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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第一章
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恋の螺旋階段はこの世のどの階段よりも険しい

 ちょっとした手応えと共に授業も終わり、わりとご機嫌なのを自覚していた。

 おぉ? ちょっとやれるんじゃね? 案外やってみるもんじゃね? なんだよ教師なんてちょろいもんじゃねぇか、なんて。


 そんな自分の後ろからペタペタと音をさせて、小走り気味な気配が近づいてくる。


「あ。ヨシュアン先生ぇ」


 その天上の雅楽もかくやといった声に、かつて自分はこれほど早く動けただろうかと思うくらいの超反射で振り向いた。


 あまりの早さにきょとんとされた御顔、自分の、くすんだはずの信仰心を100%ゲットされた女神・リィティカ先生でした。


「リィティカ先生でしたか。もう授業は終わったんですね」

「えぇ、それはもうつつがなく」


 なんというか、あまりに好きすぎて平坦な対応をしてしまう自分のいじらしさが憎い。

 どこが好きだって? 全部です! 即答できます!

 強いて言うなら、まずはキメ細やかな肌と卵の質感を持った童顔、愛くるしい瞳に10代と20代の狭間にしか存在しないような、可憐さと妖艶さを兼ね備えた唇。

 抱きしめれば胸で収まるような小柄な体躯でありながら、山脈列に連なる霊峰の怪しさと美しさを秘めた胸のサイズ、ほっそりとした羚羊の足も裸足で逃げ出すようなふとももとか、もう全てです。

 心に関しても言うことないだろ、慈愛に満ちた精神は顔にまで現れるから美しいのだ。


「はぃ。一緒に職員室まで行こうかと思ってぇ」


 あまりの美しさに中庭の花が全部、散ってしまい飾りつけてしまうほどの笑顔だ。

 さすがリィティカ先生。笑顔一つで自分の心は洗われてしまう。

 復元術式なんて目じゃねぇよ。


「どうでしたかぁ授業? 生徒たちと仲良くなれましたかぁ?」

「あいかわらずですよ」


 一昨日、生徒のことで悩んでいたのを覚えてくれていたのだろう。

 こんな世間の隅で生息しているような自分にまで気をかけてくださるとか、もうマジ女神。


「そうですかぁ。でも、生徒と仲良くなれたらいいですねぇ」

「そうですね。打ち解けていけばもう少し自分でも楽になるんじゃないかと思っています」


 ただ、まぁ、アレらと打ち解けていくと必然、仕事量が増えるんじゃないかという心配もある。

 クリスティーナ君のアレもそうだったけど、まさか一人一人に個別イベントとかあったりするんじゃないだろうな。選択肢はないくせに……、ないくせに!


「ヨシュアン先生は以前、術式具の開発をされていたとかぁ」

「えぇ。まぁ」

「個人的にですかぁ?」


 下から覗きこんできてくれるリィティカ先生。

 なにそれ可愛い。ちょっと拉致ってウェディングドレス着せたい。


「術式具って個人にできるものなんですかぁ?」


 う~ん、実はこの質問は結構、言われ慣れている。


 術式具。

 ようするに術式を刻んで、自動的に術式が走るようにされた道具のこと。

 身近なところだと、【練成実験室】にあった術式ランプだろうか。

 アレは触った者の力を吸って、赤属性の力を溜めこみ、内部で燃やす。

 力を吸うとはいっても、自力で術式を走らせるよりも負担は少なく、子供でも疲れることなくランプに火を灯せる。


 ただ、術式具は非常に開発が難しい。


 このランプ一つをとってみるように、開発されたのはたしか300年ほど前だったはずだ。当時はランプなんてレベルじゃなく、馬車もかくやというレベルの大きさだった。そのうえ、普通の人が触った瞬間、全ての力を吸い取って昏倒させる。それなのに照明時間はものの数秒そこらというのだから使えない。


 長い年月をかけて、徹底的に効率化され、術式を削り取り、燃焼時間を最大まであげたのが近年の術式ランプだ。


 術式具の開発といえば、この業界に携わっていない者のイメージだと金食い虫の貴族の道楽、あるいは国家事業レベルで行うような大事業で、平民が関わるような職業ではない。


「まるっきり新型開発、となれば確かにリィティカ先生の思うような感じでしょうね。ただ術式具は意外とメンテナンスの必要な道具なのです」


 単純な破損や経年劣化、それらの取替や交換も自分の仕事の一つだ。

 メンテナンスだけではなく、ランプのような世間に出回っている術式具を自前で作ることもある。


「複数の店と契約してメンテするだけでも食べていけるでしょうね」


 何らかの理由であぶれた術式者が小銭稼ぎを理由に術式具の点検を行っても、術式具全体の数から見れば結構、需要がある。

 (年間生産数+現在使用数)-術式師の年数メンテ数=需要多し、なのです。

 それでも少数派なのは否めないなぁ。


「へぇ……、そういうのもあるんですかぁ」


 しきりに感心したように頷くリィティカ先生。

 その唇とか奪っていいですか?


「言ってしまえば野良の錬成師みたいな職業ですね」


 リィティカ先生だと、こっちの言い方のほうがわかりやすいだろう。

 錬成師はその名前に反して非常に幅広い仕事内容を要求される。

 ご近所の薬屋さんから、採掘用の爆弾まで作る内容は統一されていない。

 大体、薬学錬成師といえば薬屋さんだし、工学錬成師といえば家具屋さんか鍛冶屋さんだ。

 野良の錬成師とはそれぞれの学問に広く浅く秀でており、その分野を専業にしている人から溢れた仕事をこなすことで食にありつく。


 こう言うとあまり良い印象がないように聞こえるが、高くつく専業よりも安く幅広い技術は農村や小さな街で重宝されており、なくてはならない存在と言えよう。


「その中でも、まぁ、自分はちょっと特殊なほうで」


 自分の職業情報をちょっと公開してみよう。


 お客さんの要望に合わせた術式具のカスタマイズから始まり、メンテナンスや修復作業、他には流通の需要に合わせた初級術式を込めた術式具の販売だ。

 今あるもののカスタマイズやメンテナンスなんかはある程度の技術があればできるが、術式具の製作なんかは誰にでもできるものじゃない。


 術式を知っていて、なおかつ、術式を込めるにふさわしい金属を選び、実際に刻んでいくのだ。

 そして、その術式に合わせた形状を作り、作動、何度かのテストを経て完成される。

 下手をすると錬成師以上の知識と技術を要求される職業。


 それが自分の職、【術式具元師】だ。


「どっちにしろ、やりたいからやってるってところが一番、大きいんじゃないでしょうか」


 あるいはやらねばならないこと、かもしれない。

 今日は遠くの空を見ても、天上大陸は見えない。雲が多いせいだろう。晴天であることには変わりないがちょっと残念に思う自分がいる。


「そんなヨシュアン先生に一つ、お願いしてもいいですかぁ?」

「喜んで」


 逡巡もなく、迷いもなく、寄り道もせず、躊躇いすら待たず、脊髄反射のように答えましたよ、えぇ。


「実はぁ、個人的に使っていた術式ランプの調子が悪そうなんですよぅ……。お母さんが子供の頃にプレゼントしてくれた大事な宝物なんです。新しいのを買うよりも、やっぱりずっと使ってたあの子のほうが良くて、そのぅ」

「いいですよ。持ってきてくださるならすぐにでも調べます」

「本当ですかぁ!」


 太陽のように輝く、美しい感嘆の声だった。

 嬉しいんだろうなぁ。だって母親のプレゼントですよ。きっとお母さんのほうもリィティカ先生に似て愛くるしいのかもしれない……、人妻に手は出しませんが。

 ともかく大事なものなのだろう。綻ぶ顔は自分の中に焼きついて離れない保存します永久保存でお願いします。


「二人して何を廊下でボーっと突っ立っているんだ。邪魔だろう」


 認識した瞬間、自分の行動は最速だった。

 緑属性の術式を編み、放つまでわずかコンマ5秒。


「リューム・ルガシュルツ!」


 狙いはリィティカ先生との逢瀬を邪魔した不埒者の目の前だ。

 緑属性により圧縮された風が解き放たれる。


 突然、眼前に発生した荒れ狂う風に不埒者は目を開いて驚いていた。

 はっ! 敵を目の前にして驚愕とはずいぶん余裕じゃないか。


「うわああああああああ!?」


 不埒者は15mくらい、すっ飛びました。


「あ、アレフレット先生ぃ!?」


 リィティカ先生が驚きの声をあげた。

 強かに腰をぶつけたアレフレットに近寄ろうとして、自分を見て、またアレフレットを見るリィティカ先生。

 そして、遠目でアレフレットは大丈夫と判断したのか、キュっと眉毛をあげて自分に向き直る。

 あぁ、可愛いなぁ。


「よ、ヨシュアン先生ぇ、一体、どうして術式を」

「敵だと思いました」

「敵ぃ!? あれはアレフレット先生ですよぅ!」

「あぁ、そういえばアレフレット先生ですね。申し訳ありませんリィティカ先生」

「私に謝る前にまずはアレフレット先生に謝ってくださいぃ!?」


 混乱しながらも怒る姿も素敵ですリィティカ先生。


「人に向けて術式なんて撃ったらダメなんですよぅ! めっ!」


 グラリと視界が揺れる音がする。心は何かに射抜かれたような衝撃を残し、甘い疼痛に目眩が起きそうになる。

 めっ! めっ! って言った。

 強靭すぎる理性が今、ギシギシと音を立てて崩れそうだ。まずい。ビーストになるような時間ではありませんよ、もっと順調に段階を二段飛ばしで駆け登らないと。


「わかりましたか? ヨシュアン先生ぇ」

「わかりました。ランチを一緒にどうでしょう」

「今、誘うんですかぁ!? ち が い ま す! ご飯を食べる前に謝るんですぅ!」


 リィティカ先生の目がね、こう『><』こんな感じなんですよ可愛いなぁ。


「仕方ありませんね。立てますか? アレフレット先生」


 自分は腰をさすって起き上がろうとするアレフレットに手を差しのべる。

 慈愛に満ちた表情で、優しく、丁寧に。


「何が仕方ないんだ!」


 パシン、と手を払われました。ちょーいてぇ。


「何をするんです」

「それはこっちの台詞だ! お前が何をするんだ! 人に向けて術式を撃つ、ましてやここは学び舎の廊下だぞ! 頭おかしいんじゃないか!」

「大丈夫ですよ。ちゃんと非殺傷用の術式です」

「術式を使うなと言ってるんだ!」

「殺傷のほうが良かったですか?」

「殺傷か非殺傷かどうかなんて聞いてないんだよ! 殺す気か!?」

「かつて偉い人が言った。後ろから声をかけてくる相手は殺すべきだと」

「どの偉人がそんな殺伐とした名言を残すって言うんだ! まちがいなく蛮族だろう!!」

「QHK(急に 人が 来た)ので」

「おちょくってるのか!! ここは公衆の面前だろう!!」


 いやぁ、とうとう息切らし始めたよアレフレットのヤツ。


「……運動不足ですか? いけませんよ鍛えないと。20代と言えば成人病とか気にし始める歳ですし」

「謝る気ないだろうお前ぇ!!」


 さすがに顔を真っ赤にし始めたので、言葉を止める。


「冗談はこのくらいにして、申し訳ない。しばらく後ろから刺客に襲われるようなことがなかったせいで、ついつい油断していました」

「色々と非常識にも程がある!」


 なんかもう、ものすごく言いたいことがあるのに声に出せない状態まで追いこんでしまった。


「このアレフレット・フランクハインをバカにするな! いつかお前が上を見上げても届かない位置へと行く男だぞ!」


 そういうと唾でも吐きそうな顔で、ツカツカと去っていってしまった。

 短気なのか、ただプライドが高いだけなのか。それよりも最後の捨て台詞は少し気になるな。


 まるで自分が高い地位に登ることを前提とした言葉だ。


 まぁ、これだけだとどうにも情報不足だ。

 ただ、単純に今回の計画の参加と引き換えに大司書以上の地位を約束しているのかもしれないし、そうでない可能性もある。

 となると大図書院のほうへのアプローチも必要かな。

 この辺はベルベールさんに頼もう。頼りにしてます。


「ヨシュアン先生……」


 リィティカ先生に呼ばれて、危うく昇天しそうになる。

 上目使いで真っ赤に頬を染めたリィティカ先生は手練の売婦すら足元に置くほどの蠱惑的魅力に溢れていた。


「めっ! です!」


 リィティカ先生の持っていた教鞭が額にペシャリと当たる。


 怒られてしまった。

 このあと、統括職員室に戻るまでの間、ずっと説教されてましたありがとうございます。


 一千人を投入した難攻不落の城砦が具現化されたような生徒たちやネチネチと重箱突っつくようにネガキャン繰り返す貴族院のバカを相手にするよりも、リィティカ先生と仲良くなったほうが精神的にも肉体的にも健全で素敵で素晴らしいことなんじゃないだろうか?


 自分は怒られながらも癒されるという奇妙な体験をしながら、痛感していた。

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