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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三章
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子供だから許される範囲

 【室内運動場】の両開きの扉を開けば、床の中央で力なく倒れたシェスタさんの姿が見えました。


 この瞬間、自分は戦闘へと意識を持っていきました。

 周囲にシェスタさん以外の気配がないのは間違いありませんが隠密だけに特化されると気づけません。

 本腰を入れないと。


 第三者から見ればシェスタさんが倒れているのを見て固まったように見えますが、すでに周囲を気配と術式、両方から精査していました。


 間違いなく周辺に誰もいません。

 隠れた誰かはいないようです。


 どうやらショッキングなシーンを見せると同時に奇襲をしかける類の罠ではないようです。


「ぬぅ!」


 ヘグマントが唸るのとシェスタさんに駆け寄るのは同時でした。


「これはどうしたことだ! シェスタが倒れているではないか!」

「いや、待て。そっちはヨシュアンに任せろ。私たちはこっちだ」


 テスト用紙が入った樽がない。

 確かに隅に置いてあったはずです。


 これは見てすぐ気づきました。


 そっちの捜査はシャルティア先生に任せるとして自分はシェスタさんを看ます。


 脈も心音もあります。どうやら気絶しているだけのようですね。

 うっすら見える首筋に殴打跡。これが状況を証明してくれるでしょう。


 元冒険者のシェスタさんを見事に無力化しています。

 このことから隠密性能があり、ある程度の威力か技術を持つ誰かの仕業です。


 周囲に争った形跡がないので気がつく間もなく気絶させられたのでしょう。

 

 一方、シャルティア先生は樽の置いてあった場所に立つといきなり這い出し、じぃ~と床を眺めています。

 ヘグマントは侵入経路と他に無くなったものはないかのチェックです。おそらくシャルティア先生の指示でしょう。


 シェスタさんから得られる情報はもうありません。

 意識を取り戻したら事情を聞くのでしょうが無理矢理、叩き起すわけにもいきません。


 自分も捜査に加わるにはまずシェスタを医務室に連れて行かなければならないようです。


「一度、シェスタさんを医務室に……」

「待て。ヘグマント! 調べ終わったか!」

「うむ。ざっとだが、なくなったものはないぞ!」

「ならヨシュアンの代わりにシェスタを医務室に連れて行ってやれ」

「むぅん! 任せてもらおう! どうやらこれ以上は役に立てんようだからな!」


 言われヘグマントはシェスタさんを担いで【室内運動場】を出て行きました。

 しかし、何故、山賊かつぎをしたのでしょうか。


 筋骨隆々の大男が村の女性をさらったようにしか見えなかったのは内緒です。


「で、自分を残したということは何か見つかりましたか?」

「あぁ。証拠品だ。つまらん。私がいるリーングラードで盗人など、あろうことか【試練】の解答用紙を奪おうなどとはずいぶん度胸がある相手だと思ったら、ただのバカだった」


 そう言って額に手をやって呆れているようでした。

 もう片方の手は何かをつまんでいますね。


 目の前で見せられたものは髪の毛でした。

 人差指よりすこし短いくらいの長さです。


「短く柔らかい毛。無数にだ。それでいて根元が白で外側に向かって小麦色に変わっている。そんな髪色で抜け毛の多い者など限られる」

「ヴェーア種ですね」


 種類によってまちまちですがヴェーア種はちゃんと手入れしないと抜け毛がひどいんですよね。

 これはヒト種よりも体毛と二次毛が多いせいです。


 水に入ってから布で拭くとものすごいですよ? その布は何度、洗濯しても毛が取れません。

 【黒猫にゃんにゃん隊】のノノみたいに隠密に特化した子なんかはちゃんと体毛をブラッシングして、時には剃ります。あれでもノノは抜けにくい体質だったはずです。


 気にしない子は本当に気にしないという、そんな日常的なお話です。

 ですが、だからこそ気が回らない。


「あー……、いますね。気にしなさそうな子が」


 自分はここでようやく、あの時のレギィへの違和感がわかりました。


「現在、リーングラードにいるヴェーア種は三名だ。狩人と最近、警備に入ったクマのような男。そして、レギンヒルト試練官が連れているメイドだ」


 狩人さんと四バカの一人は短毛です。

 一方、この毛はその二人よりすこし長い体毛です。


「たしかプルミエールは術学の実践【試練】の時にいましたね」


 プルミエールの性格でその場にいたのならレギィが倒れたら真っ先に駆けつけるはずです。


 軽銀板を運んだ後、他の従者は帰っていきましたがプルミエールは隠れて【試練】の様子を見ていたのでしょう。


 彼女からすれば【試練】はどう映ったのでしょう?


 【試練】というものを理解しているのなら感想なんて聞くまでもありません。

 しかし『レギィが何一つ、教えていない場合』や『教えていたにも関わらずあまり理解していない場合』はその限りではありません。


 自分から見たらレギィが生徒をなぎ払っているように見えましたがプルミエールから見たら『大勢でレギィをいじめているように見えた』のではないかと思います。


「それで解答用紙を奪ったと? 考えが足りないだけの問題では済まないな。主人の地位すら台無しにするような行為だぞ」

「もしも彼女が犯人なら、という仮定で進めると非常にまずいですね」


 誰がってシャルティア先生の言うとおり、レギィの立場です。


 レギィの【試練】は学園長の思惑も絡んでいますが結果だけ見れば『生徒が条件付きとはいえ【タクティクス・ブロンド】を撃破した』という内容が含まれます。

 もしもこの内容を貴族が知ればこう思うでしょう。


 教育の成果とはこれほどのものか、と。


 おそらくこうした宣伝効果も狙っての学園長の策だったのでしょう。

 負けても勝っても損はない、実に悪辣です。


 実際、優れた教師に恵まれていたにしても護国の一角に届く力を十四歳前後の少年少女が身につけたとなれば教育のノウハウや教材、そして人員を欲しがるでしょう。

 優れた人材がいる領は富む。

 これは間違いない方程式です。


 しかし、それを台無しにしたらどうでしょう?


 それがレギィの手の内の者なら?


 おそらく周囲はこう思うはずです。


 『子供に負けたなどという醜聞を隠すために手の者を使って王の計画を台無しにしようとした』と考えるはずです。

 いえ、この場合、真実である必要はありません。


 そう主張し、立場を悪くしてしまえば罰という名目でレギィに何かをさせられるのです。

 そこが問題で狙いなのです。


 レギィを欲しがる者が多い現状でそんな大きな隙を見せたら、婚約破棄、あるいはどこぞの貴族との結婚も考えられるでしょう。

 あまりよろしくない話ですね。


 自分勝手な話ですが、レギィが自分を好いたままでそうなるのは避けたいのです。


 最終的に誰かと結婚するのかもしれませんが、自分に好意を持ったまま誰かと結婚すればレギィは哀しむでしょう。

 苦しみ、そして、我慢を強いるでしょう。


 彼女とは納得の上で諦めてもらいたいのです。


「学園に与える影響も考えると今のうちに解答用紙を返してもらわないと」

「探せるか?」

「……ちょっと考えます」


 犯人がプルミエールである可能性が高い以上、まずは彼女を押さえるのが先決です。


 では彼女はどこに行ったのか。

 三十名分の羊皮紙、それも今日行った分の筆記【試練】は術学。こちらが採点した分が教養と体育分、樽は二つ分です。

 一つ一つは女性でも持っていける重量です。


 まぁ、ヴェーア種のプルミエールなら気にならない重さでしょう。


「プルミエールの姿を最後に見たのはレギィの挨拶の後でしたか?」

「途中まで……リィティカクラスの【試練】が始まる頃に学び舎の近くをうろついていたのを見ている。そこからは知らん」


 どこに行くにしても樽を運ぶ時間はありました。


 次の問題はどこへ行ったかです。


 まず樽を担いだまま人目を避けねばなりません。

 となるとここから学び舎方面はアウトです。自分たちや学園長がいます。

 リーングラードの外? あそこは常に門番がいます。森に行こうとしても入れる場所は限られます。

 どちらも誰かいる場所を通らないといけません。


 では【宿泊施設】方面? しかしそこにも人がいます。


 プルミエールは可能な限り人の目を避けるでしょう。

 

 悪いことをしている自覚はなくても話しかけられて事情を話すことにでもなれば態度でバレるでしょう。

 そうなるとプルミエールは後にレギィと老メイドさんから追求されます。

 特にレギィだけには追求されたくないでしょうから人目を避けるという理屈です。


 ではどこに?

 学園方面でも【宿泊施設】方面でも門でもない。

 北も東も西も南も……、いや、違いますね。


 解答用紙を処分するだけならわざわざ遠くに行く必要はありません。

 人に見つからないことだけを考えたのなら一つ、ありますね。


 間違っていたらもう一度、考え直せばいい。

 ただし時間は短く済む方法で調べます。


 探し者と言えば『ツィム・リム・フラァウォル』。

 視界を源素経由で飛ばし、以前、ティッド君とフリド君が隠れて修行していた林あたりを調べます。


 あそこは【宿泊施設】と学園の境目ですし、横道にそれます。

 ここから近くにあるくせに授業時間帯は人がまったくいません。


 まさに条件にピッタリの場所です。

 その光景を見た瞬間、固まりました。何よりも心臓に悪い光景でした。


「……やっべぇ」


 素が出ました。


「シャルティア先生、外掘りを任せていいですか!」

「いいから行け!」


 シャルティア先生の怒鳴り声と一緒に【室内運動場】を飛び出し、上級強化術式で空まで飛び跳ねました。

 空から展望する必要はありません。

 たった一箇所、七不思議花畑の脇にある林から『ブスブスと黒い煙が上がる林』を睨みました。


 そのまま空気を固め足場にしエス・ウォルルムで突貫しました。


 一直線に火の元へ。

 ここからが面倒です。


 一秒も無駄にできません。

 まずは迫り来る地面相手に着地のための術式を発動させます。エアクッションですね。

 次に燃える樽ごと緑属性の術式で真空を作ります。


 何せ中身がテスト用紙です。

 氷も水も使えません。雷と火で壊すなんてもっとの他です。

 なら火が燃えるのに必要な酸素を奪えばいい。


 これらをほぼ同時に行います。


「心底、焦りましたよ。学園に来て以来、ここまで焦った相手は今のところメルサラと君くらいです」


 彼女は驚き、間合いをあけ、自分だと気づいて唸り声をあげました。


 樽は二つとも無事です。

 樽の足元に集められた枯葉は盛大に燃えていましたが樽自身は焦げついただけでした。


 かなり焦ったせいか枝に腕や頬をぶつけて切れていましたが、どうでもいいことでしょう。

 間に合って良かった。


「さて。これらは生徒の頑張りと自分たち教師の努力が詰まったものです。返してもらいますよプルミエール」

「がるぅ……っ!」


 手に持った松明を地面に放り投げたプルミエールの眼は林の闇と夕闇、二つを混ぜたように昏いものでした。


「事情も聞かなければなりませんが、まずはオシオキです。覚悟しなさい」


 ドぎついのをお見舞いしてあげます。


「うるさいっ! うるさいっ! うるさいっ! うるさいっ!」


 一言ずつ吐き捨てるような憎悪。

 彼女は正論を聞きません。

 常識、摂理、法律、何一つ聞こうとしないでしょう。


 このあたりはウチのクラスと一緒ですね。

 まずは殴って止める。そこから説教。


 思ったとおりプルミエールは飛びかかってきました。

 両手に人のものではない獣の爪が鋭く光っていました。


 ヴェーア種の爪は人のものと違い、靭帯を利用して大きく伸ばせる仕組みになっています。

 細かい作業と武器としての爪、それらを両立させるために進化過程で忘れなかった肉体機能です。


 あの爪は以外と硬く、革の鎧くらいなら貫く鋭さがあります。


 特にヴェーアフントの爪は硬く鈍麻されており、鍛えられた拳法家の抜き手以上の威力があります。

 ヴェーア種らしいこの速さ、生徒よりも速いですね。


 まぁ、でも遅すぎてあくびが出ます。


 喉元を狙った爪。

 その爪が触れるか否かの瞬間、右手首を左で掴み、巻きこむように体を動かします。

 伸びきったプルミエールの右腕。背中に通すように足を運び、右肘はプルミエールの顔面に。


 ガツンと肉を打つ音。


 カウンター気味に決まりましたね。

 でもこのままだと根性で背中を刺されたりしますからすぐさま伸びきった右腕をぐるんと縦に回すと、プルミエールの身体もつられ一回転して背中から地面に着地しました。


「きゃいん!?」


 軍用格闘術の一つ、『歩槊蜂ほさくばち』です。

 まるで馬のように迫り来る相手を肘で刺し、落とすことから名付けられた技です。


 蜂みたいだと言い出したのはベルベールさんでしたね。


「ぬるい、おそい、絡め手がない。肉体性能に頼りすぎている。以上の点から土台が良くても戦闘技術は皆無。それだとセロ君にも勝てませんよ」


 今のセロ君なら完封できますよ?

 何せ白の物理結界を張るだけで自滅してくれる動きでした。


 まぁ、レギィは格闘の類、運動関係はまったくダメですからね。

 教えることもできなかったのでしょう。


「うぅ……、お前なんか、お前なんかに!」


 背中を打ったわりには動きますね。

 油の切れたからくり人形みたいな動きで立ち上がり、こちらをまだ睨みつけていました。

 根性だけはウチのクラス並のようです。


「レギン様をいじめるお前なんかに!」

「今、まさにレギィの立場を悪くしているのは君ですけどね」

「そんなことない! お前たちがレギン様をいじめたからだ!」


 やっぱり聞きませんか。

 しかし、さっきみたいな動きはもうできないはずです。


 いや、しかし試してみましょう。

 何事も言葉で解決する可能性を捨てては……、自分で言って白々しいと思いました。


「この学園で起きたことは全て国が決めたことです。国はわかりますね? レギィが国に依頼されて学園の子供たちに【試練】を施した。ここまでは理解できますね」

「それがどうした! そんなのウチでも知ってる!」


 ん? 一応、レギィは【試練】について説明したようですね。


「その樽に入っているものは同じように国から依頼され、子供たちが頑張って作ったものです。レギィはそれを持って帰る仕事も任されています。さて問題です。その樽の中身が燃えたら誰が困るでしょう」

「国だ!」


 バカだ!?

 いや、ある意味アタリですけど。


 問題の立て方を間違いましたかね?

 こうまで鮮やかに間違わられると逆に不安になります。


「不正解。答えはレギィです。何故なら国が言ったことは絶対です。レギィは樽の中身を持って帰らないといけないのです。この場合、国から怒られるのはレギィです困りますね」

「そんなわけない! レギン様がお仕事してないわけがない! 皆を食べさせるために頑張ってるのを知ってる!」

「結果が伴わなければ仕事をしてないのと同じですよ。樽の中身を燃やせばレギィは仕事をしていないことになります」

「嘘だ! この嘘つきめ! このタルはレギン様を苦しめるって言ってた!」


 言ってた?

 つまりプルミエールは誰かに樽がなんなのか聞いていた?


「誰が言っていたんです?」

「お前なんかに教えるか!」


 長話しすぎたようで、だんだんプルミエールが回復してきています。

 さすがヴェーア種。ヒト種と違って回復が早いですね。


 頬は腫れたままですけどね。


「……タルは絶対にわたさない!」


 と言って樽に向かって走り出しました。

 樽を壊してテスト用紙を踏みにじるつもりでしょうね、きっと。


 しかし、近づいた瞬間、プルミエールは見えない壁に阻まれて大きく弾き飛ばされました。


「うそ……、だ……」


 発想が子供じみているので予測は容易いです。


 痛みよりも驚きの顔で樽……、ではなく物理結界を見ていました。


 できないはずがないでしょう。

 白属性の中でも物理結界は初歩中の初歩です。

 それでも4属性に比べると難易度は高いですけどね。


 前もって設置しておきました。


「どうしてお前なんかがレギン様とおなじことができるのっ!」

「逆にどうしてできないと思ったのか不思議ですね」


 ため息しか出ません。

 これではただの弱いものいじめです。

 もうオシオキもいいでしょう。


 とっとと気絶させてレギィに叱ってもらいましょう。

 そっちのほうが痛いでしょうし。


「嘘、うそだ……、ちがうもん」

「旧知だと言っていたでしょうに。レギィの言葉すら信じられなかったんですか?」

「そんなことない!」

「己の心には嘘をつけない。お前はお前の都合の良い様にもっとも信用する人間の言葉まで捻じ曲げた。ただ甘え、信じる努力をしなかったお前は――」


 レギィの寵愛さえもらえればなんでも良かったと?

 レギィさえ己を見てくれたら誰に迷惑をかけても良かったと?


「――豚だ」


 殺意すらわきますね。

 怒っていないとでも思ったのか?

 許してくれるとでも思ったのか?


 ガキだからと甘えさせてくれるとでも?


 生徒たちの頑張りまで否定しようとした人間に、自分が優しい言葉をかけるとも?


 プルミエールの腫れた頬を蹴飛ばし、地に這い蹲らせました。


「プルミエール。お前はレギィに裁いてもらえ」


 首根っこを捕まえレギィのいる医務室へと振り向いた時、


「その必要はありません」


 空から声が聞こえました。


 その声にプルミエールは肩を震わせ、耳をペタンと垂れました。


 見上げれば十五枚の軽銀板が空から落ちてきます。


 その中の一つの軽銀板に乗って降りてくる人影は間違いなくレギィです。


 【未読経典】を携え、夕闇に舞い降りるレギィの顔はどこか固く、厳しさが見えました。


推理は始まりません。

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