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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第一章
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敵前逃亡につき行方不明

 新しい授業制、合同制を導入するまでの四日間。

 ほとんど寝た記憶のない四日間だった。


 先日の授業で顧問制は終わり、その日に新しい制度を生徒たちに話しました。

 簡単に説明を行い、皆、納得してくれたようでなによりです。これで準備万端だろう。


「ところで、それは何が変わりますの?」


 クリスティーナ君の純粋な疑問が心に深く突き刺さりました。

 誰の、誰のためだと思ってんだよ、お前!

 だから貴族ってヤなんだよ、人の苦労を平気でへし折りにきやがる。そんな自分でもこの子の教師です。先生なんです。


 疑問に答えるために仏の心でぶん殴りました。無心です。

 顔面じゃなくって、ちゃんと頭頂部ですよ? 安心のげんこつ設定。


「また無体を! 私の美しい頭の形がアンブロウス山の頂みたいになったらどうしてくださるというの!」

「あぁ、すみません。先生、寝てないのでついオシオキしてしまいました。朦朧としてもう一発いくかもしれませんが許してくださいね」

「ごきげんよう! ヨシュアン先生!」


 去っていく金髪フリルの潔さに乾杯したい気持ちです。アルコール0%ですが。


 ともあれ苦労の甲斐があったのか、無事、2週間だけの合同制を開始することができた。

 今日がその記念すべき最初の日です。


 本当にしなきゃいけない苦労だったのか、今でも首を傾げます。

 まぁ、やってしまったものは仕方ない。どう転がるにしても以前のままでは色んな仕事に不備が出る。


 そう自分に言い訳しながら、向かう先は【教養実習室】。


 この初の合同授業でパートナーとなる教師は、ピットラット先生。

 リィティカ先生との授業を実現させるだけの立場にあったというのに、どうしてリィティカ先生じゃなかったのか?

 理由なんて分かりすぎるほど分かりすぎている。

 リィティカ先生との相性が良すぎたのだ。

 自分と苦手&得意の科目が似通っていた。これでは合同授業の意味がない、とリィティカ先生との合同授業は控えめなのです。唯一、リィティカ先生が苦手とする術式の授業くらいしか……、一緒に……、うぅ、呻き泣く。


 しばらくアンニュイな空気を纏っていたが、頭を振って陰鬱を払いのける。

 落ちこんだところで生徒たちは手加減してくれません。


「失礼します」


 いつの間にかたどり着いていた【教養実習室】の扉を二回ノックしてから開く。

 案の定、ピットラット先生はすでに部屋の中に居た。


「こんにちは。ヨシュアン先生」

「はい。ピットラット先生」

「今日は初の合同授業です。教わることもありましょうが、よろしくお願いします」


 真摯で紳士な対応に、自分もついつい腰を曲げてしまう。


「いいえ、間違いなく教わるのは自分のほうですから。今回は勉強させていただきます」


 これは謙遜でもなければ間違いでもない。


 穏やかにして、静謐な佇まい。このできる老人オーラを身に纏うピットラット先生から学ぶことは多いはずだ。

 自分よりも長い間……、下手をすれば生まれる前から貴族の子へと教育してきた手腕、盗めるべきところは盗み、手本にすべきところはすべきだろう。

 自分は年の功を甘く見るつもりはありません。


 自分のモチベーションは意外に高い。

 今日、自分は教師として一皮剥け、より次元の高い教師道に足を踏み入れるだろう予感がするのだ。


 その証拠は、ピットラット先生の動きを見ればわかる。

 影が薄いとか、印象に残りにくいとか、色々ありますが濃い教師陣の中で自分と同じ常識人ポジションにある。え? 自分、常識人ですよ? 当たり前じゃないですか。


 こうして目の前にいても気配が薄い。

 普通ならそれで終わる話だが、自分からすればとんでもないことだ。


 ティーカップの用意をしているピットラット先生からは、最小限の音しかしない。


 人間はどんなに頑張っても、音を出すことだけは止められない。

 大きな音は衣擦れや足音、小さな音ならば心臓の脈動、鳴る骨の軋み。

 疑う方は暗闇にした防音室でじっとしてみるといい。


 視覚を失ったことによって聴覚が鋭敏になり、普段より意識してない『自分の出す音』に気づけるだろう。


 そして音は周囲に拡散する。


 誰か気配のほぼ8割近くが、そうした無自覚の音を聞くことでわかる。自分が気配を感じる時は大体、音を聞くようにしている。


 残る2割は『眼』を開くことでわかる、源素の集まりくらいだろうか。

 伊達や酔狂で暗殺者とか、しばき倒していません。酷いときで三日に一回です。それも時間と共に無くなりましたが。今でも思い出したように襲われます。


 もっともベルベールさんが大抵、お相手してくれるので自分の相手はそこから溢れたカスか超熟練くらいだろう。ピーキーすぎる人生に絶望すら沸かない。


 話は逸れたが、この気配というべき音がピットラット先生からはあまり感じないのだ。

 熟練の暗殺者みたいに、衣擦れ一つも立てない。

 誰かを立たせるという職業、執事だからこそ目立つのを嫌い、影に潜むうちに身につけたスキルと言えるだろう。

 そして、音が出ないということは人体の動きに無駄なロスが少ないということ。

 かなりのボディコントロールに長けていると見た。

 それに比べて自分の動きの雑味はなんということだろうか。

 これでも色んな経験、修羅場を越えてきた自負はある。命を失いかけたことなど両手では数え切れないことだろうド畜生。そんな自分でも気配という観点から見れば、ピットラット先生の足元にも及ばない。


 下手をすればこの人、武力的にもかなりの凄腕なのかもしれない。


 以上の理由から、自分はピットラット先生を一目置いていると言わざるをえないだろう。


「先生、お手伝いしましょうか?」

「いいえ。もうすぐに終わります。よければそちらでお掛けになって御休みくださいな。最近、色々と働き詰めでしょうに」


 やんわりと休めを気にしてくれる。

 気を配れる大人って素敵。


 ここで断るのも難なので、自分は素直に椅子に座ることにした。

 少しばかり、ピットラット先生と交流してみてもいいだろう。


「ピットラット先生は学園長のことをどう思われますか?」

「はて? 学園長ですな」


 突然の質問に動きが止まることなく、後ろ姿に思案している様が伺える。


「聡明な方ですな。あぁした仕切りの場に長けていらっしゃる。私とは少し違うでしょうが誰かの上に立つことに長けた人物でしょうな」


 それは自分も思っていた。


 実は今のところ、学園長だけが不透明なのだ。


 このリーングラード学園の教師生徒ともに触れ合ってきたが、あの人のことだけはよくわからない。

 動きに無駄がない、というよりも、無駄を出さないように動いている、というか、なんというかだ。

 この違いはフィーリングすぎて自分でもよくわかっていない。


 何より『どこかで会ったことがある』ような感覚がするのだ。

 それがどこなのかサッパリ思い出せない。おそらく貴族だろう。貴族センサーに引っかかっている。しかし、そもそもアースバルトと呼ばれる家名に覚えがない。

 自分は貴族という貴族の家名は全て暗記している。

 自分の標的になるかもしれない相手のことを概要でもいいから覚えておくのは当然だろう。貴族は敵以外の何者でもないのだから。


 そんな自分が貴族を相手に家名を覚えていない。


 これがどれだけ特殊なことなのか、理解出来るだろうか。


 よほど極まった理由で家名ごと消去されたか、元々秘された家系……、つまるところ王家の闇を抱えた家系。

 闇、と言っても血なまぐさい類だけではない。

 王家の罪を被るようなものだったり、事件をもみ消しにしたりする家系は結構、あるのだ。


 というかバカ王のバカをもみ消しするのは自分だったりするので、広義では自分もソレに当たる……、あ、いかん。怒りが湧き上がってきたどうしよう?


「しかし、学園長のことを聞くとなると……、疑われておいでかな?」

「いいえ。そういう意味ではありません。他に比べて由来というか経歴が謎だったから、ふと疑問に思っただけですよ。適当に納得できる答えさえあればなんでもいいんです」

「ふぅむ。しかし、それを言うのならば、ヨシュアン先生こそ謎でしょう」

「へ?」

「極めて強力な術式師であり、広範囲の学術を身に付けなければならない職業・術式具元師につき、計画の教師に抜擢されるほど高い教養も備えておりますな。それでいてどこにも所属していない。ましてや貴族でもない一市井の民だというのだから、不思議に思われても仕方ないのではないですかな? この老いた眼でもヨシュアン先生はどこか違う……、そう、まるで我々とは違う視線を持っているのではないかと伺わせるほどに」

「買いかぶりですよ。自分はそこらに歩いていれば一時間に30回くらい捕まりそうな、そこらの市民ですよ、えぇ。やんごとなき職場からの方々ばかりで重圧な毎日ですよ」

「だとしたら買わせていただいても損はないでしょうな。つまり、私は期待しておるのかもしれませんな」


 む。何やら矛先が変わってきた。


「制服への着眼点、先の合同制の一件といい、短い時間ではありましたが期待するには充分でしょう。おそらく学園長も同じ考えではないのですかな?」


 これは暗に踏みこむな、と警告しているのだろうか?

 それとも詮のないことだと促しているのだろうか?


「そうやって物事の裏を考える。市井の者にそうはいないでしょうな」


 ぐ……、ここんところ老人にやられっぱなしである。


「この歳になって、時折、そうした誰かの続きが気になってしまいましてな。生徒たちのこともそう、貴方のような有望な方の未来もまた同じ。私たちが掴めなかった世界、あるいは望みたかった光景。そういうものを貴方たちが手にする。そうして世界が車輪のように動いていく様を眺めるのが老後の楽しみと言えますな」

「それはまた、高尚ですね」

「高尚かどうかはさておき。案外、世の中に不必要な事柄はないのではないかと思うようになりましてな。こうした話も何かの役に立つのではないですかな?」

「今一つ、よくわかりませんが頭の片隅に残しておきます」

「後の数十年になればイヤになるほど理解しておりましょう」


 自分のような人間が数十年も生き続けられるとは思っていない。

 今のところ彼女もいないし、後に残す子供もいない。

 そもそも自分を残す、なんてことを自分は望んではいけないのではないだろうか?


 内紛の時に、あれほどの人を殺しておきながら。

 それでも幸いとは願っていいものなのか。幸いを追求してもいいのだろうか。


 思わずにはいられない。後悔はしていなくても分不相応だと思ってしまう。


 こうして、未熟な気配が近づいてくるのを感じていると特に。


「そろそろ生徒たちがやってくるようですな。授業の内容は書類に渡している通りに。ヨシュアン先生にも配慮、見えない部分の指摘をお願い致します」

「心得ました。こちらこそ」


 扉を開いてやってくる生徒たち。


「先生!」


 一番、初めに扉を開けたのはマッフル君。続いてクリスティーナ君。扉を抜ける前に一瞬、キツい目でマッフル君を睨みつけていたのはここまで競争してきたせいだろうか。それも扉をくぐってすぐに澄ました顔に戻る。

 セロ君、エリエス君と続き、ピットラットクラスの生徒たちが……、あれ?


「せん……、隊長、ご報告が!」


 マッフル君がノリノリで片膝をつく。


「……聴きたくないけれど聞きましょう。どうしました?」


 『合計9名』の生徒たち。

 ヨシュアンクラスはともかく、ピットラットクラスの生徒は戸惑いを隠せていないようだ。うわー、嫌な予感しかしねぇですよ。


「我々、ヨシュアンクラスの同志リリーナ・エス・ル・ラーツァが脱走せしめました」


 広く、どこまでも抜ける透明度のガラスを、視線は突き抜ける。

 空は青く、しばらく雨空とは無縁の空。


 思い出したかのように遠くに見える灰色の大陸も、そろそろ空気が濃くなってきた影響かぼんやりとしか見えない。


 夏の足音が聞こえるなら、きっと気配も感じるだろう。

 こうして窓の外を見やると現実は遠く感じられ、今すぐ飛び降りて空にまじりたい気持ちが湧いてくる。死にてぇです。


「……どういう経緯で?」

「わかりませぬ! 我々が気づいた時にはもう……」


 その鎮痛な顔のマッフル君は、茶化しきっているものの冷や汗を流している。

 あぁ、なるほど。怒られるのを覚悟してのショートコントか。


「如何にしましょうか先生」


 渋々、扇子で口を隠したクリスティーナ君が問いかける。


「敵前逃亡は重罪です」


 漆色の瞳のままコントに入りこむエリエス君。


「あ、あのあの、気分が悪かったのかも……なの、です」


 擁護に回るセロ君。


 そんな生徒たちのことを考える余裕なんてありません。


「ピットラット先生」


 自分は努めて怒気を隠しながら、笑顔を浮かべる。

 その一瞬でピットラットクラスの女の子から「ひぅ!」と空気を飲むような短い悲鳴が。男の子は引きつった顔を隠しきれていないのであった。


 ついでにウチのクラスの子たちはコントに集中しているせいか、妙な反応はしてなかった。立派になったな。


「どうされますかな?」


 試すような口ぶりだ。

 うん、そんなの決まってるじゃないですか。


「ここをお任せしてしまっても」

「お受けしましょう」


 ピットラット先生は短くOKサインを出してくれた。

 ありがとうございます。後で何か差し入れを持ってきますから許してください。


「えー、先生はちょっと不届き者をアレしてコレして、冒涜的かつ名状しがたい悪夢めいた拷も……、オシオキのために抜け出します。よくピットラット先生の言うことを聞いて、授業に励むように」


 全員が直立姿勢で返事しました。

 珍しく素直ですね、どうしたんでしょうか? ふふ……。


「……先生、怖ぇ」


 呟くマッフル君に答えず、自分は生徒たちが抜けてきた扉をくぐり抜ける。


 よし。あの謎エルフ。ぎゃいんぎゃいん言わせてやる!

 沸騰する虹のような怒りをまきちらしながら、廊下を駆ける自分だった。


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