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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五章
315/374

後ろには気をつけた方がいい

 目覚めは最悪でした。


 理由は痛みや違和感からです。

 【虚空衣からからぎぬ】では取りきれない苦痛や縫合の痛みは薬でなんとか除去できましたが、薬が切れた時の熱さは眠りを妨げるのに十分でした。


 しかし、それも意識が戻れば【虚空衣】へと走らせる根幹術式プログラムである程度、緩和できます。


 寝汗を拭いてから、今度は昨日、エドに言われたことを思い出します。


「……シャルティア先生が勘違いするとは思えませんがね」


 シャルティア先生は察しの良い人です。

 自分がどういう意図で約束したか理解しているはずです。


 案の定、出勤して顔を合わせてもいつもどおりでした。


「おはようございます」

「あぁ。おはよう、ねぼすけ。まだ冴えない顔のままだぞ。新しい彼と遊んでいたのか」

「アレはただの友人ですよ。非生産的な火遊びには水を差すことにしています。もしくは専門家にお任せですね。肝心のお相手はおそらく今日の朝礼で身元を教えてくれるはずです」


 大仰に足を組んで、机にコツコツとペン先を叩く仕草なんていつもどおりじゃないですか。

 やっぱりエドが勘違いしていたのでしょう。


 さて、例のエドが何故、今更、教師たちに紹介されるのかですが答えは簡単です。


 今回のエドの仕事相手は学園ではなく調査隊です。

 残留調査隊が学園手前に陣取っている以上、エドは別に学園に入る必要がありません。


 それこそ近くにいるぞ、という手紙を学園に送るだけで良かったんですよね。


 しかし、学園側から王国調査隊への『文化祭の招待状』が届いてしまえば、その限りではありません。


 昨日、エドが学園に現れたのは直接、返答に来ただけなのでしょう。

 まぁ、自分の体調を観るために何かを理由にして、こっちに来たとは思いますがね。


 正式に招待に応じるとのことなので、顔合わせの意味合いも兼ねて今日、挨拶するとエドから聞いています。


 ところで、その短い間にどうして紹介されていない女性陣と仲良くなれたんでしょうね?

 そのコミュニケーション能力はハッキリと異端です。


 あれで知識も豊富ですから話す内容にも困りませんし、コミュ力と合わさって男女問わずモテる秘訣なんでしょうね。


「そういえば大工たちから受注を受けた旨が届いていたぞ。予算申告は前もって出せと言ったろう。今回は大目に見てやるからさっさと申告書を出せ。明日は文化祭だ。面倒な仕事は今日中に片付けたい」

「喜んで」


 出発前のドタバタで出し忘れていた申告書ですね。

 朝礼が始まる前にさっさと書き上げてしまいましょう。


 座り、ペン置きから羽ペンを抜いた瞬間、するりと指先からペンが落ちていきました。


 運が悪いことに机の隙間に入りこみ、地面に落ちた音がします。


 何をやっているんだ、という顔のシャルティア先生が足元を見て、机の下に潜りこみました。

 あぁ、そっちに行ってしまったんですね。


「まったく、気をつけろ」

「えぇ。調査が終わって気が抜けたのかもしれません」


 シャルティア先生からペンを受け取ろうとして『指先が震えている』ことに気づきました。

 頭の痛みはなくなったのに、まだ手足の震えは止まっていません。


 もう落とさないようにと少ししっかりと羽先を持つとシャルティア先生の指と触れました。


「ありがとうございます」

「……あぁ」


 シャルティア先生の視線が指を見ていることに気づいて、慌てて指を引っ込めました。

 この謎の震えを知られると今度は何を言われるかわかったものではありません。


「……なぁ、ヨシュアン」


 シャルティア先生が何かを口にしようとした時、扉からシェスタさんが現れました。


「ヨシュアン様。血の匂いがする。また怪我を……」

「シェスタさん。まだシャルティア先生と話が」

「いや、なんでもない。気にせずイチャイチャしていろ」


 結局、シャルティア先生は何も言わず、自分の仕事に戻ってしまいました。


 そうこうしている内に朝礼が始まり、つつがなくエドが紹介されるまでの流れは特に変な部分はありませんでした。

 エドはいつもどおりの奇抜な格好に髪型、洗練された丁寧な所作でしなを作りながら口を開きました。


「ワタシが王国調査隊並びに先遣隊責任者のエドウィン・フンディングよ。いいのよ、いいのよ、堅苦しい感じじゃなくって。すでに何人かは顔を合わせたと思うし。けれど、改めて自己紹介するわねん。好みの男は筋肉質でぇ、がっちりしててぇ、お尻がかわいい人かしらん。今回の来園は文化祭のご招待を頂いたからだけど、あぁ~ん、そういえばまだここの地理がいくつかわからないところもあるから、もしかしたら手間をかけちゃうかもしれないけれど気にしないでねぇん」


 ……何もおかしなところはありません。

 何故、自己紹介に好みのタイプを暴露し、しかも何故、対象が女性ではなく男性なのかも気にしてはいけないところです。


 若干、ヘグマント先生に熱い視線を向けていても問題はないのでしょう。

 あったとしても問題として取り上げたいとは思いません。


 なるべくヘグマントとエドを二人にしないであげましょう。そうしましょう。


「……ヨシュアン先生。妙に伯爵の視線を感じるのだが?」


 と、こっそり耳打ちされた時は曖昧な微笑みを浮かべました。


「ヘグマント先生。後ろには気をつけた方がいいと思いますよ」

「そうか? やはりか……」


 ヘグマントも気づいていたのか、珍しく冷や汗を流しながら顔を引き締めていました。


 女性陣は面識があったから気にしていないのでしょうが、男性陣は初対面で全開すぎるエドを相手に何も言えない顔でした。

 気持ちはわかりますよ? 感想に困りますからね。


 エドも学園ではあまり目立つつもりがないのか、紹介が終わったらさっさと投げキッスして帰っていきました。

 目立つという概念に一石を投じる行為のような気がしましたが、アレがおかしいとは思えないのはエドらしさというのでしょうね。


「フンディング伯爵まで学園に現れるとはな……」

「うむ? 名は聞いたことがあったがどういう出自かね? アレフレット先生」

「あぁ。帝国の武器や情報を精査する解析官だ。アレですごい経歴だったはずだ。刻術武器の開発所や術陣の研究機関、医学会にも籍を置いているという多才な男さ」


 アレフレットとヘグマントの話を聞き流しながら、これからのことを考えるとエドが先に帰ったのは僥倖でした。


 明日は文化祭、その詰めです。

 そのために今日一日、授業を潰して文化祭準備にかかります。

 客に準備を見せるわけにもいきません。


 会場の設営などの力仕事は男性陣と男子生徒たち、内装や出し物の準備は女性陣と女子生徒たちです。

 自分は怪我のせいで設営の指示しかできませんでした。

 あえて『怪我をしていないように振る舞いました』が生徒は騙せたと思います。


 午後はそれぞれのクラスの催しを通しで行い、本番に向けます。


 生徒も教師も騒がしくも慌ただしい一日だったのでしょう。


「あー、やっぱり、この衣装、慣れないなぁ」


 【室内運動場】の裏口前でマッフル君が旅人のローブを着て、裾を摘んでヒラヒラしていました。


 くじ引きで決まったクラスの順番はやはり、というか、なんというか。

 予定調和的に一番、最後でした。


 自分、くじ運がないのでしょうか?


 結果、こうやって衣装を着た生徒たちと一緒に裏口でずっと待っていたのですが、それももうすぐ終わりです。

 ヘグマントクラスの旗演舞が終われば、そのまま出番ですからね。


「その程度の衣装が慣れないとはどういうことですの」


 クリスティーナ君の衣装は、水色に近い白いドレスの上にモコモコのファーコートを着た、嫌に厚着な氷の女王でした。


「いや、あんたのソレもどうかと思うけどね。日中なのになんでアンタはそんな格好なわけ?」

「衣装だから仕方ありませんわ! あなたこそそのみすぼらしい――はっ!?」


 失言に気づいたクリスティーナ君が振り向くと、そこには泣き出しそうなセロ君がいました。


「……セロはもっとすごいの、つくれるようになるのですっ」


 ネズミの衣装を着たセロ君は、必死で涙を貯めて我慢していました。


 もしかして、その可愛いのが【囁くラタトスク】ですか?

 おかしいですね、先生の知っている【囁くラタトスク】は可愛らしさというものが一欠片もなかったはずですが。


「違いますわよ! そういう、本職に負けないようなものを作れとは言っていませんわ! これでも十分ですのよ、だから、勘違いしないように!」

「うわぁ、ものすごい勢いで墓穴を掘り進めてるんだけど、あたしは上から土を被せたらいいわけ?」

「だまらっしゃい! 貴方がいらないことを言うからですわ!」


 マッフル君の持つスィ・ムーランの石杖と、クリスティーナ君の持つ氷の女王の杖がぶつかり合いました。


 あぁ、この二人に得物を持たせたままにすべきではありませんね。

 殴って止めたらものすごく肩が痛みますね、と思いつつ足を踏み出すよりも先にエリエス君が前に出ていました。


「二人共、小道具を壊したら怒る」


 エリエス君の静かな声に、二人はピタリと動きを止め、慌てて杖を背中に隠しました。


 そんなエリエス君は背中に羽の生えた薄緑色のドレスを着ていました。

 しかし、森の妖精はそんな平坦な声でクラスメイトを脅したりしませんからね?


「まったくじゃの。準備がギリギリじゃったから、ここで壊れたら修繕で徹夜じゃぞ!」


 アルファスリン君もセロ君と同じネズミの衣装です。

 ただし、セロ君は【囁くラタトスク】と森の妖精、アルファスリン君は【囁くラタトスク】と花と大地の神テノートの二役をやります。


 花と大地の神テノートと旅神スィ・ムーランは仲が良かったので、イルミンシアとの間に入って二人の恋を邪魔する役ですね。

 イヤな役どころかもしれませんが、神々の役をするのなら調査隊も文句を言わないでしょう。


 若干、政治が関わってしまうことだけは残念ですが、それでも生徒たちは気にしていないようですから、何も言いません。

 気づかせないのも気配りというのでしょうか。


 これから先がどうなるにせよ、少なくとも今は生徒たちが背負うべき問題ではないのは確かでしょう。


「クリクリはすぐにセロリンを泣かそうとするであります」


 リリーナ君はセロ君を抱きしめ、そっと背中に隠してしまいました。


 そして、リリーナ君はイルミンシアの衣装です。

 白と若草色のふんわりとしたドレスですが、氷の女王のような威圧感のあるドレスではなく、周囲に溶けこむような柔らかいイメージを思わせるものでした。


 若干、背の高いリリーナ君に不向きかと思いましたが、見てみると何故でしょうね。一回り小さく見えます。


 似合っていないどころか着慣れたように見えるのは、エルフに昔から伝わる衣装を参考にしたからでしょう。


「リリーナさん! また私を一人、悪者扱いにして!」

「あのさ。あんたが大体、原因だって知ってた? 気づいていないよね、そういうのって自分じゃ」

「貴方の計画がいちいち問題を起こすように作ってあるからでしょうに!」


 喧嘩しながらも二人は激しく動こうとしないので、もう大丈夫でしょう。


 自分も衣装がありますが、上半身裸の衣装だったので急いでそれっぽい衣服を見繕ってきました。

 体の傷跡はもちろん、今は両肩の包帯がありますから見せるわけにはいきません。


「はいはい。全員、そろそろ出番です。今回は失敗しても気にしないように物語を進めていきましょう。マッフル君は余計なツッコミを入れないように。クリスティーナ君は露骨に顔に出さない。エリエス君、全体の指示を任せますよ。アルファスリン君とセロ君はちゃんと決められた仕事をきっちりこなせば問題ありません。リリーナ君は――」


 しかし、生徒たちにとっては騒がしくも慌ただしい、楽しい一日だったと思います。


「――皆を助けるように動いてあげなさい」

「うぃ、であります」


 セロ君を抱えたまま、一回転して笑顔を見せるリリーナ君。


 リリーナ君の一件で良いように働いたのか、通し稽古はつつがなく終わり、喧嘩珍しく一致団結したヨシュアンクラスを見て、明日への心配などなくなりました。


 懸念があるとしたら一つだけです。


 全ての準備と最終の会議が終わり、社宅に戻り、倒れるようにソファーに体を沈め、両腕を見ます。


「モフモフ……」


 とうとう意識とは無関係に震える手先を睨みながら、自分はモフモフに声をかけました。

 答えを期待していたわけではありません。


『……無色の源素が体内に入りこんでいる』


 しかし、モフモフは正しく正解を答えてしまいました。


 えぇ、この、皮膚の下にうっすらと黒い痣のようなものは瘴気――無色の源素が原因でしょう。


 自分の内源素と拮抗しながら、しかし、『初めから傷があった両腕を基点に』じわじわと侵食してきています。


「モフモフ。浄化はできますか?」

『できるが今、行えば体を維持している力も消える』


 【虚空衣】の影響が消えれば、おそらく腕も動かせないでしょう。

 下手をすれば、蘇った生命を無駄にする可能性もあります。


『あの奇っ怪なヒト種なら浄化で抑えることくらいできるだろう』

「そんなことを言えば、舞台に出るなと言われますよ」


 明日は自分も出番がある、と考えるととてもではありませんが頼めません。


 エドならドクターストップをかけるでしょう。

 予感以上の確信があります。


「明日一日だけ保てばいいんですよ。わかってはいます。ですが」


 エドが言った『大事な人のために己を大事にする』ということ。


「せっかく、ここまで来ているのに自分のせいで台無しにはできません」

『……わかった』


 しかし、何を天秤に乗せて選択するかは自分で決めなければなりません。


「ですが、だからと言って今までのような無茶もしません。明日、エドに無理を言って『最悪の事態』に備えてもらう予定です。もっともそれまでに自分が保ち続ければ、大手を振って倒れてもいいわけです」


 決めてしまった以上、モフモフからの返答はありませんでした。

 ただモフモフもそのつもりでいてくれるでしょう。


 明日。明日さえ乗り切れば――


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