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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第三章
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子リス、リスの子、頬張る春の子

 薬を塗ってもらい、包帯を取り替えて、デザインシャツを着直しました。

 いつまでも半裸のままで生徒の前にいるのもどうかと思いますからね、えぇ。


「それでは特別授業を開始します。そんなに遅くなるつもりはありません」


 今度はセロ君も交えて、性文化について女医さん(36)から聞いてみましょう。


「そして、今回の特別講師は医務室の暴君にして、麗しの女医さん(36)です」

「はいはい、麗しいわよー」


 女医さん(36)はものすごく投げやりでした。


 それでも香茶は用意するんですよね。

 セロ君のも含めて。


「お茶菓子とかないんですか?」

「どこの貴族よ。べーレくらいなら出せるけれど」


 そういってゴソゴソと引き出しからべーレという果物を出してきます。


 べーレとは低木に生る苺の類です。

 木苺、ベリーと言えばわかりやすいでしょう。

 大体、北部から中央部のどこにでも咲いており、注意深く山を歩けば適当に見つかります。

 もっとも南部あたりだと、ほとんど見ない果物ですね。


 丸々とした小さな粒が密集した形をしていて、とても水気の多い上に甘味と風味があるので、お菓子に使われたりもします。

 水気が多いということはすり潰して、ジャムにもできますし、小麦にも混ぜ合わせやすいということでもあります。

 わりと好きな果物です。


 一口サイズなのもいいですね。


 今頃が旬ですし、もしかしたら【宿泊施設】からの贈り物かもしれません。


「ラズベリー……、いえ、リスリアというのならリズベリー、リズベーレと呼ぶべきですか」


 赤色のリズベーレが木製のお皿に乗せられて、テーブルの中央を彩っています。

 果物の赤色は目に優しい感じがするのは何故でしょうね?

 血の色はげんなりするだけなのに。


「果物はお茶請けとしては二流だと思うのよ。二つとも水物ですもの」

「だったらクッキーでも作ってください」

「嫌よ。余らせるだけじゃない」


 そこは医務室に来る人のために用意するとか、あるんじゃないですかね?

 まぁ、そこまで自由にしていいかどうかはわかりませんが。


「まぁ、でも、薬の代わりになるという意味なら、ベーレを置いておいて正解かもね」

「あぁ、熱中症対策ですか」


 水分を取るためですね。

 ちょっと目からウロコでした。


「本当、すぐに理解するのね。医学の心得でもあるみたいに」

「傷の多い人生ですからね」


 自分で治療をする必要もあるのですから、自然、医学にも明るくなろうものです。


「で、どこまで話したかしら?」

「教会と一般人の感性の違い、ですね」

「あぁ、そんな言い方をすると学問っぽいわね。言ってることはシモの話なのに」

「セロ君がまた倒れたりしたら怒りますよ?」


 両手でカップを持って、ちびちび香茶を飲んでいるセロ君。

 目はベリーに釘付けです。


 そろそろ夕食の時間ですものね。

 お腹減ったんでしょう。


 でも、手をつけようとしないあたり、ちゃんと教育されているというか。

 ベリーを一つ掴んで、セロ君の口辺りに近づけます。


「はい、あーん」

「……ぁぅ」


 戸惑っても、食べるセロ君でした。


「食の冒涜、つまり、食事に対して『食べ残し』しないことや無益な殺傷をしないようにという訓戒が込められています」

「話捻じ曲げてイチャイチャしないでくれない?」

「いえいえ、繋がっていますよ。あとイチャイチャしてるように見えますか?」

「見せつけてるのかと思ったわ。親鳥が小鳥に餌を運ぶのにしたって、まだマシなものよ」

「結構、小さな子にやるんですけどね。妹も似たようなこと囀って要求してきていましたし」


 あの妹は甘えモードに入ると猫のように、ひたすら構ってオーラを出しますからね。

 で、数時間後に乾物が潤って見えるくらいにドライな目で蹴りとか入れてきます。

 そして、兄妹喧嘩に発展することもありますね。


「いくら兄妹でも、少しは……、人の家庭について言及しないでおくわ」


 すでに言及しているようなものですよ、それは。


「さて、セロ君。聖女バレンの三訓戒を唱えてみましょう」

「はひ。『身の丈よりも小さな服を着なさい』『求めず努めなさい』『恥ずべき行為は慎みなさい』です」


 『身の丈よりも小さな服を着なさい』は贅沢を禁止した言葉です。

 己の分より一回り、小さな服だと驕る必要はない、という意味でしょう。


 『求めず努めなさい』は努力の尊さを意味すると同時に、怠慢への訓示でもあります。

 成果を気にせずに努力して、もしも努力以上のものを得たのならその成果は、周囲に返すという意味です。


 『恥ずべき行為は慎みなさい』。

 これは尊厳に対する言葉です。

 誰に対しても公平で指をさされることのない明大さを教えながら、同時に淫欲への悪し様を語っているわけです。


 全部、まとめて聞くと『お前なんか世間様の隅で生きてろ』と聞こえるのは何故でしょうね?

 

 聖女バレン、ドS説が浮上しました。


「こういったことは教会から教わりますね。聖女バレンの教えだけでなくても、この辺の訓戒はヒュティパ系列の教会なら皆言っています。教養を得る人々はまず教会に行かなければいけませんし、教会では説法を聞かされるので、まず多くの人は『貞淑観』を受け入れるわけです」

「今更なお話をありがとう。なら吟遊詩人については私かしら? あまりよく知らないのだけれど」


 自分も正直、詩吟に関して詳しいとは言い切れません。

 リスリアの詩吟も結構ですが、実は法国のほうが詩吟関連は優れているのではないかと個人的に思います。


 リスリアでは時々、『いわしの歌』なる奇っ怪な歌が流れていることを考えると賛美歌とはいえ、ちゃんと自分が綺麗に聞こえる歌を作れる法国のほうが優れていると考えてもおかしくないですよね? そうですよね?


 前から言いたかったのですか、『いわしの歌』ってなんなんですか?

 噂ばかり聞いて、ちゃんと歌を聞いたことないんですよね。

 西岸部のいわし漁に何か関係するのでしょうか、わかりません。


「個人的な考えだけど、吟遊詩人ってどうしても流行に敏感じゃないといけないじゃない? 流行って言えば、需要みたいなものよ。目新しくて、興味が惹かれる、そんな内容のことよね。その時代の大衆が求めているもの、と言えばいいかしら」


 いわしが大衆に求められているとするなら、ちょっと時期が遅いと思います。

 そういうのは大寒波から内紛時代にかけて是非、いらっしゃってください。


「後は抑圧された感情の発露、ですね。共感されやすいのもあると思います」

「伝説や神話だけじゃ、ダメなのですか?」

「歌っていると思いますよ? 結構、頻繁に。でも、それだけだと面白くないでしょう? 詩吟は娯楽なんですから、常に新しい手法や話を仕入れる努力をしないとご飯が食べれないのです」


 収入が不安定なら、なおのことでしょうね。

 古臭いよく耳にする話なんかより、目新しくショッキングな歌を必死で求めるでしょう。


「そういえば疑問だったのですが、そもそも吟遊詩人の歌を真面目に聞く人なんているんですか?」

「今のは世界中の吟遊詩人を敵に回す言葉よ」


 吟遊詩人も【タクティクス・ブロンド】を敵に回したくないでしょうに。

 自分もあることないこと、歌にされては敵いませんし、ここは妥協しておきましょう。


「いえいえ、そういうことではなく。大体が酒場で歌っているじゃないですか。それか広場で歌っているか。どちらにしても片手間で聞いていることのほうが多いじゃないですか」

「それでも隣で誰かが歌っていたら、気になるものよ。抑圧っていう言い方はわりと良かったわね。奔放であったのに『貞淑観』を受け入れたら、我慢を強いられるわ。今度は吟遊詩人の歌を聞くわけね。衝撃的な恋と愛のお話よ。『心の底で願っていた』ような歌をね。もちろん興味を惹かれるでしょうね。今までの『貞淑観』がひっくり返るようなことを言われるのだから」

「じゃぁ、詩人さんがわるぃのですか?」


 気持ち、教会側にいるセロ君から見れば、そういう風に見えるでしょう。


「そもそも性が悪いという観点を教えたのは教会が最初だというお話です。教会が唱える以前はもっと奔放で自由だったんじゃないかと思いますが、証拠はありません」


 ヒュティパ系列の教会の教えではなく、ルーカンや他の神の教えではまた違った結果になったんじゃないかと思っています。


 そのどれもが不貞に関しては苦い顔をしますけどね。

 奔放さが売りの、炎神パルクトーでも同じ感じです。不貞に対しては自己責任を歌っていますからね。


 アレは人間関係をこじらせる元です。


「誰が最初に言い出したか、なんて気にすることじゃないわよ。どっちにしろ教会は秩序さえ守れたらいいんだから。大抵の争いの元は欲望。そうなれば、何を抑制すればいいか大体、わかるわよね」

「例えるなら――先生がもし、セロ君にバレンの教えを禁止したらどうしますか?」

「ふぇえっ」


 セロ君が急にオロオロし始めました。


「こ、こまるです……」

「そうですね。困りますね」


 何せ、生まれてからずっとバレンの教えと共にあったわけですから。

 アイデンティティにも影響を与えているでしょう。


 自我を放棄しろ、と言われているようなものです。


「かなしぃです、せんせぃが、そんなことぃったら……、せんせぃのこと、きらぃになるかもしれな、い、です」

「本気じゃないですからね? 先生もセロ君にそんなことを言ったりしませんし、嫌われるのはイヤですから。だから絶対、言いません」


 明らかにホッとした顔をしました。

 内心、自分もホッとしました。


 まさかセロ君から『きらい』という言葉が飛んでくるとは思わなかったせいです。


「でも、まぁ、仮にそうなったらという話です。ここでセロ君は選択する必要に迫られます。先生の言いつけを破って、こっそりバレンの教えを信仰するか。それとも先生の言いつけを守って我慢するかです」

「……ぇ、えらべないです」

「でも選ばなくてはいけません」

「ぁう、あぅ……」


 頭を抱えてしまいました。

 その頭を安心させるようにポンポンと撫ぜてあげます。

 リズベーレもあげてみました。


 今の自分を客観的に見たら、確かに親鳥のように見えなくもないです。


「が、がんばるです」

「何を?」

「……せんせぃに、わかってもらえるように努力するのです。バレンの教えが悪くなぃって、先生にも、だって、先生ならわかってくれるのです」


 驚きました。

 医務室に入ってから何度目でしょうね。


 自分が作った選択肢を選ぶではなく、別の道を選んだことがです。

 この子は以前に言った、正しい努力をしようと考えて、新しい道を自分で考え出したのです。


 セロ君自身のために、諦めることだけはしなかった。

 そして同時に、教師である自分のために最大限をしようと考えたことです。

 間違うことを恐れずに、正しいことを諦めなかった。


「満点をあげましょう」


 この子の心の中に、自分の教えが根付いて芽吹いている。

 そんな確証が持てたのが、驚きと同時に案外、心地よかったりするのです。


 なので花丸シールをあげました。


 ちょっと嬉しそうですね。

 花丸シールをじっと眺める姿は、微笑ましすぎて泣けてきそうです。


「当たり前だったものを上から押しつける。最初に教会が行ったことです。これは法国にいけば証拠も出てくるでしょう。それに対して民衆はセロ君のように正しい努力ができなかった。する知識がなかったんですね。あっという間に世間に『貞淑観』を広めてしまいました」

「知識がなかったから、ですか」

「そう。誰も教えてくれませんからね。教えてくれるはずの教会が教えてくれなかったのです。でも、言いなりになるほど諦めも良くなかった。なので、こっそりと何かに隠そうとしたのです」


 それが歌や詩文、絵ですね。

 詩吟や絵画に関するアーティストたちの世界です。


 他にも舞踊や礼儀作法、ファッション。

 形になるのなら、どんな手段を使ってでも隠せるものです。


「歌や詩文、絵……それらは文化です。その人たちの営みを形にすることを文化といいます。そして、隠されると興味を持ってしまうのが人間です。セロ君も先生の恋愛模様に興味があったように、ですね?」

「ぁうぁぅ……、だって」


 だって、じゃありません。

 以前、屋上で恋愛を語らせたことはまだ覚えていますよ?

 こともあろうか恋愛の相手はメルサラです。


 ありえなさで涙が出そうでしたよ。


「皆、興味があるんですよ、あぁいうのは。教会から言われていることとは違う、身近なものですから。だから、吟遊詩人たちは愛を歌うのです。良い悪いを言いだしたら、人の欲そのものが悪になってしまいますよ」

「欲……、が、悪」

「欲望は火のようなものです。正しく使えば美味しいご飯を作り、体を温めるものですが、使い方を誤れば身を焼き、田畑を焼く業火です。皆、持っている火ですね」


 もう一つ、リズベーレを掴んで、セロ君に食べさせます。


 素直に食べてくれるから楽しいですね。

 次々と与えたくなります。


「術式にも似ていますね。正しい使い方をすれば、建築物の手助けをし、誰かを守る力になる。同時に何かを壊し、誰かを傷つける力です。ずっと授業中にも言っているでしょうが術式が感情によって生まれるもの。感情は欲望から来るものです。だからこそ、奔放に全てを壊してしまわないように理性の鎖を持って欲望を制御し、感情を操作し、術式を支配するのです」


 教会が欲望を汚らわしいと言う理由は、欲望の持つ力を恐れたという面もあるのでしょう。

 自分たちが築いた地位や名誉、神への賛美を壊される欲望そのものを抑制し、制御しようとしたのです。

 説法や訓戒を利用して。

 時には弾圧という過激な手法を取り入れて。

 少しずつ、洗脳していった。


 この考え方は『義務教育計画』の反対派にも似た感情ではないでしょうか?


「さて、話は途中ですが……」


 窓の外を見るともう、すっかり暗くなっていました。

 さすがにこれ以上は長話してられないでしょう。


「そろそろセロ君を寮に連れて行かないといけませんね。ここまでで何かわからないことはありますか?」

「……むずかひぃのです」


 あぁ、やっぱり少し難しかったですか?

 この手の話は多方面からのアプローチをしなければなりませんから、話が色んな角度に飛んでしまうのです。


 なるべく難しくないように例え話を挟んでみても、ちょっとセロ君には難しいですね。


「実はこれらの話はまだ、序章だったりします」

「ぁぅ……」

「でも、少しずつわかっていきなさい。大事なことです。君自身にも繋がる話なのですから」

「はひ」


 返事だけはよろしいですね。


 と思ったらリズベーレを食べさせすぎて、頬が膨らんでますね。

 そのせいで、あまり喋れなかったようです。


 普段からあまり自己主張しないのに……、ごめんよセロ君。

 とりあえず、口周りをハンカチで吹いてあげました。


「んー……」


 と、されるがままのセロ君はちょっと心配になりますね。

 知らない人に話しかけられてもついていったらダメですよ?


 具体的な性の話をする前に社会の背景を語ることは必要です。

 社会からどうなって、性というものを組み入れているのか。

 この辺は性教育を行う上での要課題の一つですね。


「あぁ、ちょっと待ってくれる? 最後にヨシュアン先生に聞きたいことがあるのよ」


 途中から静かだった女医さん(36)から、質問が飛んできました。

 なんでしょうね? 綺麗にまとまっていたのに。


「性教育だって言ったわね? 今回の話は。それで文化的な背景を知りたがった」

「えぇ、まぁ」


 性に関する教育だから、性教育。

 間違っていないと思いますが。


「その考え方、誰から学んだの?」

「誰と言われても、自分の生まれた国ですが」

「そう。変わった国なのね」


 女医さん(36)は妙に鋭い目をしていました。


「性を学問とする考え方なんだけどね……」


 自分の何かを探るような目です。

 ちょ、何か変なことしたでしょうか?


「一応、言っておくべきだから言うけど、リスリアに性を学問と見倣す価値観はないわよ?」


 ……はい?

 何度か瞬きしてしまいました。


「だって性は学問ではなく、人の営みだもの。学ぶものじゃなく、自然に在るものよ。誰も歩き方を教わってできるようになるわけじゃないわ。自然にできて当たり前のこと」


 学問になっていないということは……、つまり。


「それを学問だと考え、知る必要性があると考えている時点で、貴方――」


 あぁ、しまった。

 リィティカ先生に聞いたときはごくごく普通に受け入れられていたせいで、そういう学問が確立しているのだと誤解してしまいました。


 考えれば錬成は性の一部を取り入れる技術があります。

 ありふれたところならば、人を美しく仕上げる化粧品。

 薬剤では媚薬に、精力剤もそうです。


 なので、リィティカ先生には性教育と聞いて、錬成の一部と考えたわけですか。

 違和感もなかったせいで、お互いがお互い、見事に噛み合っていなかったようです。


「教会から見れば立派な異端だってことを忘れちゃいけないわよ」


 最後に厄介な話を聞いてしまいました。


 寮へセロ君を送り、一人の夜道で自分はこれから起こるかもしれないことを想像し、その厄介さに眉を歪めることしかできませんでした。


 最悪、臭いものには蓋……、となるかもしれません。

 それが自分のことなのか、性教育のことなのかは、考え次第でしょう。


題名で噛んだ人は挙手するように。

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