けだし名言である
催事のインターバルはそう長くありません。
エドが退席したのを見計らって、すぐに自分も外に出ました。
裏口から出て資材を確認する体を取ったのですぐに帰れば不自然に思われていないはずです。
表に出るとエドはちゃんと待っていてくれました。
「……やっぱりおかしなことになっていたのね」
自分の状態を説明すると、エドがため息を隠すように自らの額に指を添えました。
「いつまで経っても震えが止まらなかったのでモフモフに聞いたところ――」
「無色の源素が体内に侵入していたのね」
無色の源素は一呼吸で酔いのように倦怠感を覚え、二度体に入れば動かすことも億劫となり、三度吸えば内源素は食い尽くされます。
しかし、これは一般人の規格であって自分たちのような術式師は少し違います。
特に内源素を強化し続けてきた自分や黄色いのはこの限りではありません。
一般人よりも無色の源素に耐性があります。
「貴方の内源素を越えて体内に入りこんできたのも驚きだけど――あぁ、違うわねぇ」
エドが自分の手を取り、無理やり腕をまくると観察し始めました。
まだ治りきっていない瘡蓋だらけの腕はところどころドス黒く変色しています。
「無色の源素が満ちてるのに関わらず、戦おうと思ったヨシュアンが問題かしらん」
「いえ、無色の源素は……」
「なかったの? そういえば上級魔獣が出たのに無色の源素がほとんどなかったと聞いたわねぇ。ヨシュアンが早期に浄化したからだと思ったけれど、他の記録にあるものに比べると小規模だったみたいねぇ。うん? 帝国の上級魔獣もそうだったかしらん。う~ん、ヨシュアンの話を加えると森、というよりもリーングラード自体に瘴気を吸収する役割があるのかしらん? だったら帝国の魔獣は――でも、おかしいわねぇ?」
そういえば帝国で出たという上級魔獣は街中で発生したにも関わらず、無色の源素をほとんど撒き散らさなかったと聞きます。
眷属鬼は遠隔視を遮る程度には出ていましたし、大地や空気が汚染されていましたが『専門家ではない自分が一人で浄化しきれる』程度の範囲でしかありませんでした。人体に被害が出るほどでもありません。
とはいえ、決して無視できるレベルでもありませんでしたが。
そういえば【無色の獣】が封印されていた場所は瘴気がありませんでしたね。
おそらく瘴気を出せないくらいに弱っていたのだと思います。
仮にあの場に瘴気があってもモフモフが消し飛ばしていたでしょう。
「話を聞く限りだと侵度一ぐらいね。わかってると思うけど普通の人なら絶対安静よ?」
侵度一というのは無色の源素が体内に入ったことを指します。
時間が経てば死に、やがては魔獣になるでしょう。
狼人間の次は骨人間にイメチェンするわけです。
歌劇団に入ったつもりはないんですがね。
「エド、そのことで話があります」
「わかってるわん。どうせ『文化祭が終わるまで治療は受けない』でしょう? 昨日の言ったばかりだけど、止めようとしたら全力で振り払うでしょう?」
よくわかっていらっしゃる。
「今の貴方なら私でも止められるでしょうけど、怪我人をさらに怪我させるわけにはいかないわ。いい、ヨシュアン。ちゃんと『約束』しなさいね」
これに自分は緩やかに首の動きで了承を示しました。
自分相手に約束を持ち出してくるあたり、手馴れています。
「私が看て本当にダメだと判断したら、絶対に言うことを聞いてもらうわよん? そして、貴方のクラスの催事が終わったら、すぐに医務室に来ること。約束できるわね」
「わかっています」
「それと【虚空衣】は治癒よりも内源素強化に使いなさい。傷は治せても無色の源素で変質したら治らないのだから、怪我の痛みが酷くても内源素強化に力を割り当てること。鎮痛薬は飲んでいるわねん?」
すでに【虚空衣】のリソースを内源素強化に割いています。
おかげで激しい動きはできませんが多少はマシです。
最後のルーカン役くらいこなせる程度には動けるでしょう。
「そうね。それだけじゃ心配だからウチの子たちを何人かつけようかしら」
「そんなことをしたら自分は生命と誇りを賭けて戦います」
いくら自分でも、時には生物のプライドが勝る瞬間があります。
「仕方ないわねぇ」
エドが両手を握ると波形で内源素を整えてくれました。
「少しでも楽になれるようにだけしておくわ。でも、ただの気休めだからねん」
「えぇ、感謝します」
「あらぁ、感謝なら別のものでもいいの――」
「術式具の設計図をいくつか見せる、で、どうですか?」
「――むぅん、そっちも魅力的ねぇ。わかったわ。それで手を打ちましょう」
なんとか危険な橋を渡りきったようです。
とはいえ、エドはこうして察してくれるので簡単に話がつきますが、問題はシャルティア先生です。
以前、大怪我をして帰ってきた時にボディブローされた記憶があります。
今回も同じように問答無用で医務室送りにされかねません。
かと言って説明しないとまた怒り出すのは目に見えています。
なんとかシャルティア先生の逆鱗を避けつつ、自分が倒れた時のフォローをお願いできないでしょうか……?
いえ、今考えると別にシャルティア先生である必要はありません。
リィティカ先生やアレフレットに言うとやはり騒がれるでしょう。
ヘグマントやピットラット先生ならこちらの心情を汲んで――そこまで考えて頭を振りました。
そもそも自分は何故、シャルティア先生にこだわっていたのでしょうか。
エドが変なことを言うからです。
普通にサポートしてくれやすそうなヘグマントやピットラット先生に事情を話せば、済んだ話です。
これが感情による行動のゆらぎであるというのなら、冷静な判断ができるように気をつけなければなりません。
裏口から【室内運動場】に戻るとすでに幕が開きかけていました。
若干、アレフレットが非難の目を送ってきましたが間に合ったんですから許してください。
「あれは石板ですかね?」
「運ぶときの形を見るに石画でしょうな」
自分の呟きをピットラット先生が拾いました。
ティルレッタ君を中心にして舞台上に並ぶシャルティアクラス。
その背後にそびえる正方形の物体が五つ。大きさは一つ、一つが生徒たちの身長より大きなものです。
それぞれを隠すように布が被せられています。
「うふふ。それでは皆様。我々の催しをおたのしみくださいませ」
物怖じせずに言い放つティルレッタ君に家臣団の一部が鷹揚に頷きました。
中には大体、予測がついているのか『どんなものか』なんて挑戦的な目つきの方もいますね。
まずは一番、左側の布が剥ぎ取られました。
現れたのはピットラット先生の予想通り、石版画でした。
石画は文字通り、石に描く絵のことです。
彫って絵にするのも石画の一種で、小さなものなら簡単な判子にも使われたりします。
わりと昔からある一般的な表現方法ですね。
ここからいくつかの歴史を経て、リリーナ君にも教えた羊皮紙の画板に発展します。
描かれているのは七人の子供たち。
少々、目玉が大きいような気がしますが愛らしい部類に入るでしょう。
石材に直接、薄く掘り、そこに絵の具を染みこませたせいか妙な立体感があります。
「生誕。あるいは幼少期でしょうな」
「何か意味があると思いますか?」
「宗教には多くの誕生画がありますので、おそらくそのあたりを選んだのでしょうな。しかし、よく出来ていますなぁ」
「絵としてはそこまでの出来とは思えませんが」
「いいえ。あの色合いは暗い色を一切、使っていません。掘りの深さで暗さを表しているのですな」
言われて、よくよく見ると確かに薄白に桃色、黄色、彩自体は明るい色のみです。
「次の画版に移るようです」
取り外された布から出てきたのは石版ではなく木版でした。
荒い木の質感に直接、絵の具を塗りたくった普通の絵です。
特に目新しいものではなく、羊皮紙を買えない貧乏絵師がよくやっていますね。
「特に珍しいものではないようですね」
家臣たちも幾人か、興味を失ってきているようです。
「しかし、一番、親しみを感じますな。ありふれているが故の安心感。ただ意外性がありませんな」
肝心の内容ですが、温かみのある木目に青年、少女たちを描いています。
一人の青年が少女に花を送り、その周囲で三人の男女が囃し立てているというものです。
その数、五名。
幼少期から二人、減りましたね。
「幼少期から続き、青年期。となれば次は……」
ここまで来ると先は予想できます。
家臣の何人かが興味を失ったのは先が予想できたからでしょう。
しかし、自分たちは油断できません。
何せ、相手はティルレッタ君です。
意外性を通り越して奇抜な子ですよ?
「次は羊皮紙の画板――」
羊皮紙を木枠に伸ばして、貼りつけて画板にする手段です。
これも見慣れたものですね。木版の次に多いのではないでしょうか。
内容は結婚式、でしょうか?
一番、豊かな色合いで描かれた二人の男女。
しかし、なぜでしょうか、その結婚式は何故か寂しさを感じます。
あぁ、わかりました。
結婚式にも関わらず参列者が一人もいないからでしょう。
だんだん雲行きが怪しくなってきましたよ。
家臣の幾人かも眉を潜めています。
「そして、銅板ですか」
これも絵画の手法、あるいは表現の一つです。
銅板の後ろからポンチで押し出し、ヤスリで削って光沢を出す手法で表現していきます。
内容は非常に重苦しいものでした。
光沢のある金黄色で描かれた一人の熟女が、ナイフを片手に夜闇を歩いている、というものです。
ナイフはわざわざ赤い絵の具で彩っていて、とても嫌な感じに目立ちます。
「ピットラット先生。次をあまり見たくないのですが」
「ここまで見たのなら最後まで見るべきでしょうな。でないと夢見が悪くなりそうではありませんか?」
と、仰られても困ります。
当然、この絵は一人しかいません。
そして、ティルレッタ君はとても嬉しそうに最後の布を取り外しました。
現れたのは黒鋼でできた大きな枠組みです。
枠にはびっしりと嫌な感じの術陣が刻まれているところを見ると術式具のようです。
たしか黒鋼は黒の源素と相性が良かったと思います。
となると当然、起動に必要な源素は黒の源素でしょうが、自分が黒属性の術陣をティルレッタ君に教えたことはありません。
一体、何が起きるのかわかりませんね。
もう止めた方がいいのではと思いかけた時に、ティルレッタ君が枠組みに手を触れました。
「――ッ!?」
叫んだのは誰だったのでしょうか。
家臣団かアレフレットか、わかりませんが枠組みから現れたものに腰を抜かすものが多数、反射的に身構えたものが幾人かいました。
ヘグマントとインガルズさんがまさに身構えた人でしょうね。
自分ももちろん、身構えました。
何せ、枠組みから現れたのは真っ暗なローブを着て、白骨を晒す死神の姿だったからです。
おどろおどろしく蠢く様は無理やり生物的な嫌悪感を掻き立てます。
「ごらんいただけました? 私たちの催しを」
騒然とする貴賓席ですが、ふと死神の正体に気づき、自分は構えを解きました。
見ればインガルズさんも肩から力を抜いています。
「静まれ! ただの幻だ!」
インガルズさんの言葉に家臣たちも徐々に落ち着きを取り戻していきました。
完全に落ち着きを取り戻した後、インガルズさんはティルレッタ君を見ました。
「今のは何か。答えてもらおうか」
「もちろん、文化ですわ」
クスクスと笑いながら、エセルドレーダ人形を抱きなおすティルレッタ君。
「ねぇ、虎のおじさま。このエセルドレーダをどう思いますの?」
「……その人形か」
「うふ。エセルドレーダはエセルドレーダですの、おかしなおじさま」
ダメですね、話になりません。
仕方ないので視線は全て、舞台下で待機していたシャルティア先生に向きます。
しかし、何故かシャルティア先生は顔を背けていますね。
若干、顔が赤く見えるのは気のせいでしょうか?
やがて見られていることに気づいたシャルティア先生は二度ほど咳をしてから、声を整えました。
「ティルレッタ曰く、これは人の生涯だそうだ。生まれ、育ち、恋をし、結婚する。そして別れがあり、永遠の安らぎを表現したのだという」
「先の少女の問いとはつながらないように聞こえるが」
「人間を指していた、と解釈してもらえればわかりやすいだろう」
インガルズさんはそれで得心がいったのか、小さく頷きました。
「では最後のあの死神の姿は何か」
「それはヨシュアンの方がくわしいだろう?」
突然、シャルティア先生に睨まれました。
いえ、自分はこんな術陣、教えてませんからね?
しかし、本当に何時、ティルレッタ君は幻術関係の術陣など知ったのでしょうか?
今までの授業を思い出し、やはり、教えていないと結論に達した時、目の端にセロ君が見えました。
途端、セロ君が使った精神干渉の術式を思い出しました。
アレは確かに白属性の術式だったはずですが、もしも幻術や精神干渉を知るというのならそれ以外考えられません。セロ君経由でティルレッタ君に伝わったのでしょう。
何せ、セロ君とエリエス君、そしてティルレッタ君は何故か仲良しです。
「……えー、おそらく精神干渉の術式でしょう。しかし、何故、黒の術式で精神干渉が起きたか、という部分は正直、わかりません」
「つまり、人の恐怖や死の感覚を見るものに伝える術式具か」
インガルズさんはあっさり答えにたどりつきました。
これが答えかどうかまでは保証しませんけどね。
「枠に刻まれている術陣も見たことがあるにも関わらず、奇妙な配列がなされていてもはや解読も困難でしょう」
「なるほど。では最後にどうして文化の場に人生の縮図を描いたのか。答えてもらおう」
この質問にティルレッタ君はカーテシーをしてクルリと振り返りました。
閉じていこうとする幕に飛びこみ、ちらりとインガルズさんを見ました。
「あら、おじさま。おかしなことを聞きますのね」
エセルドレーダ人形の腕を取って、プラプラと手を振っていました。
「だって、全部、人がしてることでしょう?」
その一言を残して、幕は閉じました。
家臣団たちは非常に重苦しい空気を出していましたがインガルズさんだけは、瞳に深い知性の輝きを宿していました。
「うむ。けだし名言である」
一言だけ呟き、そして席に座りました。
何やら妙な部分に一石を投じたシャルティアクラスの催事でしたが、文句が出ることもなく次に続くようです。




