない。
だからこそ立ち止まる。
感情はどこかにそっと閉まって、得た情報から冷静に推測を始める。
可能ならば確実な成功を。不可能なら出た負債を減らすために努力する。
次に起きることを想定して、あらかじめ行動しておかなければ成功するにしても失敗するにしても、やはり悔いが残ってしまう。
絶対に間違わないために頭を使うべき時を間違ってはならないのだ。
「無鉄砲。無頓着。それでいて無駄な軽口。そこで寝ているバカにそっくりだ。わずか一週間と少しだぞ。外交問題にならなければいいな」
寝ているヨシュアンを見やる。
シャルティアから見たヨシュアン・グラムという男は奇妙だった。
自然な形に見せかけているが仮面を被っているとわかる社交性。
その反面、凄まじい技術を持つ術式師で術式具元師。
特殊な生まれと経歴、奇妙な風習を持ち、そして、とんでもないことを平気で口にし、実現してきた。
文化祭の発案も元はといえばヨシュアンだ。
共同開発や経営をすれば、そのアイディアだけで新しい事業を始められそうな、そんな予感をさせられる男であった。
一方の面であまりに己を軽視しすぎていた。
何がそうさせるのかと疑問に思うほど己を酷使する。
この半年に見ただけでも何度も怪我をしている。
中には死んでもおかしくないものもあった。
そして、その全てに人間性が感じられなかった。
徹底的に痛みというものを隠していたからだろうと考えていたから無視してこられた。
一概にクールな男でもなかった。
女衒や冒険者のように軽口が得意で、貴賎を問わない幅広い話題に軽くついてこられるところから見聞も広い。
『生徒と接している、あるいは関わっている時だけは妙に人間臭く悩む』のもチグハグさに拍車をかけていた。
正直、『そういう生き物』だと認識していた。
だからシャルティアがヨシュアンを表現する時はいつだって『奇っ怪な』あるいは『奇妙』としか言えなかった。
全てがチグハグで、どう感じていいかわからない男だった。
なのにそのヨシュアンが死ぬと言われて感じたことは『アホくさい』だった。
実感なんてこれっぽっちもなかった。
ただ妙な焦りだけが心の中をぐるぐる回るだけで、思考停止寸前だったが、それもアルファスリンとエドウィンの会話を聞く内に回復している。
「若いっていいわよねぇ。何にでも影響を受けちゃうもの」
エドウィンはほのぼのと返してきたが、シャルティアの目を見て、微笑みをひっこめた。
シャルティアの目が笑っておらず、冷徹な計算が渦巻いていることに気づいたからだ。
「さて、聞こうか。どうせ姫には言っていないことがあるのだろう」
「そうねぇ、シャルティアちゃんには言ってもいいかしらん。リィティカちゃんも知っておかなきゃいけないこともあるから聞いておいてくれるかしらん」
エドウィンが居住まいを正し、少しだけ目を閉じた。
「まずアルファスリン姫は信用できるわ。あの子、まっすぐだから。でも『その後ろ』はすごく信用できなさそうね」
「ガルージンの件だな」
まず真っ先に思い出すのはありえない事件だったガルージンの生徒襲撃事件だ。
いくらなんでも他国に来て、しかも国政の実験施設の被験者に刃を向けるなど躾が出来ていないなんてレベルの話ではない。
下手をすれば戦争に発展してもおかしくない話だ。
そうならなかったのは互いに同盟を破棄できない大陸の国家関係にあり、同時に『政務に携われる立場なら内々で処理すると予見できた事件』でもある。
例え大事になっても政務に携われるのならもみ消す、あるいは小規模にまとめることも可能だ。
「何を思ってわざわざ騒動を起こさせたのかが気になるのよ。後継者争いを思わせるのだけど現女王パルメ様はご健在じゃなぁい? 向こう十年は引退する様子も見られないわん。なのにあえて陰謀に走ったのは何故かしら」
「点数稼ぎ、あるいはこの外交に女王陛下が注目しているか」
「このままだと姫様が後継ぎの目が大きくなる。そう考えて危機感を持った誰かが行動した、まではいいのよん。問題もガルージンちゃん一人で終わるように作られていることよん。間違いなく尻尾切りね。茶々を入れて掻き回せたら良かったみたいな空気もあるからガルージンちゃんの氏族はどこかで見切りをつけられたのかもね。でも、それだけじゃない違和感もあるのよん」
黒幕がいるとしよう。
黒幕はガルージンを使って、どうして騒ぎを起こさなければならなかったのか。
これはインガルズたちが黒幕の立場を慮って四聖団内で処理してしまった。
事後報告はされているが結局、わかったのは『個人の動機』くらいだった。
黒幕の動機が反モモ・クローミ派の仕業だとしても、アルファスリンとモモ・クローミの分断を計った策だったとしても『他国を巻きこむほど切羽詰っていたのか?』という疑問が浮かぶ。
他国で事件を起こせば必然、他国に内情を語ることになる。
自国の弱みをわざわざ他国にさらさなければならないだろうか?
「遺跡調査中に調査隊を襲ったアイガリーゼスの話は聞いてる?」
「いや、聞いていない。しかし、そうか」
また黙っていたのか、と睨んでやると若干、寝顔のヨシュアンが居心地悪そうに見えた。
もっとも本人は意識が戻っていないので気のせいなのだろうが、釈然としないシャルティアだった。
「事が事だから言わなかっただけじゃなぁい?」
「別に気にしてはいないさ」
本当はネチネチと突っつきたいが我慢しただけだ。
「ともかくあの件だけ浮いてるのよん。後継者争いとは別に、でも規模が外交の失敗だけに収まらないわん」
「あのぉ、誰かが姫様の邪魔をしたいんですよねぇ? だったら調査隊を襲ってもおかしくないんじゃないですかぁ」
あまり政に詳しくないリィティカでも、今までの話を聞いて推測ぐらいはできる。
話上では不自然なようには聞こえなかったのだ。
なのにシャルティアとエドウィンは腑に落ちない顔をしたままだ。
「違うのよぉ。だって法国の兵士たちって全員、法国のものじゃない。帝国とは最近、喧嘩しているのよ、身を守るために自国の兵はたくさんいたほうがいいじゃない。でもアイガリーゼスの一件は兵を消耗してでも潰したい、みたいな感じなのよ。もっというなら兵士のことなんか考えていない、みたいな。それってようするに自分の国なんてどうなったっていいや、って感じに思えない?」
「……あ」
帝国と法国の戦争を勘定に入れたら確かに兵を減らすような作戦は悪手だ。
それがわかり、納得したリィティカは再び二人の話を聞く態勢に入る。
「ガルージンちゃんの一件とアイガリーゼスの一件は別々の形で別の誰かが行った、連携だったんじゃないかしら?」
そもそもアイガリーゼスを操る手段自体が法国の技術とはかけ離れている。
召喚などの術式は確かに法国の技術だが、召喚された原生生物は基本、詳しく調べると使用者がわかってしまう。
そんな痕跡があればインガルズがヨシュアンに報告しているだろう。
少なくともインガルズは情報さえ渡しておけばヨシュアンが勝手に始末をつける、くらいには思っているはずだ。
「つまり、アルファスリン姫の敵は二人――いや、二種類いた、と」
「そして動機がありそうなのは……、上の姉二人。あるいはどちらからか委託を受けた誰かさんが暴走したか、でしょうね。決まったわけじゃないけれど」
法国の政に王国が手を出すわけにはいかない。
向こうは氏族の延長線のような意識で国を動かしているかもしれないが、王国まで同じことをすると国の姿勢に関わってきてしまう。
こうした国のプライドは往々にして外交で足を引っ張ることも多い。
よくあることではあるが、見逃すにしては【神話級】魔獣の事件も含めて規模が大きすぎる。
「もしかしたら……、そうね。保護者に連絡くらい入れたほうがいいかもしれないわねぇ」
ならば王国から忠告の形でも入れておけば角も立たないだろう。
そこまではエドウィンができる範囲でもあった。
勝手にでしゃばると外交担当のジグマルドにも迷惑をかけると踏んで、最低限で最大限の効果を出す手段を取っただけだ。
「背後関係は今のところ不明な点が多すぎる。アルファスリン姫の護衛は……、そうかヨシュアンが今、動けないなら」
「インガルズちゃんがいるから大丈夫でしょう。相手も心得ているわぁ」
まだヨシュアンの病状をインガルズたちに伝えていないが、アルファスリンが指示に向かったならインガルズとアンドレアス、両名には伝わるだろう。
その上で最適な護衛を付けると推測して、頭を切り替える。
「あとは、そうだな。何故、変異を浄化で治せないのに【ポルフィルの実】で治せる? 出来上がる薬は活性剤を強くしたものなんだろう? 現状維持しかできていないのに強い薬を用いただけで治るのか」
「そうね、言われたとおり【ポルフィルの実】では侵度Ⅲは治せないわん」
エドウィンの言葉に嘘はない。
これはエドウィンの態度よりもリィティカの態度で真偽がわかる。
リィティカはアルファスリンとの会話の途中、ずっと申し訳なさそうな顔をしていた。
アレは騙していることへの罪悪感や己の力を悔いてのことだろう。
「ヨシュアンの身体の問題だけど二人なら言ってもいいかしらん」
リィティカには継続してヨシュアンが怪我したときの医者として。
そして、シャルティアにはヨシュアンのストッパーとして言っておくべきだと判断したのだ。
「ヨシュアンの身体の中には【虚空衣】っていう特殊な術式具が埋めこまれているのよ。効果は治癒能力を活性化させたり、精神を抑制させたり、まぁ、肉体を自由に操れる、という風に思ってくれたらいいわん」
「術式具を身体にぃ……? そんなことできるんですかぁ」
「ヨシュアンが言うにはね、何も特別なことでもないらしいわよ。もしもこのまま技術が進歩していけば術式具で肉体の補助も可能になるんじゃないかって。病気か何かで心臓の動きが悪くなっても術式具で動かしてみたり、複雑に折れた骨をつなぎ合わせたり、できるはずなんですって」
「……そんな発想、もしかしたら術式具元師だからできるんでしょうかぁ?」
「ヨシュアンの発想って未来系なのよねぇ。まぁ、そうなるためには医学がもっと進歩しないとね」
なるほど、とシャルティアは唇の端を吊り上げた。
その話も初めて聞くので腹が立つのに変わりはないが、それはそれだ。
人の身体の事情について、深く聞くつもりもなければ立ち入るつもりもない。
ただ腑に落ちただけだった。
無茶な言動にはそれなりの理屈があったことに納得し、同時に『だからといって無茶をするヨシュアン』に怒りを募らせる。
もはや怒りを通り越して、心は凪の海のようだ。
「ごめんなさい。話がそれちゃったわねん。とにかく侵度Ⅲのまま生きていられるのはその術式具のおかげなのよ。そして、侵度Ⅲを治せるのもその術式具なのよねん。でも今のままだと侵食率に負けてしまっている」
現状、【虚空衣】が強制的に変異部を排除し、肉体を新たに作り続けているから侵食も止まっているが、その肉体的な負担や栄養の消耗は半端ではない。
二日と見積もったがヨシュアンの体力次第ではもっと速く終わってしまう可能性もあるのだ。
事態は油断ならない。
しかし、慌てて無駄な行動もできない。
「【ポルフィルの実】で【虚空衣】を活性させる、そうすれば無色の源素を体内から追い出せると言いたいわけか」
「おそらく、よ。だって【虚空衣】についてはまだわからないことも多いのよ。ワタシも何度か診察しているけれど多分、まだ基本的なことしかわかっていないわん」
「そんな訳のわからないものをよく使う気になったものだ」
本当に呆れた男だ、とため息をつく。
ヨシュアンのことだから何らかの理由があって、無茶をした結果、【虚空衣】という術式具を埋めこむ決意をしたのだろう。
そして、その決断が本人の命を救うのだから何も言うつもりはなかった。
「【ポルフィルの実】は見つかると思うか? 四聖団を動かすにしてもまだ黒幕の細作が残っている可能性があるんだろう」
「ウチの子たちも探させるわよん。でも、できればコレを機会に細部まで炙りだして欲しいというのも本音よん」
エドウィンの立場上、アルファスリンに肩入れする必要はないだろう。
なのにここまで法国に協力する姿勢を取っている理由はもう考えなくてもわかる。
ヨシュアンのためなのだろう。
それが巡り巡ってアルファスリンのためになる。
「なんだ、惚れているのか?」
「好みじゃないけれどねん。もっとムキムキだったら良かったんだけど」
「筋肉は二人もいらん」
王の幼馴染だから、という答えが聞けるとは思ったが流石に口を割らないエドウィンだった。
この軽口はヨシュアンの背景の裏付けでもある。
まだ信用や信頼を出し惜しんでいるヨシュアンを信じるために。
大事なことを少ししか言わないヨシュアンを叱り飛ばすためにも、知っておく必要がある。
「希望がある、ということはわかった。最後に最悪、ヨシュアンが死んだ場合だが」
「シャルティア先生ぃっ!」
その言葉はあまりに非情すぎるとリィティカが非難の声を上げる。
それだけではなく、リィティカやエドウィンの言葉を信じていないのと同じ意味を持つ以上、声を出さずには居られなかった。
「リィティカの腕を疑っているわけじゃない。だが最悪には備えておくべきだ。本人もそれを望むだろう」
「そうねぇ……」
正直、エドウィンは言うほど【ポルフィルの実】が見つかるとは思っていないのだろう。
侵度Ⅲとはそれだけ重い病状だという証拠だ。
「ワタシが教鞭を執ることになるのかしらん。引き継ぎが来るまで、だけどねぇ」
少なくともヨシュアンとエドウィン、そしてシャルティアの三人は生徒への対応に関しては同じ意見を持っていた。
六訓という思想を元に、義務教育計画の性質を考えればおのずと結論は出てくる。
義務教育計画を成功させるために生徒たちのスキルアップは必須で、障害は可能な限り排除すべきだ、という姿勢だ。
そのためならば教員に死者が出ようとも問題がない、という姿勢を王国に示す必要もある。
「そうか。なら後は任せる」
そうしてシャルティアは頭を下げた。
「月並みな言葉だけど全力は尽くすわん。これでも尽くす乙女なのよん」
エドウィンは頷く。
ただそれだけのやり取り。
これ以上を聞いてもシャルティアには何もできないと理解してのことだ。
「病状から施術後に急変することはないと思うけど、万が一に備えてお隣で待機しているわん。リィティカちゃん、交代の時間とかで少しお話したいからお隣に行きましょう。その間、お任せしてもいいかしらん」
「――あぁ。何かあったら報せる」
心配そうなリィティカの視線を感じながら、シャルティアは濡れた椅子をハンカチで拭く。
すでに布団が乾き始めていることにまでシャルティアは気が回っていない。
椅子に腰掛けるのと二人が出て行くのは同時だった。
しばらくヨシュアンの横顔を眺めていたがふと口を開いた。
「なぁ、ヨシュアン」
ヨシュアンの顔色は悪い。
それを治す力はシャルティアにはない。
「やはり私は肝心なところで役に立たない女らしい」
だが、何もできなくても良いのだ。
できる人が周囲に居て、シャルティアはその周囲を使う才覚がある。
領主や上に立つ立場の人間が持つ、そうした力で十分なのだ。
眠りの妨げになるから術式ランプを切ってやり、暗い医務室で何が起きてもいいようにと控えているだけでも十分、意味がある。
「そんなことを言った私にお前はどう答えてくれるのだろうな」
本人が答えないから、ふいに窓から外を眺めてしまう。
最近の曇天模様とは思えない、天上大陸に射す月明かり。
そろそろ外で遊んでいる連中もアルファスリンの働きで大騒ぎに変わるだろう。
どう転ぶかわからない二日。
シャルティアにとっては我慢の時間の始まりだった。




