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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
241/374

新しい朝が来た、ただし最終日

 イグレシオの疑問に関して自分は答えを持っていました。

 しかし、言葉にできませんでした。


 憎しみというのは必ず何か、あるいは誰かという対象がいます。

 憎しみを抱いた人間というのは必ず、誰かという対象への憎しみを晴らす手段を構築します。


 それは殺人計画のように綿密で曖昧な、脳内に描いた発散への道です。


 発散、ですね。

 それは自発的に制御できるという意味です。


 まるで鬱屈したら娯楽で晴らすように、気分次第でできることです。


 自分は以前、憎しみを理屈だと言いました。

 帝国貴族のファーバート卿に『憎しみを持ちながら何故、人を殺さないのか』と尋ねられた時、自分は『殺す者を選ぶ』と言いました。

 歯止めの効かない自分への戒めの面もありました。


 ファーバート卿に関しては殺す方が面倒だったというのは余談でしょう。


 では何故、自分は心の表層を『魔眼』によって揺らされた時に他の感情ではなく、憎しみが表に出たのでしょう?


 感情を押しのけて、感情よりも先に、憎しみの理屈が先に出た。


 感情を制御し、理屈を束ねて整理する。術式師としては正しいのでしょう。

 感情を超えて理屈を表面に出したのですから。


 ですが、気分次第で突発的に起こせる憎しみという『衝動』を理屈と呼べるでしょうか?

 人が欲を持ち、欲を晴らし、欲を求めるのなら、同じような性質である憎しみもまた感情となんら変わりありません。


 そして、感情と同じなら。

 晴らす方法も同じく娯楽のように晴らせるのでしょう。


 イグレシオへの答え。

 憎しみを晴らす方法は一つです。


 憎しみを抱かせた相手を苦しめ、納得して殺すことです。


 自分が黒色ゴキブリに抱く殺意と願望です。

 それでしか憎しみは晴らせませんし、他に方法はありません。

 あるわけがないのです。


 わかりきっていても自分はイグレシオには答えませんでした。


 そう決めてしまうことを躊躇ったのは何故でしょうか。

 わかりきっている答えを描けば○をもらえる、間違っていなくても×にはなりません。

 △でも十分、及第点ですよ。少なくとも点数はもらえますからね。


 でも△では満点にならないんですよ。


 自分は誰に対して満点をもらいたがっているんでしょうね。


「おはようございます」


 職員室の扉を開けると同時に挨拶をしました。


「あぁ……」


 と、鷹揚な返事を返すアレフレット。

 給湯室から出てきたピットラット先生は見事な笑みで「おはようございます」と挨拶したんですがね。


 何やら懸命に書いているようなので何も言いません。

 自分も集中している時には胡乱な返事をしてしまいます。


 ちょっとしたことでも許して受け入れる。

 そうした精神は人間関係を潤滑に回す秘訣だと思っています。


「今日で長期休暇も最終日ですが、シャワー室は完成しそうですかな?」


 ピットラット先生がわざわざ香茶を入れてくれました。

 香草の匂いを抑えたピットラット先生謹製の香茶は心が休まります。


 これでようやく全員、そろいました。

 今日はアレフレット先生とピットラット先生、そして自分が職員室組です。

 全員出勤予定の会議は夕方なのでシャルティア先生たちはまだ来ていません。


「えぇ。内装に石材を敷いて、蛇口部を微調整すれば使える形になりそうです」

「それは良かった。シャルティア先生がキャラバンの方々にも使わせるように懸命に試算を繰り返しておられましたからな」


 ある意味、学園名物になりそうですね。


 しかし、不特定多数の人間にシャワー室を使わせるとなると水量と水質の問題に繋がりそうですね。

 シャワーの水は浄化槽を通すので、あまり過剰に使うと貯水がなくなります。

 

 最悪、水を作るような術式具が必要になるかもしれませんね。

 浄化槽に取りつければ問題も解決するでしょう。


 その時は利用者が適当にON/OFF機能に触ってもらわないといけませんが。


「この長期休暇で起きた様々な問題は夕方の会議でまとめられるのでしょうが、はてさて」


 ピットラット先生が小さく顎をさすりました。

 色々と問題が起きましたからね、主に自分絡みですが。


「そういえば聞いたぞ!」


 突然、アレフレットが顔をあげて、睨みつけてきました。


「生徒会の依頼で一生徒の肩を持ったそうだな」

「アレはそうですね。色々と理由がありましたが確かにそうです」

「……やけに素直じゃないか。いつもなら無駄に言い訳するはずだろう」

「責任を取ると言いましたからね。甘んじて受けますよ」

「……ふん!」


 これはこれで面白くないそうです。

 とはいえ、本心です。


 エリエス君が受諾書もなしに依頼を受けようとしたこと。

 そして、教師が一生徒のために規則の穴を突き、規則をねじ曲げようとしたこと。


 これらはどう説明しても言い訳のしようがありません。


 夕方にでも謝罪と、今後、こうしたことがないようにする案でも出します。


 問題はいつだって山積みです。

 魔獣信仰組織の件も対処しなければなりませんし、【語り部】の話も気になります。

 騎芸に社宅近くの入浴場作り、娼館の話もありましたね。


 あれ? これって一教師が抱える仕事ではないですよね。

 何故、こんなに問題ばかりそろうんでしょうか。わかりません。


 生徒たちもまだこないので、少しの時間、問題解決に取り掛かりましょうか。


 ちょうどアレフレットもいることですし、聞いてみましょう。


「そういえば話は変わりますがアレフレット先生」

「なんだよ。僕は忙しいんだ」

「【原初のヒト】をご存知ですか?」

「忙しいって言っただろ! どうしてそのまま話を進める!」


 キリキリと眼を釣りあげられても困ります。


 アレフレットも諦めたのかイラついたように頭を掻くと羽ペンを荒々しくペン置きに突き刺しました。


「だいたい、何を聞いてくるかと思ったら、どうして知らないんだヨシュアン・グラム」

「どうしても何も、知らないからですよ」

「だから、術式師なら知ってて当然だろ!」


 自分は術式師でも異端な部類ですからね。

 本来なら教わるべきことをクソジジイは短縮して教えやがりましたしね。


「【原初のヒト】を最初に考察したのはウーヴァーン・カルナガランだぞ」


 ウーヴァーン・カルナガラン。

 カルナガラン方式という基礎術式を作り出した歴史上の偉人で、授業でも最初に生徒に教えました。


 しかし、それだけの人じゃなかったんですか?


「本当に知らないのか……? カルナガラン方式を知れば当然、本人の来歴や著歴も調べるだろ」

「それは研究系の術式師の話です。自分は実戦系で故ウルクリウス派でして」

「まるで軍用騎士みたいな言い方だな。その上にあの異端哲学派か……。まぁいい」


 故ウルクリウス派は『空を飛ぶための学問』を研究していますからね。

 真っ当な学者からすれば眉唾ならぬ、夢幻の理屈でしょう。


 しかし、鳥や飛竜が飛べるのなら、その仕組みを再現して人も飛べるのではないか。

 そう考えた学問だけあって概要以上の面白さがありました。

 自分でも楽しめましたしね。


「僕が知っている限り、神話の記述【原初のヒト】という言葉を学問的に考察したのはウーヴァーンの著書が初めてだ」

「錬成書はどうだったのですか? カルナガランは多くの書物を持っていたと聞きます。歴史的には錬成の方が深かったでしょう」

「そこまではこの僕でも知らないさ。だけど、【原初のヒト】が何を意味するのか論争まで起きたことがあったんだ。有名な話だぞ」


 おそらく、どう定義するかで迷ったんでしょうね。

 神話の記述は突然、変な言葉が出てきたりするので前後の史実を知らないと暗号文にしか見えません。


「で、論争の結果、【原初のヒト】はどういう存在になったんですか」

「【タクティクス・ブロンド】だ」


 自分ですか?

 たしかに【語り部】にそう言われましたが、あれは自分限定だったと思います。


「正確には【タクティクス・ブロンド】の優れた素養、それら全てを保有している存在だと言う話だ」

「全てを保有なんてできるわけがないじゃないですか」


 全属性適性持ちの自分でも【戦略級】術式は青がほとんどですよ。

 イルミンシア・プリムのようなまだ使いやすい【戦略級】もありますが、そういう話ではありません。


 【戦略級】術式のほとんどが感情の極地を持って使われます。

 自分がメルサラの真似をしても赤属性の【戦略級】が使えないように、逆も言えます。

 大体、自分たちが得意な属性の【戦略級】術式を保有しています。


 全ての【戦略級】が撃てる術式師だなんて反則も良いところです。


「【戦略級】を使用するには術式師数百人と儀式場。騎士団に匹敵します。王都の術式師でも三百人、いるかいないかでしょう? それを六倍、かるく千を超えますね。 単純計算して千人以上の性能を持った個人となると……、規模だけなら【神話級】すら使える術式師ですよ」


 力を数値化できない以上、曖昧な数字になりますが経験と体感ではこんな感じでした。


「実際、使えないだろ。誰も【神話級】の術陣なんて知らないんだからな」

「能力だけ見たら可能だと思うって話です」


 第九術韻まで整えば理屈的には可能なんですよね。

 問題は第九術韻は未発覚、どこの文脈に使われるのさえわかっていません。


 あとはどれだけの人数を集めるか。

 あるいは【タクティクス・ブロンド】全員による【連携陣】が可能なら……、そこまで考えて諦めました。


 今代【タクティクス・ブロンド】が協力し合うなんてことはありません。

 少なくとも自分と黒色ゴキブリがいる限り、ありえません。


「言ってしまえばウーヴァーンは術式師の理想を【原初のヒト】に当てはめたんだ。おそらく、神話に術式師の概念を加えたんじゃないか? それを後世の僕たちがいうなら【タクティクス・ブロンド】だ。もしかしたら【タクティクス・ブロンド】同士が結婚していったら、子供がそうなるんじゃないかと睨んでいる」


 その仮説は非常に困ります。

 レギィとメルサラしか選択肢がないんですよ?


「アレフレット先生が考える【原初のヒト】とはなんです? さっきまでの話はカルナガランの目指した思想でしょう」

「そうだな。ヒト種の起源だろうな」


 あっさり答えましたね。

 てっきり今、考えるものだと思っていましたが。


「仮にできるとしてヴェーア種、エルフィンテルメキア、ド・ヴェルク族、マグル族、そして、ヒト種。その全ての良い部分だけを持ったヒト種が【原初のヒト】なんじゃないかと思っている」


 ヴェーア種の肉体、エルフの応用性、ド・ヴェルグ族の耐久性とマグル族の器用さ、ヒト種の汎用性が備わった人間。


 なんとなく想像してみた形は――あろうことか子供でした。


 無機質な眼、唇だけ歪めて笑う、おぞましい子供たち。

 圧倒的な速度と殲滅力を備え、周囲を巻き添えにして滅びる子供たち。


 炎に囲まれた森の中で自分を獲物と定め、躍動する『遺恨児』を自分は――頭を振り、想像を追い出しました。


 ただの想像です。

 根拠なんてものはありません。


「それは……、どうして?」


 粘着く喉に香茶を流し、一息ついてから訪ねました。


「ヒト種の全ては共通点があるだろう。二足歩行で手を使う。神話でも【原初のヒト】が登場してからいつの間にかヒトが地に満ちた。次に神々が世界の形を整えている間に他のヒト種もいた。もしかしたら【原初のヒト】から全ての種族が育まれたんじゃないかとだな……」

「いえ、教義的にアリなんですか? その理屈」

「真っ当な教徒の僕に不真面目で不信心なお前がそんなことを言うなんてな。明日、雨が降ったらどうするんだ」

「傘をさして出かけたらいいじゃないですか。で、どうなんです」

「ヒュティパ神は寛容だからな。種族で忌避したりしないさ。むしろ内紛時の教会を先導していた人種至上主義なんて一つの視点からでしか物事を見ていない視野狭窄の譫言だね」


 やはり、あの時の教会はおかしかったんですね。

 今まで教会に軽い忌避感がありましたが、それは内紛の時のイメージが強かったからでしょう。

 もっとも、理由がわかっても忌避感は減りません。


「別に僕は時代に迎合していたわけじゃないぞ! ただ発言する時期くらい選ぶさ」

「何も言ってませんよ」


 本当に何も言ってません。

 アレフレット的に後ろめたいことがあるのでしょうが興味はありません。


「ヒト種の母だな。【原初のヒト】を【偉大なる母】として聖人認定させようとする派閥もあるな。僕も専門というわけじゃないから、こんなことくらいしか知らないな」


 いえ、想像以上でした。

 少なくとも自分の知らない知識の多くを、自分の知識を補完する形で埋めてくれました。


 一番、最初の【原初のヒト】。

 神々が連れて来たという【原初のヒト】はどこからやってきたのか、という疑問は残りますがこれで十分です。


 後はアルベルタの目指した【原初のヒト】の想像形ですね。

 それもさっきの想像で方向性だけ見えた気がします。


 まさか自分があの狂人を理解しなければならない事態になるとは、想像もつきませんでした。

 ですが、やらないといけないのでしょう。


 少なくとも自分は証明しなければなりません。

 アルベルタとは違うと。


「ありがとうございました。参考になりました」

「ふん。これくらい僕にかかれば基礎知識の一つでしかないさ」

「思ったより博識ですね」

「お前は最後に一言多いんだよ! 本当にありがたいと思ってるのか!」


 もちろんですが、アレフレットの前で出すと負けた気分になります。

 なので、おちょくられてください。


「もう一つ、聞いていいですか」

「お断りだ! 僕は教本作りがまだ終わっていないんだよ!」

「いえ、ある組織構成について聞きたかったんですが。不思議な組織構成だったので博学多識なアレフレット先生ならこの謎も解けるかと思っていたんですが、無理ですよね。いや、すみません。いくらアレフレット先生でも専門外の知識くらいありますもの。いえ、いえいえ、いいんですよ。そんなことでアレフレット先生の知識が陰ることもありません。お気になさらずに」

「……お前な」


 フルフルと震えるアレフレットが拳を机に叩きつけました。


「いいだろう! それは僕に対する挑戦と受け取った! お前が解けない謎であろうとも僕の手にかかれば積み木より容易く組み上げられると知れ!」

「積み木って意外と難しいんですよ? こだわればこだわるほど奥が深くて考えさせられます」

「早く言え!」


 昨日、イグレシオから聞いた魔獣信仰組織について語りました。

 一応、魔獣信仰という部分は伏せておきました。


 ですが、おかしなことに話す度にアレフレットの顔色が変わっていきます。

 だんだん険しくなっていくのです。


「お前、その話、どこから聞いたんだ」

「まぁ、色々と」

「ふん。まぁ、いい。少し時間はあるか?」


 焦っているようにも見えず、むしろ、まるで長年、抱えていた何かを鍵を見つけたような、険しいながらも真剣な眼をし始めました。


「まだ生徒たちも集まっていないでしょうし、少しなら」

「長い話になるかもしれないが、この時間で要点だけ話しておく。今日の会議の後は空いているな。概要だけ話したらその概要を熟考しろ。夕方に聞く。それと資料も見ろ。【大図書館】に行くぞ」


 アレフレットが立ち上がり、ピットラット先生を見ました。


「ピットラット老。少し出るが任せても?」

「えぇ、すぐに帰ってこられるのでしょう。ならば少しの間、留守を任されましょう」

「助かる」


 なんでアレフレットはピットラット先生にこう、上から目線なんでしょうね。

 いえ、そういえばピットラット先生は仕える者の性根がどうとか言っていました。

 アレフレットは使う側なので、つい癖が出た、といったところでしょうか。


 本人に悪意はないんでしょうね。


 素早く鍵の保管庫を開けようとするアレフレット。

 あ、取っ手を掴みそこねて爪をガリっとやりましたね。

 痛みに呻くアレフレットはそのままにしておきましょう。


 自分が言えることがあるのなら落ち着いてください、ですね。


「どうして鍵がないんだ!」


 自分もアレフレットの後ろから覗くと【大図書館】の鍵だけありませんでした。

 ……あ、思い出しました。


「自分が持っています」

「鍵は帰る前に保管庫に入れておく規則だろ! 持って帰るな! 何かあったらどうするんだ!」


 ごくごく普通に怒られました。

 鍵をローブから出すとひったくるように奪い、そのままツカツカと職員室から出ていってしまいました。


「ではピットラット先生。お願いします」

「えぇ。頑張ってくださいな」


 ピットラット先生に頭を下げて職員室を出ました。


 さて、期待はしてなかったのですが、どうやら何かを教えてくれるようです。

 ひさびさにアタリの予感を胸に、アレフレットの後を追いました。


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