危険物を野に放つような真似を
昼休憩中、自分は医務室にいました。
エドの波形治療を受けるためです。
医務室の暴君こと女医さん(36)がつまらなそうに足をブラブラさせていることくらいしか見るものもなく、エドになされるがままの状態です。
「身体の治療が終わらないと無色の源素を追い出せないのが難点よねぇ」
「最悪、腕の内源素ごとベルガ・リオ・フラァートで吹き飛ばすのはどうでしょう?」
「やり方は間違ってないけれど相変わらず無茶な方法を考えるわねん」
仕方ないものを見るような目で見られました。
「内源素をなくしてしまえば無色の源素も増殖しないし、そもそも無色の源素も吹き飛んじゃうからそれでもいいんだけど本当は浄化しちゃうのが一番なのよん。今なら私の手に負えるけど、時間が経てば経つほど腕が先に変質しちゃうから、その場合、手に負えなくなるわよぉ。切断も視野に入れなきゃいけないんだから」
「そうなると教鞭を持てなくなりますね」
なんか生暖かい目で見られました。
そうこうしていると女医さん(36)がふらりと医務室から出ていってしまいました。
あの人も自由人というか、心得ているというか、大事な話をするときは察していなくなりますね。
「なんですか?」
「いいえ。そこで『相手を殺せない』って感想が出てこない分だけ貴方、変わったって理解してる?」
「『うすら騎士団長殿』もそうでしたが雰囲気や性格が変わったくらいで誰も彼も同じようなことを言わないでくださいね。【虚空衣】の人格補助があれば『人が変わる』くらいできますよ」
そもそも【虚空衣】の繊維は心臓から神経を通って脳にまで達しています。
詳しい原理は不明でも、脳を弄ることで心の形を変えられる結果はよく知っています。
教職を始めた頃と今ではずいぶん『心の形』が変わっていると思いますよ?
「つまらない言い訳をしないの。今は人格を作っていないんでしょ。その余裕がない、違う? なら今の貴方は『憎悪でしか人と関われないモノ』なはずよ。でも、さっきまで『先生』として生徒に接してたじゃない。はい、論破終了。次はどんな言い訳かしらん」
言い返せずに黙りました。
「良い子ねー、いえ、悪い子かしらん。本当、貴方も含めて、みぃんな手を焼かされるわん。最近だとハインツちゃんが行方不明になっちゃってねぇ」
「どうしてでしょうね。一切、心配できないんですが」
常時、行方不明の男をどう心配しろというのですか。
「私ねぇ、ハインツちゃんへの命令書、持ってるのよ。本当はここに来るまでに渡したかったんだけど調査隊の皆が急に来ちゃったじゃない。一応、ちゃんと私の可愛いコたちが探すために王国中を走り回っているところじゃないかしら?」
「危険物を野に放つような真似を……」
「大丈夫よん。あの子たちは私には忠実だもの。途中で可愛い男の子を襲ったりしないわん」
「その場合、根こそぎ絶滅させます」
エドの話を聞く限りだと、ハインツはタラスタット平原あたりで目撃されてから北に向かい、そこから行方不明だそうです。
盗賊から救った村の生き残りからハインツの足取りは掴めたようですが、そこからは彼らも知らないそうです。
「タラスタットから北に抜けたのなら王都を目指しているんじゃないですか?」
「そうなら見つけやすいんだけどねん。あの子、気が向いたらフラフラとするじゃない」
あの子といってもエドより年上なんですが。
黄色いのことハインツの役目は『世直し』です。
正確には『単独による国内の治安維持』を目的としています。
なので、あちこちへフラフラしているのがハインツの役目なんですが、ハインツが本当に役目を意識して行動しているかどうかは怪しいところです。
「役目のこともありますよ」
「だったら目立つからいいんだけどねぇ」
エドは波形治療を止めて、片手を頬に当てました。
どうやら終わったみたいですね。
自分も手を何度か開いたり閉じたりして、麻痺の調子を調べます。
麻痺している、というのは厄介な意味を持ちます。
『神経にまで無色の源素が入りこんでいる』かもしれない、ということです。
神経系は【虚空衣】が支配しているので、そこは無色の源素と【虚空衣】、そして、自分の内源素がせめぎ合っているのでしょう。
それが結果、麻痺という形に現れているのではないかと睨んでいます。
「それにしても、面白い光景よねぇ」
医務室の窓から外を眺めているエドは、その外の様子を見て満足気に唇を緩めました。
自分も外を覗くと、そこには屋台が広がる前庭でした。
家臣団以外の調査隊員が歩き、【宿泊施設】住人の作る食事をもらっては食べています。
中には生徒たちも混じっていて、しきりに声をかけられています。
「よし。注意しに行きましょうか」
「ヨシュアンは時々、過保護な父親になるんじゃないかと思うわん」
「冗談ですよ。帯剣していませんし、向こうがその気になったらガルージンの二の舞です。なら情報収集や興味本位で話しかけているんでしょう」
文化祭開催に合わせて法国の調査隊たちにも入園許可がおりました。
その条件が武器の持ち込み禁止です。
正直、ヴェーア種の多い調査隊は素手でも強いので剣の意味がなかったりするんですが、流石に剣を持たされていない、ということの意味くらいわかるでしょう。
「法国に近い場所で、軍事訓練も含めた教養全般を教えている場所があるってだけで警戒されてもおかしくないわよねん」
「エドの見立てだと、法国はどう出ると思います?」
「ん~、もうすでに答えが出ちゃってるわよん? それ」
さすがに表立っての反対はしないと思いますし、反対しても他国のことです。
となると――考え、一つの答えに至りました。
その答えの一つはアルファスリン君でした。
表立って反対できないのなら、牧場主さんみたいに表から堂々と人員を送りこめばいいんですよ。
留学生をリーガルとして送りこめば軽い抑止力に繋がりますし、王国側の最新教育を法国は得られます。
となると留学生制度は盛り上がりそうですね、主に政治的な意味合いのせいで。
「外交だの国同士だの上の人々は困ったものねぇ、こんなに愛溢れる教育の場なだけなのにぃ」
二日くらいしか居ないくせに言い切りますね、コレ。
「ここまで文化祭を見てね、私が思ったのは『興味』って何よりも強い力なんじゃないかってことね」
エドが眺める窓の外ではリリーナ君が両手にお皿を持って走っていました。
それを追いかけるクリスティーナ君やマッフル君、フリド君もいますね。
また何のイタズラをしたんでしょうねリリーナ君は。
どうせ、クリスティーナ君たちが食べている料理をかっさらってきたのでしょう。
クリスティーナ君があともう少しというところでリリーナ君を捕まえようとして、ひらりと躱されました。
瞬間、そこを狙ったマッフル君がすでにリリーナ君に飛びかかっていました。
マッフル君のアレは【支配域】を広げているからの予測でしょう。
ですが、マッフル君の飛びかかりは舞うように回避されました。
マッフル君の初動を読んでいましたね。
最後のフリド君に至ってはすれ違いざまに足を引っ掛けられ、こけた先はマッフル君の上です。
危ない、と思った時にマッフル君は肘でフリド君の顔面を殴っていました。
あぁ、アレは事故ですね。立ち上がろうとした時に偶然、フリド君が倒れてきたから起こったことです。
「あぁ……、次はヘグマントクラスですよ」
リリーナ君とマッフル君は両腕が治ったらオシオキですね。
決定されたオシオキのことなんか知らずにリリーナ君は楽しそうに、エリエス君やセロ君、アルファスリン君、ティルレッタ君の待つテーブルに向かっていきます。
それには同じ席にいたマウリィ君もさすがに苦笑いです。
遠くの席ではキースレイト君もため息をついています。
ティッド君が慌ててフリド君の元に救急箱を持って駆けつけていきますね。
「賑やかよねぇ。でね、さっき『興味』って言ったじゃない。音楽も絵画も、歴史も料理も、全部、相手に知ってもらうことができるじゃない。むしろ伝えるための手段じゃない。そういうところだけじゃなくて次に何が出てくるのかも考えるところよね。何を調べて、何を工夫して、何を考えて、何を見せようとしているのか……、そうして並べていくとねぇ」
若干、フリド君を見る目が狩人の目と同じように見えるのは気のせいでしょうか?
自分の視線に気づいたエドがウィンクをしました。
とりあえず『生徒に手を出したら殴る』という殺意の視線で返してあげました。
「興味を引き出そうとする意欲と知りたいという気持ち、そして、表現できる場所。まるで恋愛のようにも思えるのよう」
「その間違った桃色しか詰まっていない頭をまず、なんとかしてください」
クネクネと腰を揺らさないでください。
蹴りたくなります。
「ちょっとした、すごいことよ?」
エドはまるで演劇でもするかのように大仰に手を伸ばしていました。
そういえば演者としての演技力もプロ顔負けだったはずです。
自分も多才と言われますが、それもエドの前では虚しい響きでしょう。
「人の文化が恋と愛でできているのなら、人は偉大だわ! だってそこには全てが詰まっているんだもの」
両腕を空に広げているエドには悪いのですが、自分はそこまで桃色な空想を思い描けません。
自分にとって文化は社会構成に対する立ち振るまい、その全体という意味しか持ちあわせません。
そこにどんな意味を見出すかは個人の主観でしかありません。
「ヨシュアンはそういうのを守りたいのよね」
「考えすぎです。ただ、自分たちが切り開いた道をあの子たちが歩いて、そして、より良い方向に向かうのなら『自分の役目』も誰かを殺さずに遂げられるでしょう? 殺る前に改心するなら、それは何よりの抑止力です」
なんでもかんでも力があれば守れるわけではありません。
自分だけで守れるものもあるのでしょうが、エドやレギィ、教師陣の力を借りなければ守れないものもあります。
だからこそ、人との付き合いが必要で、人とコミュニケーションが取れる人格が必要でした。
「ヨシュアンは恥ずかしがり屋よねぇ」
「人をきかん坊みたいに言うのを止めてもらえませんか」
生暖かい目で見られても反応に困るだけです。
とはいえ反論する気も起きないので、肩もすくめられずに片眉を上げると同時に鐘の音がなりました。
どうやら昼休憩が終わったようです。
次の鐘が鳴り終わる前に【室内運動場】に帰らなければなりません。
誰もがこの瞬間、同じことを考えたのか窓の向こうで一斉に片付けや移動が始まりました。
すぐにでも全員が【室内運動場】にそろうでしょう。
今回は遅刻するわけにはいきません。
自分がエドと【室内運動場】に戻れば、ちらほらと人が集まってきていました。
適当に教師陣やインガルズさんと会話し、待っている間に昼休憩前の形に戻れば、すぐに再開の言葉と同時に幕が開きました。
舞台の上にはヘグマントクラスの面々が上半身裸で立っていました。
若い肉体を衆目に晒し、片手には槍のように長い旗をしっかりと握りしめています。
お互いの間隔は広いのは旗同士がぶつからないためでしょう。
これから演舞が始まるのでしょうが、一つ言いたいことがあります。
「何故、脱いだのでしょう?」
「担任の趣味だろ。それか特定の誰かを喜ばせるためか」
アレフレットが律儀に自分のツッコミを拾ってきました。
「無手であることは時に武器を使うよりも洗練されているとして、あくまで旗一つしか持ち合わせないと衆目に分からせると同時に、演舞の醍醐味である人体の動きを明確に見せつけるために脱衣した、と言うとそれらしく聞こえませんか?」
「武官上がりの家臣は大喜びしてるみたいだな。理解しがたい」
アレフレットは感想に対する返答を避け、家臣団の方を覗いていました。
確かに元武官らしき顔つきの家臣は興味の火を目に灯しています。
逆に文官はもっと昏いというか、まるで敵対勢力の戦力分析をしている指揮官みたいな無機質な瞳をしています。
これは武力に対する姿勢の違いでしょうね。
どちらも興味という分類で見れば同じものですが、導き出される結果が違います。
武官は将来、有望そうな戦士の力量を知るために。
文官は将来、リスリアの戦力がどれだけ増強されるかを知るために、です。
「きゃー、きゃー、裸じゃーっ」
いつの間にか自分の隣でアルファスリン君が小さな叫び声をあげていました。
興味津々なのか顔を手で覆っていても指の間からフリド君を見ています。
「あ、アルファスリン姫……」
アレフレットは授業で質問攻めにされたことがあるらしく、かといって正規の生徒の立場でないアルファスリン君が苦手だそうです。
本人が職員室で愚痴っていましたしね。覚えていますよ。
「これよりリスリア伝統の槍演舞を始めさせていただきます!!」
他の子たちに比べて前説明が短いのがフリド君らしいですね。
旗の石突きで舞台の床を叩き、横薙ぎから型が始まりました。
機敏な動作で抱えるように旗を持ちます。
よく正門の兵士がしている構えで、故に『正門の構え』と呼ばれます。
一人、あるいは二人がそれぞれの型を披露している間は座り、旗を床と並行に持ち、待機しています。
ただ順繰りに型を披露しているだけでなく、時に五人全員で同時に振り下ろし、なぎ払い、突き上げています。
こうして五名で一斉に動くとメリハリもあって、目を引きますね。
何よりも目を引くのはたなびく旗です。
素人目でも軌跡がはっきり見え、ただの型が派手な舞に見えてきます。
「……よくわからないんだが、アレはどれくらいのものなんだ?」
珍しいことにアレフレットが自分に質問をしてきましたね。
「戦闘中毒者のお前ならわかるだろ」
言わなくていい一言を追加してもアレフレットはフリド君たちから目を離しません。
「厳しい型でも我慢して辛い体勢を保っているところから基本に忠実かつ、しっかりとした土台ができているように見えますね。ところどころ正規兵にも負けない機敏さを見せつけています。ただやはり速い切り返しが必要となる型で動きがバラけるのは個人個人で得物の違いがあるせいでしょうね」
「なら正規兵とどれくらいやれる?」
「人にもよりますが一対一で五合、保てば合格点をあげられますね」
槍こそ武器の中で誰でも使え、しかし、もっとも極めるのが難しい武器はありません。
その分、演舞だと動きが派手で見栄えがします。
「武力か……、あれではまるで舞踊だな」
アレフレットの何とも言えない感想は聞き流しておきましょう。
フリド君に合わせて振り下ろされる旗。
一通り、型をやり終えて終了かと思いきや、フリド君を含めた三名が一歩、前に出ました。
そして、フリド君たちを包む帯状の術陣は強化術式です。
さらに旗に火をつけて実践稽古みたいに立ち回りを始めました。
これには家臣団は感嘆やら驚きの声を上げていましたが、こっちは心臓から冷や汗が出そうな気分でした。
「あいつら……ッ! 室内で火をッ」
「まぁ、落ち着いてください。舞台の下でヘグマント先生が桶を持っています。延焼するようなことになっても大丈夫ですよ」
「……むちゃくちゃをする」
むしろ学園長がこの催事を許可した部分が驚きですよ。
たぶん、ヘグマントがフリド君たちのやりたいことをできるように入念な危機管理を理由に学園長を説得したのでしょう。
室内で振り回される火の軌跡を眺めてばかりいられません。
「アルファスリン君。そろそろヨシュアンクラスも準備に入りますよ」
「う、うむ。もうちょっとだけ……」
「裸は見慣れたでしょうに」
「ち、ちがうのじゃ! 別に男の裸に興味があるわけじゃないのじゃぞ!」
腰辺りを掴み、激しく揺さぶってくるのは構いませんが、先生、何もそこまで動揺しろとは言っていませんよ?
アルファスリン君を引きずるようにヨシュアンクラスの前に立つと全員、それぞれ自分を見上げていました。
「そろそろ出番ですが、心の準備は十分ですか?」
この子たちに限って緊張など、と思えど、しかし、その考えは幻だと思うようにしました。
生徒たちにとっての晴れ舞台、誰もが未経験の舞台に立つのです。
それなりの緊張と不安があって当然です。
「もちろん。十分ですわ」
「あー、もう出番かぁ。時間って経つのが早いし」
冷静な顔をしているクリスティーナ君とマッフル君ですが、間違いなく今、精神抑制法を使っていますね。呼吸でわかります。
「あわわ、あわ、で、でばんなのです、台本がどこかにっ」
「落ち着いて。どうせ失敗してもそのまま進むから」
「はぅ……」
「エリリンは無自覚にセロりんを追い詰めるでありますな」
この三人は予想通りというか、むしろセロ君が動揺しすぎています。
「アルファスリン君はどうです」
「うむ。余裕じゃ」
まるで全員を代表するみたいにヨシュアンクラスの前に立ち、そして、振り返りました。
「何せ妾の仲間がここにおる。百万の兵よりも心強いのじゃ」
胸を張るアルファスリン君につられるように生徒たちは立ち上がり、そして、準備室に入っていきました。
さて、自分も用意をしようと思って中に入ろうとしたら追い出されました。何故に?
「今から着替えるんだから先生は待ってて!」
マッフル君の蹴りを避けてから、閉じていく扉を見送りました。
舞台の上ではヘグマントクラスの演舞が今まさに終わろうとしています。
「もう少し、早く準備を促すべきでしたね」
一人ごちても時間は返ってきません。
どうやら自分は大慌てで準備しなくてはならないようです。




