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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二章
122/374

花踏む人の名を問えば

 その一閃は空気を切り裂き、遠くの雲まで真っ二つにするほどの威力と射程超過の能を持ち――動きは熟練者、そのもの。


 何千何万回と振り続けた剣を紙一重で避け、もはや指先まで染み付いたであろう構えから来る不可避の屋根落とし――上段斬りを両の手のひらで挟みこむことで受け止め、即座に距離を取るために放った反撃の蹴りは持ち手で受け止められお互いが弾かれました。


 こうしてまた、仕切り直しが始まります。


 自分と【キルヒア・ライン】の騎士オルナは、こうして何度もせめぎ合っていました。


 上下左右、全てが移動のための位置となりえる空中戦。


 術式で空気を固めた足場を作り、爆発させることで移動手段とする自分。

 重力に対して、反制動をかけることで足場という名の力場を生み出す騎士オルナ。


 術式が破壊される度に空中で花火のように波動が広がり、空気にぶちまける空間。

 その一つ、一つが抗術式力の弱い者なら卒倒する影響力を持ちます。


 正直……、心臓に悪いです、ここ。


 それでもお互い、せめぎ合うたびに高度は下がりつつありました。


「神の名の下に名も名乗れない罪人が、よくよくやるな」

「そいつはどうも……、帰っていいか?」

「罪人を斬るのは騎士の務めだ。帰すわけにはいかないな」

「それは処刑人の仕事だ。騎士なら捕縛しろ」

「我らに罪なし。ゆえに不備はない」


 ルーカンの名の下に決闘を挑まれる時、様々なルールがあります。


 ルールの中には決してやってはいけないものがあり、自分はその禁忌を犯しています。

 それは最初の宣言の時、名乗らないことです。


 これができない者は神に後暗い行為を犯したことがあり、その多くは罪深いことから罪人呼ばわりされます。

 そのうえ、決闘に負けた時に裁判すら行われずに罪人認定を受けます。その場で殺されることもあります。

 決闘に勝ったとしても、罪人に名誉なしとされ、勝ったことにもならないのです。


 名乗らないと勝っても負けても、損をする。

 社会的にも通俗的にも通用する損です。


 具体的には多くの店を出禁にされたり、公に知られるようになれば市民権が最下層まで落ちたりします。

 もっとも気にしない人は気にしないのですし、自分のように正体不明、所属不明となれば追求されたりしません。


 そういうシステムです。


 名を売る、つまりは公明正大であることを条件に『この相手に勝った』と言いふらすことができる権利ももらえるわけです。


 そして、その権利は世間に置いて、高額取得者――お金持ちになるための必須条件でもあります。

 絶対条件でないことが救いですね。


「罪人ね……、何を罪とする?」

「決まっている! 我ら騎士が誉れの帝国の律法こそが正義であり、従順と規律に外れる輩は須らく悪! 貴族の館を襲うなどという不遜極まりない所業を許すつもりはない!」

「単調な二元論をありがとう」


 そんな答えじゃ、ヨシュアンクラスだと零点ですよ。

 リリーナ君でもマトモな答えを返してくれますよ、こっちの用意した答えよりナナメ上な発想で。


 右手にベルガ・リューム・プリム。左手にアント・リオ・フラムの術式をそれぞれ発動させます。

 攻撃の予兆よりも速く、騎士オルナが動きました。


 やはり、騎士オルナは六色すべてを見る『眼』を持っていますね。

 何よりも恐ろしいのはこの速度。


 一拍も待たずに自分との距離を詰める剣技と身体能力に舌を巻きます。


 もっとも、だからこそ罠にかけやすい。

 強化型の風圧弾と氷の粒を降らせる術式を【源素融合】によって混ぜ合わせ、自分の目の前に円形状の風と氷が渦巻く素敵空間を実現します。


 あまりに速すぎると中々に止まれませんからね。

 渦巻く術式にズタズタにされるといい……、と、簡単にいけば自分もこんなに苦戦しません。


 騎士オルナが自分ではなく術式を一閃すると、あっという間に術式の陣が切り裂かれて、術式は霧散していきます。


 この、術陣を斬る性能、やべぇです。

 その応用範囲よりも、どんな術式にも対応してしまう辺が恐怖です。


 【獣の鎧】で肉体を強化しようが何しようが関係なく、物理結界すら貫いて、肉を裂き、骨を断たれますからね。


 術式を斬る剣ですか。

 隕鉄製の剣の中でも地味に厄介です。

 射程超過による見た目以上のリーチも勘弁してほしいところです。


「諦めろ! 直に本隊が到着する。そうなればもう逃げられないぞ」

「怖い話だ。本隊が到着する前にお暇させてもらおう」


 自分の首筋に迫る線を上体をのけぞって避けます。

 その制動を利用して足蹴をします。


「―――ッ!」


 ほぼ運任せのカウンターだったのですが、見事に兜に当たったようです。

 空中に投げ出される兜よりも、その素顔に納得と驚きを感じました。


 確かに噂は聞いてましたけど、さ。


「まさか、ここで出てくるとはな」


 あの噂の女騎士さんです。


 本来は長いであろう髪をアップにして巻きつけて整えた髪型。

 黒く――漆黒のような艶やかな黒髪。


 切れ長の眼は戦意に満ち満ちていて、説得に応じないだろうこともわかります。


「ふんッ! 私が女でおかしいか」

「いいえ。いいんじゃないでしょうか」

「何故、急に敬語になった」

「そんなことありませんよオルナさん」


 バカにされたとでも思ったのでしょうか?

 ものすごく睨まれてしまいました。


 そう。兜が取れた騎士オルナは女性でした。

 いや、オルナって名前の時点で女っぽいな、とか思っていましたけど。


「男は皆、私を見てそういう。含むところがあるならハッキリ言えばいい!」

「いえ、だから、聞いてませんし言うつもりもないし興味ないです」


 貴方のようなタイプは自分の好みから、もっとも遠いですからね。

 メルサラみたいに気が強いのは御免です。


「貴方が最悪の敵であることに変わりない」

「……皮肉なものだ」


 皮肉、ね?

 味方は認めてくれなくて、敵だけが認めてくれるとかそういうのですか?

 そういうのは教師であっても答えてやれません。自分で解決してもらいたいところです。


 呟きは上空の風にかき消されてはいても、唇の動きでわかります。

 女性が騎士になると大変なんですね。


 一昔前は教師になるだけでも大変だったというのに。


「仕切り直しといきますか」


 数種類の術式を発動寸前までストックして、構えます。

 相手もこっちが気を入れ直したのに察して、剣を握り直しました。


 こっちは【赤の獣の鎧】を使っているにも関わらずに、その動きが残像ほどにしか見えません。


 スピードと的確な防御性能、正確な剣技で相手を追い詰めるタイプの剣士をソードストライカーといい、それはクリスティーナ君と同じ形の剣と言えるでしょう。

 クリスティーナ君のアレは盾を持たない回避型ですけどね。


 しかし、騎士オルナはクリスティーナ君の完全な上位互換。

 同じく盾を持たないソードストライカーでありながら、フェンサーとも違う形。

 上位の術式も余裕でこなし、近接させれば触れさせない当たらない、でも向こうはやりたい放題の剣技でこっちを追い詰めてくる、全局面に対応したソードストライカー。


 マルチプルリッターやオールラウンダーと呼ばれるようになります。


 こうなると手がつけられません。

 全域を縦横無尽に駆け回るからです。


 自分がかろうじて避けられている理由は、適度に距離を保っているからです。

 さすがに本職の騎士と【支配戦】をすると押し負けます。【支配域】を広げて、少しでも反応察知のほうに頭を使わないと、首と胴がサヨナラしますよ。


 相手もそれがわかっているから、接近したら離れてくれません。

 女性に迫られているのに全く嬉しくもなんともないとは……、好みの差ってすごいと思います。もっとも剣さえ持ってなければ、やんわり断れるのに。


 一閃、二閃と白銀の線が瞬くたびにローブのどこかしらが斬られていきます。

 薄く肌に届いているものやこちらが回避不可能な瞬間に必ず剣が届いてくる。


 こっちの術式は斬られるか、防御結界で適切に対処されています。


 強ぇです。

 こんなことなら【愚剣】を持ってくるべきでした……、でも、アレはアレで制限があるわけで。


 今回のようなケースでは使えません。


 マトモにやりあえば勝てません。これは絶対です。

 今の自分との相性が悪すぎる。


 加えて【断凍台】で源素の消費を抑えてはいますが、【ザ・プール】の弱点が思いっきり響いています。


 『眼』持ちが相手だと、【ザ・プール】によって使用する源素が生まれてくるために、術式の属性を相手に教えてしまうのです。

 そうなると簡単に防御結界を張られて、こっちの術式が通用しなくなる。


 六色結晶も限りがあり、リーングラードに帰る分は残しておかなければなりません。

 それもこの攻防で心許なくなってきました。


 このまま戦い続ければ、確実に六色結晶が足りなくなります。

 明日の朝までにリーングラードに帰れないのは、まずいのです。


 キャラバンが帰ってしまうのが明日の朝ですからね。

 それまでにロラン商人に奪った刻術武器を渡しておかなければ損害分を予算から出すハメに。


 しかし、目の前の壁はあんまりにも高すぎるわけです。


 あれ? 詰んでいる?


 高度も下がってきて、『常に相手の上側をキープしている』のも厳しくなってきましたし、そろそろどうにかしないとマズいのです。

 

 さて、考えどころです。


 というか、既に答えは出てしまっているので、後はタイミングさえあればなんとかなります。


「騎士オルナ。問おう」


 なるべく相手の剣を下から出させるように自分は、一段、高く足場を作ります。

 決して騎士オルナより身長が低いことを気にしているわけではないですからね?


 ただ、隙をつくる。


 そのためだけに【獣の鎧】の出力を全力まで引き上げます。

 パキパキと何かが折れる音が腰のポーチから聞こえ、全力の出力に耐えられなくなりつつある自分の体からもギリギリと絞るような音が聞こえます。


 源素結晶はギリギリ帰れる量だけでいいのです。


 目が血走り、鼻の血管がブチ切れて血を垂れ流すほどの出力。


 その一瞬だけ、騎士オルナの領域に近づく。


「自壊寸前まで術式を!」


 リューム・ウォルルムによる追加術式を発動。動体視力の限界をこえて騎士オルナに接近、蹴り、途中で止める。フェイント。空気をブチ破る音がする。

 そのままカカト落とし。だけど、騎士オルナもまた脳天を割ろうとするカカトに対応し、剣の柄で受け止める。


 もはや肉体が奏でるような音ではない、金属の音色。


 騎士オルナがカカトの重さに耐えるように歯を食いしばる。

 自分は騎士オルナのガードを壊す勢いで力を込める。


 不意にガードを破ったように手応えがなくなる。

 しかし、それは騎士オルナがあえて力を抜いて身を引き、体を横にひねることでカカトを寸前で避ける。同時に少し上昇。避けた動きがそのまま攻撃へと繋がるようにと返す刀が来ます。


 横倒しの剣。狙いは首元。

 しかし、分かればどうということではない。

 すぐさま左の肩を下げて右の腕諸共、拳を掬い上げる。


 スィングされる剣の腹を殴るという暴挙。

 拳が剣との摩擦と衝撃で血を流し、痛めたとしてもアッパーカットをしなければ死ぬ。

 術式は解除されない。思ったとおり、術式を斬る性能は刃先にしかない。


 下からの剣を更に下から軌道を逸らす。一歩間違えば首の動脈を持っていかれるイカレた行為。

 成功すれば、ただの命拾い。


 剣は軌道をズラして頬をかすめていく。

 お互いの体が空中で錐揉みする中、急制止。お互いを見る。


 次いでまた、命綱のないダンスが始まる。


 一閃、回避する。二閃、隙を見逃さない。三閃、決定的な隙に蹴りをねじこむ。四閃、肩から右腕にかけて斬られる。五閃、血飛沫をぶち壊しながら殴る。六閃、避ける。七閃、見送る。八閃、殴る。九閃、脇腹を掠める――


 ――殴打音と金属音が重なり合う。

 

 ――血飛沫が空を舞う。


 ――ぶん殴る!


 ――斬られた!


 ――術。


 ――。


 そして限界です。


 ローブで体を隠してもわかるくらいの血が全身から吹き出す。

 それに伴い落下する体を自分はどこか他人事のように考えています。


 地面にぶつかり、肺の空気が絞り出されても苦しいとさえ思いませんでした。


 ただ血の匂いに紛れて、花のような香りがすることでここがどこかの花畑だとわかります。


 うっすらと瞳を開けば、自分の血で汚れた白い花々が見えます。


 海菊の花。


 どこにでも咲いていて、そのくせ場所を選びたがる外来からの花。


 小さく首を動かすと自分の周囲の海菊の花に点々と赤い斑点がついているのを確認できました。

 まだフードで顔を隠せているのが奇跡のような出来事でした。


 その視界に薄白銀の刃が突きつけられる。


 騎士オルナ。


 その目が訴え掛ける。


「どうしてそこまでやる? 理解不能だ」


 と、理解できない者を見る顔で見てきます。

 決まっています、そんなこと。


「騎士オルナ。問おう」


 もしかしたら、この瞬間のために生きてきたからですよ。

 教師だの【タクティクス・ブロンド】なんて関係なく、自分が貴族に憎悪を抱いた瞬間から終えることだけを考え、もう復讐なんて果たせない、そんな意気地なんて自分にはないと悟った時から、こうして誰かに殺されることだけを夢に見ました。


 それは誰でも良かったのかもしれません。


 ただ自分が終われるなら、それで――


「海菊の花に価値を問うか?」


 ――それで良かったのに。


「何を言っている」


 騎士オルナが不思議そうな顔をしたのは一瞬だけでした。


「花踏む人がいるのなら、説いて諭そう」


 すぐに決して油断しない様で自分を見て応えます。


 それは騎士としての矜持、敵だった自分への労わりとしてですか?

 何にせよ、答えられると思ったからでしょう。


 憎しみも同じなんです。


「なおも踏むなら剣で応えよう」


 誰かの腕を折るとき、必ずそこに憎しみがあります。

 一目見てわかるほどの大きさのもの、小さすぎて気づかないほどの小さなもの。


 腕を折るという結果がわかって行えば、能動的か受動的かは関係ないのです。

 人は人を憎めるからこそ、暴力によって花のように根付いてしまう。


 それはシンプルで当たり前の理。


 答えを返すくらい容易く、密やかに当たり前のように。


 今頃になってポタポタと空から血が落ちてきました。


 それは空中で自分が流した血です。


「それが聞きたかったことか?」


 そんな心のまま、生き続けるのはイヤだったわけです。

 芽は取りきっていない。終わっていないのに終わってしまったまま、憎しみの芽を生やして生き続けるのが。


 だからこそ、何時でも死んでいいと思っていました。


「――点です」

「何?」


 しかし、あの日。

 

 あの騒々しい女の子たちを生徒だと思った時から――


「零点です。それじゃぁ不合格ですね」

「そうか」


 薄白銀の剣が大きく振り落とされる。

 それは白い花の畑を赤く染めるのに十分な速さと切れ味でした。



 ――馬鹿げたことに。

 この子たちが育ち巣立つまで、生きていたいと思ってしまったのです。


 いつの間にか憎しみの芽を覆うように、生きていたいと。

 どこかに咲く海菊のように。


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