独断専行列車の行き着く場所
気がついた時、そこは学び舎の天井でした。
白いレースに区切られた部屋に清潔な白いベッドは間違いなく医務室の備品です。見覚えあります。何度も。
ローブは誰かに洗濯されたのか、血糊が落ちていましたがボロボロのままです。
一体、何が、と考えるまでもないでしょうね。
脇腹を、斬られているのに、ボディブロー。字余り。殺意が感じられます。
そりゃぁ、気絶しますってば。
シャルティア先生にどう復讐すべきでしょうか?
それはおいおい考えていきましょう。
自分の状態をチェックします。
どんな時でも自分の状態がどこまで動くかは欠かせません。
両手は包帯、消毒の匂いが染みついています。
脇腹と右上腕部は、ガーゼを挟んで包帯が巻かれていました。
引っ張るような感覚から、どうやら縫合は済んでいるようですね。
ただ、この痛みよりも掻きむしりたくなる痛痒感は間違いなく凍傷によるものです。
傷口を凍結させなければ失血死してましたし、我慢しましょう。
「これは……、後に響きますね」
体の状況を悟った自分はぼんやりと呟きました。
しばらくは肉体強化よりも肉体回復に内源素を回さなければなりません。
肉体のパフォーマンスはかなり落ちるでしょう。ゲンコツの威力が下がるのが残念です。
これらの治療はあの女医さんがやってくれたのでしょう。
全部、適切な処理をしてくれています。
こうした医療技術を目の当たりにすると、少し複雑な気分になりますね。
内紛という戦争、誰か殺す技術が向上する裏で、同時に人を治す技術が向上するのはなんというか、当たり前のような皮肉を感じます。
「おはよう。半死人さん。動き回れたのはどんな術を使ったのかしら」
カーテンが開いて噂の女医さん(36)が呆れた顔をしていました。
「半死人って、そこまでひどい状態でした?」
「ドパドパと出るはずの動脈から老人の小便ほどの血しか出ないんだから、本当に生きているのかと疑っちゃったわ。体中、桃を指で押したような様よ」
……自分、よくそんな状態でリーングラードまでたどり着きましたね。
本当にモフモフがいなかったら不可能だったのかもしれません。
もしかしてあのモフモフ、そのことに気づいて住処から出てきたのでしょうか?
人の理解が及ばない超常の生物ですから、ね。
適当に理由をつけて納得しないと延々と悩むハメになります。モフモフに関してはまた後で、スィ・ムーラン関係と一緒に考えたほうがいいでしょう。
思索していると、ふとデザインワイシャツの胸元が開いているのに気づいて慌てて隠しました。
いや、別に胸を隠したかったわけではないですよ? 男なので隠す必要はないのですが、胸には鎖を通したアルベルヒの指輪があります。
下手したら誰かに見られた可能性があります。
……よく考えてみると自分、アルベルヒの指輪を持ったまま帝国に乗りこんでいたのですね。負けてたら、もしくは捕まっていたら身バレ&国際問題&死亡の最悪パターンだったわけです。
死ななくて良かったと本気で思いました。
自分一人で死ぬならともかく、他を、リィティカ先生やベルベールさんを巻き添えにするような真似だけはできません。
「いやん……、えっち」
「何その反応……」
女医さん(36)の眼は真冬の雪より冷たいブリザードでした。
「何をいまさら。上半身どころか全身くまなく治療したのよ。胸元のリングくらいならもう見たわよ。不思議な指輪ね。見たことない材質でできていたけど、大事なもの?」
「えぇ、まぁ、内緒にしてもらえると助かります。ある意味、形見みたいなもので」
その由来を知ったのは内紛終結後でしたがね。
あのジジイはいくつ秘密を隠しているのかと憤慨したものです。
簡単に言うと、自分の師もまたアルベルヒの指輪を持っていたということですよ。
それより色々確認しておきましょう。
「治療は一人で?」
「もちろん。助手くらい欲しかったけれど、血が足りなかったのが逆に幸いしたわ。抑えの必要がなくて」
「すごいですね。王都でも中々いない腕だと思いますよ」
「それほどでもないわ。内紛では貴方くらいの怪我、ゴロゴロしてたもの。ほとんどが死んでしまったのだから貴方は運がいいわ」
香茶を一口、含んで飲む女医さん(36)。
嘘をついている感じはありません。
この女医さん(36)のプロフィールも知っていますが、裏はクリーンなものです。
もっともほとんどの人間がクリーンな以上、探っておいて損はありません。
とまれ、今は安心しておきましょう。
考える事、知るべき事が多いのですから。
窓を見れば、枠棚に誰が生けたのか海菊の花が花瓶に入れられ、揺れていました。
「海菊ですか」
「好きなのよ、海菊。素朴で綺麗で、食べれるしね」
食べれるの!?
驚きの新事実です。
「あら、知らないの? 根は乾燥させて粉末にすれば解熱剤の材料になるわ。花は開花時に摘んで真ん中を取って茹でるの。内紛の時、お腹の足しにしかならなかったけど、香りだけは良くてね」
変な知識がまた一つ、増えたのでした。
「さて。少し休みなさい。今日は流石に授業なんてさせないでしょう。私は学園長に貴方が起きたことを伝えてくるわ。動き回らないようにね」
「まるで動き回るみたいな言い方ですね」
「それなら今すぐ、動き回りたいという顔を止めることね」
肩をすくめて女医さんは医務室を出て行きました。
一人、残されて自分はゆっくり目を閉じました。
寝るつもりではありません。
まずは反省です。
今回は迂闊な行動が多かったですね。
強行軍に綱渡り、力に任せた強引な策が多かったです。
内紛時のローブを着たまま、リィティカ先生やシャルティア先生に接触したり、アルベルヒの指輪を持ちっぱなしだったり、簡単に【キルヒア・ライン】に見つかってしまったりなど、数えればキリがありません。
ほとんど準備できなかったのが今回の失敗のキモでしたね。
どんなに強い力があっても、ちゃんとした準備をしていなければならない。
それは授業と同じ、理解していたことでした。
なのに、ちゃんとできていないのなら理解していないのと同じです。
その責任が自分の怪我だけで済むならマシでしょう。
ですが、往々にして責任は取れる者が取るのです。この場合、誰が責任を取らなければならなかったのかを考えると、頭のいたい話です。
今回は源素結晶の少なさにも肝を冷やしました。
普段から大量に用意してなかったあたりが、貴族院だけが相手だと高をくくっていた証拠です。
現在、源素結晶の在庫はゼロ。【獣の鎧】も使えません。材料込みで作るよりもベルベールさんに頼んで、何個か持ってきてもらえるようにしておきましょう。毎月、決まった量をお願いしても大丈夫だと思うのです。
間違っても切らしてしまわないようにしましょう。
それは何時でも戦えるようにするのと同じことです。
次に懸案事項の確認。
まずは今までの流れをまとめてみましょう。
帝国のアサッシンによってキャラバンに被害。マッフル君が疑われ、商売人としての信用を落とさないために犯人が必要でした。でもキャラバンは事故にしたい。事故の原因をマッフル君ら学園側にしたい。学園側は予算の都合上、事故として片付けられない。片付けたくない。
この間の落としどころは『犯人を明らかにして決着をつける』か『キャラバンの要求を限定的に飲む』でした。
犯人は一人で十分だったので帝国のアサッシンを殺したのが後から考えれば悪手でした。いや、腹が立っていたのでつい殺っちゃったのです。
前者だとシェスタさんが帝国側の協力者として刑にかけられ、キャラバン側の被害も不手際として扱われます。学園側だけが喜ぶ状態ですね。
後者だとキャラバンで被害を受けた人たちは救われますが、マッフル君たち生徒、引いては学園側の信用は落ち、予算からキャラバンへの保証という出費をしなければならなくなります。シェスタさんはこの責任を取らされるために刑にかけられ、予算は不足したままとなります。
どちらにしてもシェスタさんは処刑コースでした。
でも、ここで自分はジルさんと約束してしまいました。
シェスタさんを助けると。
どちらに進んでもシェスタさんに道はなかったのです。
ですから、自分は『全てを過不足なく補う道』を選びました。
問題を簡略化すれば、学園側とキャラバン側、損害分をどちらが支払うかで揉めているようなものです。
補う資金があれば、あとはなんとかなります。
お金の力は偉大ですね。
しかし、お金は湧いては出てきません。
かといって自分が出すわけにもいきません。お金こそありますが、そんなにポンポン出せるほどお金持ちじゃないです。
研究用だの実験用だのオシオキ用だの、欲しい素材は一杯あります。
「ないなら、他から奪ってくればいい、と考えたのが原因ですね」
単純すぎる解答ではありましたが、他に方法を思いつけませんでした。
バカ王を焚きつけてリスリア王国に支払わせるのは一番、冴えたバカな方法でしょう。
ベルベールさんの仕事が加速度的に増えたりしたら、怒られるでは済みません。
仮にも王派ですしね。実際は切れない腐れ縁が続いているだけですが。
大体、帝国がバカなことを考えなかったら、なんて考えもありました。
なので、責任者から資産を奪ってきたのですが、代わりにこの大怪我です。
実際問題、自分が苦労すれば全てが解決するという案は、案として優秀でした。
「自分が苦労して丸く収まるなら、まぁ……」
「少なくても、貴方自身の能に全て任せるという案は、案として無能としか言い様がありませんね」
学園長がドアを開いて一番、痛烈なツッコミを入れてくれました。
続くテーレさんがドアを閉め、学園長のためにイスまで用意する周到っぷりをただ眺めながら、言い訳を考えていました。
「組織というものは貴方に全てを任せるためにあるのではありません。王国という組織に属しているのなら、いつまでも十代の万能感に任せた突出だけで物事を解決するのはいただけないことくらい、わかっていますね」
言い訳は既に封殺されていました。
「すんません。イゴ、キヲツケマス」
来世までには治しておきます。
「以前にも同じことを言われたのではありませんか?」
術式具の授業の時……、シャルティア先生に痛烈に言われてましたね。
「学ばない、というよりヨシュアン先生の悪徳であり、美徳でもあるのでしょう。誰かに頼る方法を貴方なりに考えてみなさい。時間は死ぬまであります」
お説教が短く済んで幸いでした。
「もっとも、このことでシャルティア先生が角の生えた陸竜が怯えるほどピリピリしていましたので、目先の時間はあまりないようですね。ちゃんとした言い訳を考えておくことですね」
本当の説教が後に控えていたのでした。ちょーこえぇです。
角の生えた陸竜って……、出産後じゃないですか。自分でも近寄りたくない空気だすんですよ、あの竜脚類。
「さて――」
カチャリと陶器の擦れる音。
それはテーレさんが学園長と自分にお茶を出した音でした。
一含みの余韻を挟んで、また学園長が口を開きます。
「キャラバンとの会合の結末を聞きますか?」
「はい。お願いします」
「予想通り、キャラバンは事の真相を問いただしてきました」
学園長から聞いた会合の内容は静かなものでした。
ロラン商人を始めとするキャラバン側は、事がどのようなものか学園長に訪ね、学園側は『帝国による義務教育推進計画の阻止行動』だと説明したようです。
自分のお願い通り、犯人は逃走中とされ、後に王国側の警備によって捕まる予定です。もちろん、この件とは無関係の帝国のイリーガルかアサッシンが罪を着せられる予定――もう決定事項ですね。
つまり、別働隊のアサッシン涙目です。
でも、それくらい覚悟してアサッシンやってますよね? なのでコレは問題ないでしょう。人道的には……目線をそらしておきましょう。
この辺は王国に戻ったときにベルベールさんが心を読んでいるので、そのように取り計らってくれるでしょう。
アサッシンを殺したことを悪手と思った理由でもあります。
「しかし、やはり犯人不在は少々、事を収めるには不足でしたね。私たちからの妥協もやむなしでした。これはヨシュアン先生、貴方が成功することを前提とした空手形ですよ?」
「成功率はどれくらいだと思っていました?」
「必ず仕事は終わらせてくると思っていましたよ。生死に関しては別ですが」
「ちなみにおいくらで?」
「詮のない話です。海菊の花弁を数える人がいないように」
海菊の花弁って……、5枚くらいしかないんですけど。
5割ですか? それとも5%ってことですか? それってどういう意味でしょう?
ある意味、すごい信用を見た気がします。
「これでまた、ヨシュアン先生がどれほどのものかを測ることもできました。さすがは【戦略級】。また無茶なことをする場合は今回のようにちゃんと報告してもらえると助かりますね。もっとも次からは計画報告書を提出してもらいます」
これは遠回りにもう無茶な行動をするなってことでしょうか。
「あぁ、そうでした。ヨシュアン先生が苦労して奪取した刻術武器でしたが……」
「損失分に足りませんでしたか?」
「いいえ。冷蔵竜車が三台買えると大喜びでしたよ」
……はい?
冷蔵竜車って、竜車の数倍の金額ですよね? 個人で保有できないくらいで、商会しか扱いがない高級品が三つ?
「学園では刻術武器をすぐに換金できるほどの金銭もなかったので、結局、物品支払いの形になりました。純粋に学園内の貨幣が足りなかったのも理由でしょう。もちろんリーングラードに竜車三台分の価値があるものはそう多くないうえに替えが効かないものばかりでしたので、結局、刻術武器を渡すことになりました。多額のお釣りを支払うことになりましたね。ヨシュアン先生」
「……ソウデスカ」
あの刻術武器、ものすごい金額じゃないですか!
つい顔を覆ってしまいました。
生命を懸けたものに価値があって良かったかもしれませんが、他人に渡すとなると話は別ですよ。
もったいない、もったいない、もったいないお化けです。
「是が非でもお釣りをもらってくださいよ、それくらいだったら予算の穴だって一部くらいは防げたじゃないですか、代用品だとしてもそれほどの金額なら奪いたい放題ですよ」
「キャラバンの強化に当てる金額も含めているのです。わがままは控えなさい」
怒られたし。
「もちろん、金額分のわがままは聞いてもらっていますので安心しなさい」
どうしよう。
素直に喜べない自分がいます。
この人のわがままって、なんですか? 暗黒色の何かが渦巻いている気がします。
「そして、最後に――ヨシュアン先生が守った冒険者シェスタ・ジェンカですが」
「はぁ……」
守る気なんてなかったですけどね。
ジルさんの漢気に思うところがなかったわけでもないですし、シェスタさんの弱気に腹が立ったというのは本当です。
マッフル君の信用を守っておいて、他の人の、ましてや学園関係者の信用を落としましたじゃ、座りが悪いじゃないですか。
「しばらくは冒険者たちの宿舎で安静、身体が良くなったのを期に学園の事務員として働いてもらいます。もちろん、警備の仕事よりも給金を下げ、竜車三台分の賃金を返金してもらう予定ですね。当然、ヨシュアン先生が推薦したのですから保証人はヨシュアン先生です」
身内に爆弾を抱えてしまった!
どこまで続くんですか、この自分のありえない責務!
身から出た錆と言いたいのですか? そのまんまじゃないですか!
「おや、ノックマッチみたいな顔になってしまいましたね。まだ身体が十分、休まっていないようなので私はお暇しましょう。なお、明日からちゃんと教壇に立ってもらいますからね」
「……はい」
「最後に一つ……、無事に帰ってきて喜ばしいことです」
こうして学園長は去っていきました。
涙が流れないように空を見よう。
天井はただ白くて狭いだけでした。
学園長が去った後、なんか色々と白くなっていたのですが、ドタドタと慌てて走ってくる音が廊下から響いてきます。
まだ、何かあるのでしょうか。
もう、いい加減にしてもらいたいものです。




