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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第五章
303/374

深いのは傷跡です

「言った本人が遅刻とは何事じゃ!」


 両側から護衛兵に守られているアルファスリン君は、自分を見つけるなりプンスカと煙を上げていました。


「すみませんアルファスリン姫様。大道具を作っていました」


 護衛兵のいる手前、アルファスリン君を君付けで呼ぶわけにはいきません。

 当のアルファスリン君はそんな些細な配慮など気にせずに『ぐぬぬ』と呻いていました。


 そんな子供らしい、悔しそうな顔と違ってアルファスリン君から受ける印象は少しだけ大人びているように見えました。その原因は最近、愛用しているモコモコの学園制服を着ていないせいでしょう。

 セロ君の神官服よりも派手な装飾や刺繍が多いのに、清廉や潔白といった侵されざるもの、というイメージを浮かべさせる神官服です。


「ぬぅ……、首尾はどうじゃったのじゃ」

「半分くらいは作れたと思いますよ」

「本当か!」


 本当は鐘が鳴る前に帰る予定でした。

 しかし、いますよね。妙に仕事をさせるのがうまい人。

 棟梁さんに言われるがまま材木を乾かし続けていると一気に時間が溶けていきました。

 そして、ギリギリになって社宅に戻り、武装して学び舎まで走ってきたのですが、それでも遅刻しました。


 ですが、そのことをアルファスリン君に言うつもりはありません。

 遅刻したのはきちんと時間管理できなかった自分のミスです。


「もしも何の首尾も収めずに帰ってきておったら、その髪を引き抜いてやるところじゃった」


 あやうく頭髪に大ダメージを受けるところだったみたいですね。


「しかし、我々が用意できなかった材木をどうやって用意したのじゃ? 暴動、一歩手前じゃったはずじゃぞ」


 材木くらいで暴動なんて起こすんじゃありません。

 本当に自分たちが見ていないと何を起こすかわかったものじゃありませんね。


「その件で色々と聞きたいことがあるのでアルファスリン君も含め、覚悟しておくように」


 にっこりと笑みを浮かべるとアルファスリン君は青ざめました。


 材木狩りなる賊ですが、話を聞いた時から違和感しかありませんでした。

 いくら生徒たちが文化祭準備を妥協しないとは言え、暴動になるとは考えられません。


 となると『誰かが材木の無さを利用して危機感を煽ったと考える』のが一番、ありそうな話です。

 動機はおそらく『そうした右往左往を楽しんでいる』程度の軽いものでしょうが、実際に迷惑をした人々――棟梁さんたちがいる以上、見過ごすわけにはいきません。


「わ、妾のせいではないからの?」

「可愛らしさを主張しても手心は加えません。実行犯、並びに扇動犯は並べてオシオキです」


 舌打ちするんじゃありません。

 姫なのにだんだんと要領よくなってきましたね。

 この手口を教えたのはマッフル君かリリーナ君と見ました。


 学園で変な影響を受けたとかなんとかで、女王から苦情がこないか心配です。


 さて、諸々のことを考えると護衛兵は邪魔ですね。

 軽く護衛兵たちに目配せすると、一礼してから去っていきました。

 ここからは自分が護衛を引き継ぐ、ということです。


 もっとも『尋問を開始する』という意味もありますが、護衛兵たちはきっと思いもつかないでしょう。


「それでは早速、参りましょうか」

「う、うむ」


 宿泊施設側に向かおうとしたアルファスリン君の首根っこを捕まえて学び舎に入りました。


「何をするのじゃ! 遺跡に向かうのなら西じゃろ! どうしてまた学び舎に入るのじゃ!」

「えぇ、だからまずは屋上ですね。その前に道すがら、じっくり今回の件について聞いておこうと思いまして」

「妾は何も知らん!」

「知っていますか? 皆、そういうんですよ」

「本当に知らんのじゃ! 妾は会議に参加しておらん!」


 微妙に話の内容がおかしいですね。

 自分は何も聞いていないのに取り分会議の話をし始めました。


 材木の取り分を巡っての会議は寮で開催されていたので、アルファスリン君は参加できなかったのでしょうね。

 アルファスリン君は授業と文化祭準備以外はすぐに【貴賓館】に戻ってしまいます。

 護衛する側からすれば可能な限り、その身の安全を確保していたいでしょうし、アルファスリン君もワガママな面こそあれ、己が守られているという自覚があります。

 なので放課後は【貴賓館】から無断で出て行ったり、こっそり寮に忍びこんでいたり――いえ、ちょっと待ってください。


「無実じゃー! 妾は【貴賓館】におったぞ! 護衛兵に聞いてみれば妾の潔白は晴れるのじゃ!」

「本当ですか?」

「本当じゃとも! 取り分会議のことじゃって妾は何も触っておらん! この愛くるしい妾の瞳を見よ。これが嘘をついておるものの目か? かわいいじゃろ? かわいいは正義じゃとモモも言っておったぞ」


 ――腕の中でジタバタ暴れるアルファスリン君が妙に反抗的です。

 まるで何か隠したいことがあるから必死になっている、みたいな反応ですね。


 きつめの瞳を潤ませて、じっと見上げてくる様はなるほど、愛らしく見えますが所詮、張りぼてですね。

 その程度の繕い方で先生を騙せると本当に思っているのでしたら甘すぎます。


「実は管理人さんから寮内で君の姿を見たという情報を得ました」


 もちろん、嘘です。

 今日は管理人さんと会っていませんし、たとえそうであっても管理人さんのことです。

 生徒たちが明確に問題となるような行為――それこそ材木狩りみたいな迷惑行為に及ばない限り、小さいアレコレは黙ってあげているでしょう。


 例えば『黙って【貴賓館】を抜け出した』ことがあっても、管理人さんは黙っていると思いますよ。


「ぬわ、なんじゃと! あの管理人め、妾を謀りよったのじゃ! なんたることじゃ! 妾への冒涜じゃ! 今すぐ言って鳥の餌にしてくれる――」

「管理人さんは何も言っていませんよ?」

「――なんじゃと?」


 ものすごく間抜けな顔をしていました。


「まさか謀ったのじゃな!?」

「えぇ、そのまさかです」


 頭によく痺れて長く効くゲンコツを落としておきました。


 護衛兵に隠れて寮に遊びに行っていたようですね。

 で、後ろめたいから隠そうとしたのが原因です。

 それもバレるようでは暗躍するような策略家に向きませんね。


 その実直さというか、素直さに人は集まってくるかもしれませんね。


「知っていると思いますが君は誰かに守られる側です。君の大事は国の大事なのです。意地悪をしているわけでも憎いからでもありません。悪気があって言っているわけではありません。わかりますね?」

「……そんなことはわかっておる」

「そうですね。何事もなくてよかったですよ」


 アルファスリン君は自分で頭をさすりながら、瞳を地面に向けていました。

 この子は他の生徒と違い、責任というものをよく知っています。

 いえ、生徒たちも一応、責任くらい知っていますよ。ですが実際に大人に交じり、実際に責任を取る立場に立っているのです。

 小さい頃から商人として育てられてきたマッフル君ですら、そこまでの経験はしたことがないと思います。

 

「じゃが、少しくらい良いじゃろ。アンドレアスやインガルズがおらん時くらい皆と同じようにしておっても」

「……先生は立場上、頷けませんね。ですが」


 アルファスリン君はたぶん、今、楽しいのでしょうね。

 なんだかんだと言い合える『同じ立場』の友達なんてアルファスリン君は望んでも得られない立場ですから。

 アルファスリン君にとってヨシュアンクラスの仲間はモモ・クローミと似た立ち位置にいるのでしょう。


「君がそうして居られることと法国の姫様としての立場、両方を重んじています。なので先生の手の届く範囲なら君のわがままの一つや二つ、叶えてやりたいと考えています」

「でも怒るんじゃろ!」

「怒りますよ? 当然です」

「どうしろというのじゃ……」


 静かになったアルファスリン君を抱えて、そのまま屋上に向かいました。


 しかし、こうして抱えていると妙な気配をアルファスリン君から感じます。

 これは白の源素の気配ですね。

 『眼』で見るとやっぱり白の源素がポツポツと服から排出されています。


 動きづらいくらいに裾が長く、完全に地面と布が擦れているにも関わらず、全然、土汚れが見当たらなかったのはそのせいですか。


 白の源素が活性化すると物体は『性質を保とうとする働き』を見せます。

 汚れていないのはまさにその原理を応用したものなのでしょう。


 もしかしてその儀式服、法国の謎技術で作られた服ですか?

 儀式場の源素排出技術はたしか法国が最初に作ったとされていますし、ダウンサイジングした儀式場、いわば【携帯儀式場】みたいなものだとすると素晴らしいですね。


 メルサラのような常駐型【ザ・プール】を術式具で再現しているのと同じです。

 さすがにメルサラの出力には及ばないでしょうが、兵器運用から日常技術に至るまで広い可能性を感じさせる技術です。


「むぅ。まぁ、汝も妾を大事に思って言っておることくらい――」

「ところでその服、後でじっくり見せてもらっていいですか?」

「汝はいきなり何を言うておるのじゃー!?」


 脇腹を思いっきり噛みつかれました。ちょーいてぇです。


「妾の聖なる噛み跡じゃ。深く思い知るのじゃ!」

「深いのは傷跡です!」


 びりびりハリセンを使ったら、脇腹にまで電気が流れて二人で悶絶したのは内緒です。

 いち早く復活した自分が脇腹を抱えて屋上の扉を開けると、狭い空が迎えてくれました。

 本来なら夕暮れで眩しいはずの時間ですが、曇りの日は薄暗いですね。


 そのうえ、文化祭活動中なのか下が騒がしいですね。

 キースレイト君たちピットラットクラスは聖歌を楽器演奏するらしいので、この音、いえ、音楽は通し練習中なのでしょう。


「うまくやっているようですね……、音楽に材木が必要なのかどうかは別として」


 そういえば踏み台が足りないなどという話を聞いたような気がします。

 なので、踏み台のために材木を必要としたんでしょうね。


 しかし、本当に脇腹が痛いです。

 シャツをたくし上げてみたら、青く噛み跡がついていました。

 全力で噛みついてきてましたね。ちくしょう。


「それで屋上まで来てどうするつもりなのじゃ……」


 まだ痺れているのか、生まれた小鹿のように足がプルプルしているので支えようとしたら手を払われました。

 喉の奥から鋭い威嚇音を鳴らして、警戒しなくてもいいんですよ?


「何が君をそこまで頑なにしてしまったんでしょうね……、家庭訪問しますか? 三者面談も受けつけますよ?」

「変態なことを言うからじゃろう!」


 にべもありません。

 戦う前から心と体、両方が傷つくとは思いもしませんでした。


「先の質問ですが遺跡まで距離がありますからね。ここから跳躍術式を使い、途中で乗り換えようと思っています」

「もしかして騎竜かの?」


 突然、下ごしらえしたシイタケみたいな目をされても困りますね。


「文化祭から数日後、騎芸の授業がありますよ」

「おぉ! 竜に乗れるのかぁ……。グライフはもう飽きたのじゃ」


 グライフというのは調査隊が馬車ならぬ鳥車を牽かせていた、あの動物のことですか?

 聞くところによると、わりと穏やかな品種みたいで飛べない種らしいですね。


「騎竜はいいとして、そろそろ行きますよ。時間も押していますしね」

「遅刻しておいて調子の良いことを……」


 こいこい、と手を動かすとアルファスリン君は首を傾げました。

 さっきのことがありながら素直に近寄ってくるところを見ると根本的に人を疑いませんね、この子は。


「では失礼」

「な、なんじゃー!?」


 さっと膝裏に手を回してお姫様だっこします。

 さすがに軽いですね。リリーナ君の時は体格に準じた重さもありましたが、小柄なアルファスリン君は見た目以上に軽く感じます。


 急にお姫様だっこされて顔を真っ赤にしたアルファスリン君が小さな手で額を叩いてきます。


「一言、言ってから触らんか! いや触るなー! 先といい此度といい、なんか無礼じゃぞ!」

「しかし、こうしないとアルファスリン君を運べませんよ?」

「ぐ……、なら妾も跳躍術式を使って」

「移動できますか?」

「……ちょっとこわいのじゃ」


 素直でよろしい。


 跳躍術式での移動方法は慣れない者が行うと、途中で術式を維持できなくなって落ちてしまいます。

 足が地についていない、というのは人にとって大きなストレスですからね。


 アルファスリン君に言葉を返すより先に【屋外儀式場】から必要な源素を手繰り寄せ、術式を編んでいきます。

 

 ウルクリウスの翼だとリーングラードを飛び越えてしまうので、通常の【緑の獣の鎧】です。


 『長距離を一足で移動し、敵の認識範囲外より敵陣営に乗りこむ』ことを想定し、作られた【緑の獣の鎧】なら着地点も精密に設定できますしね。


 【緑の獣の鎧】は奇しくもグライフに似た形状でした。

 長い髪のような姿勢制御用術式に、滞空と速度を生み出す小指から肘、そして延長線上に伸びる剣のような翼。風圧によって術式が破壊されないようにと覆う、鳥の頭のような防御結界。

 爆発力で初速を得るために膝から足まで伸びる逆関節のような円筒状の術式。


 ほぼ全身が空気抵抗の少ない緑の強化術式で覆い、手足は急旋回や急加速のための赤、高度や速度によって下がる体温を保護する黄と赤が緑の鎧の下を駆け巡っています。


 【獣の鎧】の中でもっとも強化率が低く、コストも低い、長距離間移動のみを考えた複合相生属性ふくごうそうしょうぞくせいの強化術式です。

 アルファスリン君が空圧に負けてしまわないようにと空気の膜を作り、遠視の術式で目標を定めます。


「それでは行きましょうか」

「ちょっと待ったであります!」


 足に力を込めて飛び出そうとした瞬間、屋上の扉が開いて現れたのはリリーナ君でした。

 肩で息をしながら、しかし、何故か武装しています。


「どうしましたリリーナ君? 文化祭準備中に生徒会はなかったはずですが」

「リリーナも行くであります」


 一瞬、耳を疑いました。


「遊びじゃないんですよ?」

「リンリンだけずるいであります。文化祭準備も終わってないのにずーるーいーでありますー!」

「アルファスリン君は仕事です。リリーナ君も文化祭の準備があるんじゃないですか? 大道具をちゃんとすると先生と約束しましたよね」


 う~、と恨めしそうな顔をするリリーナ君。


 自分は吐き出しそうになったため息を飲んで、首を横に向けました。

 リリーナ君の顔は見えませんが、自分の顔から逃げるように動いたのだけはわかりました。


「一生のお願いであります!」

「そういうお願いをする子は何度も一生を過ごすんですよ」


 リリーナ君は一体、何を考えているのでしょう?

 遺跡での調査にリリーナ君を連れていってもどうしようもありません。


「良いのじゃ」


 また面倒な言葉が腕の中から聞こえてきましたよ?

 アルファスリン君の瞳にリリーナ君が映っていました。それもすぐに自分が映ります。


「リリーナが来たいと言っておるのじゃ。生徒の面倒を見るのは教師の役目じゃろ」

「授業ではありません」

「妾が問題ないと言っておるのじゃから問題ないのじゃ! 神務代行ヘルメ=フィリネ・パルミドーヴァ・ユーグニスタニアの子。アルファスリン・ルーカルバーラ・ユーグニスタニアが四聖団の長として命じる! リリーナを連れて行くのじゃ!」


 正直なお話をしましょう。

 アルファスリン君が許しても学園側の許可がなければリリーナ君を調査隊の元に連れて行くことはできません。


 学園からすれば生徒は大事な参加者です。

 危険かもしれない調査隊への同行は認められません。


「絶対にダメです」

「なんでじゃー!」

「リリーナのおっぱい触っていいから連れてってであります」

「あのですね」


 一度、アルファスリン君を降ろして、リリーナ君と向かい合いました。


「リリーナ君。先生は約束を守って大道具を半分、仕上げました。それは君たちの手伝いができなかったからです。できなかったと言い訳せずにちゃんと責任を果たしたのは何故だかわかりますか?」


 顔を合わせてもやっぱり逃げるのは、後ろめたい気持ちがあるのでしょう。


「学園が始まった時に先生はクリスティーナ君との約束を守ろうとして、でも、できませんでした。皆にとっては良かったかもしれませんが、先生にとっては約束を破ったことに変わりありません」


 すこし腰を折って、棒立ちするリリーナ君の膝にゆっくりと触れました。


「だから、もう。これからは君たちとの約束は全部、守っていきたいのです。どれだけ無茶と言われてももう二度と裏切らないように、可能なことは全て行うつもりです。あの時から先生は君たちとの約束を破ったことはなかったはずです」


 うまくいかない、そんな気持ちがちょっとずつ目の端に溜まっていました。


「リリーナ君。よく考えましょう。今、君が抜けて、一番苦しいのは誰ですか?」

「……クラスの皆であります」

「そうですね。リリーナ君は皆を見捨てていけますか?」


 肯定も否定もしませんでしたが、リリーナ君の瞳は語っていました。

 見捨てるつもりはないけれど、今、この場に居たくないから動きたい、そんな本能じみた本音をです。


「何か考えがあって、先生についてきたかったのでしょう。ですが、皆と天秤にかけて君はもっと苦しくなったりしませんか? 不本意だったかもしれませんがリリーナ君が大道具を担当するのは皆にとって、一番の手段だったはずです。そのことをリリーナ君もよく知っているから大道具の仕事を引き受けたのだと思っていました」

「でも、先生がそんな格好してるってことは『ものすごく危ないことをする』からであります」


 どいつもこいつも妙に鋭いことを言うんじゃありません。

 そんなに先生が武装したらおかしいですか?


「大丈夫です。これは念のためです。それより先生にとって、君が皆との約束を破って、皆を苦しめ、リリーナ君自身も苦しむような選択を黙ってみているわけにはいきません。君は、君のできる責任を果たせるようになりなさい。君自身と仲間を裏切らない君になりなさい。できますね?」


 むぅ、と頬を膨らませてもダメです。


「先生が半分、大道具を終わらせておきました。後はリリーナ君が頑張るだけです。つまらないかもしれません、退屈かもしれません。でも、責任を果たせる心をちゃんと持ってください」


 これはもう願いでした。

 妹がバカな選択を選んだ時に自分は応援できませんでした。


 それで良し、と受け入れたのです。

 受け入れることはきっと、妹にとって一番、楽で大事なことでした。


 でも、本当に妹のことを思うのなら才能を活かせる心を持たせるべきだったのです。

 辛くても、もっと強い自分になるための道になったかもしれないんです。


「君には君を手伝ってくれる人だっているはずです。勝手に決めつけてしまわないで挑戦してみればきっと――」


 空に指を差すと曇天は薄灰色に重くのしかかってきそうでした。

 ですが、そんなものは指一本で貫ける程度の壁でしかありません。


「――そのうち、あの曇り空の向こうにだっていけるようになります。先生のように」


 やがて肩を震わせると、思いっきり向こう脛を蹴られました。

 しかし、【かむやまびこ】があるので蹴ったリリーナ君が痛かったのか、つま先を持ち上がて、ぴょんぴょんと飛び回っていました。


「先生のバカ! あんぽんたん! リィティカ先生にフラれたらいいでありますー!」


 そのままダッシュで逃げられました。

 ちょっとだけ床に水滴が落ちていたのは見なかったことにしておきましょう。


「……リリーナが泣いておったのに何故、あんなことをいうのじゃ!」


 アルファスリン君がジト眼どころか頭髪を逆立たせて睨みつけていました。

 見なかったことにしているのに率直に聞かないでください。


「逃げることは必要です。立ち向かうだけが全てではありません。しかし、立ち向かう時に立ち向かえない子は絶対に後悔します」


 後悔しなかったとしても、それは後悔からも逃げているからでしょう。

 全てから目を逸しているのと変わりありません。


「リリーナ君に恨まれる覚悟がなかったから、一歩、足を踏み出せなかったんですよ」


 結局、妹の時と同じように二の足を踏んでしまうのではないか。

 そんな気持ちに抗うためにわざと突き放さなければなりませんでした。


「きっと傷つくでしょうが、それでも言うべきだったんですよ」

「むぅ……、なら何故、そう言わんかったのじゃ」

「なんででしょうね?」


 何故なら言い訳になるからですよ。


「行きましょうか。アルファスリン君」


 まだ曖昧な顔でしたが、今度のアルファスリン君は黙ってお姫様だっこされていました。


 できればリリーナ君は我慢強さや粘り強さを身につけて欲しいですね。

 そう願いながらも、後ろ髪引かれるように屋上から飛び立ちました。


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