夢幻と答ふなり
荒々しく開け放たれるドア。
肩で息をしたマッフル君がそこにいました。
授業終了を報せる鐘と同時に飛んできたということは、急ぎの用なのでしょう。それにしては殺意が目から溢れているように見えるのは気のせいでしょうか?
「こんのバカ先生!」
ドアを開けた勢いのまま、マッフル君がベッドまでダッシュジャンプを――え?
放物線を描いて迫るマッフル君。
その膝は前面に突き出されていて、攻撃色をありありと自分に報せてくれました。すなわちフライング・ニー・ドロップ、あるいはジャンピング・ニー・ドロップです。
着地点は自分の腹部です。
まずい、脇腹を縫合したばっかりです。
またボディに攻撃をくらったら死ぬかもしれません。
というか施術後の安静中に激しい動きとかできません。
その前に施術後の人間にニー・ドロップを敢行するとは何事か。
「あんじょう死にさらせぎゃん!?」
なので術式でマッフル君の前に氷の壁を作ってあげました。
身体の動きが鈍っていても、術式は普通に使えますからね。
マッフル君は残業中の職員室に果敢にも乗り込んでくる夜光蝶みたく、氷の壁に当たって落ちてしまいました。
床で痛みに悶えているマッフル君を見ていると、なんというか言いようのない気分になりますね。
「とりあえずマッフル君。スカートがめくれてるのでちゃんと直しなさい」
特に見たくもないうえに、スカートの下は薄い半ズボンでした。
「そんな話してないし!」
上半身で反動をつけて、飛び起きたマッフル君はベッドに掴みかかると同時に言い放ちました。
いや、話すらしてませんから。
そのままベッドの柵を乗り越えて、ものすごい勢いで這い寄ってきました。
こういう生き物、いましたね。洞窟とか、あの辺で。アンデッド系魔獣で。腐敗臭がすごいのが。
マッフル君に自分の胸ぐらを掴まれ、真正面から睨みつけられました。
ものすごく怒っていることはその逆立った眉からわかります。
……何か怒らせるようなことをしましたかね?
「どうしたんですか、マッフル君。怪我人相手に混沌みたいに這い寄ってきて……」
邪神でも目指しているのですか? シャルティア先生のプロポーションを目指すには、少々、凹凸が足りませんよ? いえ、少々どころではありませんでした。ははっ!
なんて、言葉を紡ぐ前に、言葉を引っ込めました。
マッフル君の瞳から、痛みのものとは違う雫がポロポロと落ちてきたからです。
「あぁ、別に怪我はたいしたことなくて別に過労とかそのあたりで少しばかり擦り傷を負った程度なのでそんなに心配しなくっていいんですよ、はは、学園長も女医さん(36)も大袈裟なんですよ、ね? なのでその涙とか引っ込めてくれると先生、とても嬉しいですよ?」
何故か矢継ぎ早に言い訳が飛び出していました。
「先生の心配とかしてないし!!」
ツンデレと呼ばれる性格破綻者がする本心を隠した言葉とは違い、本気の言葉でした。
しかし、そこはツンデレであって欲しかったですね。
心配、されていないのですか。
地味に凹みます。
「つーかさ! なんか心配するな容疑くらい晴らしてみせるとかなんとか言ってたくせにさ! 明日になったら全部、大丈夫だって言ったくせにさ!」
似たようなことを言った記憶ならあります。
「明日になっても誰も来ないし!」
……あれ?
「来たの昨日だし! しかもリィティカ先生だったし!」
えー、昨日は自分、怖い鬼騎士と戦って半死半生でした。
つまり、これはどういうことですか?
「どういうことなの!」
それは自分が聞きたいですね。
マッフル君の言葉を信じて、時間軸を整理してみましょう。
一日目。マッフル君は自分の言うとおり、あのあと、宿舎に帰ったわけですね。
その頃、自分は学園長に帝国で強盗してきます、と言ってから王国目指してマッハを出していました。
二日目。学園ではキャラバンとの話し合いのため休日一日目です。自分が王国に着く頃、マッフル君は事情を話してくれるはずの自分を待っていたわけです。
たぶん、この頃、キャラバンとの話し合いが困窮していたのだと思います。学園長も決め手がなかったと言ってましたし、ほとんどの時間を説得に使っていたのだと思います。
そして次の日、三日目ですね。学園休日二日目でもあります。自分が帝国で色々してる頃ですね。
ようやく話がまとまったので、学園長の指示でリィティカ先生がマッフル君に説明をしたのでしょう。
四日目が今日です。
学園長には学園休日一日目の朝、つまり自分からすれば二日目にマッフル君への説明をお願いしたはずです。
しかし、学園長からすれば自分の仕事の成功はともかく、『生存確率は非常に低い』と思われていたので、あえて生徒への説明を一日、待った感じがします。
これは、マッフル君に対する気遣いだったのでしょう。
もしも自分が死んでいたとしたら。
マッフル君は脳天気に待っていた分だけ後悔します。
学園長のことだから、最悪を想定して保険をかけていただけなのでしょう。
あるいはマッフル君に度重なる門限破りの罰を与えるつもりで一日待っただけかもしれません。
後者っぽいですが、それは後で学園長に問いただすとして。
どちらにしても、あえて一日、間を空けたというのは間違いないでしょう。
「この嘘つき先生! 何時、首に縄をつけられて『美少女の縛り首』って書かれるか心配だったんだから!」
自分で美少女とか言う子を、どうしてやればいいでしょうか難問です。
「先生はその頃、地方都市でバイヤーを相手に商売して、【戦略級】もかくやという鬼に追いかけ回されてましたね」
「そのまま鬼に食い殺されてたら良かったのに!」
ひどいことをハッキリ言いますね。
ちなみに『(帝国の)地方都市で(帝国貴族という名の)バイヤーを相手に商売(強盗)して、【戦略級】もかくやという鬼(騎士)に(殺されかけつつ)追いかけ回されてましたね』が正解です。
「残念ながらピンピンしてます。何せ、大事なことでしたからね」
「学園ほっぽって地方都市で鬼ごっこしてることが?」
辛辣ですね。
ため息が出そうです。
「そりゃ、そうです。事は君に関わることでしたからね」
胸ぐらをあっさりほどいてやると、マッフル君は複雑に絡まった糸を解かれたみたいな顔をされました。
さて、考えどころです。
マッフル君が怒っているのは、何も約束をちゃんと守らなかったことではありません。
比較的、内面に常識が根付いているマッフル君は心細かったのだと思います。
約束したはずの自分は現れず、次の日にリィティカ先生が現れて説明し始める。
きっとマッフル君は「どうして先生が来なかったのか?」を問いただすでしょう。
心優しく、海よりも広い心のリィティカ先生なら、この問いに言葉を濁すことはできないでしょう。
リィティカ先生も、きっとその場しのぎだとわかっていても「大丈夫ぅ、ヨシュアン先生ぇはちょっと出てるだけだからぁ」くらいのことを言ったのかもしれません。
そして、こう言います。
「きっとぉ、マッフルちゃんのためにぃ、頑張ってるんですよぉ」
察しが良い子なら、これで気づいてしまいます。
問題はまだ解決していないという点。
これは自分が不在であることでわかるでしょう。
そして、問題は思った以上に大事になってしまっていること。
同僚であるリィティカ先生すら解決について、いえ、解決するだろう自分の所在について知らされていなかったと明言しているようなものですね。『きっと』の部分が特に顕著です。
自分が何をしているのか同僚すら知らないということは、どうあがいてもマッフル君には何も調べられないということ。知ることができないということです。
すでにマッフル君の信用云々ではなく、事件は明後日の方向へと広がっていくのがわかるのですから、不安も油のように広がり続けるでしょう。
学園長なら、と思うでしょうが、相手はあの学園長ですからね。
きっと、何も言わなかったでしょう。マッフル君に少しも情報を与えるようなことをしなかったはずです。
そして、商人、特にグランハザードの商人についてよく知っているマッフル君が考えたことは、『学園側に配慮せずに』何らかの処罰をキャラバン側が行うことです。
グランハザードはそのあたり、容赦のないキャラバンでしたからね。
納得しない場合の処置は、例え顧客でも関係なかったです。その様子は拷問官すら裸足で逃げていく光景でした。
そこから導き出されるマッフル君の答えは様々でしょう。
しかし、最悪だけを考慮するなら、自分は責任を取らされて拷問された、というわけです。
マッフル君の代わりに。
もちろん、ただの悪い妄想と初めは信じてなかったでしょう。
穿った意見で尖った常識ですが、マッフル君もグランハザードの子供ですからね。
それくらい、考えるでしょう。というかそもそもグランハザードの子供の時点でここまで常識のある子に育ったのが奇跡だと信じています。
とまれ、マッフル君が自分の情報を聞いたのが今日。
怪我をしていると聞いて、マッフル君の頭の中では途方もない悪い予感が駆け回ります。
『まさか、本当に先生は自分のために拷問されてしまったのではないか?』
悪い予感は不安を呼び、グルグルと回るたびにだんだん先生への――つまり自分ですね。自分への攻撃性へと変化していく。
さぞかしピリピリしてたと思いますよ。
ほとんど言いがかりに近い容疑でキャラバンでの信用をなくしかけ、挙句にその代償を誰かに押し付けて、子供のマッフル君は何の責任も取らされなかった。
楽な話かもしれませんが、ここにいる生徒の誰もが一人前を目指しているのです。
一人前扱いされていない現状にすら不満だったのかもしれません。
生徒が一人前じゃないことくらい、当たり前なのに、ですよ。
でも自立心なんてそんなものです。
ましてや自立心だけならヨシュアンクラスで一番のマッフル君です。
不満も相当だったでしょう。
攻撃本能のまま、駆け出し、自分を見つけた時のマッフル君の気持ちは一体、どんなものでしょうか。
そんなもの、わかりません。
推測できても、本心はわからないんですから。
でも、常識がありながら怪我人にニードロップしたくなるくらいには、切羽詰っていたのでしょう。嫌な発露の仕方です。
なら、自分がしてやることは一つです。
「君らのオイタに青筋貼りつけて駆け回るのはいつものことです」
抱きしめて……は、さすがに背中をさわった猫みたいに暴れるでしょうから、頭を押さえるように撫でくりまわしてやりました。
ちなみにこれ、マッフル君の体重も相まって、自分の身体にも負担です。
普通に傷に触って痛いのですが、無視です。
「髪! さわんないで!」
「聞こえませんね。ここで真相を少しだけ話してあげましょう。マッフル君が信用を落とす云々と、自分が独走した理由は別です」
「……独走? どゆこと?」
パチクリと目を瞬かせているマッフル君。
「今回、犯人はちゃんといました。そいつを捕まえてキャラバンに突き出せばオシマイ。王国の法と騎士たちの矜持の下、裁かれて見事、メデタシメデタシ。キャラバンは保障に関してはまぁ、事件であっても事故と同じように保障を出すようにと言えるだけの立場だったのです。ところが、先生が少し人命救助のほうに精を出してしまいましてね、逃げられたのです」
この話は元々、殴り込みに行く前に学園長に話してあります。俗に言う表向きの理由ですね。言い訳とも言います。
平たく言うと真実が混じった嘘です。
「冒険者さんが一人、負傷したという話を聞いてますか?」
これにマッフル君は首を横に振りました。
さすがに結びつけて考えなかったのか、そこまで自由に外に出られなかったのか、判断が難しいですね。
自分の不在を教師に納得させやすくするために作ったものですが、リィティカ先生に話が伝わっていなかったっぽい感じもしますし、おそらくこの話は裏向きのカモフラージュに使われていたのでしょう。
表向きはどうなっているかは知りませんが、おそらく無難なものになっていると思われます。
「先生がわざわざ学園外まで出た理由は犯人を捕まえるため。もっとも犯人は死んでしまいましたがね」
実は殺しちゃった☆とか、さすがにマッフル君に言える話でもないのでぼかしてあります。
「犯人、死んだって……」
「組織の何かだったということです。こんな話をすると他の子にも不安に思うこともあるので、マッフル君もお口にチャックですよ。後はそうですね、犯人不在となるともう取るべき手も少なくなってしまいます。大なり小なり保障にお金を出さないといけなくなるのです。しかし、マッフル君たちも知っているように節制の件。学園は節制中、お金はあまりかけたくない。なら、地方都市でどうにかお金を集めてこなければならなかったと。まぁ、こんな感じです」
「それじゃ、先生が医務室で寝てるのって」
マッフル君の視線は自分の右腕部分に向いていました。
「その組織相手に先生は騎士たちと共同で事に当たり、壊滅。報酬として得た刻術武器を保障に当ててオシマイです。バイヤーとの話し合いは報酬を物品化することで保障の金額を曖昧にするためです」
物品支払いの面白いところは金額に対して、曖昧で相応の価値を提示できることです。
貨幣は物品の価値を事細かに、わかりやすく他者に示すことができますが、細かいがゆえに融通が利かないのです。
多少、金額が上下してもなんとかなる。
このファジー具合が物品支払いの利点であり、欠点です。
もっとも冷蔵竜車三台分は上下どころではありませんが。
「……先生は一体、何やってんの」
マッフル君は脱力するように体重を預けてきました。
でもね、君が体重をかけるたびに先生の身体が軋んでいることに気づいてください。
「……だいたい、先生はさぁ、女の子、放置プレイとかマニアックすぎ」
してません。その気も趣味もありません。
ていうか誰だ、放置プレイとか教えたヤツは……、グランハザードですね。次にあったら殴っておきましょう。絶対です。
「……なのにさぁ、全然、人のこととか考えてなくて、さ……」
「マッフル君?」
脱力したままマッフル君は身動きしません。
ただ、瞳は何度も開け閉めを繰り返してました。
「……こーゆーときは、いつもどおりにしてくれたら、良か……」
言葉は不明瞭に途切れてしまいました
あまり眠れなかったんでしょうね。
それでも無理して、起きっぱなしで、今日も授業に出て。
裏でそういう努力をする子だから、自分は決して君の努力が実らないような事を許せないんですよ?
「マッフル君?」
まだ微妙に起きてる気配がします。
今のうちに聞いておきましょう。
ちょっとした証明問題です。
「海菊の花の価値はわかりますか?」
「うみぎく……? わかんない」
むにゃむにゃと曖昧すぎる言葉でした。
もう頭も働いていないでしょう。
寝ている人の言葉に返事をしちゃいけないとも言いますし、ここはこのまま寝かせてあげましょう。でも――
「けど、キレイじゃん……」
――この言葉を言い切って、本当に寝てしまったようです。
自分は息を吐いて、マッフル君の瞼にかかる髪を払ってあげました。
「そうですね。先生もそう思います」
でも、その答えでは50点しかあげられませんね。
どうしてその答えが50点なのか、答えられるようになったら満点をあげましょう。
まぁ、でも誇っていいですよ。
あの【キルヒア・ライン】の騎士オルナよりも、ずっといい点数なのですから。
閉め切っていない窓から少しだけ生温かい空気が流れこんできます。
カーテンがなければ日差しがきついのなんのって。
そろそろ夏も本格化し始めてきたようです。
マッフル君を起こさないようにベッドから抜け出て、一瞬、痛みに顔をしかめながらも立ち上がりました。
窓を閉めて、カーテンが収まるのを待ち、それからイスに座りました。
やんちゃな生徒の寝顔にどんな落書きをしてやろうかと眺めつつ時間を潰していると、やがて廊下から、また騒がしい足音がします。
やれやれ、せめて今日くらい落ち着いて寝かせて欲しいものです。
なのに生徒は自分のベッドを占領するし、なんか布団も奪われました。
なんで怪我人の自分がイスに座らなきゃならないのか。
まぁ、アレです。
教師なんて、そんなもんですよ。きっと。
損なもんなんです。




