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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四間章
269/374

少女たちの冒険譚 前編

 エリエスにとって学園での生活はその今までに比べると異常であった。


 自らの座るソファーの隣に、自らと同年代の子供が座っている。

 食事時の対面にも必ず誰かがいる。

 耳を澄まさなくても、どこかの誰かの声や音がする。


 それらは今までエリエスが育ってきた記憶にないものだった。


「どうしたでありますか?」


 本から顔を上げて周囲を小さく見渡すエリエスに、リリーナが目敏く反応する。


 寮の内部は概ね学園内部と似通っている。

 大きく違うのは一階の半分が食堂とサロンだということだろうか。

 特にサロンは生徒たちが落ち着けるようにと窓が多く、床は転んでも良いようにとフカフカのカーペットをしつらえていた。


 内装も木目や明るい色が多く、生徒たちも心地いいのか誰かしら座っていたり、談笑していたり、宿題をする者も少なくない。


「キョロキョロしてて変でありますよ?」

「なんでもない」


 エリエスにとってサロンと言えば『がらんどうの部屋』でしかなかった。

 居る者にしてもエリエス以外は喉を焼かれ、口を縫いつけられたメイドだけだった。

 何かを訪ねても唸り声しかあげない彼女たちを人間として見たことはない。


 彼女たちも自身を人間と感じたことはなかったろう。


 まるで何かに操られていたかのようにエリエスの世話をするだけの存在だった。

 エリエスが死なないように食事を与え、外に出るのを防ぐための柵でもあった。


 そのことに不満を覚えたことはない。

 特筆すべきことではなかった。


 何故なら物心ついた時からそうだったのだ。


 異常だと理解するための基準がない。

 それが当たり前だと感じているからこそ今の生徒たちがいるサロンが異常に感じてしまう。


 誰もが悩みながらも楽しそうで、様々な感情の色がサロンに溢れている。


 異質だと感じて、一人が当たり前だというのなら部屋にこもればいい。

 しかし、彼女が師事するヨシュアンから『人の求め』を理解しろと言われている。

 求めを知ろうとするなら必然、人を観察しなければならない。


 エリエスにとってサロンは求めを理解するための勉強場でもあった。


「リリーナは今、何がしたい」

「ん~、であります」


 どのように求めを理解するのか。


 例えばエリエスに訪ねられ、不思議そうな顔をして首を傾げるリリーナ。

 彼女の様子を観察し、その表情や仕草、声の調子、目の動きなどから高い確率で欲しているものを選ぶ必要がある。


「エリリンが可愛くなったからギュッとしたいであります」

「や」

「そんなこと言わずにケチんぼであります」


 手をわきわきと動かして、ヨダレでも垂らしそうなほど緩みきった口元で熱烈に眺めてくるリリーナ。

 リリーナの求めは口頭で説明され、表層を見て理解した。

 しかし、エリエスは誰かに触られたいと思わない。


 両方の求めがぶつかった時、どちらが優先されるのか。


 求めの強さか、それとも求めの種類か。

 エリエスは油断なく警戒しながらも、本を構えてリリーナから身を守っていた。


「何してんの、あんたら」


 いつの間にか買い物袋を両手に抱えたマッフルがジト目で二人を眺めていた。


「エリリンに抱きつきを拒否られてさみしい、さみしいであります」

「あー、エリエスはあんまり触られたりしたくない系なんだから。先生にも言われたじゃん。人の嫌がることをすんなって」

「そんなにリリーナのこと、嫌いにならなくてもいいのであります」


 うるうると目を潤ませて懇願のポーズにザワザワとする気持ちをエリエスは感じた。

 しかし、触られる嫌悪感の方が強くてそんな気持ちを抱いていることすらエリエスは気づかなかった。

 今はただマッフルの乱入のお陰で、触られる心配もないだろうということに安堵していた。


 何故、触られることに忌避感があるのか。


 実はエリエスにもよくわかっていない。

 以前、リリーナに背後から掴まれた瞬間、真っ赤な何かから手が浮かぶ光景が鮮烈に浮かびあがったことが原因ではないかと、ぼんやり思っている。

 その手がとても嫌なものだったと印象に残っているせいか、誰かに触られたくないと強く感じている。


 いや、そもそも『手』が目の前に来て、触られそうだと考えると全身が総毛立ち、頭の中で警鐘を鳴らすのだ。


 理屈ではない、言葉にならない感覚を持て余しているのは他ならないエリエス本人だった。


「エリエスで遊ぶ前にこっち手伝ってよ。さっき色々買ってきたんだから。あの計画のためにさ」

「この両腕の中のさみしさをどうしたらいいのでありますか?」

「はい、これ。思う存分、抱きついてみたら」


 マッフルが買い物袋から取り出した大根をリリーナに渡すと、仕方なく大根に抱きつき始めたリリーナだった。

 大根でいいのか、と思ったエリエスだがこれも一つの求めの解消法だと考える。


 それをヨシュアンに聞けば、こう返ってくるだろう。

 『代理による欲求不満の解消』である、と。


「リリーナは大根に首ったけだからエリエスが手伝ってよ」

「別にいいけど、ここで」


 マッフルが買ってきたものはいわゆる『クラスだけの秘密』だった。


「別にいいんじゃない? だって、次の参礼日に生徒会で遠征に行く子は少なくないと思うし、これもその一つだと思うだろうしさ」


 少しだけ声を落として口元に手を添えながら顔を近づけるマッフル。


「なら」


 エリエスも了承して手を出す。

 マッフルはしたりと頷いて、買い物袋を膝までのテーブルに置く。


 言われる通り、どれも特別でもなんでもない。

 ロープ、細紐や日持ちする食料品、空の革袋や消耗品の包帯、綿。釣り針もそうだ。

 嵩張る物としては体を包める布だ。特殊な物は藁を粉々にして固めた着火剤だろう。

 生徒会の遠征なら持って行ってもおかしくない物品ばかりだ。


 それぞれの数がバラバラなのは以前、遠征に出かけた際に取り揃えていたマッフルの分や結構、色んなものを持っているリリーナの分を抜いたからだろう。


 ヨシュアンクラスがキャラバンで得たお金の一部は共通の財布で管理され、こうした消耗品や準備金に出される。


「エリエス、ナイフ持ってる?」

「ない」

「なら、鍛冶屋さんに頼んでおいて良かった。これとは別に小さいの買ってきたから。セロとお揃いのヤツ」


 瞳で『いくら?』と訪ねて見るとマッフルは指を二本突き出す。

 ポケットから銀貨を二枚、取り出して、マッフルに手渡す。


 その瞬間、指がマッフルの手のひらに触れる。


 しかし、嫌悪感はない。

 抱きつかれそうになったときには嫌悪感があったのに、こうした小さな接触は何故か何も思わない。


 まじまじと自らの手を見るエリエス。


 この差もまたエリエスにとっては謎だった。


「あのさ、エリエス。あたしが言うのもアレだけどさ……」

「なに?」

「エリエスって先生から術式具の作り方習ってんじゃん。あたしらよりずいぶん先に進んだ感じでさ」


 授業、生徒会の合間を縫って術式ランプ作りは今も続いている。

 ヨシュアンから教わった術式ランプは今でもヨシュアンクラスの重要な収入源である以上、おいそれと止めるわけにもいかない。

 最近ではエリエスとセロ、マッフルが錬成で作った疲労回復薬なんかも収入を支える商品だ。


 それとは別にエリエスは個別でヨシュアンから術式具作りを教わっている。

 リリーナデザインの室温器は材料の関係上や難易度の問題から一つしか作れなかったが、今度のキャラバンへの目玉商品だ。


「将来、術式具元師になるつもりじゃん?  そしたら店を構えるじゃん。でさ……、そのナイフの値段、確かめなくていいわけ?」


 マッフルの求めがなんなのか今ひとつ、わからなくて緩慢に首を傾げるエリエス。


「なんかエリエスが経営する店って、変なものがとんでもない値段だったり、すごいものが安値で手に入りそうで怖くなってきた」

「店……」


 マッフルに言われ、ぼんやりと考える。

 義務教育で培った知識や経験で何がしたいのか。

 まだ学んでいたい、まだ教わりたい、そうした求めはある。


 だが、先生はどうだろうか。


 一年経てば先生は元の職場に戻るのだろう。

 そこで職人として暮らす。

 詳しく聞いたわけではないがそうなのだろうと曖昧に思うだけだ。


 先生は義務教育が終わっても先生として居てくれるだろうか。

 頼みこめば先生も職人だ。筋が良いとも言われた上にちゃんと正式な弟子としての儀式も行っている。

 邪険にはされない自信がある。


「本に職人の弟子は店に住まうと書いてあった」

「いや、職人だってまちまちだしさ」

「具体的に」

「ん~、前の行商で聞いた話なんだけどさ。義務教育始まる前のね。一年間だけ弟子をとって、技術だけ教えて放り出す人がいたんだよ。普通、後継者にしないなら技術も最低限しか教えないし、最悪、食っていけるだけの技術しか教えないし。わかるっちゃーわかる。でも技術しかない人って大抵、その業界で細々としかやっていけないわけ。で、なんでかわかる?」


 マッフルは黙って見つめる瞳を『ピンと来ていない』と判断し、話を続ける。


「経営の仕方をまったく教わってないんだよ。鍛冶師だったら、どこどこの鉄がどれだけ良質か、どこまでの値段で手に入り、どういう行商路をたどるか大体、教わるんだけど、そういうの聞かないと一から市場を手探りになっちゃうわけ。どんな収支があるのかよくわかってないまま職につくと苦労するよ。その職人が持っているツテがないから経営もうまくいかないしさ。中には一から出来ちゃう人もいるけどさ、そういう人ってそれこそヨシュアン先生みたいにいくつも別の技術を持ってるし」


 通常の職人は弟子に『名前』を与えることでツテを得やすいようにしている。


「エリエスもそういうところ、気をつけたほうがいいって話。どうせ先生からそういうの何も聞いてないんじゃない?」

「聞いてない」

「ちなみにそのナイフ、銀貨一枚が買値ね。はい、一枚返す」

「それはおかしい」


 今度はマッフルが頭に『?』を浮かべる番だった。


「マッフルなら一枚、授業料として懐に入れるはず。なのにちゃんと話をしておいて返すのはおかしい。このマッフルは偽物」

「今、あたし、ものすごく扱き下ろされてる?」


 笑顔の頬がピクピクと痙攣するマッフルだった。

 しかし、エリエスの顔は真面目そのものだ。


「まぁ、悪気はないんだろうけどさ。んじゃ、ちゃんと説明するけど、その銀貨はきっと将来、金貨になるから返すわけ」


 マッフルは今まで、一度もエリエスから悪意を感じたことがない。

 どんな人間も経験と知恵がつけば、どうしても汚れた部分を持つものだ。そうした嫌な部分を見せるような言動を必ず取る。

 なのにエリエスだけはどんなに培っても汚れないような、悪意を隠すまでもなく、いつまで経っても真っ白なままという妙な感覚に襲われる。


 もしもヨシュアンクラスで本当に無垢な子がいるのなら、それはセロではなくエリエスだとマッフルは思う。


 単に表情が乏しいから妙な考えを持つのだろう。

 そう、頭の中で結論づけてすぐに会話に集中する。


「どうして?」

「それは自分で考えてよ。あたし、エリエスの教師じゃないしさ。でも友達だからちゃんとしてたかっただけ」


 色々と思うところもあるが友達の一言で十分、受け入れられる。

 例え、友達という言葉を聞いて、難解な単語を聞いたみたいな瞳をしたとしても説明しない。


「ま、エリエスがしつこく頼んでたら、ヨシュアン先生のことだしさ、結局、内弟子にして店とか譲りそうだけどね。それよか、早く荷物、分けちゃおう。ロープは誰が持つ?」


 小さな木箱に入れられる物は詰め、個別の持ち物になる。詰めきれない物は遠征のために用意した大型の布製ボストンバッグに次々と放りこんでいく。

 後はここに料理器具を放りこみ、当日に食材を入れるだけで完了だ。


「リリーナ」

「んにゃー、であります。緊縛だなんてエロエロでありますなぁ、エリリン」

「緊縛……、男性が女性を縛ることで劣情を煽る手段のこと。でもそれはリリーナがそうされたいのであって、私は関係ない。ロープは持ってて」

「マフマフ~、エリリンが冷たいであります~」

「あ、リリーナ。大根は後で管理人さんに渡しといてよ。お遣いで買ってきたヤツだし。そういえばさ、ウチのわがままお嬢様がやってきたら言いたいことがあるんだけど」

「毎日、毎日、まだ言い足りないのでありますか?」

「そっちじゃなくって、こっちのほう」


 仕分けし終わった物品を指差して、エリエスとリリーナに教える。


「遠征自体は反対じゃないし。森の奥には高ポイントの原生生物とか野草があるじゃん。言っちゃぁなんだけど消耗品もクラスのお金から出せるんだから。もち依頼でもらえる金額も含めて黒字になるように調整したけどさ。これで優秀賞、取れたらもっと黒字じゃん」


 マッフルの言いたいことはエリエスもわかる。

 マッフルの求めは金銭に絡むことが多い。

 だが、エリエスがよくわからない何かを伝えようとする時がたまにある。

 その時、決まって困ったような、仕方がないような、ひどく曖昧で穏やかな顔をする。


 今はもう、そんな顔は微塵も見せずに積み重ねた銅貨を数えるような真剣な顔をしている。


「でもさ、もっと黒字になりそうな情報を聞いちゃったんだよね」

「黒字……、優秀賞ではなく?」

「それは元々視野の内。優秀賞の賞品ってさ。ヨシュアン先生にこっちから希望は言えるけど全部、通るわけじゃないし。割とピーキーな部分があるじゃん。でも、こっちはかなり望みありかもよ。何があるかわからないけど」


 生徒会に一番、貢献した月間優秀クラスにはボーナスとして担任教師より何らかの報酬をもらえる。

 そして、もっとも月間優秀賞を獲得したクラスの中で、もっともポイント貢献の高かった生徒には王から直々に報奨をもらえるというのだ。


 天上人である王から。

 ただそれだけで望み、挑み、目指す価値がある。


「つまり、黒字を出しながら優秀賞を狙いつつ『宝物』も狙うってこと。どれか失敗しても最終的な利益は出る、すっごい作戦よ」


 『宝物』と言われ、エリエスの好奇心がにょきりと顔をもたげる。

 生徒会と『宝物』という単語が結びつかないからだ。


「ずいぶん気前のいい話をしているじゃありませんの」


 どういうことか詳しく話を聞こうとした時、声に顔をあげる。

 マッフルの座るソファーの後ろで妙に堂々としたポーズをしているクリスティーナがいた。


 さらに後ろからトコトコとセロが歩いてくる。

 クリスティーナとセロは騎竜の貸出申請をしに、牧場まで行ってきた帰りだ。セロは皆を見つけて、ぱぁーっと顔を明るくさせるとすぐさまリリーナの隣に座り、ニコニコしている。


「ヤグーに草をあげたら食べてくれたのです。そしたら牧場主さんがありがとうって」

「そう」


 セロの報告を受けてもエリエスは変わらない。

 一方、セロの方もそんな態度のエリエスを気にしていない。


 最初の頃はエリエスの静かな対応に『何か悪いことをしたのではないか』とオドオドしていたが、しばらくすると地だと理解し、悪意もないからすぐにセロはエリエスに懐いた。


 もっとも一番、懐いているのはよく抱きしめてくるリリーナだ。

 リリーナの抱き癖とセロの引っ付きたがりは抜群の相性を誇る。


 ただ、そんなセロでも大根を抱えているリリーナにはちょっと首を傾げざるを得ないのだが。


「また愚民が何か愚にもつかない戯言で皆を迷わせているようですけど、明日は遠征ですわよ。ちゃんと用意はできましたの」

「あれぇ? そんなこと言っちゃっていいのかな? あんたが好きそうな話、持ってきてやったのに」


 ちなみにこの二人、マッフルとクリスティーナの関係について語る必要もないだろう。

 リーングラード学園の教師と生徒、両方から有名だ。


「貴女、ちょっと賭けに勝ったくらいで調子に乗らないでもらえませんの。今回は一番、私がお金を出しているんですからね!」

「負け犬がお金出すって言ったんじゃん! クラス共通のお金が足りないって言ったら、どっちが多く出すかって話! まさか忘れたって言わないよね。賭けの内容を忘れるほどドリルで頭に穴、空いちゃったわけ!」

「いい加減、人の髪型をドリルドリル連呼するのをやめなさい!」


 ヨシュアンは心の中で連呼しているのだが、誰も内心まではわからないものである。


「『宝物』の話、ほんとーに聞きたくないってことね、じゃ、クリスティーナは聞かなくていいから」

「聞かないとは一言も言ってませんわ!」

「『宝物』ってなんなのですか?」

「……遺跡がある」


 大根にあきて、もぞもぞとセロに抱きついたリリーナを見つつ、一人で生徒会と『宝物』の関係を考えていたエリエスも、ようやく答えに辿りつく。


「エリエス、もしかして気づいてた……?」

「守衛たちが帰ってきてから先生たちが忙しそうにしていた。牧場での話と合わせると森の中で何かを見つけたと推測する。森の中で守衛……、冒険者が見つけるものと言ったら遺跡。『宝物』がありそうな場所はそこくらい。遠征に行く道筋とは違うけれど、同じ森の中ならこれが一番、理にかなう」


 マッフルがわざわざともったいぶったのは驚かそうとしていたのだが、あっさりエリエスにバラされてしまった。

 もう少し、クリスティーナ相手に情報面で優越感を持っていたかったが言われてしまったのなら仕方ないと身じろぎしながら心持ちを改める。


「エリエスの言うとおりさ、リーングラードの森の中に遺跡がある。でさ、本題はここから」


 その言葉と様子に面々も本題に入ろうとしていると悟る。


「誰の所有でもない遺跡……、発見してからの国に報告するまでの間ってさ。遺跡の中の物って発掘者の物なんだよ」

「それは盗掘ではありませんの」

「さっきの話、聞いてた? たぶん守衛さんたちが遺跡を発見して、先生らは大慌てしてたと思うよ。国に報告しなきゃいけないし。たぶん報告する前に、領主に話が行ってると思う。でも実際、遺跡の保護を行うには最速でも領主の認可かギルドの許可がいる。許可が出て、こっちに返答が帰ってくるまでの間、先生たちも遺跡を守る権利がないわけ。もしも、許可が到着するまでの間に、誰か遺跡の物を取っても盗掘にならないわけ。だって、誰も守る権利を持ってないわけだし、先生たちも権利がないから、もし私たちが遺跡の物を取っても領主から怒られる筋合いもない。これって誰もが幸せになれるっぽくない?」


 片手間でできる癖に、期待値は高い。

 マッフルが考えた計画の中ではリスクとリターンが噛み合っている。


 もっとも本職冒険者からすれば『無謀』の一言で片付けられ、しかも、ダメだしを喰らうほどの無計画さだ。


「あの時点で先生たちが慌てて、許可を求めたとするじゃん。大体、二週間前くらい。で、領主の元に一週間、ちょっと悩んで一日、二日と考えて、戻ってくるのに一週間。たぶん、この参礼日が大手を振って遺跡に入れる最後の機会」


 マッフルは知らなかった。

 確かにリーングラードから地方領主の館までの日数は大体、一週間だ。

 往復二週間、認可と資料を集めて、返答を返すのに数日。これは正しい見立てだった。


 実は別に人をやらなくても小型飛竜があるので時間はもっと短縮できる。

 なので今の時点で、遺跡を守る権利が教師陣に移譲されていてもおかしくない時間が経過していた。


 しかし、ここで思わぬ出来事が起きていた。


 遠くノイローゼ気味の領主は遺跡の話を聞いて返答を返すまでに、ずいぶん意味なく時間を浪費していた。

 遺跡をどうするかで散々、悩んだ挙句、現実逃避し、嫌々返答の書類を認めたのが今、この瞬間だった。


「なるほど。愚民にしては考えたと言ってあげますわ。でも、具体的にどこに遺跡がありますの」

「先生と話していた守衛たちは【宿泊施設】の方へ歩いていって、これは【宿泊施設】の人も見てたし裏を取るのは簡単だったし。守衛たちが遺跡を発見したなら西側しかないじゃん」

「だから西側のどこにあるかって話ですわ。漠然と西と言われたって困りますわ」


 これにはマッフルもエリエスも反論できない。

 具体的にどこにあるかなんて、それこそ『守衛たちに関わった者たち』しか知らないのだから。


「だから、それを探すんじゃん。こう、西側からグルって北側まで迂回して、そこから学園に帰ってくれば時間の無駄にもならないじゃん。ちょっと距離的にしんどいと思うけど、見つかるかもしれない機会を逃すつもり?」


 腕を組んで眉を顰めるクリスティーナ。


「では最後に聞きますわ。遺跡なんて行ってどうするつもりですの?」


 クリスティーナのどやっとした態度に一瞬、何を言われているのかわからないマッフルだった。


「遺跡……、遺跡って何があるのですか?」

「古い建物、歴史的建造物のこと。歴史的遺物がある。宝物があるかどうかは不明」

「リリーナは古い建物より面白い建物のほうがいいであります」


 次々と遺跡についての無知をさらけ出す面々にマッフルは肩をガタンと下げた。


「(そうだった……、ウチのクラスって妙に世間知らずが多いんだった)」


 クリスティーナは四大貴族の末子で箱庭育ち。

 エリエスは特殊っぽい施設育ち。

 セロは修道院育ち。

 そして、リリーナに至っては森から外に出たのが義務教育計画が初めてだというのだ。


 商人見習いとして行商に加わって色々と見てきたマッフルからすれば全員、世間知らずばかりだ。


「観光なんてしている暇、私たちにはありませんのよ」

「なんか長々と喋った自分がバカみたい……」


 マッフルは手で顔を覆い、深く沈みこんでしまった。

 その様子を不思議そうに見ているクリスティーナ。


 珍しい構図だとエリエスは思う。


 クリスティーナは何でも一番になりたい、そうした求めが垣間見える。

 一番、顕著に現れるのはマッフルを相手にしている時だろう。

 そのマッフルを落ち込ませているのにクリスティーナは喜んでいるようには見えない。

 むしろ困惑の方が強く出ている。


 クリスティーナは何が何でも勝ちたいはずの相手にどうして、あんな表情をするのだろう。

 そう考え、ふとその構図がキースレイトに言われたこととダブって見える。


 『失望させないでくれ』と言ったキースレイト。

 エリエスの行動がキースレイトの求めから逸脱したから、キースレイトは失望した。

 求めから外れた行動は人を失望させるのなら、クリスティーナはマッフルに失望したことになる。


「もう一度、一から説明する」


 マッフルが復活して、ため息と共に言う。

 クリスティーナはリリーナの対面に座り、口を尖らせながらマッフルを眺めている。


 失望した人間はこんな行動を取るのだろうか。

 そう考え、しかし、『失望した人間の姿』を見たことがないため、判断できずにいた。


「遺跡にはすごい術式具があったり、すごい術式の陣が描かれていたりするわけ。レギンヒルト試練官の使ってたあの術式具。たぶん遺跡から発掘されたものだと思う。あんなの、先生から習った術式具の基礎知識になかったじゃん」


 術式具と聞いて、最初に興味を持ったのはエリエスだ。

 失望のことは少しばかり棚に置き、遺跡にあるという術式具に思いを馳せる。


 すごい術式と聞いて、クリスティーナも色めき立つ。

 ヨシュアンの授業ではまだ上級を教えていない。その上級を通り過ぎて【戦術級】、あるいは噂に聞く【戦略級】の術陣があると思うとドキドキしてくる。


 リリーナはそれとは関係なく、面白そうな物があるとわかっただけで十分、動機になりえる。


 セロだけは皆が行くからついていこう、という普通の動機だったが、特に目立つこともなく、不思議に思うこともなく、当たり前のように同行を決めていた。


 概ね全員の意見はここに一致した。


「ふ、ふん。そこまで言うのなら少しだけ、行路を変えてもよろしくてよ」

「興味あるなら興味あるって言えばいいじゃん」

「淑女は心根を直ちには出さないものなのですわ! 愚民の貴女には理解できなくて当然でしょうけれど!」


 ぐぬぬ、と、お互いに四つ手で組み合う姿に失望の色はない。

 

「謎」

「二人の喧嘩はセロりんとリリーナと同じであります」

「気味の悪いことを言わないでくれません!」

「誰と誰が仲がいいって!」


 セロを膝の上に乗せ、お腹に腕を回すリリーナ。

 同じような表情で叫ぶクリスティーナとマッフル。


「……謎」


 両者を見比べて、何一つわからない求めの在り方にエリエスは小さく嘆息するのだった。


 ※


 参礼日前。

 遺跡事件の前日となるこの日、ヨシュアンクラスの生徒たちは依頼書をシェスタに提出し、駆けるように学び舎から飛び出してきた。


「予定通り、すぐに着替えますわよ。依頼は『ツィーゲン・シュトライフェンの討伐』、『野薔薇の蜜の採取』を基本に、後出し依頼分は全て羊皮紙に書きましたわね」


 行路の日程やポイント獲得のための依頼選択などは全てエリエスの仕事だ。

 日が暮れるまでに西側奥で野営を取れなければ、帰りは相当、厳しくなる。

 すぐに学園を出なければならない。


 しかし、急いでいるときこそ余計な邪魔が入るものだ。


「持ってる」

「なら、行きますわよ! 行路を変えた分、少しでも時間は惜しいのですから」


 一番、先頭を走っていたクリスティーナがエリエスへと目線を向け、学び舎の出入り口を抜けた瞬間、エリエスとマッフルが目を丸くする。


 ちょうど出口の死角から横切る人影が見えたからだ。


「きゃん!?」


 人影とぶつかり、なおかつ勢いで押し倒したのだった。


「……つぅッ! この忙しい時に誰ですの! 物陰から飛び出してき……」


 クリスティーナの下で頬を赤らめながら、太い眉毛を苦しげに歪ませていると理解した瞬間、飛び跳ね、膝を相手の腹部に叩きこみ、反動で立ち上がった。

 その流れるような動作にマッフルすらも感嘆の声を漏らす。


「へ、変態! このゲス!」


 挙句、身を守るように両手で己を抱え、身を引く。


「え~っと、相手を転ばせて膝を叩きこむ技って、たしかヨシュアン先生の技だったっけ?」

「『芙蓉ふよう割り』。先生は蓮を踏みつける様子から名づけたと言ってた」


 実際は近接戦、敵を対面に置いて、相手の体勢を『導歩』と足だけで崩し、流れるように追撃の踏みつけを行うまでの流れを『芙蓉ふよう割り』と呼ぶ。

 軍用格闘術に置いて踏みつけは当たり前で、連撃としての名称技は珍しい部類かつ簡単な技に分類される。


 ちなみに、これをやられると大の大人でも失神することがある。

 使用者が子供であっても十分な威力を持つ技だ。


「あ、兄貴ぃ~!? 大丈夫ですかぁ!」


 ゴルザは呻きながら腹を抱えながら、悶え苦しんでいた。

 どうやら運良く失神せずに済んだようだが、代わりに地獄の苦しみを味わっていた。


「傷は浅いでさぁ! しっかりしてください兄貴!」

「……む、むり」

「出会い頭の相手になんて技かましやがるんだ、このガキど……、げぇ! 殺人教師の弟子ぃ!?」


 四バカたちがそろって驚く。

 そして、一番、驚きが薄かった熊のヴェーア種のバーツは仲間をかばうように一歩、前へ出た。


「……こんにちわ」


 そして、のんびり会釈したのだった。


「呑気に挨拶してんじゃねぇぞバーツ! こいつらに何されたか覚えてるだろ! こいつらに負けたせいでなぁ、俺たちゃ……、俺たちゃ……、メルサラさんに殺されかける毎日なんだぞ……ッ!」


 骸骨顔のサールーは目端に涙を浮かべ、魂から声を搾り出す。

 そもそも、のこのことリーングラードに来たのが運の尽きだと誰も言えなかった。


「誰かと思ったらあたしたちより弱い冒険者じゃん」

「嫌な覚え方すんじゃねぇ!」

「ま、待て……サールー」


 よろよろと腹を押さえて立ち上がるゴルザ。


「幸せと地獄を両方、味わったぜ……、甘い匂いがしたような気がしたが、胃液の匂いでもうわからない……」

「ずるいよゴルザー、どんな味だったのぉ」

「酸味だ! そして、黙ってろファルブブ! とにかく、熱烈すぎてあの世に行くところだった、激しい女だ、俺の女に相応しい!」


 大仰な仕草でクリスティーナを受け入れる格好をするが、足はまだガクガクと震えていた。


「相変わらず気持ち悪いですわね。行きますわよ。こんな愚か者に関わっている暇なんて私たちに……」

「待って」


 エリエスの制止にクリスティーナは動きを止め、眉を顰める。


「なんですの」

「眉毛の冒険者の求めはわかった。クリスティーナが欲しいならあげる」

「ちょっとエリエスさん。色々と話したいことがありますので、じっくりお話しませんこと?」


 わりと本気で青筋を額に張りつけたクリスティーナの後ろからマッフルが羽交い絞めして止める。


「まぁまぁ、エリエスにも考えがあるかもよ」

「考えがあったからといって勝手に花のように売買されては堪りませんわ!」


 マッフルもその気持ちがわかるので「どうどう」と宥めるだけに留まった。

 そんな二人のやり取りの横でゴルザは鼻息を荒くしていた。


「本当か! 話がわかるちびっこだ!」

「ただし、私たちに勝てたら」

「こいつはやっぱりあの殺人教師の弟子だー!?」

「あのあのっ」


 珍しく声を大きくしたセロ。

 全員が何事かとセロを見る。


「エリエスちゃん、ダメなのですっ。ほんとうに好きな人と一緒でないとダメなのですっ。クリスティーナさんが嫌がってるのですっ」

「わかってる」


 密かに心にダメージを受けたゴルザが地面に突っ伏している光景から目を離し、エリエスはセロと向かい合う。


「クリスティーナの求めは眉毛にない。一方通行」

「そうなのですっ。それなのにダメなのですっ」

「うん。だから、勝つ。そして遺跡の場所を眉毛から聞く」

「あー! さすがエリエス! 頭いいな」


 セロとエリエスの会話を見守っていたマッフルが喝采をあげた。

 

「私たちが勝ったら最近、見つかった遺跡の場所を教えて。眉毛が勝ったらクリスティーナを好きにしていい」

「絶対にごめんですわよ! そんなおぞましい取引、あってたまるものですか!」

「当然、クリスティーナは戦闘に参加しない」


 エリエスはクリスティーナの耳元に口を寄せ、小さく呟く。


「遺跡の場所を聞いている間にクリスティーナは先に準備して、騎竜を取ってきて欲しい」


 プルプルと怒りを我慢していたクリスティーナだが、やがて心の天秤はエリエスの提案に傾いたようだ。


「必ず勝たないと一生涯、恨み続けますわよ! わかっていますわね!」

「わかってる」


 マッフルは納得したクリスティーナの戒めを解き、それでも憮然とした顔のまま走り出すクリスティーナを見送った。

 この時のクリスティーナの気持ちをマッフルもわかるつもりだ。


「時間がないから四対四。これでいい?」


 次にエリエスはゴルザたちに向き直り、宣言する。


「もちろんだ! 女性を賭けた決闘に負けるほど俺は優しくないからな」


 ゴルザたちも異論はないのか、出口から離れ、いつぞやのように校庭の中央を陣取った。


 エリエスもまた中央へと足を運ぶ。

 そんなエリエスの様子に流されるままセロとリリーナも続く。


 ただマッフルだけは一瞬、足を止めてしまった。


 エリエスの作戦を賞賛したマッフルではあったが、浮ついた心にふと違和感が射しこんだからだ。


「(なんか、さっきのエリエスはエリエスっぽくなかったなぁ)」


 エリエスっぽさというのも今ひとつ、理解しにくいのだが受けた印象がそうだったせいでマッフルも口を閉ざすだけに留めたがどうにもらしくない。


 普段のエリエスは興味のないことに積極的ではない。

 今回のことだって、それほどエリエスの興味の対象っぽくないのだ。

 常に一歩引いて、観察してから何かしらを口にすることはあっても、望んで争いを求めるようなタイプではなかったはずだ。


 マッフルも負ける気はしない。

 クリスティーナには悪いが、割の良いリターンがあるのならリスクとして悪くない条件だと思っている。


「あ、そっか」


 マッフルも中央に来て、気づく。

 エリエスっぽくない理由に。


 興味よりも実益を取った、それはどちらかというとマッフルのやり方だ。


「エリエスさ。どうやって勝つつもり?」


 それ以上に、誰にも提案せずに一人だけの考えで物事を進めたことに違和感を覚えたのだ。

 本来のエリエスなら『連携した冒険者の力量』という不確定要素を見極めようとするはずなのに、まるで最初から勝てるかのように話を進め、誰にも相談せずにこの条件を成立させてしまった。


 商売人として相手の札を確認せずに進める方法はマッフルとはやや違ったやり方だが、方向性という意味では同じだろう。


「セロとリリーナだけで十分。セロとリリーナはこっちに来て」


 と言って三人で相談し始めたのをマッフルはまるで狐に包まれたような気分で眺めていた。

 その気持ちはなんとなく疎外感よりもむしろ――


「(なんだかなぁ……、あんまりそういうところが目に余るようだったら、ちょっと注意しとかないと)」


 ――心配の気持ちの方が強くなってしまっていた。


 三人の作戦会議が終わり、いざ始まってみたらマッフルはただ試合の流れを見ているだけだった。


 セロが物理結界を張り、リリーナがセロを持って走る。

 それだけで面白いように冒険者たちは地面を何度も転がる羽目になった。


 結果は勝てた。

 しかし、違和感は拭えない。


 このままエリエスが独走しすぎて、いつの間にか周囲に誰もいなくなってしまわないか。

 そんなあるかもわからないようなことを考えて、少しだけ息を吐いたのだった。


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