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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第四章
224/374

ウチの庭には二頭の牛がいます

 社宅に戻るとエリエス君がモフモフを凝視していました。

 なんの儀式かと思ったら、モフモフの目の前に白い小動物がいますね。


 メルサラを御した時の貢献動物にして召喚した原生生物。

 今はエリエス君が飼育しているウルプールのベンジャミン五号です。


 なんというか名前なのかどうかさっぱりわからない名前ですが、エリエス君の感性は少し変わっていますからね。


「ただいまエリエス君」

「先生、おかえりなさい」


 と言いながらもエリエス君はモフモフとウルプールから目を離しません。


 その二匹は何をしているかというと、見つめ合っているようです。

 正確にはモフモフを前にしてウルプールは微動だにしません。

 ちょっと回りこんで表情を覗いてみましょう。


「エリエス君……」


 ウルプールの表情は絶望に染まっていました。

 変化の乏しい小顔からでも『これは無理だ』という言葉が読み取れました。


 一方、モフモフはというと、ゆっくりと自分を見上げます。


『これはどうしたらいい?』


 頭からガブリとやってあげたらいいんじゃないでしょうか。

 もちろん、甘噛みするといいですよ。今晩のご飯にウルプールは含まれませんし。


 やがて絶望が覚悟に変わったウルプールはモフモフの前でお腹を出しました。

 『さぁ! 食べたかったら食べたらいいだろ!』とヤケクソ気味にです。


「人の家で生命を投げ出さないでください」


 ウルプールの首根っこを捕まえて、ソファーの上に置いてやりました。

 解放されたと理解した瞬間、グタリとし、身動き一つもしない小動物。

 しかし、モフモフは怖いのか物音がするたびにビクリ、ビクリと痙攣しています。


「エリエス君。何か面白かったですか?」

「捕食対象を前にモフモフがどういう行動を取るか興味がありました」


 君にとってウルプールは食べられていい子なんですか?


「また逆に天敵を前にウルプールがどういう行動を取るかも興味の対象でした。もちろん、本当に襲われそうになったら助けるつもりでした」


 動物に無意味なストレスを与えないように。

 馬を円形脱毛症にした自分が言うのもなんですがね。


 あと本気になったモフモフは止められないと思いますよ?

 先生でも止められません。


 とりあえず【宿泊施設】で買ってきた夕飯の材料をテーブルに置いて、一息つきます。


 この、当たり前のように社宅にいるエリエス君。

 彼女は最近、生体術式の代表とも言える『眼』をレギィに刻んでもらいました。


 ある程度の術式師なら『眼』は必須です。

 源素を視覚化するだけで大きなアドバンテージを得られるからです。


 他にも周囲に浮かぶ源素を見れるだけでも全然、違います。

 術式師がよくやる失敗の一つに『周辺に源素がなくて不発』というものがあります。


 大体は環境から源素を推測し術式を使うのですが、『眼』があれば一目で周囲に満ちる源素を把握できます。


「それでは夕食前に訓練しておきましょうか」

「はい」


 エリエス君は日課通りに自分の前のイスに座り、目を閉じます。

 そして、ゆっくりとメガネを外します。


 さて、この『眼』は慣れていないと源素が見えすぎて視界を埋め尽くし、結果、失明に近い状態になります。


 慣らすにはどうしたらいいか。

 ひたすら源素を見続けることです。

 正確には一つの源素にピントを合わせ続けることで目を慣れさせるのです。


 特に己と相性のいい源素から始めるのが一番ですね。


 なので周囲にある源素の中から、エリエス君と相性の良い黄の源素をかき集めました。

 指先でふわふわと漂う黄の源素。

 まずはコレにピントを合わせることから始めます。


「いいですよ」


 この合図でエリエス君は眉根をしかめながら自分の指先を見つめ続けます。

 第三者が見たら何をしているか理解できないでしょうが、立派な訓練です。


 そして、この訓練、ものすごく目が疲れます。


「はい。一旦、『眼』を閉じて。十数えたらメガネをかけましょう」


 集中しすぎて次の日、目が見えなくなったりするので自分のような調整者がいると安全に訓練ができます。


 この流れを五回してから、食事をはさみ、また五回やって終了です。

 朝はエリエス君が一人で行います。


 さすがに朝までは付き合えませんからね。

 なるべく誰かに付き添ってもらえるように頼みなさいとは言いましたが、どうでしょうね。

 エリエス君が誰を選んで訓練をしているか、少しだけ興味があります。


「突然ですがエリエス君。朝は誰が付き添ってくれているのですか?」

「一人ずつ、順番に頼んでいます」


 それはクラスメイトを順番に、ということですよね。

 適当に取っかえ引っかえしてませんよね。


「クリスティーナ君あたりは文句を言いませんか?」

「いいえ。初めは『出し抜かれた』と言われましたが、特にそれ以外は」


 『出し抜かれた』?

 もしかして『眼』を先に手に入れたエリエス君に、先んじられたと言ったのですか。


「それでクリスティーナ君はちゃんと付き合ってくれましたか?」

「はい」


 しかし、そのあとは何も言わなかった。

 先に『眼』を刻まれたのが悔しかったが、ちゃんとエリエス君を認めているからそれ以上のことは言わなかった上に心配している様が目に浮かびます。


 なんだかんだでクリスティーナ君は強者にのみ突っかかる傾向があります。

 マッフル君とはどちらが上なのか、決着をつけたがっているので傾向に当てはまりませんが、これも良し悪しですね。


 それぞれの向上心の根っこ。

 ある程度は把握していますが、エリエス君とリリーナ君の二人は不思議な部分をまだ残しています。


 エリエス君の強烈な好奇心の源。

 そして、リリーナ君の怠惰でありながら何かを探している部分。


 特にリリーナ君は表面上、向上心がなさそうに見えますが意外な部分に食いつくところがあります。


 最近では何故かモフモフに執心し、授業では緑属性への関心が強いですね。


「先生、質問です」

「ん? なんですか?」


 各生徒の傾向はとりあえず置いておいて、エリエス君の質問に答えましょう。


「モフモフは狼です。ウルプールは草食動物です。どうしてモフモフはウルプールを食べなかったのですか?」

「食べて欲しかったんですか?」


 もう、つい聞いてしまいました。


「いいえ」


 純粋な興味なのでしょう。

 その興味で動物を生贄じみた実験に巻き込むのはどうでしょうか。

 よくある話で自分は関わらないので気にしていなかったのですが、生徒が疑問を持つ以上、自分も考えなければなりません。


 まず、本人に聞くのが一番ですね。


「モフモフ」

『食べてよかったのか?』


 ダメです。

 我が家を血で染めないでください。


「まずモフモフはちゃんと知性があります。こちらのことを理解しています。もちろんエリエス君のことも知っています。エリエス君がウルプールを大事にしていると理解し、食べたら悲しむと思って食べなかったのです」

「しかし、捕食は生物の常です」

「そうですね。ですが原生生物とは条件が違います」


 自然に置いて動物は常に飢えという危機に面しています。


 安定していない食生活に、お腹が減っても必ず食べられるわけではない環境。

 そこに食べ物があっても食べない、という選択肢がありません。


「無制限に、それこそ手当たり次第に捕食しようとするのは魔獣と人間と原始生物くらいなもんですよ」

「原始生物とはなんですか?」

「理性がない、知性もない、危機逃走本能くらいしかない生物のことですよ。あー、リーングラードの森にはいませんがスライムという生物を知っていますか?」


 強酸性を持つネバネバした生物です。


「本に書いてありました。木の上にいて通過する者の上に落ちてきて酸で溶かす魔獣です」

「厳密にはアレは魔獣ではありません」


 性質としては近しいんですがね。


「魔獣は無色の源素を持っている生物のことで、スライムはちゃんと普通の源素で構成されていますよ。ちなみにスライムを浴びたらすぐに水場で流さないと腫れますよ?」


 森の掃除屋で腐肉に触ったりしますから、ばっちぃです。

 ときどき落ちてくるのは結構なのですが、細かい木とか巻きこんでいて非常に汚く見えたり、とにかく不人気な生物ですよ。


 余談ですが増えすぎたりしたら冒険者が依頼を受けて、スライムを焼いて回るそうです。

 本当かどうかは本職に聞いてみたいですね。


「モフモフは現在、のびのびしていますね。命の危機に立たされているように見えますか?」

「いいえ。ウルプールの方が立たされています」


 でしょうね。

 なんだか置物みたいな顔をしていますしね。


「繁殖したがっている……、まぁ、発情しているように見えますか?」

「狼の発情を知りません」


 先生だって知りませんよ。


「飢えていると思いますか?」

「さきほどビスケットを山ほど平らげていました」


 ビスケットもタダじゃないんですよ?


『モフモフは分裂するぞ』


 黙れ、狼型単細胞生物。

 これ以上、こっちの常識を切り崩しにかからないでください。


「他にも部屋の中ですし不快な環境ではないでしょう」

「先生と一緒にいる環境は不快ではないのですか?」


 それは先生との生活はストレスだと言いたいのですか?

 いえ、きっと言葉以上の意味はないのでしょうが。


 正確にはこう言いたかったはずです。

 『野生の狼が人間と一緒に居て、不愉快ではないのか』と。


「狼は群れで生きる生物です。群れの中に人がいれば気にしないようですよ。欲望を満たせば獰猛な生物でも大人しくなるものです」

「欲望……、求め、ですか」

「わかりやすい求めの一つに欲望があります。三大欲求の内、睡眠欲、食欲、性欲は生物の基本ですね」

「欲望を満たせば、求めを知ることに繋がる……」

「いいえ、繋がりません」


 エリエス君が驚いた目をしました。


「求めを満たすことを幸せとは言いません。生命が持つ心はもっと複雑なものです。三大欲求なんてものはとりあえずにしか過ぎません」


 優れた理論をそのまま当てはめると何にでも当てはまってしまうように見えるでしょう。

 一と一を足したら二になるのは単純な式でしょうが、それだけで心は満たされやしません。

 全てを叶えても満たされるわけではなく、そして、失われるものを考えれば全てを満たすことは不可能です。


「欲望はわかりやすい理由でしかないのです。誰もが共感できるだけです。エリエス君が知りたいという気持ちをほかの誰かはわかってくれるでしょう。お昼のことを覚えていますか? セロ君やティルレッタ君はエリエス君の求めに気づいて先生のところに行かせました。行っていいと言ったのです。でも、セロ君やティルレッタ君は、誰かはエリエス君のように知りたがらなかったでしょう? 先生のところには来なかったはずです」

「……はい」

「君のために、君を思って、出来る範囲の求めに応じる。それを優しさと人は言います」


 そろそろ背中がむずかゆくなってきました。

 誰か止めて欲しいところですが、エリエス君の真剣な目からは逃げられそうにありません。


 それにこれは自分の――そうですね。

 自分の『優しい』とは違います。


「エリエス君はエリエス君の気づいた『優しさ』で応じてあげてください。何もかもの求めに応じる必要はありません」


 フィヨが自分にくれた『優しさの理屈』です。

 そして、この理屈が今、エリエス君に伝わっていく。


 少しだけ妙な気持ちになります。

 感慨深いような、しっとりと残るような。

 言葉にできない、この感情はなんでしょうね。


「あと求めを知るためにウルプールで実験するのは止めましょう。きっと怖い想いをしたと思いますよ」


 第一試練の時に自分がエリエス君に言った言葉です。

 人に興味がないエリエス君に自分は求めを知れと言いました。


 ふっと顔をあげたエリエス君はソファーで置物をしているウルプールに近寄り、抱き上げて帰ってきました。


 エリエス君の膝の上は安心できるのか、ようやくぐにゃりとし始めるウルプール。

 現金なヤツですね。


「どうすれば怖がらなくなりますか?」

「エリエス君にとって怖さを安心に変えてくれる方法は何か。考えて、答えを出さないといけませんよ」


 すでにリラックスしているので必要ないんですけどね。


「……わかりました」


 優しげにウルプールの頭を撫でています。

 穏やかに、おっかなびっくりに、でも毛並みを確かめるようにしっかりとです。


 気づいていますか。

 それがエリエス君にとって不安を和らげる形だということを。


 君がウルプールにしてあげることは、して欲しいことの裏返しなんです。


 そして、もう一つ、気づいて欲しいですね。


 人の求めを知ることでエリエス君自身が己自身の求めを知り、追求していくようになってほしい。

 エリエス君だって人なのですから不安にもなるでしょう。

 そうした時に、して欲しい形を誰かに求めることは悪いことじゃないんです。


 求めを知ることで求めていきなさい。


「セロがよく、先生に撫でられてこんな顔をします」

「……そうですか」


 自分にはウルプールの表情がドヤ顔に見えるんですが?


 そしてモフモフ。

 なんで自分をじっと見ているんですか?


『ときおり、同胞の子が櫛なるものでモフモフの毛を磨ぐ』


 ブラシがけですね。

 しかし、アレは毛並みのいいモフモフにしなくてもいいんじゃ……、ダメだ。

 ものすごい勢いで求めていますね。


 動物特有の曇りない眼で見るの、止めてもらえませんか。


「……はぁ」


 いえ、たぶん必要になるんじゃないかと買っていましたよ。

 馬の毛で作られたブラシ。馬櫛です。


『……うぬ』


 尻尾をせわしなく動かなさいでください。


 結局、モフモフの毛も漉いてやりましたよ。

 そういえば動物にとって相手の毛を梳く行為は親愛を示すらしいですね。


 自分にとってモフモフは何に当たるんでしょうね。

 ペットというには知性がありすぎますし、友人というにはそもそも人ではありません。


 同胞。


 モフモフは自分をそう呼びます。

 何故、何についての同胞なのでしょうか。


 何を目指し、何のために現れたのか。

 この場に何があり、どうして自分だったのか。


 モフモフは【森の守護者】とやらに意味不明な口止めされているようです。

 けれどわかるのはそれくらいです。


 何もかもが謎の生物モフモフ。


 今のうち、なのかもしれませんね。

 少なくとも今月と来月しか調べる時間がありません。


 第二試練までが勝負と思って、調べてみますか。


「……完成」


 モフモフの頭の上にウルプールを乗せてエリエス君がつぶやきました。

 そのまま、こっちの反応を伺わないでください。

 モフモフも『どうしたらいいの?』みたいな顔で見ないでください。


 先生だってなんでも答えられるわけではありませんよ?


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