↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
PR
245/374

学園六訓

 貴族社会は王の下に貴族がいて、家臣、そして被治者の縦の並びで構成されています。

 この並びを乱さないための規律があり、王は法律をもって支配という秩序を保ちます。

 物理的な力、という面もありますがそこは置いておきましょう。


 極論、王が勝手な法律を作ろうとも貴族は法律を守らなければなりません。

 上司の命令は絶対、当たり前のような勝手な理屈と秩序がそこにあります。


 王>貴族>家臣>被治者。

 この公式は正しくは、王>法律>貴族>家臣>被治者、とすべきでしょうか。


 一歩、外を出歩けば狼や原生生物、魔獣なんて危険な生物が居る世界で身を守るために作られた社会という名の防衛システム。

 防衛システムは強固であればあるほど身を守るのに適しています。


 もっとも貴族からすれば王の勝手な支配など望みません。

 例え強固な檻であっても、檻の中で良い場所を確保したいじゃないですか。

 忠誠心があれば、なんて言葉は利益があるから言えるのです。


 人柄を好いているから忠誠を尽くす者もいるでしょうが、それも利益と言えるでしょう。

 誰だって好きな人は守りたいんですよ。

 なら心の充足は利益に繋がりませんか?


 ともあれ勝手な法律を作られると貴族は困ります。

 なので貴族は王へと諫言を、時には王が作り出した法を逆手に諌めます。

 都合の悪い法律を作られてはたまったものではありません。


 結果、良い方向に向かうこともあるのでしょう。

 純粋に国を守ることで全体と己の利益を守るとも言い換えられます。

 逆に悪い結果にもなります。

 個人が満たされたら、その分、誰かが不幸になる。これも極論です。


 これらは全て暗黙の了解であり、法律に記載されている事柄ではありません。


「それぞれにはそれぞれの教育方針があると思います」


 これもまた暗黙の了解でしょうか。

 自分たち教師は基本、同じ教師のやり方に対して深く追求してきませんでした。


 自分は……、言われたい放題でした。ですが、大まかな方針にこそ口を出されても具体案などに干渉されてきませんでした。

 単に自分が教師として未熟だったから補助してくれていただけです。

 自分も自覚があるので積極的に取り入れていました。


 具体案を出して意見を募ることはあっても、積極的に干渉しない。


 これが今までのやり方です。

 もちろん、このやり方に不満はありません。


 仕事の区別がついてやりやすいのは確かですし、他の教師もやり方に口を出されたくないでしょう。


 ですが今回に限って言えば逆の目が出ます。

 いえ、もっと大きな視点で見るとそれではダメなんでしょう。


「自分はこのやり方を否定してはいません。しかし、こうした個人の判断に迫られた時に骨組みとなるものが必要ではないか。そう、夕食という名の女神の聖餅は天壌がごとき清らかな味が――」

「正気に戻れ、ヨシュアン。お前は今、訳のわからないことを呟いているぞ」


 シャルティア先生の一発と共に目が覚めました。

 リィティカ先生の手料理を思い出したおかげでつい、味の感想が口から漏れました。

 つまり、問題はありませんね。真実ですから。

 

「えー、失礼。取り乱しました。リィティカ先生の素晴らしい食事と共に話をしたと思います。まだ決めるべきではない、もう少しそれぞれの方針が固まってきてからという話で一旦、置きっぱなしになっていました。ですが第一試練も終わり、第二試練までは時間がある今になって、対応すべき事態が起きました。偶然とは思えません」


 なんとなく胡散臭い詐欺師みたいな話の運びでしたが、良い機会だと思うのも事実です。


「でも教育理念――考え方ってぇ捉えたらいいんですかぁ? どうやって決めるんですかぁ」

「教育の結果、どんな能力を持ち、社会性に溢れる性格に育ち、どういう風に社会貢献できる……、硬い言い方でしたね。教師が生徒たちにこうなって欲しいと思う『願い』が理念として十分、通用すると思います」


 学園長と自分を除く全員が呻きました。

 正直、自分もまだ『どうなって欲しい』のかまったくわかっていません。


 皆、それぞれ生徒に対して想うことがあります。

 その『想い』と『願い』がないとは言わせません。


 言葉は思い出せば、紡がれます。

 過去は確かにそこにあるのですから。


「皆さん。我々には理念を持たされていませんでした」


 学園長の言葉に全員が注視しました。


「この学園は『義務教育計画』を実施するための箱庭。実験場であり、生徒も教師も【宿泊施設】の住人、そして、私でさえ役割しか負わされていません。学習要綱、試練、それらもまた『義務教育計画』を遂行するための要因でしかありません」


 今まで理念を必要とされていませんでした。

 学園だけ理念がない、というのもおかしな話です。

 どんな団体もある程度、理念があるものです。


「学園を本当に学ぶべき場にするのなら、私たちは役目を担うと共に理念を持たねばなりません。こうあるべきだという明確な目的を持つべきでしょう」

「ぬん? 目的は『義務教育計画』の遂行なのでは」

「いいえ。それはあくまでのこの計画の目的であって、学園の目的ではありませんよ」


 向こうが作った理念があったと仮定して、その通りにやると何故でしょうね。今以上に厄介なことになりそうで怖いです。

 正直に言うと腹が立ちます。


「計画は始まりと終わりであり、中身を注ぐのは貴方たち、教師です。注いだ中身を受け取るのは生徒たちです。そこに義務教育計画や政治は関係ありませんよ。ならばせめて――」


 何故、バカ王が理念を作らなかったのか。

 必要ないと思ったのか、それとも他の理由があったのかまではわかりません。

 そもそも何を考えているのか理解できた試しがありません。


「――これから何十年と続く生徒たちの人生の為になるものにしましょう。理念はそのためにあるのです」


 誰かが理念を創るとしたのなら。

 それは机の上で試算している遠くの誰かではなく、自分たちであって欲しい。


 この場で暮らし、知恵と汗を流す自分たちでありたいというのはわがままでしょうか?


「ここには王に選ばれた六人がいます。あまり長いものも理念らしからぬでしょう。想いと、それを示す一言でまとめてもらいましょう」


 また無茶ぶりが飛んできましたね。

 考えや想いを一言にまとめるのは結構、面倒なんですよ。


「では、まず提案者のヨシュアン先生から」


 さらに上がる難易度に頬が引き攣ります。

 一番手って考える時間すらないですよ。とも言ってられないので空より狭い天井を見上げ、今までのことを思い返しました。


 自分は生徒に何を期待していたのか。


 未来はなかったはずでした。

 今は明日の予定すら生徒たちで一杯です。


 過去はこんなことを想像していなかったはずでした。

 今は培ってきた知識と技が生徒たちに教えるための一助になりました。


 今は? あの子たちが、あの喧しくて、騒がしくて、問題ばかり作る子たちが。

 クリスティーナ君が、マッフル君が、エリエス君が、セロ君が、リリーナ君が。


「――創る何かが繋がっていく」


 途絶えたはずの自分の未来が生徒を通して繋がっていく。

 復讐、憎悪、怒りや憤りを隠して生きていくしかなかった自分を生徒たちがそうではない何かに変えていく。


 さぁ、思い出せ。

 苦しみも痛みも哀しみも、全ては過去に眠っている。


 血の涙を流した【十年地獄】すらもこの四ヶ月を通して、今、この瞬間に結実させろ。


「……どんなに優れた能力があっても自己利益を追求するものは誰も幸せにできません」


 焼けた村。燃える思い出たち。

 奴隷刈りのあの女がやってきた時から全ては狂い始めました。

 フィヨの手を取り、誰も通ったことのない山道を逃げ、辿りついた先は革命軍が占領している砦でした。


 力がなかったから逃げるしかなかった。

 しかし、力があってもきっと村を救えたとは思えません。

 奴隷刈りを倒していたとしても、次は軍が迫ってきていたでしょう。


 義務を放棄した者が生み出した地獄の、始まりでした。


「本質的に何が大事なことなのかを見極める豊かな心を育み、他者の心を気遣う」


 フィヨを想う。


 彼女は太陽のような女の子でした。

 暗い気分も彼女といれば幸せでした。

 誰も彼も彼女の前だと笑顔でした。

 お腹が減っている男の子も、傷が痛いだろう戦傷者も、誰もが彼女と言葉を交せば微笑んでいたような気がします。


 地獄の中でさえ彼女に救われてきました。

 でも彼女を失い、希望も救いもそこに置いていきました。


 自分は悪神になりたいとさえ願いました。


「多様な心は発展を意味し、様々な物事を発展させる――」


 そして、この四ヶ月を想いましょう。


 教えれば教えるほど吸収して、己の力にしていく生徒たち。

 自分が教える物事を悪用して応用していく姿に驚かされます。

 何が起こるかわからない毎日に翻弄されていたんです。【戦略級】の、【タクティクス・ブロンド】なんてくだらない称号を持つ自分が。


 その彼女たちはずっと、今も成長しています。


 緩やかであっても成長していく生徒たちの姿が――楽しい。


「――未来に繋ぐ創造性へと向かう」


 その中でクリスティーナ君は自らの矜持を作り直しました。

 マッフル君は商人としての本分を忘れないまま、今も商品を作っているでしょう。

 エリエス君も色んな術式具を作ってきましたね。

 セロ君は積極性を作り上げてきました。若干、自分の顔が引き攣るくらいに。

 リリーナ君も地味に色々と手伝っているようですね。この子はまだ明確な何かを作ってはいませんが、まだ時間はあります。


「自分が描く教育方針は『創造』です」


 自分からもっともかけ離れた言葉が出てきました。

 術式具を作っていたのは生活のためと、あの空に浮かぶ天上大陸を目指すためです。


 そこには生産性はあっても創造性はありませんでした。

 【戦略級】術式師としては何かを破壊しかしませんでした。

 その全ての決定と決意に悔いはありません。


 望んで得た方向性でした。

 それでも生徒に望んだ求めは『創造』でした。


「創造……、始まりにはちょうどいい言葉だ」


 シャルティア先生が膝を組み換え、ニンマリと唇を歪めました。


「なら私も、ティルレッタたちに求めている事柄にしよう」


 まさか謎に満ちたティルレッタ君の手懐け方を公開するつもりですか?


「ティルレッタは私が言うのもアレだが、極めて社会性が乏しい。私ですらマトモな交流が難しかった。初日もそうだったな。だが何もアレの心を理解したわけではない。アレに響く某(なにがし)が私の言葉にあったのだろう」


 そういえばシャルティア先生は初日に生徒を手懐けたと言っていましたね。

 つまり、最初の時点ではもうシャルティア先生なりの理念があったということですか。


「その日より従順になった。私の魅力だと褒めても構わんぞ」

「自慢されても困ります」

「そう言うな。あの理解のできない頭であっても意志があれば交流できた。逆転、意欲さえあればどんな物事もこなせるということだ。勉学、恋愛、なんでもいい。目的があり、響くものがあり、積極的に取り組もうとすれば形も整っていく。凛然としてくるのだ」


 ティルレッタ君が意欲でどうにかなる相手だったとは知りませんでした。

 ということは頑張ればティルレッタ君とも意思疎通でき……できるイメージが湧きません。どうしろというんですか。


「私はアレらに、志のある者に育ってほしい」


 志と聞いて、ふと思い出しました。

 山に結晶石を採りに行った途中、魔獣に襲われた時です。


 ティルレッタ君は魔獣の影響も受けず、ティッド君を宥めていました。

 アレは彼女が見せた『意欲』だったのかもしれません。


 怯える子供を救いたいと願う、ティルレッタ君なりの心が魔獣の影響を跳ね除けたというのなら――


「『意欲』を持て。そう教育している」


 ――その教育成果に疑問を挟めません。

 あの子にはあの子のなりたい自分があるのかもしれませんね。意思疎通できないので何になりたいかまではわかりませんが。


「ふむ。なるほど『意欲』か。重要なことだな!」

「模倣しても構わんぞ? 素晴らしい教育方針だろう」

「何、すでに決まっているぞ! 俺は軍人だ。教師になっても生き方などそう変えられん。その俺が教えてきた者たちは皆、軍規を守らせている!」


 ヘグマントからすれば当然でしょうね。

 軍規を守れない兵隊ほど性質の悪い集団はありません。


「規律を守り、軍として行動するからこそ難敵にも勝る力となる。集団こそ力、そして、集団を束ねるのは規律であり規則だ。それらが俺たちを繋いできた。例え孤軍であろうとも必ず助けが来ると信じられたのは規律という約束に繋がれていたからだ」


 実行を約束された行動は確かに信用とも言えます。

 それは軍規だけに留まらず、商売や国政にも通用します。

 約束は人を繋げる縁(よすが)なのです。


「規律を絆と呼んでもいい。絆が孤独から人と生命を救う。そして、絆を守ろうとする人間は皆、強くなるぞ! 鉄の意志と健常な肉体こそが規律を守る上に必要な項目であり、それらを育む。規律の遵守を徹底することだ! 俺はそう伝えてきた! フリドたちにもな」


 単純でわかりやすいからこそ、説得力がある言葉でした。

 いえ、ヘグマント自身が疑いの余地もなくそう考えているからこその言葉でしょう。


「『規律』こそ俺の教育方針だ!」


 一瞬、『規律』は理念に入るのか疑問に思いましたが、よく考えると否定する根拠は何もありませんでした。

 疑問を挟んだのはたぶん、珍しく変なことを言わないヘグマントのせいですね。


 そして、その成果はフリド君に現れています。


 自分がフリド君に生徒に声をかけて欲しいと言ったら、ちゃんと約束を守りました。

 むしろ自分の言い方が悪かったせいでフリド君も困ったでしょう。


 何かを頼む時に必ず、行ってくれる。

 それは信用と取ってもいいでしょう。


「暑苦しいな」

「アレフレット先生もどうだ! それだけの腕があれば軍でも働けよう!」

「遠慮する。軍人なんて司書がやるものじゃないからな。あと僕は栄光が約束されているんだ。引き抜こうとするな」


 アレフレットと同感です。

 軍の術式師はアレで体力仕事ですから、アレフレットが入ったら干からびてしまいます。


 多少は鍛えているようですがアレフレットでは無理です。断言します。


 それと、やはりアレフレットは教師を引き受けた代わりに昇進するみたいですね。

 恩賞を自身の昇進に使うとは……、いえ、これも個人の生き方でしょう。

 上を目指すことは悪いことではありません。


「……歴史は深い。その膨大な知識を教える時に常に想うことがある」


 アレフレットは少し探るように目線を動かし、しかし、決心したように一度、目を瞑りました。


「どのような知識があろうとも、先人の積み重ねであっても、気づかなければ意味がない。この歴史にどんな意味があり、どんな想いがあったのか、僕は何度も口にして伝えていっている。そうだ、感じ、考え、そして伝える努力をしなければならない。歴史とはそうした積み重ねなんだ。学びとは歴史から始まるんだ」


 術学をやりたかったと言っていたわりには暦学にも愛着があるじゃないですか。


「そして、それらを全て引っくるめてティッドたちにはこう伝えている」


 最初のアレフレットはなんというか自分に似た空気がありました。

 嫌々やっているというか、仕方なくというか。

 それも最近では感じなくなり、生徒たちの間でも論文を書いている時は声をかけづらいけれど、言えばちゃんと教えてくれると評判です。良い評判かどうかは微妙ですが。


 思えば長期休暇中も【大図書館】に居ましたね。

 アレも生徒に言われてのことでした。


「深く知れ。『探求』しろと伝え続けている」


 ティッド君は頑張り屋です。

 セロ君のためでしたが、自分の弱さにくじけたことだけはありません。


 如実に出たのは第一試練の時でしょうか。

 結果は伴いませんでしたが挑戦することを諦めませんでした。

 同時に結晶石の前で、自分の突発的な質問に対しても丁寧な答えを出しました。


 普段から良く勉強している証拠です。

 それもまた深く知っていく成果と言えるのでしょう。


「深く知れ、ですかぁ。錬成にも同じ言葉がありましたぁ」

「錬成も暦学に負けず劣らず深い学問だからな。もっとも重みは歴史のほうが圧倒的だがな」


 リィティカ先生が苦笑されたので、その意味不明な顕示欲をやめなさい。

 足裏をつねりますよ?


「わたしは錬成師としてはぁ、まだ未熟だと思っていますぅ。そんなわたしでもマウリィさんたちを見ていると努力していかなきゃいけないなぁ、なんて思ったりもして。励みになったりぃ、嬉しくなったりしますぅ」


 清く潔い向上心に胸を打たれました。

 手を差し伸べると同時に克己を持つ……、素晴らしい心がけだと思います。


 今日からリィティカ教の訓戒に刻みましょう。

 いつか聖典ができるその日まで一言一句、逃さずに。


「生徒だけじゃなくってぇ、人と人の繋がりにも言えると思うんですよぅ。手を取り合ったりぃ、手を差し伸べたりぃ。持ちつ持たれつの関係ですぅ。そうした気持ちの重要さや優しさを持った子になって欲しいなぁって、思っています」


 ですよね。さすが女神リィティカは慈悲と愛に満ちています。

 助け合い、良い言葉です。

 単純でありながら深く人の関わりを表しています。

 あまねく諸衆は女神リィティカのやんごとなき優しさを崇めるべきです。


「少しアレフレット先生の話と似ているかもしれませんがぁ、歴史が積み重ねなら人と人の繋がりも積み重ねなんじゃないですかぁ。こうした気持ちを大切にしていけば、繋がりが大きなことも小さなことも助けて合ってぇ、何かを作っていける」


 マウリィ君はそんな女神リィティカの徒弟として、一信徒として相応しい行動を取っています。


 突発的にエリエス君へ料理を教えてくれと言っても嫌な顔すらしませんでした。


「差し伸べる手を持つ『慈愛』に満ちた子たちになって欲しいなぁって」


 ティッド君がマウリィ君に相談をしていた場面もありましたね。

 そして昨日もちゃっかりきているあたり少しあざとい部分もありますが、一番、助け助けられる関係を生徒たちの間で築いている子だと思います。


「まるで自分の子供を育てているみたいな言い方だな」

「ち、ちがいますぅ。そういうのじゃなくってぇ生徒たちにですよぅ」

「ほう。まぁそういうことにしておいてやろう」

「もぅ……」


 ちょっと頬を膨らませて怒るリィティカ先生を見られただけでも、この会議は成功です。

 よし、ここで帰ります……、というわけには行きませんよね。


 ピットラット先生の理念を聞かねばなりません。


「最後は儂ですな」


 ここにいる全員を落ち着かせるような声色でした。

 そして、一拍だけ時間を開けてから話し始めました。


「儂はもう先が長くない歳です。その半生は多くの恩によって満ちていたと省みるのです」


 ピットラット先生ももう五十を過ぎて、いつ死んでもおかしくない歳です。

 その割には自分たちよりも健康そうに見えますが、やはり思うこともあるのでしょう。


「執事としての半生。教師としてここにいる今。それらは全て旦那様や奥方、いえ、家内にも言えたのですな。そういう意味ではリィティカ先生の言う通り、助け合いだったのでしょう。返せるものならば返していきたい。そして、それがキースレイト君たちに与えるという形で返せるのであれば、これとない幸いでしょう」


 ピットラット先生の奥さんはもう亡くなっています。

 恩返しというのなら、もう恩を返せません。

 それでも他に恩を返せると言い、幸いだと言い切れるピットラット先生の言葉に、少し羨望に似た気持ちが湧きました。


 自分なら、そんな気持ちになれるかどうかわかりません。

 それとも時が経てば、自然とそう思うようになるのでしょうか?


「国の恩、父母の恩、世の恩、神の恩。恩が何になされたかを思い出し、今日の状態は一体、なんであるかを省みる心。たくさんの人に生かされていると知り、そして恩を返すことはたくさんの人を生かすことだと儂は教育で伝えております」


 そんなピットラット先生の教育を受けたキースレイト君は最初に比べると穏やかになっているように見えます。

 客観的に己が見えるようになってきているのか、それとも、人を気遣うことを覚えたのか。


 シャワー室の建築作業中にそのどちらも垣間見えました。


「『四恩』。つまり、儂の教育は恩返しのようなものですな」


 教育を恩返しと言い切れるピットラット先生。

 本当、この人、かっこいいですね。


 言葉こそ少ないですが気を回してもらったり、至らない部分を補助してくれたり、気がついた時にはピットラット先生のお陰だったこともあります。


「『創造』『意欲』『規律』『探求』『慈愛』『四恩』。それぞれ良い言葉でした」


 学園長の言葉に誰もが傾聴の姿勢を取りました。


「これよりこの六つの心を教育方針とし、リーングラード学園の六訓とします」


 誰一人として同じ教育方針がなく、また誰もがこうなって欲しいという『願い』がありました。

 これに生徒たちが答えてくれるかどうかは、自分たちの頑張りなんでしょうね。


「教師として、そして、人として迷った時はここに集った教師たちと六訓を思い出しなさい。それぞれがそれぞれ、大事なことです」


 学園長の好々爺とした笑みも、いつもより満足そうに見えました。


「そこから道は繋がっていくのです」


 学園六訓。

 政争を背景に作られた学園と計画ですが、それでも学園六訓だけは違うと言い切れます。


 ところで迷った時は学園六訓を思い出せ、ですか。

 常に迷っている自分はずっと学園六訓を思い出し続けなければならないんですかね? 主に生徒関係で。


「私にとって生徒も貴方たち教師も大事な次代です。もっともピットラット先生はこちら側ですね」

「いやはや……」

「となると俺もか!」

「ヘグマント先生はまだまだ、こちら側に来るにはお若いでしょう」

「むぅん! この筋肉が動く限りは現役だ!」


 服の上からでも動く胸筋が気持ち悪いです。


 この会議で義務教育計画という国の実験とはまた違う形で学園が作られたのではないでしょうか?


 そんなことを思いながら、自分は手のひらを見ました。


 キラキラと輝く粒の汗。

 それを握り潰して、戸惑いました。


 烏滸がましくも忌々しき自分であろうとも。

 それでもまだ未来が繋がっていることに安心したのか、忌避したのか。


 奇妙に混じり合う気持ちと少しの満足感だけが、この手のひらに握られていました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。