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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二間章
129/374

犬猿の仲の作り方?

 ファーバート領主たるロンドヴェル・イエ・ファーバートは新調された食堂の屋根を見上げるたびに思い出す。


 突然、フードを被った侵入者が来たと思ったら、右肩を破壊され、あげく侵入者と【キルヒア・ライン】の女騎士オルナ・オル・オルクリストの戦いの余波で屋根まで破壊された――あの人生で一番、理不尽と不条理が渦巻いた午後から3ヶ月。


「……あぁ」


 なんとはなしに呟きが漏れる。


 ロンドヴェル自身、この感情がなんなのかわかっている。

 別に侵入者に家宝を奪われたから、ではなく、以前の屋根が気に入っていたわけでもなく、あの出来事から仕事熱が奪われたわけでもない。


 言ってしまえば、憧れのようなものである。


 あの時。

 右肩を破壊されたまま、屋根の瓦礫から座って見上げる空での戦闘。

 侵入者とオルナの死闘は、術式が破壊される時に生じる波動が降り注ぐ中でもロンドヴェルの心に焼きついている。


 何をしているのかまではわからなかったが、氷結の花とチカチカと光る火花、双方がぶつかるたびに巻き起こる戦闘風が、詩吟に謳われる超人同士の戦いそのものと言った具合だった。


 どんな闖入者が二人の間に割って入ろうとも余波で粉微塵になってしまいそうな激闘。

 時々、ポツポツと落ちてくる血の雨に、どれだけの凄惨な戦いだったのか。

 想像するに固くない。


「アレが人の高みを極めた同士の戦いか――」


 恋をしているかのような熱がこもった呟きは、40代がやるには非常に絵ヅラ的に厳しいものがあるが、当の本人は気にしない。

 そもそも、こんな姿を見せたくないから一人の時にしかやらないわけだが。


「――あの【旭日橋きょくじつきょう】を思い出す」


 その憧憬は幼い頃、遠くから見たとある光景に起因する。

 

 ゆっくりとその思い出に浸るロンドヴェル。

 彼の閉じた瞼にはあの日の光景が蘇る。


 今から30年前。

 帝国と王国は今以上に争いあっていた。

 武力的小競り合いも多く、帝国が力で攻めるのなら王国は硬く身を守り、王国が術式による戦術を編み出せば、帝国はソレを防ぐ防具の開発をした。


 お互い、領土を奪い、奪い返されたりを繰り返すうちに状況は拮抗していき、やがては領土支配そのものが動かなくなってしまった。

 相手の領土を奪い、陣後を固めてもお互いの陣営は後続を保つスタミナがなかったため、すぐに敵に陣後を崩される。

 お互いに陣を強固にするしかなかった。

 奪い、奪い返されやすい場所を中心にお互いが強固な防衛陣と砦を築き上げた結果、【旭日橋きょくじつきょう】が誕生したのだ。


 まだロンドヴェルが15そこらの多感な時期だった。

 戦争による特需で二つの国は大いに湧き上がった。

 後方に位置する王都や帝都は生産と消費を繰り返すことで利益をあげ、双国は効率的な大農業を実施し、成り上がり貴族や商人貴族などといった【十年地獄】を代表する貴族が台頭し始めた頃だった。


 そして、ファーバート領もまた、騎士を排出する血脈でありながら特需に沸いた。


「お前もそろそろ正式な騎士として入団を果たす頃だろう。そして、ならば心せねばならないことがある」


 そう父親に言われ、ロンドヴェル少年は馬車に乗せられ【旭日橋きょくじつきょう】へと向かった。


 寡黙な父は最前線に自分の息子を連れて行く理由を話さなかった。

 今でこそ、その意味をロンドヴェルは理解できる。


 きっと言葉に出来なかったからだ。

 言葉にされてもロンドヴェルはわからなかったろう。きっと誤った理解のまま、騎士として過ごし、今、こうして領主としてファーバート領を守れたとは思えない。


 全ては寡黙な父の、騎士となる息子のために贈る入団祝いだったのだろう。


 父となったロンドヴェルも、今ならわかる。

 もっとも父親ほど偉大な先達として振る舞えなかった――人を育てることに向いていなかったのが難であったが。


「………」


 ロンドヴェル少年を出迎えたのはなだらかな下り坂と、威容を誇る城塞であった。


 一見すると見上げるほど高い、四角の石を三つ乗せた全容に、申し訳程度の飾り気しかなかった。

 ここに来るまでに何個も作られた石柱のような建物を繋げていけば、一つの半円を描いていることがわかっただろう。


 【旭日橋きょくじつきょう】から来る者を迎え撃つために、砦で半円陣を敷いているのだ。


 そして、砦の一つ一つが川傍に作られたとは思えないほど、しっかりと大地に埋め込まれていた。


 この威容の正体は、決して敵に進軍させまいとした意思より生まれたものだった。


 泥濘む川傍という立地に深くまで支柱を埋め込み、火計に負けないようにと石を組み上げ、侵入者を許さないように作られた狭い窓は同時に相手を撃つ矢台に変わる。


 剥き出しの防国意識。


 決して屈しない、折れない、侵攻させない、そのために作られた建造物たち。


 これを見ただけでもロンドヴェルは良かったとさえ思えた。

 騎士になって砦を見慣れてからでは遅い、今だからこそ心に根付く護国の意思だ。


「父様。ここが【旭日橋きょくじつきょう】……」

「行くぞ」


 父は何も答えず、背だけを見せて砦の中へと入っていった。

 ロンドヴェル少年も父の後を追って、砦に入り込んだ。


 砦に入った時の圧迫感を生涯、忘れることはないだろう。

 こんな狭い場所でもしも敵襲の報を聞いたのなら、どうしたらいいかわからなくなってしまう。

 しかし、騎士や兵たちは何の感慨もなく、忙しなく歩き回っていた。

 本当に同じ人間なのかと疑うと共に、頼もしささえ感じた。


 そして砦を最上部で待っていたのは、まるで見る者を襲い喰らおうとするような獅子の鎧を着た男だった。

 鋭い眼光にヤスリでこすったかのようなアザが頬についた男は、父を見るなり破顔する。


「おぉ、ファーバート。よく来た」

「エウオロギス。久しいな」

「先の、先頃の開戦以来か? あの時はまいった。お前が予見して緊急の糧食を届けてくれなかったら兵に飢えながら戦わせてしまうところだったぞ。まさか憎き王国の兵どもが卑劣にも別働隊を南から向かわせてこようとは……、その全ては叩き斬ってやったものだが、兵站が全滅したと知った時の絶望感……だが、我々はだな」

「全ては帝国のためだ」

「お前はそう言う奴だ。だが、助かったのは事実だ。すまない。それとお前のような臣がいる帝国なら、俺も生命を賭けられる」


 獅子将軍エウオロギス・ディザン。

 ロンドヴェル少年でも知っている帝国の勇将だ。

 ハルバードによる槍術は多くの王国兵を殺し、その奮迅たる指揮でこの【旭日橋きょくじつきょう】を支える、帝国の守護の要。


 その大物と父親が親友のように話すのをロンドヴェル少年は不思議なものを見るかのように眺めていた。


「む。もしやそこの少年はお前の息子か? うむ、大きくなった。前に見たときは赤子の時だったというのにな。時間が経つのは早いものだ」


 そして、ロンドヴェル少年はあの獅子将軍と会ったことがあったようだ。

 もはや何に驚いていいものかもわからない。


「騎士になる。その前に見せてやらねばならない」

「……そうか。それほどまでか。ならば獅子将として一つ、見せてやるとするか。次代を担う帝国の守護に我々、今の騎士の在り方をな」


 ゆっくりと壁かけのハルバートを外し、テーブルに置かれたヘルムを被る。

 突然の行動にロンドヴェル少年は狼狽え、父はすぐさま邪魔にならないようにとロンドヴェル少年の肩を掴んで壁際まで連れて行く。


「何が……?」

「来るぞ」


 父も何かを悟っていたようだ。

 そして、エウオロギスの準備が整ったと同時に、甲高い鐘の音が何度も鳴り響く。


「……うむ。いつもの威力偵察だろう。敵は……、ほう! ベルリヒンゲンか! あの男、まだくたばっていないと見える。良かろう、今度こそ王国の未来ごと根切りにしてくれる。少し行ってくるからここで待っているといい」


 小さな窓から見える旗。

 大剣を咥えた狼の旗がゆらゆらと揺れているのを、まるで現実のものでないかのようにロンドヴェル少年は眺めていた。


 それは王国の猛将ベルリヒンゲンのものだ。

 大剣狼の旗の下、巨躯の騎士がいる。

 真っ白な鎧を着た、リーゼス種の血を引く猛者の名は帝国でも恐怖の象徴とも言える。

 そして同時に、人間至上主義の帝国から見れば、絶対に殺さなければならない男でもある。


「武運を」

「見ておくといい。若き未来の騎士よ。そして、我が友よ。このエウオロギスの、獅子の一撃をな」


 揚々と出かけるエウオロギスに戦争に向かうという気概はない。

 終始、ロンドヴェル少年はそこに悲愴や悲観といった負の感情を感じないことに不思議に思えた。


 ロンドヴェル少年にとって戦争とは、傷つき、傷つける場所だと思っていた。

 誰もが本能の叫びをあげ、興奮しながら人を殺す場所だという先入観があった。


 だからこそエウオロギスの姿が不思議で堪らない。

 何故、彼はまるで友達が会いに来るような気安さで戦場に向かえるのか理解できなかった。


「よく見ているといい」


 父は何の心配もせず、それどころか壁に体重をかけると目を瞑ってしまった。

 一体、何が始まるのか、理解できている分だけ訳がわからない。


 やがてにわかに階下が慌ただしくなると、すぐに獅子の旗を広げた十数名が砦から飛び出していく。

 もちろん、先頭はエウオロギスだ。


「敵が来たのに、そんな少ない数で……」

「当然だろう」


 父の言葉少ない説明が余計に意味不明だった。


 年を経たロンドヴェルならわかる、あの言葉の意味。


 長年、睨み合いが続いた帝国と王国。

 駐屯している騎士は相手への攻撃が無駄だとわかっていても、そこにいる以上、やらねばならない。

 何もしてませんでは守護職としての役割を放棄していると取られてもおかしくないからだ。


 しかし、騎士たちも無駄な血は流したくない。


 そうなると必然、威力偵察に収まってしまうのだ。少数による相手への被害を少しだけ出して引けるという点がもっとも都合がいい。

 そして、この威力偵察に対して大勢を動かすのもまた効率が悪い。


 なので必然、威力偵察に対する威力偵察という、王国と帝国の双方に奇妙な約束事が出来上がる。


 理屈上はこれで片がつく。

 もっとも変なところは感情面のほうだ。


 言ってしまえばお互いの顔が割れてしまっていて、なおかつ殺し殺されしていると不思議と共感めいた何かがお互いに芽生えてくる。

 相手も同じ立場にいるのだと思うと、共感してしまうのが人間だ。


 不平を持っていても、隣に同じ境遇の人間がいるだけで少し溜飲が下がってしまうような、あの気持ちなのだろう。


 上層部や戦争部と関係ない場所なら、言いたい放題言えるだろう。

 だけど、前線にとっても、安全な場所で言われた言葉など知ったことではない。


 憎い気持ちも、怒る気持ちもそれぞれある。

 きっと相いれることはないだろう。それでも同じ気持ちなら、相手の気持ちがわかってしまうなら、憎くも親しい隣人みたいな関係になってしまうのだ。


 きっとエウオロギスもベルリヒンゲンも同じく、お互い全力で殺し合いながらも憎しみながらも、敬意を表せる。そこに一点の揺らぎはない。


 その証拠に彼らは出会ってすぐ、二、三言交わし合う。

 兵士たちも用意がされていたように二人のためにお互いの退路にもなる両端を防いでしまう。

 お互いがお互い、自分の兵によって退路を絶たれた形だ。


 そのことに誰一人、疑問を持たず、ベルリヒンゲンは大剣を、エウオロギスはハルバートを構える。


 互いの獲物に術式を通すと大剣からは紫電が迸り、ハルバートからは炎を纏う。


 術式に対する防性に富んだ術式騎士が使う攻性の術式の一つにして、もっとも有名で実戦でも効果が高い術式。

 術式剣と呼ばれる付与術式だ。


 鎧に当たれば鎧ごと切り裂く攻性術式の使用は、相手を必ず殺す意思とも言える。

 よほど術式の技術が高くない限り、術式剣の使用中は防御結界を張れない。張れたとしてもアレンジしたものでないと移動しながら防御結界は張れない。


 共に同じ想いでも、相手を殺す覚悟がある。


 この親しみながらも憎らしく思う二人の関係がロンドヴェル少年にはまだ理解できなかった。

 金属同士のぶつかり合いは本気なのに、どこか楽しそうなのだ。

 術式剣が拮抗し、壊れていく波動すら大輪の華のような陽気さがあった。


 そんな光景と事情、状況がロンドヴェル少年にはわからない。理解できない。

 だからこそ、駆け出した。


「待て!」


 父の制止の声も聞かずに、もっと近くへ。

 圧迫感しかない狭い天井の砦を抜けて、走る。


 ロンドヴェル少年が走っていくと、橋を守る衛兵たちも戸惑っている。何か緊急の報告でもあったのか、それとも何かよからぬことをしようとするのか判断しきれなかったからだ。


 その戸惑いの隙をついてロンドヴェル少年は駆ける。


 歓声と怒声が聞こえてくる、橋の中央へ。

 ガキン、ガキンと鋼打つ音が胸の奥まで響いてくるほど近くに。

 だけど、そこから先は兵士たちが邪魔で通れない。

 すぐに橋の支柱の一つを見つけて、そこに昇るとようやく兵士たちもロンドヴェル少年の姿を見つけて、驚いていたようだ。


「待てぃ!」


 誰かが少年を降ろそうとしてよじ登るを止めたのは、ほかの誰でもないエウオロギスだった。


「見せてやれ! 我らが戦いを。そのためにその少年はここにいる」


 敵に背を向けてまで、ロンドヴェル少年に何かを見せようとしている。

 敵も敵で、エウオロギスが背を向けているのに大剣を橋に突き刺して、エウオロギスの言葉を待っているのが不思議な光景だった。


「待たせたなベルリヒンゲン」

「妻の夕餉よりも早くて助かった。アレの飯は美味いが遅すぎて仕方ない」

「俺の妻は飯なんか作ったことないな。だが菓子作りだけは絶品だ。甘いものは苦手だがな」

「だが――」

「しかし――」


 お互い、軽く兜のフェイスガードを上げて、笑い合う。


「「俺の妻が一番だ」」


 そして、突然の妻自慢を始めながら、エウオロギスはハルバートを、ベルリヒンゲンは大剣を振りかぶった。


 鋼が火花を爆ぜる瞬間、すでにベルリヒンゲンは大剣を巧みに左斜めへとそらし、一歩前に出た。

 巨人の一歩は安々とエウオロギスの間合いへと入り、右足を左側へと引きつつ、大剣を翻す。

 狙うは首元。しかし、この絶技に対してエウオロギスはハルバートの柄をカチ上げて大剣の刃とぶつけ合う。

 

 大剣の衝撃を足腰に一心に受けながら、今度はエウオロギスがハルバートを引きつつ、左の胴斬りへと繋げる。

 その胴斬りを二歩下がるだけで避けるベルリヒンゲン。


 技術は言わずとも、その一撃一撃に込められた必殺の力がロンドヴェル少年の胸を打つ。


 一発一発、砕けていく術式の波動は周囲に風鳴の音を響かせ、心の奥底まで響き渡る。


 鋼を裂くほどの威力を防ぐには、お互いの刃しかない。

 それに素早い。まるで相手の出方がわかりきっているかのように、次から次へと演舞のように攻撃し合う。


 それが【支配】と呼ばれる技術だと知るには、ロンドヴェル少年の腕はまだまだ成長途上であった。


「いい加減にくたばれ! ベルリヒンゲン! また前みたいに大鎧に穴を開けてやろうか!」

「ほざけ! エウオロギス! 貴様こそ俺の大剣で帝都までブッ飛んでいただろう! 帰ってくるのが早すぎる! もっと遅刻しろ! せっかく頭のない砦を落としてやって貴様の悔しがる顔が見たかったというのに!」

「我が騎士団に遅刻するような者はいない!」


 帝国騎士の何名か目を逸らしたのは内緒だった。


「俺の軍部なら無遅刻無欠勤は当たり前だぞ!」


 やっぱり、王国騎士の何名かが目を逸らしていた。


「ほざけ! 何が無遅刻か! 貴様の怒鳴り声がこの砦の中でも聞こえたぞ! アレはどう説明する気だ! 近所迷惑だ!」

「アレは……アレだ! 訓練の声だ!」

「朝っぱらにか! 絶対に全体朝礼の時の怒鳴り声だろう! 嘘をつくならもう少し信じられるものを用意しておくんだな! 大体、騎士にあるまじきだぞベルリヒンゲン! 俺のいない砦を落として何を騎士の誇りとするか!」

「貴様の悔しがる顔に決まっておろう!」

「悪ガキか! 息子がいるような歳の癖に!」

「心は少年だ! 子供にも伝えたい!」

「バカだ!」


 もはや子供の喧嘩のようにまくし立てる二人だが、


「バカというがバカはお前だ! 橋の下に妻の名前を隠れて彫っていたのを知っているぞ!」

「この戦に勝ち! 晴れて王国を手に入れたらこの橋の名を妻の名前にするのだ!」


 極まりない傍迷惑だった。

 妻にとっては、名誉なのか羞恥プレイなのか判断に困る部分だ。


「それはないな! 何故ならリスリア王こそがこの大陸の覇者となるのだからな!」

「寝言は寝て言え! 我らが帝王こそが大陸の覇権を担うにふさわしいのだ!」


 それは夢物語だ。

 ユーグニスタニア大陸最強の国となり、最強の国に仕える騎士となること。

 現状はお互いに睨み合い、決して楽に行くはずもなく、泥沼のように争うことしかできない。

 だからこそ、夢を語り、誇りを胸に張る。


 そして、笑う。


 口元を歪めて、心底、楽しそうに、まるで相手を挑発するように。

 自分には絶対の自信がある、と相手に伝えたいかのように二人は笑い合う。


「覇者の往く糧となれぇい!」

「覇権の礎となれぃ!!」


 大剣の恐るべき上段斬りが、ハルバートの雄々しき貫き刺しが交差する。

 互いの最大威力が込められた術式剣が空気を振動させ、ぶつかり合う。


 あまりの衝撃に騎士たちの何人かが術式の波動に押され、よろめく。

 ロンドヴェル少年はあまりの衝撃に一瞬、目を閉じてしまう。


 一際、高く鳴り響く金属音。


 それから、カランカランと何かが転がり落ちる音がして、ロンドヴェル少年が目を開いた。


 それが折れた大剣とハルバートだとわかった時には二人はもう戦闘態勢を止めて、背を向けていた。


「またか……。いい加減、折れん大剣を用意できんもんか」

「人のハルバートをへし折っておいてよく言う。お前のバカ力には呆れ果てる」

「貴様の言えたことか! 鉄もタダではないのだぞ!」

「そいつはいい話を聞けた。お前の大剣を折り続ければ、いつかリスリアから鉄がなくなるな」

「ハッ! 何百年かかるか楽しみだな」


 お互いの武器の破片を拾ったら、もうこの喧嘩は終わりだ。


 そして、互いの砦に帰っていく。

 それがこの【旭日橋きょくじつきょう】の常だった。


 だが、この時は違っていた。


 ロンドヴェル少年は全員より高い位置にいることで、ソレに最初に気づけた。


「あ……」


 遠くの、川べりの高台で何かがチラリと光る。

 そう気づいたときには音よりも早く迫る何かがエウオロギスの背に向かって飛んできていた。


「あぶな――」


 ロンドヴェル少年が叫んだ。

 矢だと気づかなくても、危ないものだということくらいロンドヴェル少年にもわかる。


 完全に隙だらけだったエウオロギス。

 そして、同じように隙だらけだったベルリヒンゲンも同じように動くこともできなかった。


 周囲の兵も同じだ。


「―――ッ!」


 誰もが息を飲みこんだ。


 しかし、ロンドヴェル少年が想像したようなことは起こらなかった。


 そいつはいつの間にかエウオロギスの背後に、エウオロギスが気づかないほどの速さと隠蔽力で立ち、音速を越える矢をその手に掴んでいたからだ。


 掴んでいた、というのは誤謬がある。

 そいつの手は開いたままだ。


 しかし、掌を向けた先に氷に包まれた矢があり、空中に固定されてしまっている。

 何が起きたのかわからないが、音もなく現れたソレが凶事を止めたのは明らかだった。


「やれやれ――」


 そいつはローブのフードを目深にかぶり、呟きのような声を放った。

 それだけで周囲が、凍りつくように身動きできなかった。


 そうしてまた、音速の矢が何度も放たれるが、その全てを男は見ずに氷に変えて叩き落としてしまった。


「――不毛なことをさせる。帝国のクズを守るだなんてな」

「……あぁ? 何者だ」


 ゆっくり振り向く瞬間、偶然、男の目を見たロンドヴェル少年は先程まで騎士の戦いで熱くなっていた心が凍りつくのを感じた。

 知らず体が震え、手に力が入らずに必死になって柱にしがみついた。


「――【統べる青銅】と言う。覚える必要はない獅子将軍。どうせ死ぬ」


 それがロンドヴェル少年が初めて見る術式師の最高峰【タクティクス・ブロンド】だった。


 しかし、そんな事実よりも心にあの目がこびりついて離れない。

 本当に人間ができる目なのかと疑うほど冷たかった。


 人を人として見ていない。

 そのことがハッキリとわかる――そんな目だった。


 この日からロンドヴェルは人の目が語る憎悪というものに敏感になってしまった。

 やがて、いくつもの事件に遭遇し、それがどんなもので、誰に向けられているのか目を見るだけで理解してしまえる感受性を身につけていくことになるのだが、今はまだ冬場のように震えているだけだった。


 ただ、凍える憎悪に当てられ、ロンドヴェル少年は口も開けなくなっていた。


「ウルヴェ! 断罪人の貴様が何故、ここにいる!」


 ウルヴェと呼ばれた男は小さく顎を動かす。


「……騎士道だのなんだの、無意味なジャレ合いを嫌う輩がいる。オレもその一人だが、大層、勘に触る者もいたということだ。エウオロギスを軍規も守らずに暗殺しようとしたバカがな」

「何ぃ! 騎士の誉れ高い決闘をなんだと思っている!」

「知るか。吠えるなら他でやれ。そして命拾いしたな帝国の犬」


 ウルヴェはフードを捲し上げ、まるで汚いものでも見る顔でエウオロギスを睨みつける。

 エウロギウスは動じず、そのままウルヴェを見つめ返す。


「む。まずは助けられた礼を」

「感謝するな。喋るな。鬱陶しい」


 しかし、返ってきた言葉は有無も言わさぬほどきつい口調だった。


「オレは帝国が嫌いだ。目の前に貴様らがいるだけで虫唾が走る。今すぐ貴様らを氷漬けにして砕いてやりたいほどにな。だが、これ以上の干渉を軍規で制限されている。断罪するわけにはいかない。わかったか。わかったならこれ以上、イラつかせるな殺すぞ」


 金髪碧眼に憎悪の表情を貼り付けたウルヴェは、フードを被り直すと足早にベルリヒンゲンの脇をすり抜けてしまう。


「おい! ウルヴェ! 初対面の敵兵に失礼だろう!」


 それは失礼とは言わないと誰もが心に思ったが、空気に当てられたか、口にする者はいなかった。


「黙れ。そして死ね。国境を守る置物なら置物らしく鎮座してろ」


 味方まで痛烈な言葉を吐きかけながらウルヴェは去っていった。


 困ったのはこの場にいる騎士たちだ。

 これがどういうものなのか、なんとなくわかるが決定的に何をしたらいいかわからない。

 それは全て、ベルリヒンゲンとエウオロギスで決められることだ。


「エウオロギスよ――」


 ベルリヒンゲンはエウオロギスの前に立つと巨体を二つに曲げた。


「すまなかった。我が騎士の中で不貞の輩が先走ったようだ。謝罪しよう」


 国境の責任者が頭を下げる。

 それも帝国の仇敵であるベルリヒンゲンがだ。


 その重みを理解できない騎士はいない。

 規律に縛られ無駄口を叩かない砦の騎士が、あまりのことに声を漏らすほどの事態にもエウオロギスは動じていなかった。


「その謝罪、受けよう。そちらの不手際ではあったろうが生命を救ったのもそちらだ。あのウルヴェという男には大層、嫌われているようだがな」

「アレは……、気難しい男なのだ」


 結局、ウルヴェのことが【タクティクス・ブロンド】で断罪人と呼ばれていること。

 そして、帝国が大嫌いだということしかエウオロギスにはわからなかった。


 しかし、わかることもある。


 王都の、そして王国の守護職たる【タクティクス・ブロンド】が国境まで来る。


 この事態をエウオロギスは把握しかねていた。

 先の暗殺未遂といい、王国らしからぬ動きに付け入る隙を見出すよりも暗雲立ち込める空気を感じたのだ。


 それはベルリヒンゲンも同じなのだろう。


 突然、ドカンと座り込むと、騎士たちに指示を送る。


「撤退しろ。俺はエウオロギスと話がある。エウオロギス」


 まっすぐにエウオロギスを見るベルリヒンゲンに何かを感じ、


「お前たちも撤退しろ」


 お互いに兵たちの逡巡を気にもせず、言い放った。

 しぶしぶお互いの騎士たちは撤収準備に入った。

 この撤退に巻き込まれて父の姿は見えなくなったが、それを気にする者は多くない。


 ロンドヴェルもしばらく呆然としていたし、目の前で何が行われているのかわからず、撤収に参加もできずじまいでボーッとしていると、エウオロギスが手招きしてくる。


「ロンドヴェルにも聞かせてやりたい」

「構わない」


 おずおずと降りて、エウオロギスの傍に行くとガシリと頭を掴まれる。

 ロンドヴェル少年では抵抗できない強い力で地面に座らせられてしまう。


 やがてベルリヒンゲンが口火を切った。


「思えば長い付き合いになったな」

「十代の頃から戦場で顔を付き合わせて、今までか……、十年以上はお前と殺りあっている、か」

「こうして面と向かってちゃんと話す機会がなかったな。俺たちは敵同士だ。語る言葉すらないことだってままある話だ。名前も知らない兵を殺すこともある。お互いにな」

「うむ。そうだな」

「面と向かって敵兵を討つ。それは誉れだ。勇気の証だ。そして強さでもあった。時に出会う強者との生命を賭けた真剣勝負。ディラウス、へミルトン……、皆、強い騎士だった」


 それらはベルリヒンゲンが屠ってきた強者の名前だ。

 今でも、そして、年老いて耄碌してもその名を忘れることはない。

 これは確信できる誓いでもあった。


「王国の兵もまた強者だった。特にお前だベルリヒンゲン」

「あぁ、この俺相手に怖気もせず、何度も打ち合えたのはお前だけだ」


 この場に酒があれば、二人は飲んで交わしていただろう。

 しかし、陣地ならいざ知れず、酒を戦場に持ち込むほどアルコールに依存していない。


「この時代、騎士の在り方。その全てを戦場で示せるのは我々で最後かもしれん」

「……【戦術級】、それを超えるとされる【戦略級】か」


 帝国からすれば【タクティクス・ブロンド】は脅威であった。

 しかし、脅威であっても彼らは【タクティクス・ブロンド】を恐れていない。


 何故なら、彼らは王国の守護であり、防性にしか働かない能でもあった。

 よほど帝国が深くまで王国を切り崩さない限り、出てこないと思われていたからだ。


 それが国境の最前線に、まるで当たり前のように現れた。


 そして、エウオロギスを以てしても力の底が見えなかったウルヴェという存在。

 【タクティクス・ブロンド】という脅威が攻性に向いた時の恐怖をエウオロギスは理解した。

 

「戦争も時代も変わっていく。騎士の誉れはもう古臭いものかもしれんな」


 ウルヴェのような存在が増えれば戦争は変わる。

 騎士の戦いは終わり、【戦略級】による兵の一斉排除、軍隊よりも個人による散兵戦術に切り替わる。

 騎士の主な役割は陣後に集中し、拠点防衛などは役に立たなくなる。


 どれだけの【戦略級】を用意できるかで戦争の勝ち負けが決まり、必然、【戦略級】が権威を持つに至る。


 その想像をし、騎士が飾りでしかなくなることを思うと寂しくなってしまう二人だった。


「騎士の在り方は変わらん。例え【戦略級】が多く生まれようとも、それに対抗するための騎士と道が生まれる」

 

 強力な個人に対するカウンターとしての騎士の登場。

 後に【戦略級】術式師に対する【戦略級】術式騎士。天敵の用意をどちらの国も始めるだろう。


 超遠距離射撃への防御、そして遠距離からの攻撃を察知する索敵能力。

 それらは人の枠を越えて、どこまでも広がり続けていくことが予想される。


 そうなった場合、もう傷を負うのは兵だけではない。

 無関係な、守るべき一般の民まで傷つける何かになってしまう。


 この二人の予想はそこまで至らなかったものの、ある意味正しく、ある意味、間違っていた。


 人間はどこまでも人間であり、【タクティクス・ブロンド】であっても人の枠は越えられない。どれだけ最大最高まで鍛えたとしても、それはまだ人の可能性の内だと。

 それが証明されるのはこれから二十数年先の未来の話である。


「俺は……、戦場で死にたい。貴様と戦い、貴様を討つか、討たれるか。そのどちらかで人生の幕としたい」


 ベルリヒンゲンの弱気とも取れる言葉に、エウオロギスは言い知れない何かを考え、しかし、共感してしまった。

 エウオロギスもまた、同じことを考えていたからだ。


 このまま、騎士の意味をなくしながら、遺物として生きるよりも戦場で最後の騎士として華々しく逝きたい。

 時代が変わるというのなら、時代を象徴するものになりたかった。


「ならば選択肢は一つだな。俺に討たれろベルリヒンゲン」

「ぬかせ。貴様を屠るのは俺だ」

「まだ人生は半分残っている。華の三十代、楽しませてもらうさ」

「せいぜい寝首をかかれないようにな」


 この時、エウオロギスには一つの予感があった。

 王国内部での激変、その時、帝国もまた同じように何かに巻き込まれてしまうのではないか?

 王国ほど情勢が不安なわけでもない帝国。

 しかし、爆弾を抱えていないというわけでもない。


 現帝王ハムナプリアス、その年齢五十三歳。

 そろそろ隠居も考え、次の世代の帝王を育てなければならない時期。

 その時期に不穏な風を感じていたのだ。


 後継者争いという暴風。

 長兄と次兄、第一王位継承者と第二の争いの影響はこの砦にも響いてきている。


 現に、先の先の開戦時。

 普段ならありえないはずの糧食庫の放火。危地に立たされたエウオロギスが旧友の機知に助けられたのは新しい出来事でもある。


 この時期に二つの国の大暴風に気づけた者は少ない。

 ベルリヒンゲンもエウオロギスも、ほとんど勘のような曖昧さを肌に感じているくらいだった。


 気をつけねばならない。

 ベルリヒンゲンが言いたかったことをエウオロギスも正確に受け止めていた。


 どちらとも立ち上がり、やがて砦に向かって歩きだした。


 これがロンドヴェル少年が見た【最後の騎士】の姿だった。

 ロンドヴェルが騎士という理想を見たとき、いつでもその在り方は二人の人物を思い浮かべる。


 ロンドヴェルの力への渇望、羨望。

 そして、憎悪への過敏とも言える反応。


 その全てはここから始まっている。


 気がつけば、もうあの時の光景は見えなかった。

 ただ新しい天井が今を象徴しているようで、少しだけモヤモヤした気持ちになる。


 その気持ちがあの時、ベルリヒンゲンとエウオロギスが時代に抱いた気持ちに似ていたのをロンドヴェルは曖昧に理解していた。


 結局、ロンドヴェルは彼らほど強くなれなかった。

 それは力であり、精神性であり、在り方も同じだ。

 そういう人物を育てることもできない。


 だからこそ今なお、焦がれて憧れてしまう。

 人の極みを。あの二人のように雄々しくも友達のように戦う、最高の騎士の姿を。


「エウオロギス殿……」


 あの二人との出会いから三年後の話だ。


 エウオロギスは死んだ。

 背後から矢をかけられ、その傷を負ったままベルリヒンゲンの待つ戦場へと足を運び、ただ一太刀、打ち合うこともなく逝ったそうだ。


 目の前で仲間の裏切りに合い、十年以上も続く約束を果たせなかった男の最後の言葉は、たった一言。


「……未練だ」


 親しくも憎らしい好敵手と戦うことすらできずに、戦場で立ったまま息絶えたという。

 騎士団の一人として戦場に駆けつけたロンドヴェルは、夕日の中で立ったまま息絶えた獅子将軍の最期の光景をいつまでも覚えている。


 ベルリヒンゲンの勝鬨とも慟哭とも取れる声が戦場全てに響き渡っていた。


 それから七年後、帝国は相続争いへと雪崩込み、王国は【十年地獄】の先駆けとなる新法【奴隷制】によって民衆は阿鼻叫喚の渦へと叩き込まれる。

 その後の十年から【十年地獄】まではまだマシだったろう。


 真の地獄が始まるまで、帝国も王国も緩やかに転がり落ちる石のような世情だった。

 その間にも父が死に、ロンドヴェルが騎士から政治家にならねばならなかったほどと言えば、どれだけのものかわかろうものだ。


 この三十年間に得たもの失ったもの、数多くあった。

 しかし、今も昔も思うのは――


「やはり、どれだけ行っても三十年では変わらんな」


 侵入者と騎士オルナ。

 好敵手になるには縁が少なすぎる。

 運命のように出会い、続かなければ、あの二人のようにはなれないだろう。


 それでも戦い合っていたあの瞬間、瞬間。

 確かに二人が重なっていたように思えた。


 ベルリヒンゲンとエウオロギス。


 当の本人たちにその気がなくても、ロンドヴェルにはそういう風に見えていた。


 やがて屋敷の外から何やら禍々しい呪文のような詠唱が聞こえてくる。

 術式に詠唱は必要ないにも関わらず、よく知った声は気にせずに続けている。


「プリムラか」


 あれから、娘であるプリムラはずいぶんと術式の修行に精を出すようになった。


 何が影響するかわかったものではない世の中。

 確かに何かが連綿と続いている。


 あの事件の後、侵入者のことを文書と口頭、両方で宰相に伝え、ロンドヴェルは事件から距離を取った。

 今頃、帝国の中枢では今回の出来事がどんなものだったのかを話し合っている途中だろう。


 ロンドヴェルにもあの事件の真相はわからない。

 侵入者の言った言葉が真実なのかはロンドヴェルには裏付けの取り様もない。


 今回は失敗したというべきだろう。

 縁を切ったとはいえ息子、そして代々守り続けた家宝を両方、失った。

 ロンドヴェル自身、今の立ち位置に戻るために苦労した。


 発言権も影響力も使いきったというべきだ。

 ここから巻き戻すのも長い時間がかかる。


 ロンドヴェルがリーングラードへ再び干渉する頃にはもう義務教育計画は終わってしまっているだろう。

 都合のいい挽回策もチャンスも今のところ、何もない。


 やるべきことがあるのならファーバート領を少しでも豊かにすることだけだ。

 ロンドヴェルは過去の幻を振り切って、書斎に向かう。


 結局、彼も事の真相を掴めずに舞台の袖へと降りたのだった。


 これ以降、ロンドヴェルは事件によって何が彼に残されたのか、考えるのを止めた。


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