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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第一章
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白衣の女神はかく語りき

 大食堂の入口からトボトボと帰っていくセロ君の背中を眺めながら、自分は頭を支えるために手を添えた。


 これまた面倒そうな案件だ。

 セロ君が沈んだ顔で言った「明日の授業を休みたい」という言葉に、どういう意味があるのか。


 とりあえず明日の授業内容を見てみよう。

 後ろポケットのメモ帳を取り出し、唸る。


 学園の授業は午前、午後で2教科を行うようになっている。1教科あたりに費やす時間は2時間。一日4時間しか勉強しないとはゆとりにも程がある、と思われるだろう。


 しかし、日が暮れたら店じまいな世の中。

 一日の日照時間が5時間程度のリスリアだと、4時間はバカにできない。ましてや、もっとも日のある時間に勉強や仕事することが美徳とされているのだ。

 もっとも活動する時間の4時間、昼休憩1時間を含め、完全に勉強漬けだ。


 実際の彼らの活動限界は、大体12~14時間くらいだろう。そこから見れば4時間は大したことはない。完全に夜にならない限りは動いていられるだろうし、夜でも動くために術式ランプという技術があるわけだ。この辺はどこも変わらないだろうし、特に言うべきことはない。


「明日の授業は……、午前に体育、午後が術式か。体育は開園してから初めての授業になるのかな?」


 う~ん、やはり休むほどの授業とは思えない。

 体育なんて身体が動けばどうにでもなるし、術式にしたってセロ君はちゃんと学んでいた記憶がある。


 とたん、閃いた。

 いや、確かに学校に行っていたころ、決まって体育の時間を休む女の子がいたものだ。月周期で。

 つまり、これはアレだ。女の子の日というヤツか?

 確かに初潮は10~15歳までの間に発生するとされているから、セロ君にあってもおかしくない。

 だとしたら自分は結構、無遠慮なことをセロ君に言ってしまったのかもしれない。


 そりゃ、理由も言えないわなー。

 デリケートで小心のセロ君が自分にハッキリと「あの日です!」とか言い出したら言い出したで、たぶん自分はなんのリアクションも取れないだろう自信があります。

 しかし、それを聞こうとした自分。なにその天然セクハラ。これ、自分のせいじゃないよね? 黒か白かで言ったら白だよね?

 でも、そういう理屈が通用していたら男性は女性のアレに遠慮的な気持ちにならないよ。


「これは困った……、今からでも休んでいいと言うべきか言わないべきか考えなかったことにして笑顔で体育するか、そこが問題だ」


 あるいは術式のほうに問題がある、か。

 そもそも明日の授業に問題がある、というのもただの勘なのだ。

 単純に日数的な問題、宗教的な問題、色々なことを考えれば考えるほど意味が分からなくなる。

 あー、どうしたらいいものか。ぐぬぬ。


 やばい。教師生活(四日目)にして早くも大ピンチだ。


 誰か相談に乗ってくれそうな人はいないものか。

 最悪の事態を想定して、まず男性陣はアウトだ。ついで女性陣……、半数以上が生徒です。相談できるか。

 となると必然、シャルティア先生か愛おしのリィティカ先生に絞られる。

 しかし、シャルティア先生は傷心の旅に出てしまったし、リィティカ先生にこういうことを相談するのって、ちょー恥ずいです。顔真っ赤になります。


「そういえば保健担当って誰だ?」


 人が生活していれば必然、医療に携わる者が必要になる。

 当然、その辺も計画に盛りこんでいるだろう、【宿泊施設】の中にも病院があった。

 ちゃんと校舎の中に医務室があったのを確認している。


 こういうデリケートでバリケードな問題は専門家に頼むべきだろ。


 悩むよりもまず先に行動しようそうしよう。


 トレーを洗口に戻して、そのまま【大食堂】を出る。

 途中、柱の影でシャルティア先生が地面に数式を書いていたのを見ないふりして、自分は校舎に向かう。


 さて。医務室は一階のメイン入口近くだ。

 人の通らない廊下をカツカツ歩いても何のイベントも起きないし、てっとり早く移動しよう。


「リューム・ウォルルム」


 圧縮した風を身体にまとわりつけて、一歩、跳躍する。

 短い時間だけ、直線方向に加速するだけの術式。わりと使い勝手のいい定番術式です。


 一気に医務室までたどり着いた自分。誰か轢いたりとか微塵にしたとかそんなオチはなかった。


「失礼します」

「いらっしゃぁーい……、ヨシュアン先生?」

「り、リィティカ先生?」


 ドアを開けた瞬間、麗しき華・リィティカ先生が白衣を着て、自分を迎えて入れてくれた。おそらくサイズがなかったであろう白衣の裾を曲げて、無理矢理着ている感が自分の中の何かを崩壊させるには充分な魅力ブーストだと思うがどこもおかしくないな。


 というか何故、リィティカ先生が医務室に……! 何故、白衣のコスプレなんかをッ!


「なるほど、理解しました」

「はい?」

「リィティカ先生を不貞に働こうとした不埒者はこの世の地獄という地獄を味あわせた後、自分が持つ最大級の術式を持って、粒子レベルの塵へと遂げさせてみせましょう。ベルゼルガ・リオフラムだけで済むと思うな……」

「あ、あの~、ヨシュアン先生?」

「さぁ! 犯人はどこの誰です? ちゃんと話合いで解決してみせましょう殺してやる!」

「説得力が皆無ですぅ!?」


 許す許さないの問題ではありません。

 殺す一択で、妥協なんて文字は欠片もない。文字通り肉片も残さないつもりです。


「あのですねぇヨシュアン先生。よく話を……」

「もしかして何か弱みを握られてるッ! いいえ言わなくて結構です! 言難いことなのでしょう心の傷をさらけ出すのはお辛いはずです。ですが大丈夫、このヨシュアン・グラム、【タクティクス・ブロンド】の名の元にリィティカ先生が熟睡できる明日にしてみせま」

「えい」


 ペチリ、と額にあたるリィティカ先生の教鞭。

 何故、殴られたのだろうか?


「落ち着いてくださいましたかぁ?」

「はぁ?」

「わたしが医務室にいるのはぁ、学園長に頼まれたからなんですぅ」

「なるほど。あの老婆が犯人か」


 自分の敬老精神を逆手にとって自らより若い女性に嫉妬の犯行で医務室送りか……、いかん、怒りと憎しみで頭の中すらまとまらない。


「違いますよぅ。医務室を担当される方がまだ到着されていないので、来られるまでの少しだけぇ……、昼休憩だけですがぁ、代わりをさせてもらってるんですぅ」

「はぁ……?」



 あぁ、なるほど。リィティカ先生が今日、自分のお誘いを断った理由はコレだったのか。悪い子云々はどうにもリィティカ先生っぽくなかったというか、ありそうでないというか。

 何はともあれ、この白衣の女神は健全でクリーンな思想の元、合法的に白衣の女神なんだな。OK、理解した。


「わかりました。毎日来ます」

「医務室は暇なほうが嬉しいんですよぉ……」


 なんとお優しい思想だろうか。たとえどんな人でも傷ついた者が居て欲しくないという、その慈愛と博愛と献身愛に満ち満ちたお考え。このリスリアでは傷ついた者が多くあるからこそ、労わるという素晴らしさを自らの身で示してくれるとか……、結婚してほしい今すぐに。


「もしかしてリィティカ先生、薬学錬成師ですか?」

「えーっとぉ、薬学もやってますね」

「『も』と言うことは?」

「他には思想学が専攻で、工学、鉱石学を薬学を補助するような形でですね、学んできましたぁ」


 思想と薬学、ということは新薬開発か。

 確か、新しい思想や論文が出るたびにその思想を元に薬品を作るタイプだったな。

 錬成師の論文は工学と鉱石学の単語も出てくるので、その理解を深めるために学んだ、と。


 とはいえ、かなり政治的に危険視されている錬成師の大半がコレにあたるのだ。

 特に思想錬成師は、王制の対立概念の温床だ。

 共和制の雛形や軍閥化を進めるファシズムちっくな思想が発生しやすいのだ。もともと王政によって抑圧された部分を開放しようとしているのだから、コレの解決に王政をぶち壊すような思想が生まれてもおかしくない。

 本末転倒だと気づかないまま、牢獄行きになる思想錬成師は少なくない。もちろん、そんな哀れな錬成師が政治利用されることもままあるのだ。


 リィティカ先生に限って、そんな末路に……、いや、リィティカ先生が気づかないうちに貴族院が利用していることだってある許せん。


 一応、錬成院の思惑、それと1年の間に錬成院へと急接近してきた貴族がいないかどうかをチェックしてもらうか。


「ところでヨシュアン先生は医務室に何の御用ですかぁ? 見たところ怪我をされたようには見えませんがぁ」

「あ、あぁ、いえ」


 んー、今から別の人を探すような時間はない。

 余裕こそあれ午後の授業が始まるまでに別の人材を探す時間がない。。


「実は――」


 リィティカ先生にセロ君のおやすみ宣言について考えてもらうことにした。もちろん自分の考えは極力、話しません。

 小首を掲げて、可愛いなぁマジで食べてしまいたい。性的な意味で? ノン、全ての意味を含みます。


「そうですねぇ……、ヨシュアン先生はどう思われますぅ?」

「え」


 まさか、ここでこの切り返しが来るとは思わなかった。

 それはつまり、アレなことを喋れというのか。なんという羞恥プレイ……、しかし、それがリィティカ先生からの試練とあれば、やぶさかではない!

 耐えきって見せよう! 恥辱の一つや二つ!


「あー、いや、まぁ……その、ぉ、ぉ、ぁの日……、だと思うのですが」


 自分の言葉を理解したのか、みるみる真っ赤な顔をするリィティカ先生。なんだろうこの背徳感。信仰している神像を売り払うかのような罰当たりな気分。

 パタパタと白衣をはたいて、忙しなく落ち着こうとしてらっしゃる。

 やがて一つ咳払いをすると、伸びていた教鞭を畳む。


「そういうのもぉ、あると思いますけどぉ。たぶん……」


 何かを思いついたのだろう。突然、薬品棚や机を行ったり来たりし始めた。

 ん? リィティカ先生はセロ君の事情がわかったのか?


「これ、必要になると思いますぅ」


 リィティカ先生が御手を自ら、差し出してくださったものは……、薬箱?

 中を見ると、包帯、鎮痛用の軟膏薬、清潔な布。内服薬みたいなものがない? え、だってこういうのって飲み薬なんじゃ?


「リィティカ先生、これは一体」

「ヨシュアン先生。ご相談されたのならお力になりたいですぅ。でも、こういうのはヨシュアン先生自身がちゃんと見てあげなきゃいけないと思うんですよぅ。だって、ヨシュアンクラスの生徒たちはヨシュアン先生の教え子なんですからぁ」


 答えは自分で見つけろ、と言いたいんだろうな。


「聞けば答えが出る。でも、考えなきゃ力にならないと思うんです。私も昔はそうだったから……」

「いえ、ありがとうございます。きっとリィティカ先生は正しいことを言ってくださっているのでしょう」


 どうやら自分は以前のクリスティーナ君の時みたいに誰かに頼ろうとしてしまったらしい。

 それは悪いことではない。

 一人でできることは限られている。

 どうしても出来ない場合、それがとても大事なことなら遮二無二に人を頼っていいのだろう。

 しかし、とても大事なことでも誰にも頼ってはいけない時というのがある。


 今回は大事なことで、でも余裕があって、頼る前に気づかなければならないことなのだろう。

 だからリィティカ先生は答えを言わない。


「もしかしてぇ、その薬箱は必要ないのかもしれません。けど念のためですぅ」

「ありがとうございました」


 ちょうど予鈴が鳴り始める。

 自分は丁寧に腰を曲げて礼をすると、薬箱片手に医務室から出ていった。

 たぶん、リィティカ先生も自分の後に続くようにご自身の教室に向かわれることだろう。


「しかし、薬箱……、か」


 ありとあらゆる全てを排除して、冷静に考えてみれば、なんとなく分かりかけてきたような気がしないでもない。あくまで気がする、程度のものだ。


 それとは別に、今回の件の問題はおそらくこの薬箱とは関係ないんじゃないのだろうか。

 憶測ばかりで、どうにも今一つよくわからないが、なんとなくそんな予感がした。


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