帝国行きの列車はあと三時間です
「陛下。失礼する」
のっそりと小さなドアから大きな男性が姿を現しました。
正確に言うとドア自体、そこらにある規格で作られた普通のドアです。
リスリア人の感覚で作られているので自分からすれば少し大きいですが、高価な木材でできていることを除けば、まぁ、普通のドアだったと思います。
ただ、その大男が顔を出せば話は違います。
相対的に小さく見えてしまうんですよね。
何せ、男性の背は自分が見上げなければならないくらい高いですから。
「騒ぎがあったようだが……む!」
大柄な男性は白い金属で出来た威厳のある防具で全身を硬め、頭だけはヘルムを被らず素肌を晒しています。
40、50、正確な歳は知りません。焦げ蒸した肌色に壮健な眉雪を誇示した彼は自分を見るなり、長剣に見えるような大剣を自分に突きつけてきました。
「フード、胸元のアルベルヒの指輪……、死んでおらんかったか【輝く青銅】。王の執室に礼儀も知らず侵入してきたとは、例え王の剣だとしても看過できるものではないと知れ!」
朗々と渋い声が執務室に鳴り響きます。
「あぁ、元帥殿。壮健で何より」
本当に久しぶりに顔を見ましたよ。
ディンケル・ベルリヒンゲン老。
リスリア王国軍務総括、軍団長を務める大物です。
貴族が持つそれぞれの中小の騎士団をまとめる王立騎士団。
その騎士団とは別に軍務関係を総括する部署があり、その部署が持つ『個別の騎士団』を軍と呼んでいます。
そこの大将というか、一番、上に立っている人ですね。
元帥殿、と呼んでいますが、リスリア王国に元帥はいません。
いるとすれば、それはそこ、目の前で場の流れを何も考えずにボケーっとしているバカ王のことです。
バカ王の持つ利権の一つを元帥と言い換えるべきでしょうか?
ともあれ、この人が軍のトップ。なので元帥殿と呼んであげてます。
リスリア王国の派閥の一つ、『軍閥』の長なのです。
「小僧ども、下がっとれ。少々、灸をすえるのでな」
リスリアの武と言われるクライヴさんの師匠なので、かなり強く、若い頃は【タクティクス・ブロンド】と互角の勝負をしたと聞きます。
その伝説は近衛も聞き及んでいるので、近衛たちの顔色も良くなってきてますね。現金な。
「お気を付けて! ベルリヒンゲン軍団長!」
なんか戦地に送り出すような台詞と共に近衛たちがドアの向こう側へと消えていきます。
……それでいいのか近衛たち。
しかし、足手まといなのも事実なわけで。
でも勘違いしてはいけません。
近衛たちは通常騎士たちよりもエリートで構成されています。
全員が全員、ピンキリではありますが戦術騎士レベル……、単騎で戦術を支える騎士相当です。それは指揮力や作戦立案能力などの分野にも及び、純粋な腕前という面でもジルさんや帝国のアサッシンよりも強いのです。
まぁ、強いからと言って単純に自分が制圧できたら苦労しないわけで。
そうと思わせるネームバリューや態度というのも駆け引きには大事なのです。
それこそお芝居のように、ね。
ともあれ足手まといの観客たちは出て行ってくれました。
どうせドアの前で抜刀状態のまま待機してるのでしょうし、ありがたく放置しておきますか。
「ぬぅぇあーい!!」
凄まじい速度で振り下ろされる大剣。
気合の言葉も独特すぎて、感想も抱けません。
自分は迫り来る大剣を避けもせず、ただ見ていました。
「ほぅ……」
どうせ止まると思っていましたから。
ベルリヒンゲン老はイタズラが成功したような笑みを浮かべたまま、大剣を収めました。
「何故、剣を止めるとわかった?」
「王が自分の身分を明かした後で、その客分に剣を向けることは王命に背き、王の威厳と権威を損なうことと同義です。だからこそ近衛たちは剣を抜いて構えていただけでした。自分に攻撃された場合、生き残るためです。そんな基本的なこと、元帥殿がするわけないじゃないですか」
「儂の性格を知っておろう? 王の客だろうが斬り捨てるぞい」
何それ、怖いです。
「むしろ制裁を加えるという名目で近衛たちを追い払ったというのなら攻撃する必要もありませんしね。同じ護国の要、元帥殿に置かれましては迂闊な真似もできますまい」
「ぬかしよる!」
しかし、正解だったのでしょう。
ベルリヒンゲン老の呵々と笑う姿が答えだったようです。
「いい加減、室内でフードを取ったらどうだ。ハゲるぞい」
「余計なお世話です」
と、言いながらも自分はフードを脱ぎます。
顔を隠す必要がないからです。
ベルリヒンゲン老は自分たちの事情を知っている数少ない一人です。
強い武人でありながら、理に聡く、個ではなく国に忠誠を誓う筋金入りの愛国者、豪快ながらも繊細な気遣いができる先達なのですから、ここは味方にしておいても良いだろう、という判断の元、内紛時代から協力してもらっています。
先王時代から国に仕え続け、貴族の横行にも負けなかった古強者――味方だとこれほど心強い人はいないでしょうね。
「孫が会いたがっていたぞ。顔を合わせるたびに言われるのでな。『兄ちゃんはまだかー』となぁ。ジジイ、ちょっとジェラシー」
「急にカワイコぶらないでもらえません? 似合ってないうえに反応に困ります」
ジジバカなのが珠に傷です。
「『軍閥』の意向やらお孫さんの様子やら、色々と聞きたいことはありますが今、一番聞きたいものはコレです」
布袋を掲げて見せると、すぐにベルリヒンゲン老は武人の顔をし始めました。
「帝国のアサッシンです。リーングラードに入りこんでいました」
ようやく、仕事の話ができる空気になりましたね。
近衛たちが入ってきた時はどうしようかと思いました。
いえ、入ってくるのが当たり前なんですよ。でも邪魔です。急いでるのです。
しかし、こういう時こそ頑張り出すバカが居たりするんですよ。
「俺、置いてけぼりじゃね? せーつーめーいーだ! 俺は今、猛烈に説明を欲してるぞ。ベルリヒンゲンも説法なら後にしろよ、俺が聞くターン、略して俺のターンだ!」
『の』が入っていないのに略して『俺のターン』ってどういうことなのでしょうか?
きっと理屈じゃないんでしょうね、死ねばいいのに。
「元帥殿に話があるんだ。黙って政務に励んでろバカ王」
「騒動持ってきた本人が言うか? そういやお土産に生首とか言ってたな。そりゃぁリーングラードで流行ってんのか? なんだ、お前、どこぞの生首持ち寄って『これは良い生首ですな!』『鮮度が違うのですよ!』とか言い合うのか? バカじゃね?」
無言で立ち上がって、そのままアイアンクローしようと思ったら腕を掴まれました。
単純な理由によって拮抗状態にもつれ込みました。
クソ、純粋な膂力はバカ王のほうが上で、自分は疲労しています。術式を使えばその限りではありませんが、このあとのことを考えると無駄な術式は使わないほうがいいでしょう。
「ふははー! ぬるい! ぬるすぎる! 指がプルプル震えてんなー! 今までの不敬とか俺を敬わないところとか俺を崇めないところ、今すぐ謝ってもいいんだぜ? 寛大な俺は余裕で許してやるぞ! ただし裸で逆立ちしながら『私は王の下僕です』と言いながらだ!」
でも、ムカつくので肉体強化の術式を使いました。
怒りは限界なんて超えてしまえるのです。
「ぬあお―――!? めげる!? 俺のコメカミがかつてない勢いでめげるぅー!?」
調子に乗るからこうなります。
頭を抱えて蹲るバカ王。
いつの間にかベルベールさんが用意していた氷嚢でバカ王の顔を冷やしてあげてます。
絵的にすごい状態ですが、まぁ、あえてツッコむまい。
「お待たせしました元帥殿」
「仮にも王をアイアンクローする者なぞ、どこにもおらんぞい?」
「アレは王かもしれませんが、バカでもあります。そして自分の授業ではバカは殴っていい決まりです」
「良かったのぅ! ランスバール王! 王を殴る者がいる。これは幸せなことだぞい」
「ふざけんな、クソ爺さん。こいつの暴力癖を良い話にもっていくんじゃねーよ!」
なんのことかわかりませんね。
「ともあれ元帥殿が現れてくれなかったらベルベールさんに余計な仕事をさせてしまう形になっていたところでしたから」
「この首の背景を知りたい、ということかの? 『軍閥』に借りを作っていいのかの」
歳を召しても『軍閥』の長です。
『軍閥』の目的は昔から『愛国という名のマッスル』ですから、予算増のためなら足元すくうのも躊躇わないのです。容赦してください。
この老狸め。また変な言いがかりで金をせびるつもりですね。
しかし、今回ばかりは話が違います。
「『軍閥』――ひいては軍の目的は外敵に対する威力です」
「儂がおるから帝国の奴らはこのリスリアに手を伸ばしてこれん! 後80年は我が一刀に賭けて決して奴腹めらの好きにはさせんよ!」
「仕事、してるんですか?」
「なんじゃと!?」
ものすごい威圧感ですがスルーです。
「現にこの首がここにあるということは……」
アサッシン、送りこまれてんですよ。
軍がいながら、何してんですか。
「……最近、腰が痛くてのぅ。そろそろ引退かもしれんなぁ……、よよよ」
わざとらしく腰をさすらないでもらえませんか?
「貸し借りの話なら貸しを返してから要求してください。というわけでこの首を差し向けたバカがどこの誰でどんな奴なのか教えてください」
「生意気ばかりだったあのクソガキが、とうとう姑のように幼気な老人をいたぶるようになってしまったか……、歳は取りたくないのぅ」
「歳を感じるような神経していたら大剣なんか振り回しませんよ。グダグダ言ってないでさっさと調べてきてください。明後日の朝には学園に戻って教師の仕事があるんですよ。軍と違って」
「棘だらけじゃのぅ。老人を労わる優しさを持たぬ若者よ。大志を抱け」
うるせぇです。
「少し休んでおれ。月が真上に登っても終わらん。出発は夜になるぞ。それまでに疲れた体を癒せ」
流石に気づかれていましたか。
しかし、この時間で王都の家に置いてある源素結晶を持ってこないといけません。
リーングラードの社宅で作っていたものは全て、使い切りました。
あれ、作るのはともかく、時間がかかるのですよ。
「それならばヨシュアン様――」
ベルリヒンゲン老に意識を向けていたせいで、急に反対側に引っ張られる動きについていけませんでした。
ポスン、と頭にかかる柔らかい感触は――ベルベールさんの膝でした。ぬぇ?
「ここから帝国、帝国からリーングラードまでの移動に必要な六色の結晶、その全ては私どもにお任せください。ですから、どうかお休みを。少しの間ならこのベルベール、膝の一つもお貸しします。昨日から寝ずにご尽力なされたのでしょう?」
あー、全部、読まれているのでここまでの流れも完璧に把握されてしまったわけですか。
いや、まぁ、あの、そのですね。
さすがに膝枕とか、しかもバカ王の前とか、ありえませんよ?
「やーやーやー、やーやーやー、イっチャついてるぅ~」
バカ王が歌いだしたので、とりあえず携帯食料を顔面にくれてやりました。
「大丈夫です。陛下はあんな囃すようなことを言ってますが、今回の件も無茶をしていると知っています。こんな時だからこそ、一番、安心できる場所で休むべきです。それとも私は信用できませんか?」
……そう言われると、困ります。
「他の誰でもない貴方と、生徒のために」
確かにここで休まないといけないことくらい、わかっています。
他の術式師と違い、上限が死ぬまでない代わりに肉体への負担度は天井を知りません。
精神が死ぬ前に肉体が死ぬ、そんな状態になった元【タクティクス・ブロンド】を自分は知っています。
メガネを取られ、瞳に優しく添えられた手は温かで、睡魔はすぐにやってきました……、あ、本当に寝てしまいます。
「ベルリヒンゲン様がお戻りになられるまで、ゆっくりとお休みください」
なんか永眠しそうな感じなんですが?
それでも自分はリーングラードに行ってからの二ヶ月半で初めて、夢も見ないほどの熟睡をしてしまいました。
ほんの少しの時間だけではありましたが、それくらい深い眠りだったのです。




