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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三章
139/374

実はここまでがプロローグです

 もっとも暑くなる正午に学び舎の前で、教師陣+1は立ち尽くしていました。


 最初は木陰でのんびりしていたのですが、遠目の山中で竜車が見えた瞬間、急いで並びました。


 ようやくやってきたか、そんな気持ちになりました。


 正午ちょうどにやってこれたのは僥倖でした。

 何もなければスムーズに事は運ぶでしょう。


「だったら良かったんですがね……」


 あろうことか竜車が途中で停まったのを見たときは、殺意を覚えましたね。


 気合とか心構えとかを根こそぎ持っていきました。

 ついでにこの炎天下にまだ立ち続けなければならないのかと思うと、うんざりした気持ちになります。


「ヨシュアン。アレは何をしてると思う?」

「車輪が根っこに引っかかってるんじゃないですかね?」

「『リーングラードの洗礼』を受けたか……、これが堪の強い相手だったりしてみろ。初対面で嫌いになる自信があるぞ」


 カノトラと呼ぶ遠視の術式を使って覗き見てみると、案の定でした。


 自分がリーングラードに訪れた時も何回かありましたね。

 ここにいる全員は経験しているので、もう、慣れっこです。


 そして、自分たちはこの現象というか、事態というべきか。

 とにかく、学園に入ろうとして悪路で立ち往生することを『リーングラードの洗礼』と呼んであげてます。


 心の狭い貴族ほど、ここで我慢強さを試されます。


「洗礼を抜けたら教えてくれ。あと扇げ、暑い」

「リューム・プリムセンでいいですか?」

「私の健康的な柔肌に傷でもつけてみろ。一生に残る恐怖を刻みこむぞ下半身に」


 拷問より恐怖な言葉でした。

 でも下半身が大事なので、送風の術式を使ってやりました。


 なんか従者が大慌てして馬車を押しているのを、自分たちはただボーッと眺めているしかできませんでした。

 正直、手伝っても良かったのですが、従者さんの仕事ですし、邪魔するのも悪い感じがして誰一人として馬車に近づくことはなかったですね。


 ただこうしているだけの自分たち。


 無常感だけはハンパなかったですね。


「シェスタさんも影に入っているといいですよ。あぁも堂々とされていると気にするのもバカらしくなります」

「……同じ陽の下を立つ喜び? 同じ苦しみを分かちあう? 共同作業」

「そういうのはいいですから。倒れられると困るのですが」

「愛されてる」

「なんでですか」


 その理不尽な思考回路をどうにかして欲しいですね。


「とにかく座ってなさい。足も完全じゃないでしょうし」


 言われ、シェスタさんは渋々と木陰に移動しました。


 シャルティア先生なんかリィティカ先生と日傘で相合傘とかしちゃって、もう見てらんない。

 ちゃっかり学園長はテーレさんに日傘をさしてもらっていますし、送風の術式の範囲に移動しているので、恩恵を預かっているようですね。


 自分も薄い冷気を纏う術式具を用意して、ちゃっかり夏の暑さから逃げていました。

 出がけに持っていった物の一つです。


 元々はウル・ウォルルムなどの術式によって必要以上に上がる体温を下げるためのものですから、今の気温だとちょっと暑いくらいで済みます。


 ともあれ涼を取っている女性陣に比べ、男性陣はひどいものです。


 木陰とその近くは女性たちが陣取り、我々男性陣は否応もなく日中に放り出されているのですから。


 アレフレットなんか汗が滝のようです。

 普段、あんまり運動しないから、もう見ての通りですよ。


「早く来れないのか……、くそ! どこの貴族だ、モタモタして」

「あまり大声で怒鳴ると聞こえるかもしれませんよ」

「うるさい! 涼しげな顔するな! 余計に腹立たしいんだよ!」


 鋭くキレてますね。


 やっぱり、何の対策もなしに直射日光は厳しいですね。

 授業中も生徒が倒れないようにペース配分、配慮もしなくてはいけません。


 暑いというのも、ちょっと問題ですね。


「やはり道路の整備は早急に仕上げたほうが良いんじゃないでしょうか?」

「誰にやらせるつもりだ。大工も施工主も暇なんか……、暑いぞ!」


 怒鳴られてもどうしようもありません。


 試練官用の【宿泊施設】はすでに用意されていました。

 ただ、今回、建築が必要になったのはシャルティア先生がスポンサーを作ってしまったことに起因します。


 スポンサーが訪れるかもしれない、その可能性を考慮して【宿泊施設】内に二つか三つほど貴族用の宿泊館を作らねばならなくなったのです。


 現在、生徒会システムもその辺の依頼が集中していますね。


「新しい施設の建設中でしたっけ? 【宿泊施設】に訪れる客用の」

「【宿泊施設】の北側にまだ場所があるとのことですな」


 ピットラット先生でも汗をかく程ですが、適度にハンカチで汗を拭いているためか、全然、暑そうに見えません。

 しかし、ハンカチを手に持っているだけで、拭いているシーンは見ていません。


 さりげなく人が視線を向けていない時にこっそりと拭っているのでしょうか?

 ピットラット先生の気配が薄すぎて、本当にわかりません。

 悪い意味ではなく、薄く、しかもこちらの行動の影に隠れて動いているので気づかないのです。


 テーレさんの【神話級】とは違い、こうした熟練のさりげなさで気配を殺すというのはすごいと思います。


 一方、汗の似合う男ヘグマントはもう、そこにいるだけで暑いですね。

 ヘグマントが、ではなく、それを見た自分たちが暑くなるという不思議な仕様です。


「暑くないんですか?」

「まさか。熱いに決まっているぞ。ただ慣れているのだ! むぅん、しかし、こうまで待つようなら、ちょっと手伝ってくるか。そろそろ皆も辛かろう?」

「あ、動き始めましたね」


 山中の黒塗り竜車がゆっくり動き始めたので、殺伐とした自分たちもようやく胸をなでおろしました。

 主に直射日光に晒されたくない的な意味で。


「なんとも、すんなりといかんものだな!」

「ヘグマント先生。そろそろお口を閉じてくださいね。試験官は計画の成否を見分する役目もお持ちです。生徒たちが頑張っても、失礼があっては大勢に影響を与えかねません」

「うぅむ。ベルリヒンゲン軍団長殿が見学に来ていると思えば良いですかな?」

「その認識で間違ってはいませんよ。もっともディンケルほどうるさくはありませんが」


 ……今、さりげなくベルリヒンゲン老のこと、ディンケルって名前で呼びましたよね学園長。

 歳も近いし、何か過去にあったのでしょうか?


 興味はありますが、今はそれどころではありません。

 ようやく校門の向こう側に、竜車の姿が見えてきました。


 二頭の白い騎竜に引き連れられた黒塗りの竜車。

 揺らめく陽炎の奥からやってくる竜車が、校門をくぐり抜けてきました。


 一体、どこのお貴族様でしょうね?

 リィティカ先生の柔肌が浅黒くなったら……、いや、それもアリかもしれません。健康美です健康美。

 でも自分は白肌のほうが好きですし、あえて我慢です。


 さて、イヤミの一つくらい言ってやりたいですが、まぁ、立場上、止めておきます。

 せめて、どこの貴族か確認だけしておきましょう。


 竜車の中央にあるマークを見て、自分は瞼を二回ほどこすってしまいました。


「ユニコーンに月桂冠、青と白のツートンカラーの盾紋章……ッ!?」


 念のため、もう一回、見直しても見間違いではありませんでした。

 あの『一角獣の清廉盾』は、マズい。非常にマズい。


 暑さの汗とは違う種類の汗がダラダラと流れ落ちてきます。


 後ろからガシガシと地面を蹴りながら近寄る気配に気づいていても、自分は身動きが取れませんでした。


「ぃよーう! オレの『恋人ロメオ』! おうおう、なんだテメェら! こんな真昼間からガン首そろえやがってよーぅ! 面白そうなことならオレにも言えっつーの!」


 メルサラが無造作に自分の首に腕をかけていますが、そんなことはどうでもいい。


「……メルサラ。目の前のアレ、見えますか?」

「んん? なんだあの、いかにも卸したての黒靴みてーな竜車はよぅ? 面倒なら焼いてやるぜ? 今日のオレはご機嫌だからな」

「もっと別のところに目を向けるといいですよ? 特に紋章のところ」


 こうしている間にも竜車は近づいてきています。

 もう学び舎前の庭園の中央近くまで……ッ!


「……おいおいおいおい! お前、ありゃぁ!」

「気づきましたか。ところでメルサラ。ご飯を驕るのでこの場からブッチしませんか?」


 自分にはアレが断頭台の刃にしか見えません。


「良い案だぜ。そのまま夜までアバンチュールを楽しむか?」

「実情は逃避行ですがね」

「くんずほぐれつのな」


 今の自分は乾いた笑いしかできない自信があります。


 すでに竜車は自分たちから数十歩の距離で停まり、メイドが外に出て、ドアを開けようとしています。


 そのまま閉じてお帰りください!


「どうしましたぁヨシュアン先生ぃ。顔色がぁ、優れませんがぁ?」


 リィティカ先生が自分の様子に気づいて、お声をかけてくださいました。

 しかし、すみません。


 リィティカ先生のお優しさを堪能する心の余裕がありません。


 あぁ、ドアが、ドアが……、ドアから足が。

 輝く青い宝石をあしらった、細い鎖……、華奢なアンクレットを身につけた『彼女』の足が地面についてしまいます。


「メルサラ!」

「応よ!」


 この瞬間、自分とメルサラは無詠唱での強化術式を発動させました。


 移動用のエス・ウォルルムではなく、肉体リミッターを解除するウル・ウォルルムでもない、クラムの音韻が込められた強化術式、クラム・エス・ウォルルムです。


 ウル・ウォルルムのように肉体リミッターを切るものとは違い、肉体に溜めこんだ栄養素、運動エネルギーを爆発させる術式です。

 人間が運動に反映させるエネルギーを効率良く、運動に回す術式ですね。


 栄養エネルギーを水に、運動で消費するエネルギー効率を蛇口に例えるなら、一時的に蛇口の口を大きく広げる効果があります。


 素の身体能力が一時的に上昇する、と言えばもっとわかりやすいでしょう。


 今回は自分も同じ術式を使いました。

 本当は【獣の鎧】かウル・ウォルルムを使いたかったのですが、仕方ありません。


 未だにこの二つは怪我のせいで、使えません。

 傷が開く可能性がありますから。


 メルサラがいつものを使わない理由は周囲に人がいるからです。


 ともあれ、誰もが唖然としているだろう、この瞬間。

 自分とメルサラは『彼女』から遠く離れるために動きました。


 最大限にして最大効率を持って、可能な限り『彼女』から距離を取る。


 『彼女』が完全に竜車から降りる頃には、庭園の外に出られるはず!


「――リム・ズォラダム」


 涼しげな音韻が奏でられた時、自分は自分の意思と反して地面にめりこんでいました。

 自分だけではなく、隣のメルサラと一緒にです。


「この腐れアマぁ!」


 メルサラが毒づき、叫びます。

 大丈夫、心境は同じです。


 まさか『彼女』が自分たち相手に、加重干渉まで仕掛けてくるとは思いませんでした。

 いえ、やりかねない人なんですが、この場面で使うとは予想外でした。


 加重干渉は重力干渉の一つで、重力そのものに対して干渉する黒属性と違い『重力がかかっている物体』に対して加わる重みそのものに干渉します。


 1Gを10Gにするのではなく、1Gのまま10Gと同じ効果を与える方法、というべきでしょうか?


 白属性の術式なら重力干渉を行うよりも、こちらのほうが効率的です。


 そう、相手は白属性のエキスパート。

 この程度なら呼吸と同じくらいに簡単に行うでしょう。


 しかし、こちらも術式のエキスパートですよ?


「ふざけんなゴラァ! オレをこんなクソ術式でなぁあ――!!」


 メルサラは干渉に対して、より巨大な強化術式で干渉を跳ね返し、地面を砕きながら立ち上がりました。


 一方、自分は加重干渉の術式、その源素をハッキング。

 術式そのものを解いて、メルサラとほぼ同時に立ち上がりました。


「――二人共、元気そうで何よりです」


 ですが、思う以上よりも近すぎた声に、立ち上がりかけた態勢で固まってしまいました。


 自分たちがモタモタしていた間に、もう『彼女』は自分たちの元にたどり着いていたようでした。

 うわ、もう逃げられない。


「え、えぇ、それは……、どうも」


 それは夏の日の中。

 儚げな風に揺れる花と呼ぶべきでしょうか?


 『彼女』のためだけにゆっくりとした風が長い白金の髪を揺らし、眩しいほどに輝く白絹のワンピースドレスが足元まで届いています。


 新雪のように細かな肌に日傘の影を指して――『彼女』は自分の目の前に立っていました。


 風よりもさりげなく、花よりも印象的なまま。


 吟遊詩人たちの憧れにして、騎士、貴族、庶民を問わず魅了する者。


 誰もが美しいと囀り、愛を語らずにはいられない――リスリアの華。


「レギィも変わりないようで」


 レギンヒルト・R・ジークリンデ。


 ジークリンデ領の領主にして、ミス・リスリア。


 その中指に輝くアルベルヒの指輪からもわかるでしょう。

 【タクティクス・ブロンド】が一人にして【たゆたう白銀】の号を持つ、自分の、本当の意味での同僚。


 レギィははにかむように微笑み、自分を見下ろしたまま、


「さて二人共。迎賓の場での突然の奇行について、とくとくとお聞かせくださいな」


 厄介なことを言い始めました。


 そう。この白いのことレギィなんですが。

 困ったことに、いや、自分にとってはかなり困ったことなんですが。


「もちろん、理由はありますよね?」


 説教好きなんですよね。


 来る絶望の開幕に、引きつった笑いしかでませんでした。



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