もしもの未来はない
寝て、起きてから色々と後悔することが多かったですね。
まずは着替え。
教師用制服を着たままで寝たのでシワになっています。
シャワーを浴び忘れていたので臭うような気もします。
すぐにシャワー室で身支度し、服は……、我慢しましょう。替えを取りに行ける時間があるかどうかです。
そして、急いで来た道を帰っている途中、医務室のドアからリリーナ君が顔を出していました。
キョロキョロと周囲を確認し、ドアの向こうに何かしら呟くと、ようやく自分と目が合いました。
「にょっ!? クリクリ、退避、退避であります!」
すぐ後ろにクリスティーナ君がいたのでしょう。
慌てて止めようとしましたが、すでにクリスティーナ君は廊下に姿を出していました。
リリーナ君の制止を聞いて、廊下で固まるクリスティーナ君とバッチリ目が合いました。
「な――なななにゃなな!?」
みるみる顔を真っ赤にするクリスティーナ君。
そうですね、恥ずかしいでしょうね。
頭のドリルが爆発し、大破していたら。
いじり倒すのも可哀想なくらいの狼狽っぷりです。
「クリスティーナ君。シャワー室なら今、空いていますよ」
前衛芸術のような頭を鑑賞する趣味もありません。
やがて、わずかに正気が戻ったのか頭を抱えて地面を蹴りました。
「こんひゃわはしにょみなあいふぇ~ッ!?」
謎の言語と『幽歩』を使って逃走していきました。
何を言ってあげたら良かったんでしょうね。
「あ~あ、先生が泣かせたであります」
リリーナ君がひょいっと飛び出し、続いて背に隠れるように出てきたのはマッフル君でした。
こっちは酷い顔色です。
背中が丸くなっていて、明らかに元気がありません。
「どうしましたマッフル君。まだ頭の怪我が痛みますか?」
「……違うし」
「では朝に弱いのですか?」
「それも違う……」
様子がおかしいマッフル君はリリーナの背中を掴むと逃げるようにシャワー室方面へと向かいました。
「おはようございます」
「……おひゃようございますなのです」
エリエス君に手を引っ張られて出てきたのはセロ君です。
まだ眠り足りないのかコシコシと目をこすっています。
「はい、おはよう。エリエス君にセロ君」
自分はセロ君の頭を一撫でしてから、エリエス君に視線を向けました。
「マッフル君は一体、どうしたんでしょうね」
「昨日、皆が揃った時に目を覚まし、謝罪されました」
マッフル君はマッフル君なりに責任を感じているわけですか。
『遺跡に行こう』と言い出したのはマッフル君ですしね。
それでも本当に危なかったと理解しているだけマシですね。
「そうですか。そのことで先生は皆にお話しないといけません。身だしなみを整え終わったら全員で職員室に来ること。いいですね」
「はい」
シャルティア先生が段取りを伝えていたので、生徒たちもわかっているでしょう。
少なくとも逃げ場はないことくらい承知済みです。
「では、二人もシャワーを浴びてきなさい」
エリエス君の頭をさりげなく撫でてみました。
逃げもせず、されるがままのエリエス君に予想通りだと思いながらも驚きました。
エリエス君とセロ君が手を繋いで歩いていくのを見送り、宿直室を覗くとモフモフがゆっくりと顔をあげて、こちらを眺めてきました。
「モフモフ。クリック・クラックを森から追い出せますか」
『【森の子】が今、襲撃をかけている。必要ならモフモフも出る』
やはり、クリック・クラックも森に拒絶されましたか。
森にとって眷属鬼は不利益そのものです。
そんなものを目覚めさせるクリック・クラックを【守護者】は見過ごせないでしょう。
しかし、クリック・クラックは諦めないでしょう。
今すぐ襲ってくることはないと思いますが時期が来るまでリーングラードの周囲に隠れているか、あるいは別の手段を講じてくるでしょう。
次は始末します。
例え同情の余地があったとしても、すでに見過ごせる範疇を超えています。
「忙しそうですね。このまま定職についてみたらどうです? 引く手数多ですよ」
『同胞の傍が一番、忙しい』
モフモフを撫でてから、自分は職員室に向かいました。
昨日、自分とメルサラが眷属鬼を始末している間に生徒たちは教師陣から大目玉を食らったそうです。
特にヘグマントからの叱責は堪えたようで、全員でしょんぼりとしていたそうです。
セロ君は大泣きしていたそうなのですが、巻きこまれた挙句ですからセロ君に関しては同情の余地があります。
リリーナ君は巻きこまれに行ったので同情しません。
主犯格はクリスティーナ君とマッフル君、次にエリエス君だったそうです。
本来なら止めるべきだったクリスティーナ君とエリエス君が止めなかったところが怒られた部分です。
これに関してはもう何も言うことはありません。
しかるべき処理を行うだけでしょう。
しばらく職員室の自席で待っていると生徒たちが現れ、自分の前に並びました。
「揃いましたね。では行きましょうか」
そう行って立ち上がるとエリエス君を除く全員がポカンとしていました。
「……怒るんじゃないの?」
マッフル君が小さく手をあげて言いました。
まだ元気がないのはやっぱり、変な話、怒られるのが怖いからです。
いつも怒られ慣れているマッフル君ですが、今回は取り返しがつきません。
いえ、取り返しがつかなかったかもしれなかったのです。
「正直、怒りたいですね」
マッフル君も挽回できるものとそうでないものの区別はついているでしょう。
「ですが別に怒るために呼んだわけではありません。君たちが遺跡を目指した理由はシャルティア先生から聞いています」
マッフル君が遺跡に行こうと言った理由。
『実戦を経験してみたい』でしたが、それだけではありません。
たぶん、お金です。間違いありません。
遺跡にはマッフル君が目を輝かせてヨダレを垂らす財があってもおかしくありません。
実際にあったのは眷属鬼の耐久卵でした。無駄骨ですね。
ですが、建前だった『実戦を経験してみたい』もまた真実です。
クリスティーナ君もエリエス君も、リリーナ君ですら否定しなかったのは心の奥底にあったのでしょう。
条件付きとはいえレギィを――【タクティクス・ブロンド】の一人、【たゆたう白銀】を打ち破った事実は学園の外でどれだけ通用するのか、という疑問です。
その疑問を晴らす機会は後七ヶ月先です。
自分たち大人にとって七ヶ月は短く感じます。
しかし、子供たちにとって半年先でも、大人より長く感じるでしょう。
その期間、一度も腕試しの機会がありません。
普通なら生徒会の依頼こそが腕試しの機会だと思うのでしょう。
お膳立てされた生徒会というシステムに、子供ならではの本能で異常を感じたのです。
『これは私たちの力試しに相応しくない』『本当の試しは未知に挑んでこそ』と、そこまで言語化された理屈でなかったため、シャルティア先生への言い訳に『実戦』なんて言葉が出たのです。
この子たちは成長しています。
心も力も体も少しずつですが、伸び、育っています。
大人の囲いを抜け出すのも時間の問題でしょう。
「国の命令とはいえ、先生は親御さんから君たちを預かる身です。君たちの力を大幅に越えた事態に放り出すような真似はできません。少なくとも今回の件、君たちだけで解決できましたか?」
これには誰もが無言でした。
痛いくらいにわかっているはずです。
特にエリエス君は作戦を担う者の重みをその身で理解できたでしょう。
「痛感し、怒られたでしょう。まだ何もかも早かったと。未熟であることをちゃんと理解できましたね。なら、もう十分に怒られています」
もしも、ここで自分が怒ってしまったら。
それはもう、仕事ではなく個人的なわがままでしかありません。
親でなければこれ以上は怒れない。
もどかしい境界線が自分と生徒たちの間にありました。
「じゃあオシオキなし?」
「それとこれとは話が別です」
マッフル君の減らず口を引っ張り、ゴムのように弾いてやりました。
「これから君たちは今日一日、授業を休んで先生と一緒に【宿泊施設】に向かいます」
二度目の『?』が生徒たちの頭に浮かびました。
ぶっつけとは言え、あの場で調整しきれたと自画自賛できますよ。
今日一日を休ませるために他の教師のスケジュールを組み替えて、具体案を出したのですから。
シャルティア先生の呆れたようなため息は忘れられません。
「まずは迷惑をかけた人に謝罪。自分たちは当然のこと、管理人さんなんて死ぬほど心配していましたよ。他にも君たちを探すために色々な人の手を借りました。守衛さんたちや狩人さんや棟梁さんもそうです。炊き出しにはリューミンたちも参加しています」
ほぼ総動員ですよ?
どれだけ大きな事件だったと思っているんですか。
「次いで今回の件で出た被害が元に戻るまで生徒会への活動を自粛。当然、ポイントもなしです。今日、そして明日からは放課後は生徒会の代わりに必ず奉仕活動をしてもらいます。当然、今月の清掃活動で割り振られていたシャワー室の掃除も参礼日以外は毎日です」
割り振られていたクラスは別のところを掃除してもらいますがね。
清掃月間のこと、忘れていたとは言わせませんよ。
「え~!」と驚きの声をあげるいつもの三人、クリスティーナ君とマッフル君とリリーナ君。
クリスティーナ君はポイントなしについて、マッフル君はタダ働きについて、そしてリリーナ君はほぼ毎日、清掃しなければならないことについて非難したのでしょう。
「文句を言える立場ですか」
三人にデコピンをして黙らせました。
「奉仕活動中は術式具作りを教えませんからね」
「……はい」
被害が少ないと思っていたエリエス君もこの言葉で瞳の色が変わりました。
『そんなっ』という狼狽した文字が見えますね。
「セロ君は……、連帯責任です」
「はぅ」
目をバッテンにさせて、ちょっと身動きしましたがどうやら突然、声をかけたので驚いただけでしょう。
セロ君だけは個人的な罰則がありません。
連帯責任だけで十分でしょう。
「ぁのあの、お掃除だいすきなのです」
なんていうか、セロ君だけが救いですね本当に。
罰を受けているのにこの言葉は滅多に出ませんよ。
ニコリとするとニコリと返してきます。
「では行きましょうか」
自分は生徒たちを連れて、学び舎を出ました。
今回、出た被害は魔獣に襲われて軽傷を負った【宿泊施設】住人数名。
山狩りで使用した消費物に炊き出しの材料、ちょっとした備蓄を元に戻すまでですから今月中にはなんとかなる量です。
あえて期日を言わなかったのも罰の一つです。
しばらくは遠出に限り、自分が生徒会についていく形になるでしょう。
余計な仕事をこっそり増やしていることまで気づかないでしょうが、それも踏まえて今回の罰です。
どれだけの事をし、どれだけの心配をかけ、どれだけの被害があり、どれだけの危険があったのか。
色んな人に謝罪し、その言葉を聞き、また消費したものを回復させる行為の大変さから学んで気づきなさい。
無茶が生む、周囲の気遣いの数々を。
結局、今まで自分が分かり得なかったことを君たちは知ってください。
こうして始まった謝罪行脚でしたが、【宿泊施設】住人はおおらかに許してくれました。
自分が頭を下げ、次に生徒たちが頭を下げるたびに言われる言葉は『無事で良かった』だったのですから、なおも頭が下がります。
特に心配し通しだった管理人さんは頬に涙を貯めて、生徒たちに抱きついていました。
「重ね重ねですが、すみませんでした。本当に」
寮の清掃に取り掛かっている生徒たちの隙を見て、管理人さんの隣にそっと移動しました。
「いいんですよ~。こうして、みんなが無事に帰ってきてくれたんですから。あの時、迷わずヨシュアン先生のところに向かって良かったと思います。そうじゃなかったら、みんなも帰って来れなかったかもしれないんですから」
頬に手を当てて、のほほんと喜ぶ管理人さん。
一方、自分はというと、いつものように軽い会話が口から出てきませんでした。
「何かお悩みでも? 顔が暗く見えてしまいますよ。男の人だからあまり笑わないかもしれませんが、子供の前で笑顔を忘れたら心配して不安になりますよ。心は伝染るんですから」
「いえ、その、何かというわけではありませんが」
「何か心に溜まっていることがあるのなら吐き出してしまうことも大事ですよ。私もね、夫を亡くしたと通知が届いた時はとてもじゃないけど食事も喉を通りませんでした。でも、同じような人はたくさんいて、たくさんの人と話し合って、痛みを分け分かちました。喋るだけで気持ちが楽になることもあるんだと、その時、周囲に吐き出せる人が居て良かったと思ったのよ」
いきなり喋り辛いことを言われたら、喋るのも喋らないのも苦痛なんですが。
「では一つ。今回もそうでしたが思うことがありまして」
「生徒さんのことですか?」
「いいえ。個人的な、そうですね。生徒たちを見て、個人的に思ってしまったことです」
イグレシオの言葉がやけにチラつきます。
『憎しみを晴らす方法はなんだ』という問いです。
「もしも生徒たちが死んでいたと思うと、自分は果たして自分を抑制できたかどうか。そんな話です」
憎しみを晴らす方法は憎しみを抱いた相手に思い知らせることです。
『お前が奪ったものはどれだけ大事なものだったのかを理解して死ね』、それが答えです。
答えが出ているのなら迷う必要もありません。
今まで、そうやって来たじゃないですか。
抑制する必要はありません。
『殺戮の理屈』に従い、報復するだけです。
「できます」
箒を片手に玄関を掃くクリスティーナ君。
小さな庭をがんじきで引っ掻いているマッフル君。
リリーナ君は庇の上から埃を撒き散らし、それがクリスティーナ君の頭に襲いかかります。
「ちょっとリリーナさん! ちゃんと下を見て掃除してくれませんこと!」
「およ? クリクリが真っ白になったであります。変なの~、であります」
「貴方がしたことでしょうに! 降りてらっしゃい!」
騒ぎ始めた二人を余所にエリエス君は雑巾で窓を拭き、セロ君はバケツの水を入れ替えるためにヨロヨロと歩き出しました。
目の前の光景のどこにも憎しみの文字はありません。
「ヨシュアン先生は立派な人です。子供たちのために精一杯、動ける人がそんな気持ちに負けたりしません」
「勝ち負けの問題でしたか?」
「ちがうんですか? だって、抑えていたいってことは『暗い気持ち』に負けたくないってことでしょう」
思わず息が止まりました。
まじまじと見た管理人さんの表情はいつもと同じで、ほんわかしています。
「ヨシュアン先生ほど学のある方のことは私、わかりません。でも、わかることもあります。子供たちはいつも寮の中で色んな話をしているんですよ。とても厳しかった、オシオキされた、されなかった、怖かった、痛かった、わかりやすい、わかりにくかった、褒められた、嬉しかった、面白かった、初めて知った……」
日差しが強くなりつつあるのか、白い壁がやけに眩しく感じます。
「子供たちが噂する多くは教師方――ヨシュアン先生たちのお名前なんです」
空を見れば変わらず、天上大陸が浮かんでいます。
ゆっくりと背後から日の光が顔を出してきていました。
「子供たちはそこにいます。もしもなんてことはなくて、先生方が助けたんですよ。そんな先生方の導くままに泣いて、笑って、喜んで、楽しんで」
小さな悲鳴が聞こえて空から目を離せば、マッフル君の背中がセロ君にぶつかった瞬間が見えました。
バケツは空を行き、庭にぶちまけられました。
どうやら運が良かったことに落ちた先には誰もいませんでした。
「ごめん、ごめんセロ。大丈夫? 怪我してない?」
「ぁぅ……、はぃなのです」
倒れたセロ君を立たせるマッフル君。
転がったバケツはエリエス君の足元へ。
そのバケツを見たエリエス君は無感動に持ち上げると井戸の方へと向かっていきました。
「きっとそれは、幸せなことですね」
「その幸せがいつか、失われてしまっても」
この手から大事なものがこぼれていくことを自分は知っています。
だからこそ素直に幸せを喜んではいられません。
「ずっと幸せなことなんてありませんよ。幸せと不幸せ、行ったり来たりして私たちは生きているんですから。だから幸せの時は『いつか』や『今まで』を思うよりも、今を受け入れていたいと思います」
管理人さんも自分と同じです。
でも、その上で管理人さんはこう言えるのです。
自分は答えを出せるでしょうか?
『殺戮の理屈』とは違う理屈を並べて、違う答えを。
その先に何があるかなんてわかりません。
きっと本当に良かったのだろうかと後悔しながら生きていくのでしょう。
「参考になりました。管理人さん」
「いえいえ。困った時はお互い様です。大変でしょうが頑張って」
いつまでも個人的な事情で足を止めているわけにも行きませんね。
自分も箒を持ち、掃除に参加しに行きました。




