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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五章
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ちょっと高かったんですよ、それ

 ピットラットクラス、シャルティアクラス、そして、アレフレットクラスの催事が終わり、次のリィティカクラスの催事が終われば昼休憩になります。


 文化祭のスケジュールを頭に浮かべながら、自分はひっそりと手を見ました。


 両手は鈍い麻痺感しかありません。

 昼にもう一度、エドに内源素の調整をしてもらえれば午後の催事も乗り越えられるはずです。


 次の催事を見守っているような体を取って、静かに内源素を練っているとトコトコと未熟な気配を感じます。


「どうかしましたか? セロ君とアルファスリン君」


 セロ君とアルファスリン君が仲良く手を繋いで、こっそり忍び寄ってきていました。

 見つかると思っていなかったのか、二人はビクリと肩を震わせました。


 驚き、しかし、すぐにふくれっ面をするアルファスリン君とは対照的にセロ君は悟ったような顔をしています。

 先生との付き合いが如実に現れる差ですね。


「出番をずっと待っているのも飽きたのじゃ。何か面白いものを探しておるのじゃがヨシュアン先生は何か知らんか?」

「例え面白そうなものがあっても先生の言うことは一つですよ」

「腹を抱えるような面白い冗談じゃな?」

「いいえ、違います」


 オシオキしようとしましたが家臣団の前です。

 それだけではなく、この腕では十分な力加減もできません。

 術式も使えないわけではありませんが、やはり同じ理由で難しいでしょう。


 ここに来て自分はようやく事の重大さに気付きました。


 この腕では生徒をオシオキできないじゃないですか。


 オシオキは普通に殴るだけではいけません。

 相手の抗術式力と耐え切れる痛みを見切って、効率よく、絶妙な力加減でなされるものです。

 生徒たちが『こうしたら死ぬほど後悔する気持ち』を持ってもらうために自分は全力で技術を費やしています。


 生半可はいけません。


 こんな単純なことでオシオキ理論が破綻しても良いのでしょうか?

 いえ、そんな底の浅いオシオキ理論では生徒たちが困ります。正しい道を見つけられず迷ってしまいます今後一生を支える重大事ですね。


「先生の知り合いの話をしましょう。彼は連日の仕事で非常に疲れていましてね。ろくに睡眠も取っていなかったらしく、その日も仕事に行くために顔を洗い、歯磨きをしようとしました。そしたら、それを見ていた夫人が悲鳴をあげて腰を抜かしたんですよ。どうしてだと思います?」

「すごい隈でもついておったのじゃな」

「いいえ。知り合いが口に入れて磨いていたものは――カミソリだったんですよ」


 その光景を想像したセロ君とアルファスリン君が青ざめるまで、そう時間はかかりませんでした。


「……な、なんという悍ましい話をするのじゃ」


 口を抑えて、痛みを想像しているアルファスリン君。

 そうですね、物理的打撃だけが痛みではありません。

 日常でふと蘇る痛みへの連想もまた、痛みと言えます。


 ただ問題が二つ、あります。


「あぅ、ぅぁ……」


 痛みをリアルに連想できる子は非常に大ダメージを負います。

 他人の顔色に聡く、痛みにも敏感なセロ君はその光景を想像して声が出ないくらい怯えてしまいました。


 セロ君がアルファスリン君よりもオシオキされては意味がありません。

 対象を明確に選べないのはオシオキとしてよろしくありませんね。


「リィティカがいなくて良かったな」


 シャルティア先生が『こいつは何をしてるんだ』みたいな顔をして、呆れていました。


 リィティカ先生は他人の話に過剰に共感しますからね。

 それなのに注射針でグサグサと生徒たちの腕を刺した時はほとんど動じないのですから、リィティカ先生らしいですね。


 そして、もう一つの問題です。


「……お前は一体、何を言い出すんだ」


 戻ってきたアレフレットが、やはり口を抑えて眉を吊り上げていました。


 無差別すぎてオシオキ対象外までオシオキしてしまうことです。


 不機嫌な顔をしたアレフレットはカツカツと靴音を鳴らして、列に並びました。


「そういう話はな、影響力が強いから無闇に口にするんじゃない……、生徒に聞かせるような話じゃないだろ。酒場でやれ!」

「傘の内側に耳を立てるのは感心しませんよ?」

「だったら周囲に人のいない部屋の中で言え!」


 被害にあったアレフレットの当然すぎる文句に内心、もっともだと思いつつも小さく息をつくだけで返答しました。

 アレフレットも自分に言っても聞きやしないと思ったのでしょうか、それ以上は文句を言いませんでした。


「とにかく、二人とも早く生徒の列に――」


 言い終わる前に幕ではなく、出入り口が開き、マウリィ君たちが姿を現しました。


「――いえ、ここでじっとしているように」


 今から催事の生徒以外が動き回ると目立ちます。

 ただでさえアルファスリン君は目立つんですから、


 マウリィ君たちが押している二段台車には銀のクローシュがたくさん並んでいます。

 見ての通りリィティカクラスの催事は料理研究です。

 各地方の代表的な料理とは聞いていますが、詳細までは聞かされていません。


 ちょうどお昼前だからタイミング的に一番、良い催事ですね。


 次々とインガルズさんやアンドレアスさん、エドや家臣の前に並べられていく料理の数々。

 本来なら一つずつ、出していくのが通常の作法ですが人手の関係上、先に全てを並べる特殊形式を採用しています。


「法国の皆さん! 学園文化祭にようこそお出で下さいました! 私たちリィティカクラスの催事はここに並べられた料理です!」


 マウリィ君は緊張を跳ね飛ばすみたいに手を広げて、言葉を紡ぎました。

 まるで一人、舞台に立っているかのようですね。


「王国の食文化を是非、ご賞味ください!」


 その様子を見ていると、自分たちの前にも二段台車がやってきました。


「先生方や皆の分もありますが、ごめんなさい! 材料の関係でそんなに多くは作れませんでした! だから先生方と皆の分は少ないけど一緒に楽しんでもらえたらと思います!」


 自分は立って食べるスタイルに抵抗はありませんが、若干、何名かがどうしようか迷っている雰囲気を出していますね。

 アレフレットとピットラット先生、生徒側はキースレイト君やクリスティーナ君などの貴族出身者です。

 ちなみにシャルティア先生は動じず、両手を組んでいます。この人も大概ですね。


 この光景は予想していなかったのかマウリィ君は眉を八の字にさせています。


 マウリィ君にはエリエス君の料理修行を手伝ってもらっていましたし、ここは少し、手助けをしましょうか。


「人口密集地帯の都市部などにおいて、立ち食いという文化があります。リスリアでは見られないものですが、リスリアに人口が増え、必要とされた時には必ず一つの食作法として選択されますよ。そうでなくとも、近しい形態が今のリスリアにあります」

「屋台だな」


 誰に言ったとも言えない自分の言葉にシャルティア先生が答えました。


「なるほど。屋台も必要とされたから生まれた文化か。ならば、文化祭の名において何一つ、無作法ではない、ということだ」


 そうして一つ、一番、右側の西部料理をつまみ、口に含みました。


「魚の塩焼きか。味が濃いな。西部は塩田があり、他の地域よりも塩の値段が安いからできる焼き方だろう」

「ちょっと高かったんですよ、それ」


 マウリィ君が舌を出して、シャルティア先生を見ていました。

 これは予算をおねだりしているのでしょう。


 小さなため息をついたシャルティア先生が何も言わなかったことでマウリィ君は小さな喜びを顔にしました。


「少し先に説明してしまいましたが今からちゃんとした説明に入ります! 右から順に西部、東部、中央部、北部、そして南部の特色を活かして作られています。西部はシャルティア先生が言ったように塩を多く用いた料理です。次に東部。肥沃な大地を持つ東部はワインに代表されるブドウや果実が多く、果物を使った料理です」


 いちじくやブドウ、洋梨が切って並べられたものを見るとただのフルーツの持ち合わせですが、うっすらとソースがかかっています。

 この匂いは柑橘系ですね。

 おそらくライムか何かから作ったソースでしょう。


「続いて中央部です」


 真っ赤なスープに沈んだ芋とパンです。

 中央部は穀物帯なので、小麦のパンと芋、そして、トマトスープなのでしょうね。

 実際に王都ではよく食べられている料理です。


 味は見た目相応です。

 チーズがあればもっと美味しくなるのですが、そこまで求めては酷でしょう。


「北部は法国の皆さんにも馴染み深いものもあるのではないでしょうか? 森の多い北部はキノコを中心とした料理をご用意しました」


 法国の料理といえば辛いものを思い浮かべますが、アレは最北端だけらしいですね。

 実際、法国の中央部や南部は魚介と山の幸、両方が採れる食の豊かな土地です。

 リーングラード周辺は内陸ですのでキノコなどの森の恵みが中心です。


 キノコを薄く切って茹でたものをサラダの上に乗せた、見た目、前菜料理ですが何故か安心感があります。

 これだけは失敗しないだろうという安心感です。


「最後に南部の料理は――材料が特殊で少し食堂の人たちの力を借りました。代わりに一番、美味しいと思います!」


 焼いた肉を薄く切って、香辛料をまぶしたものです。

 シンプルなだけに味の想像もできてよだれが出てきそうになります。


 きっと香辛料が手に入らなかったのでしょうね。

 となると、リューミン八傑衆のよくわからない仮面をかぶった男の調味料をもらったのでしょう。


 こうやって並んでいると順番こそ変ですが魚料理、デザート、スープ、前菜、肉料理とフルコースに近い構成ですね。


「では、どうぞお召し上がりください!」


 それからは昼食の時間です。


 家臣の方々も珍しい食文化にいちいち感想を言い合いながら食べています。

 盛り上がり方こそアレフレットクラスに負けますが、全員が参加できるという意味では一番良い盛り上がり方をしました。


 アルファスリン君とセロ君も自分の前に置かれた料理を食べて驚き、こっちを見てきました。


「場所が違うだけでこうも違うものか! 面白いな、面白い催事じゃ!」


 アルファスリン君はいたくお気にいった模様です。

 セロ君と食べさせあいながら、楽しそうに自分の分を平らげていきます。


 いえ、いいんですよ?

 先生、今、食欲ありませんから。


「せんせぃ、あーん、なのです」


 ふと我に返ったセロ君はフォークでブドウを一刺しし、つま先を伸ばしてきました。

 どうしましょう、これ?


 拒否するのも変なので食べるとセロ君はご満悦です。


「ありがとう、セロ君」

「どういたしまして、なのです」


 謎の満足感を顔に浮かべているセロ君を見て、今度はアルファスリン君が難しい顔をし始めました。


「むぅ……、確かに不躾じゃったな。ならば妾もあーんしてやるぞ!」


 アルファスリン君はサラダを刺して、こっちに切っ先を向けてきました。

 ポロポロと溢れるサラダがかわいそうで仕方ありません。


 サラダの救出のために食べると、アルファスリン君は楽しそうな顔をします。


「うむ、食いおったわ!」

「……ありがとうアルファスリン君。次は手を添えてもらえると皆、幸せですよ?」


 仕方ないので床に落ちたサラダを拾って、ハンカチに包みました。

 後でどこかに埋めて肥料にしましょう。


「色々な場所からなる色々な料理か……、マウリィはよく考えおったな」

「料理は場所の影響を強く受けますからね」

「肥沃な場所では肥沃な料理、過酷な場所では過酷な料理じゃな」


 過酷な料理というのはどういうものを指すのかわかりませんが、少なくとも生のイモムシでないことは確かでしょう。


 しばらく楽しそうにしているアルファスリン君とセロ君を眺めていると、ふとアルファスリン君が思案をし始めました。


「どうかしましたか?」

「のぅ、人が文化の原因ならば神々の作り出したものは文化と呼んで良いものかの?」


 法国は神々が作った国と主張していますからね。

 実際がどうだったかは不明ですが、何らかの関与はあったのだと思います。


「しかし、現状、神々の残したものを人が利用して生活しているのでしたら文化と呼んでも差し支えないのではありませんか?」

「むぅ……、そうなのか?」


 きっとまだアルファスリン君の中で疑問が明確な形になっていないのでしょう。


 今はまだ、熟成されるのを待つ問題はいつか、アルファスリン君が答えを見つけるのでしょう。

 そこに自分が関与できるかはわかりませんが、今はこの子の疑問を見守るつもりで差し出してくるフォークを啄みました。


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