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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
268/374

この空と大地の狭間に揺られて

 今月最後の参礼日に、社宅で自分は何をしていたかというと大根を焼いていました。


 謝罪行脚の途中、リューミンたちにも謝りましたが、何故か『無事で良かった』と言われる前に食材をもらいました。

 

 本当になぜでしょう。彼女たちの思考はよくわかりません。

 しかも日持ちするものばかりです。


 イグレシオとすれ違った時、フードの向こうから『答えは出たか?』なんて目線を向けられましたが、自分は肩をすくめただけです。

 いつか答えが出たら、教えてあげましょう。


 あくまで個人の意見として。

 

 ともあれ、もらった食材ですが干し星昆布に乾燥小魚、夏大根に、そして醤油でした。

 これはもう焼き大根を作るしかありません。


 久しぶりに醤油を使うのでちょっと凝ったものを作ろうかと思い立ったのが朝の話です。

 ちょうど大根を輪切りにして隠し包丁を入れている時にノックの音が響きました。


「先生、おはようございます」

「おはようエリエス君」


 ドアを開けて現れたのはエリエス君でした。

 両腕でウルプールを抱え、腰のブックホルダーには『動物百選-湖畔に住まう怪-』という題名がぶら下がっていました。


「先生の家に居てもいいですか?」

「別に構いませんがまだ術式具作りは教えませんよ」

「はい」


 少なくとも今月中は教えません。

 それも明日で終わりですが、それまでの辛抱です。


 さすがにもう色々と不満はないのか瞳はいつもどおりです。

 エリエス君はトコトコと部屋に入るとリビングの中央で足を止めました。


「モフモフが小さくなっています」


 あの時、目覚めてすぐに色々と聞かれるものと思っていたのですが、謝罪行脚のおかげで生徒たちも忘れていたようですね。

 生徒たちが何も聞いて来なかったので、こっちもすっかり忘れていました。


「驚いたことに特技だそうですよ? 大きくなったり小さくなったり。不思議ですね」


 心底、不思議ですね。

 七不思議なんて目じゃないですよ。なので、ごまかされてください。


「モフモフ」


 じぃ、とモフモフを見るエリエス君。

 そして、見られて、のっそりと首をあげるモフモフ。


「ありがとう」


 モフモフの頭を撫でながらエリエス君は言いました。

 胸を撫で下ろすと同時に、なんとなく得心がいきました。


 自分と話す時に、エリエス君はちゃんと向き合うまでに落ち着いていました。

 きっとモフモフが慰めていたのでしょう。


 言葉ではなく態度で。

 何一つ語らぬまま、穏やかに。


『さもありなん』

「お礼にウルプールを貸す。食べないで触って」

『……同胞よ』


 そして、この仕打ちでした。

 頭の上に乗ったウルプールを支えたまま、こちらに視線を送らないでください。


 我慢してください。

 子供の情操教育のためです。


 あとウルプールもエリエス君を助けた功労原生生物ですが我慢してくださいね。


「エリエス君。ウルプールはそっと下ろして、先生のお手伝いをしてもらえますか? 今日は少し変わった料理をしていますから。それともモフモフたちと遊んでいますか?」

「手伝います」


 思えば、エリエス君にはこう問いかけるべきでした。

 今までの自分を振り返って、いつも何かを要求し、期待していたようにも思えます。


 エリエス君は特に自由意思を育てていきましょう。

 複数の選択から意思で決めさせるような問いかけを忘れないように心がけないといけませんね。


 さて、エリエス君を加えて料理の再開です。

 といっても焼き大根をお皿に乗せ、少し出汁をかけるだけでおかずは完成してしまいます。


 パンというのも変なのでパスタを選んだのですが、それもすでに茹で終わっています。

 せめて米があれば良かったのですが、王国と帝国の関係を考えると手に入らないでしょうね。

 盛り付けだけお願いしましょうか。


「パスタを木皿に盛って、ソースをかけてください。先生はその間に洗い物の準備をしておきます」


 肉類を用意してなかったのが残念ですが、今日くらいいいでしょう。


 水桶にまな板や包丁を漬けて、器材も洗う必要のないものは軽く水で濯いで布で拭き取りました。

 そして、横を見て驚きました。


「できました先生」

「……えぇ、確かにできていますね」


 なんとか叫ぶのだけは留まったつもりです。

 パスタの上に焼き大根が乗って、ついでに出汁もかけられているものと、ミートソースが入ったスープ皿を見て今日の気分が吹き飛んだことを悟りました。


「何パスタというんでしょうね、それ」


 焼き大根パスタですか?

 この選択肢のない決まりきった状況でまさかな組み合わせでした。

 ミートソースは単体で飲むにはちょっと濃すぎませんか?


「一応、聞きましょう。何故、この組み合わせに?」

「少し変わった料理を、と言っていました」


 誰か自分にさめざめと流れる涙を拭くための布をください。


「ちなみにもう一つ聞きましょう。エリエス君はパスタをマウリィ君から習いましたか?」

「いいえ」

「次はパスタを教えてもらうと良いですよ」

「これが一番だと思いました」

「そうですね。可能性は無限大ですね」


 仕方ないのでこのまま食卓に持って行きました。


 同じものを床に置くと、モフモフは何も言わずに食べ始めました。

 時々、羨ましくなりますね、その雑食性。いえ、源素食性ですか?


「……いただきます」

「いただきます」


 一口食べると焼き大根は焼き大根でした。

 問題はパスタが醤油出汁と合わさって、何とも言えない味になっていました。

 ミートソースはいっそのことパンにつけて食べてみたら、意外な美味しさを発揮しましたが、これじゃない感だけは拭えませんでした。


「おいしいです」


 本当ですか? 本心で言ってますか?

 流石に自信のない料理を褒められても先生、喜ぶ気になれませんよ。


「大根」


 単体ですか、そうですか。


 食事の後は食器を片付けて、エリエス君はソファーで読書を。

 自分は机に向かって、羽ペンを動かしていました。


 それもすぐに終わるとインクを砂で乾かして、製本用の針で背を縫い、完成です。


「エリエス君。こっちに」


 自分が呼ぶと本を閉じて、すぐにやってきました。

 そのエリエス君にさっき作った本を手渡しました。


「遅くなりましたが約束の本です」

「……約束。強化術式の」


 以前、教師役をお願いした時にエリエス君が望んだ報酬は【獣の鎧】でした。

 その術陣を描いたものがエリエス君に手渡した本です。


「題名は――『複合属性の強化術陣見本』ですかね。先生が使っている【獣の鎧】は先生が使いやすいように基本から逸脱しています。その原型となった複合強化術式と術陣、そして、最後から十頁をめくってください」


 エリエス君は言われたとおり開いたページを見て、瞳の嬉しそうな文字が驚愕に変わりました。


「……『仔猫のガントレット』『仔兎のグリーヴ』」

「まだ源素融合の概念しか教えていないので、今のエリエス君がすぐに使えるものではありませんが、それらは順次発動だけで使えるように組みました。源素融合を覚えた後は色々とアレンジを試してみなさい」


 『仔猫のガントレット』『仔兎のグリーヴ』は両方とも黄属性の強化術式が基本です。

 『仔猫のガントレット』は黄と青、『仔兎のグリーヴ』は黄と赤の二色構成です。


「秘本の扱いは聞いていますね? 術式師にとって陣構成を知られることは弱点を知られることと同じです。厳重に管理をお願いします」

「はい。わかりました」


 寮の各個室に鍵のついた家具があると思いますので、保管場所はそこですね。


「そういえば他の子は何をしているかわかりますか?」


 食い入るように術式を眺めているエリエス君はゆっくりと顔をあげました。

 瞳に『不満』の色が溜まっていますね。何かあったようです。


「朝からクリスティーナとマッフルが騒がしくて、寮に居られませんでした」

「あの子たちはいつも騒がしいでしょうに。今度はカルナバベルでも見つけたんですか」

「いいえ。稽古をしていました」


 エリエス君の端的な説明によると、クリスティーナ君とマッフル君は朝から稽古を始めたようです。

 ただ何故か気合が入っているせいで、他の生徒たちも巻きこんだ集団稽古みたいな有様になっているみたいですね。

 読書したかったエリエス君はいい迷惑だった、ということですか。


 生徒たちの自主性を重んじたいところですが、任せたままにすると何を起こすかわかりません。

 後で様子を見に行くか、ヘグマントに見てもらいましょう。


「リリーナ君とセロ君は?」

「リリーナは朝から姿が見えません。セロはティルレッタといます」


 改めてエリエス君へと向き直りました。


「エリエス君はどうして二人が今、自主稽古に励んでいるかわかりますか」


 これにエリエス君はゆっくり首を横に振りました。


「あの子たちは今、自分のことしか考えなかった自分を悔いているんですよ」


 遺跡の件は生徒たちの未熟を明確に晒しました。

 クリスティーナ君とマッフル君、もしかしたらリリーナ君も今、どうするべきか必死に探しているのでしょう。


「たくさんの人に迷惑をかけたとわかっているんです。君たちを傷つけてしまったことや守りきれなかったこと。怪我をしたことも嘘をついたこともです。それに彼女たちの役目は前衛、アタッカーです。後衛を囮にする作戦だって本当は認めたくなかったと思いますよ」


 相手は軽く見積もって上級以上です。

 【戦術級】に確実に足を踏み入れています。


 上級魔獣は対処方法や経験がなければ、ただ嬲り殺されるだけの相手だったでしょう。

 ポルルン・ポッカの加護がなければ動くことすらままならなかったでしょう。

 生徒たちはこの五ヶ月で色んなことができるようになったはずなのに、あの急場では何もできなかったのです。


「それしか道がなかった。そんな道しか認めさせられなかった。何よりもエリエス君やセロ君を危険に晒してしまった。自分たちの弱さを認めたくないんですよ」


 その気持ちはエリエス君にもわかるはずです。

 瞳は湖畔のように静かでしたが、わかっていると思います。


「だから今度は絶対、君たちを守るために今、強くなろうとしています」


 生徒たちのことですから大きな目的はあっても、どういう風に階段を登ればいいかわからないのでしょう。

 がむしゃらに頑張るしかできない、方法が見当たらない。

 

「エリエス君は何ができますか?」

「皆の命を守るためによく考えます」

「それもあります。でも重要なことを一つ、忘れていますよ」


 思ったとおり、エリエス君は『自分』が薄すぎます。

 求めこそあれど人を優先できるのでしょう。

 その結果の一つを示したのはエリエス君の矛盾です。


 誰かの為なのに自分の為だと思いこんでしまうのです。


 他人の求めを感じなかった時は知的好奇心の赴くままで、他人を慮ったら自分のせいにするのでしょう。

 難儀な子ですね、本当に。


 なら自分はそんな『人のせいにしない子』に何を言ってやるべきでしょうか。

 もう答えは決まっています。


「君もです。皆の中には君も入っているんです。エリエス君を含めて皆なんですよ」


 大きく瞳を見開いて、小さく息を吐くエリエス君。

 そんなエリエス君の頭を少しだけ撫でました。


「もう一度、問いましょう。君は何ができますか?」

「……行ってきます」

「はい、とまれ。そこから動かない。落ち着きなさい。」


 何かに突き動かされたエリエス君に制止の声をかけると、動き出した姿のままでピタリと止まりました。


「エリエス君も二人の稽古に混ざるのもいいでしょう。どうせフリド君も参加しているのでしょう? キースレイト君もいるかもしれませんね。同じことをするのもいいでしょうが、少し変わったものに挑戦してみませんか」


 自分は立ち上がり、二階に上がって小さなカバンを持っておりてきました。


「エリエス君にはコレを貸してあげましょう。借り物なので駒をなくさないように気をつけてくださいね」


 エリエス君が抱きつける程度の小さなカバンの中身は『開拓者』です。


 あえてルールは説明しませんでした。

 ハウスルールや条件で色々変わりますしね。

 何より、エリエス君が聞くべきでしょう。


「ほら、遊んできなさい」

「? わかりました」


 エリエス君を見送って、自分はソファーに座りました。

 膝の上にウルプールが乗ってきて、いきなり伸び始めました。

 そういえばウルプールを忘れて行ってしまいましたね。後で食堂裏に返してこないといけません。

 

「なぁ、モフモフ」


 モフモフは目蓋だけ動かして、耳をピクピクさせていました。


「アレ、エリエス君と遊ぼうと思って借りてきたんですよ。セロ君でも良かったですし、クリスティーナ君やマッフル君、リリーナ君もですね」


 後でアレフレットに又貸ししたことを詫びておかないといけませんね。


「でも、子供なら友達同士で遊ぶ方が面白いと思いませんか?」

『子は子で遊ぶことで手加減を覚える。重要なことだ』

「でしょう。というわけで、やることがなくなってしまいました」


 厳密には色々とやることが残っています。

 二階にある隕鉄。その鋳造や形成。ブリッドユニット作りや来月後半の教科書作りなんかもやるべきことです。


 ですが、今日はやる気になれませんね。

 焼き大根パスタのせいですね、きっと。


「そこで提案です。散歩でもいきませんか」


 そういうとモフモフはのっそり立ち上がりました。

 穏やかな態度とは裏腹に尻尾は左右に揺れています。


 たまには変わった学園を見直すのも必要でしょう。

 ウルプールも途中で返してやればいいんですから一石二鳥です。

 いえ、他にも寮によって生徒の様子も見れば、一針で大漁ですよ。


「そうだ、作戦を決めましょう。散歩中、リィティカ先生に出会ったら、まずモフモフが可愛らしさをアピールしてください。そこから自分が話題を広げて、今日の夕食の約束を取りつけるんです。そしたらお肉を奮発しましょう」

『……善処しよう』


 快い返事ももらったので、さっそく出かけましょうか。

 大まかな道順を考えながら、自分とモフモフは社宅を出ました。


 空は徐々に高くなり、天上大陸は落ちることなく空にあり、社宅前広場は青々と短い雑草が生えています。

 この狭間には多くの謎や自らに関わる柵があり、面倒くさい事この上ない世の中です。


 困ったことに解決の兆しはまだ見えていません。


 迷子のように行ったり来たり、するんでしょうね。

 今日も明日も、生き続ける限り。


 それでも今日くらいは余暇を楽しみましょう。

 気心の知れた狼と空気を読まない小動物を連れて。


第四章『不穏に揺れる新学期』――了。


ここまでのお付き合い、誠にありがとうございました。


今章の途中にレビューをくださったお二方。

そして感想で至らぬ部分への指摘(主に誤字;)をいただけたことを深く感謝します。


次章に移行するまでの間、一週間か二週間に一度の割合で間章を投稿させていただきます。

また恒例の章後の人物紹介ですが、一度、全てを設定集へと移行します。


それではまたのご愛読をお待ちしております。


※追記

諸都合により再開は四月頭の予定になりました。

皆々様にはご不便をおかけしますがご了承いただけたら幸いです。

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