神話級モフモフ
傾いた三角をしたユーグニスタニア大陸。
北を支配するユーグニスタニア法国。東を支配するグラナベルト帝国。そして西を支配するリスリア王国。
それぞれの国境を形にするなら、ちょうどTの字でしょうね。
この国境という膨大な距離に全ての建物や人員が詰まっているわけではありません。
当然、薄い場所というのは存在しています。
薄くせざるをえない理由は、地形であったり、魔獣ひしめく森だったり、様々です。ともかく人が容易に踏み入れられない場所は抜け道としても使われます。
こんな場所を通るくらいなら、荷物に紛れて国境を越えたほうがまだ生存確率が高いですね。
こういった場所は必然、警備する必要がない場所になります。
人員も資産も限られているのですから。
自分からすれば好都合です。
自分はこの薄い部分を狙って飛び続けました。
ちょうどファーバート領から北西、Tの字の交差点より少し下の部分です。
ここはずっと霧がかかった森が広がっている場所でして、普通に入れば磁石が効かない、視界が悪い、お腹のすいた原生生物がハッスルしている、魔獣が群れているなどの理由から冒険者たちの自殺の名所でもあります。
でも、どれだけ危険度が高くとも空中機動中の自分には関係ないわけです。
大体、術式で空を飛ぼうなんて考える輩はいませんしね。
自分だって天上大陸に行こうと思わなかったら、もっと地に足がついた術式を開発しています。
つまり、ここは帰り道の候補の一つでもありました。
「そう思っていた時期も、ありましたね……」
女神の汁による元気があっても半死半生。
マトモな手当もせず、応急手当すらせず、それどころか血液を凍らせるという暴挙は容赦なく体力を奪っていくというにも関わらず、強行軍。
後ろから怖い鬼騎士が剣撃を飛ばすという、訳のわからない攻撃にさらされながらのチキンレース。
平時なら音速を超える速さだった【ウルクリウスの翼】の速度は半分近くまで落ちていました。高度を維持するだけで精一杯。
今の状態で国境警備隊が待ち構える【旭日橋】を抜けるのは不可能でしょう。
ついでにいうと、もう国境はイヤです。
なので算段通りに森の上空を飛び続けました。
その途中まで鬼騎士オルナの追跡が続きましたが、さすがに危険と判断したのでしょうか?
追ってくる気配はありません。
いや、それ以上にそんな危ない森の近くに展開している騎士団がチラリと見えたのも理由ではないでしょうか。
もしも本当に騎士団がここまで出張ってきているのなら、騎士オルナも迂闊に追い続けるわけにもいかないでしょう。
月が頂点に輝く、この時刻。
さすがに疲労と痛みで限界を感じた自分は、森のど真ん中で休憩を入れました。
ちゃんと手当しなければと思い、手頃な大木の幹を見つけてその上にゆっくり降り立ちました。
自分が居座っている幹の真下では健気に唸り声を上げている真っ黒な狼が数十匹いました。
その全て、自分の内源素と血液に惹かれて集まってきた魔獣です。
「……ちょー、こえぇです」
落ちたらもれなく美味しくいただかれます。
足元で晩餐を期待している魔獣は放置して、ともかく腰のポーチに入っていた応急キットで手当するまではよかったんです。
最後の女神の汁も飲みきって、さぁ、こんな森からオサラバですよ、と術式を使おうとしたら、目の前にぬらぬらと濡れた黒い物体がいました。
それはヒクヒクと動き、徐々に視線をあげると真っ白な毛皮に覆われた瞳とぶつかりました。
『久しい――』
さて問題です。
魔獣が登ってこれないほど高い位置に居る自分と目線を合わせられる生物とはなんでしょう。
答えはわかりません。
『久しい出会いの予感があり、こうして出てきてみれば、また傷を負っているようだな』
「あー、まぁ、以前もそうでしたね」
白い巨大な狼は獰猛そうな牙を覗かせていました。
「モフモフも元気そうで何よりです」
『その名を呼ぶ者も久しい限りだ』
モフモフ。
ある人が名づけた存在です。
どんな存在かというと大きな狼としか言い様がなく、こうして人の言葉を介して意思疎通もできます。
おそらく【神話級】原生生物であり、内紛時代、迷い込んだ森で出会った旧知でもあります。
長毛種なのかモップみたいな毛並みに抱きつきたくなる衝動を抑えるのが、モフモフとの会話で我慢するポイントです。
「どうしてこんな森の中に? 貴方の住処は南でしょうに」
足元でワンワンと吠えていた魔獣がいつの間にか死んでいました。
うわぁ……、自分に気づかれる間もなく、瞬殺ですか。
モフモフと呼ばれるだけあります。
モフモフは魔獣なんか気にしないのか、じっと自分だけを見ています。
自分の頭ほどある目玉って怖いです。
『森は繋がっている。木や花に境界はない』
最近、森は魔窟なんじゃないかと思っています。
『風に繋ぎ目がないように森は一つだ』
「自由すぎるでしょう。もっと地形とか地理を意識してください」
森の中なら限定的に瞬間移動できるとか、完全に【神話級】術式じゃないですか。
驚きはしないのですが、術式師の身からすると自重してほしいですね。
『父祖たる大狼曰く、セカイはコであり、様々な旅人を介して新たなコを作り、やがてはまた一つのコに戻る』
む。コ? 個なのか子なのか、それとも蠱?
今ひとつ、よくわかりません。
コという単語はわかっても、コに繋がる意味が多すぎて理解しきれない。
そんな感触がある言葉でした。
『なのでモフモフがここにいることは不思議ではない』
「そうですか」
不思議な生き物に理解を求めたのがそもそもの間違いでした。
正直、本調子でも理解できません。
『名付け人たるつがいは元気か?』
それには答えられませんでした。
察しのいいモフモフは言葉がないことを理解したようです。
『何故だ?』
「自分と時代のせいです」
『そうか。だが子が居るならまだ良かったと言える』
は? この不思議狼、喧嘩売ってるんでしょうか?
どうして自分に子供がいると思ったのでしょうか。
それと、さっきのコはちゃんと子という言葉に聞こえました。
『? それだけ気が立っているのは怪我だけが原因ではないように見える。複数の子の匂いがするぞ』
もしかして、生徒のことを指しているのでしょうか。
「いや、いやいやいや、何いきなり言い始めてんだこのなんちゃって狼。アレは生徒です。子供ではありません」
『育てているのなら子だろう』
森で過ごしてきた狼と人の価値観が噛み合うはずがなかったのでした。
「何の用か知りませんが、朝までにリーングラードに帰らないといけないので――」
『リーングラード!』
その瞬間、途方もない遠吠えが空気を震わせました。
自分がとっさに張った防御すらぶち壊すほどの威力。木に貼り付けられながらも、必死でこのテロ狼をにらみました。
『何用か! あのリーングラード、災いの地に如何なる用があろうか!』
うぇ? 災いの地?
「リーングラードが災いの地?」
澄んだ瞳が戸惑いで揺れていました。
一体、なんの旗を建築したんでしょうか、このクソ狼。
『旅人ならば致し方なしか。彼方の守人には出会ったか?』
「え? さぁ?」
できれば、そういう話はまた今度にしてもらいたいのですが。
『……血を失いすぎて思考も定まっていないようだ。これだと多くを聞くのは無理か』
徐々にですが、モフモフが左右に揺れていました。
あれ? もしかしてこれは、揺れてるの、自分ですか?
『――仕方あるまい』
――その記憶を最後に自分の意識は黒く塗りつぶされてしまいました。
どうやら、疲労と怪我と術式の酷使で、体はもうガタガタだったようです。最後の一押しは間違いなくモフモフです。
しかし、トドメを刺されていなくても、下手をすれば飛んでいる時に意識を失っていたかもしれません。
ある意味、モフモフと出会えたのは運が良かったのかもしれません。
まぁ、ここからが不思議なお話です。
気絶するように眠り、起きた時にはもう朝日が昇っていました。
「ぎゃーす!」
叫び、立ち上がり、血の気がなかったことに気づいて立ちくらみ。
ついでに痛みで地面に悶えるという工程を経て、ようやく不思議な事に気付きました。
霧がないのです。
霧の森は常に霧に覆われているから霧の森なのであって、霧がなかったら霧の森とは言いません……、キリキリ言いすぎです自分。トートロジーとゲシュタルト崩壊はセットじゃないとダメなのでしょうか。
「――しかし、もうキャラバンが帰ってしまうぞ。なのに資金は最終日まで出さないとは。学園長は一体、何を待っている……か、なんて言わなくてもわかるか」
「ヨシュアン先生ぇ、結局ぅ、帰ってきませんでしたねぇ……」
視界は至って良好。
木漏れ日すらくっきりと地面に浮かんでいます。
それどころか人の話声まで――え?
「一昨日の冷え込んだ日からぁずっと見ないなんてぇ……、何かあったんですかねぇ」
「アレのことだ。くたばってもくたばりきらんだろうさ」
「シャルティア先生ぇ! 不謹慎ですぅ」
「はいはい。これで遅刻でもしたら容赦なく給料を差っ引くから安心しろ」
「シェルティア先生ぇ……」
こ、この慈母のごとく寛容かつ他者への気遣いを決して忘れない、聞く者の心根を震わせる麗しの美声は!
声のする方向へと茂みをかき分け、光と共に森を抜けると驚愕の顔をした二人の女性と出会いました。
「ヨシュアン……、先生ぇ?」
「……リィティカ先生?」
「おい、ヨシュアン。私は無視か。私を無視すると凹むぞ」
うわ、なんでですか?
どうして霧の森にリィティカ先生とシャルティア先生が?
しかも、まるでこれから学び舎へと出勤するかのように教師服じゃないですか。
「どうしてこんなところにリィティカ先生が! ここは危険ですよ!」
あまりのことにリィティカ先生の手を取って見つめ合いました。
朝だというのに、この瑞々しい頬の張りは十代そのものじゃないですか。どんなスキンケアしてるんですか、美しい。
たじたじなのがまた愛らしいですね。
それに、うん。柔らかいです。
これだけでなんか癒されます。
ハッ!? つまりリィティカ先生は之全身、癒しの塊? なんという聖女。
「危険なのはお前だ!」
後頭部に衝撃が走りました。
シャルティア先生から、教科書による容赦のない一撃を食らわされたようです。いてぇです。
「朝から婦女子に襲いかかるとは何を考えている! そんなだからお前はヨシュアンなんだ! わかっているのか!」
意味がわからない上に傷口が開きましたよ、ちくしょう……。
「一体、何をしていたかは知らないが帰ってきて早々、騒がしいにも程があるぞ。さて、色々と聞きたいことがあるのだが、その前に」
よくわからない事態ですが、ここに二人が居る以上、ここはリーングラードなのでしょう。
確かにリスリア王国領に入ったのはわかっています。
しかし、そこからリーングラードまでは音速飛行でも、日が昇るかどうかの距離があります。
この距離を一夜の内に移動した者は……、考えるまでもありません。
おそらくモフモフなのでしょう。
モフモフがなんの都合で自分をリーングラードに連れ帰ったのかは知りませんが、答えを考えているヒマはありません。
「キャラバンは!」
「まずは医務室だ。リィティカ、このバカ、大怪我しているぞ」
「いえいえいえいえ、そんなこと言ってる場合じゃないですよ、早くコレを。まだキャラバンは出てないですよね?」
帝国製の刻術武器を鞘ごと取り出して、シャルティア先生に見せます。
リィティカ先生も青ざめながら、自分のローブを引っペがしてくれます……、大胆ですね。
「この刻術武器を持って、フンディング領のエドウィン・フンディングに売れば、キャラバン側の損失はカバーできるはずです。自分の名前を出せばなんとか通るはずです」
「わかったわかった。わかったから」
シャルティア先生から放たれた、ねじりこむようなボディブローを避けようとして、避けきれませんでした。リィティカ先生がすぐ近くにいる以上、迂闊な行動は出来なかったのです。
殴打音と共に、一気に体中から血が溢れました。
「眠るか死ぬかどちらかにしろ! この武器は私が学園長に通しておく」
あー……、また意識が。
リィティカ先生の必死の叫び声を聞きながら意識を失うとか……、まるで天国に誘われているかのようです。
もちろん天国についたら神とガチンコ勝負ですね。ぶん殴ってやります。
謎は多いですが、どうやら自分は無事にリーングラードに着いたようです。
事の思索を考えることもできず、また意識は遠のくのでした。




