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リーングラードの学び舎より  作者: いえこけい
第二章
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怪我をするから痛い

 何時だって自分の人生は選択肢のない選択ばかりでした。


 選んでいるつもりだったものが不正解だったのか。

 選ばれなかったものが本当の正解だったのか。


 リスリア王国の革命をもって証明したとしても、自分にはわからないままでした。


 きっと多くの人は現在のリスリアを見て、革命の正しさを知ったでしょう。

 後世へと語り継ぐ時はそう伝えていくでしょう。


 多くは幸いへと足を踏み出していったのですから。

 最大多数の最大幸福を引き合いに出せば、間違いなく幸せなことなのでしょう。


 だけど、自分は選択を後悔しなかった日なんてなかった。


 もう少しマトモな方法はなかったのか?

 もっと被害を少なくできなかったのか?

 あの時、今のように強ければ救えたのではないか?


 死ぬべきでない人まで、殺さなくて良かったのではないか?


 死ななくていい人まで、死ななくて良かったのではないでしょうか?


 疑問なんて尽きやしません。


 今を選べない今のように、火がついたように焦り続け、何かに追われるように走り続けるしかなかった。


 まぁ、実際、今、追いかけてるのは大人にいじめられたマッフル君なんですけどね。


「先生はシリアスを投げ捨てる人であります」


 真っ暗な庭園を走っていると、並走する影がありました。

 地味にウル・ウォルルム――強化術式を使った自分に近づけるとなると間違いなくリリーナ君です。


「たった一言で先生を素に戻した君に言われたくないところですね」


 マフマフの一言でどんなに怒りがすっとんだと思っているのですか。


 そのあだ名、狙ってのことならリリーナ君は間違いなくリスリア最高のシリアスブレイカーになれますよ。


「マッフル君はどこに?」

「マフマフなら【大食堂】であります」

「何故、そんなところに」


 疑問を感じざるをえませんでしたが、同時に妙な納得も覚えました。


 目的があって逃げたわけではないのでしょう。

 適当にキャラバンから逃げられたら、どこでも良かったわけです。


 それでも無意識に選んだのが【大食堂】だったのは何故でしょう?


 あそこは隠れる場所としては、非常に悪手です。

 何せ無駄に広い上、テーブルとイスしかありません。


「お腹がすいたのであります」

「君の気分は聞いてません」

「そうでありますか? お腹が減ったら気分はよくないであります」


 どちらかというと御飯も喉に通らない状態なんじゃないでしょうか?


 無駄な話をしているとすぐに【大食堂】にたどり着いてしまいました。

 しかし、中から気配はしません。


 一瞬、リリーナ君を見ました。

 リリーナ君も何故、見られたのかわからず首を傾げていました。


「惚れたでありますか?」

「そのネタはもうやりました」


 しかも初日です。


「追いかけたのはいいでありますが、ここで見失ったであります」

「もう少し嘘は上手につきなさい。先生が追いかけてきたのに気づいたからでしょう?」

「んー? リリーナはアレが本当かどうかわからないであります」


 アレ、とはキャラバンでの火事の原因でしょうか。

 だったら答えは決まっています。


「本当にリリーナたちのせいでありますか?」

「答えはNOです。ナンセンスもそこまでいけば笑えません」

「でも、本当でも嘘でもマフマフはリリーナたちのために声をあげたであります」


 あの時、マッフル君はそっとその場を逃げ出すこともできたのです。

 あんな大人ばかりの場所で、自分の意見を押し通す必要なんてなかった。


「必死で、とても必死でありました」


 リリーナ君の感性ではあの時、もっとも矢面に立つべきはリリーナ君だと思っているのでしょう。

 だから今、一番、マッフル君が傷ついて困っているのもまたリリーナ君なのでしょう。


「手を広げて、クリクリもセロりんもエリリンも間違ってないって言ったであります。先生は? 先生も敵でありますか?」


 【大食堂】の入口の前に立って、リリーナ君が通せんぼし始めました。

 少し重心を前に倒しているのは、自分と戦うつもりでしょうか?


 あるいはマッフル君に守られたことを返すために、守ろうとしているのかもしれません。


 大人から。

 心無い大人の、言葉の暴力から。


 自分はそんな健気なリリーナ君を物理的な力でどかしました。

 別名、げんこつ。ちゃんと痛いように中指を少し立ててあげました。


 「にゃぎゃー!?」と猫のような声を上げて、地面をゴロゴロと転がるリリーナ君。


 痛いでしょうね。古武術にも使われる技ですから。

 頭蓋のヒビに容赦なく響きます。


「バカを言わないでください」


 地面でくの字を描いているリリーナ君を無理矢理、立たせると痛む部分に手を当ててあげました。


「君たちが間違うのなら自分は間違いだと言いましょう。こう殴ることもあるでしょう」

「殴るのがそもそもの間違いであります」


 黙れ。そして聞け。


「だけど、君たちが間違っていないのにどうして責める理由になりましょうか。自分が今からマッフル君に教えるのは――」


 マッフル君が傷ついている一番の理由。


 それは信用されていなかったこと。

 自分の言葉が誰にも届かなったことでしょう。


 どんな理由があれど、大元となる部分はきっと、推測通りなのでしょう。


 自分はリリーナ君を抜けて、数歩ほど歩いて止まりました。


「ここに胸を貸す大人がいることです」


 教師は生徒の味方、足り得なければなりません。

 嘘でも本当でも、味方という幻想を持ってもらわなければならないのです。


 じゃなければ、誰が何を教えたって聞いてくれるはずがないんです。


 そう気づいたのは、一番最初に反発したクリスティーナ君の姿からでした。


 教師なりたての自分に、クリスティーナ君はプライドという理由こそあれ、生徒を導くに足ると信じてくれなかった。

 だけど、信じてみようと思ってくれたからこそ、教科書を開いてくれたのです。


「言ったと思いますが、先生は決して君たちを見捨てることだけはありませんよ」

「言われた覚えがないであります」


 ……思い出すと確かに言ってません。

 心の中でしか言わなかったのでした。うっかりでした。


「では改めて言いましょう。つまり、そういうことです」


 リリーナ君はついてこない。

 それは自分に任せたと見ていいのでしょうか?

 あるいは自分の仕事だと言いたいのでしょうか。


 まぁ、どっちにしてもリリーナ君はそこまで踏み入らないでしょうね。

 あの子もあの子で家族ちっくな幻想をクラスに抱いていても、どこか線を引いてますから。


 両開きの木製ドアを開けて【大食堂】の中へ。


 薄暗い中をフロウ・プリムの明かりで照らし、周囲を見ても何もない。

 感じたとおり、気配もない。

 マッフル君はもう【大食堂】にいないのでしょう。

 では、ここからどこへ向かったのか。


 いっそ追跡術式でも使おうかと思った時、キィ、と、薄く甲高い音を耳で拾いました。

 ただ、誰かが通ったからではなく、何か風のようなものでドアが押されたのでしょう。


 なんのヒントもないわけですし、音の方へ行きます。

 そこは【大食堂】の調理班たちが使う裏口です。


 風で動いたのは裏口が閉まりきっていないからでした。

 入口もそうでしたが調理班は戸締りしないのでしょうか?

 盗られるものなんてないとタカをくくってる? まぁ、どっちにしても防犯的な意味でも鍵閉めは徹底しておきましょう。


 裏口に近づくと同時に、人の気配を感じます。


「誰にも気づかれないように音を殺してる、というところですかね?」


 追ってきて欲しかったわけじゃない、というつもりですか。

 弱った姿を見せたくない、という気持ちはわからなくないですね。

 こう、付け入る隙を与えたくない自尊心です。


 子供の内は自分の弱さというものに、とことん反発的ですからね。

 商人と真正面から商談できても、まだまだ子供というわけです。


「きぇええええい!!」


 ……怪鳥音が発せられました。


 裏口を開けて外に出てみると、マッフル君が一心不乱に棒っきれで近くの木をタコ殴りにしてました。


 ちくしょう……、本当にナナメ上の行動ですよ。

 あれですか、近づくまで気配を感じられなかった理由は精神統一していたからですか。剣術も成長しちゃって、まぁ、紛らわしい。


 打撲音が鳴り響く中、小屋で寝ていたウルプールが何事かと起き始めました。


 鬼気迫るマッフル君に気づいたウルプールは、硬直しています。

 そのまま横に押してやれば倒れるんじゃないでしょうか。


 ウルプールはどうでもいいんですよ。

 問題はマッフル君です。


 一応、剣術の形をとってますが、荒い、荒すぎます。

 ただ気持ちをぶつけるだけの剣です。


 そんな荒い剣術が長続きするわけもなく。

 棒っきれが木に打ち据えた瞬間、バキン、と鈍い音を立てて折れ飛んでいきました。


「――っ!」


 折れた棒が手の甲に当たってしまったようです。

 痛みに耐えるように蹲るマッフル君は、傷ついた獣のように見えます。


「大丈夫ですか。手を見せてみなさい」


 自分が声をかけると初めて気づいたようにビクリと肩を震わせ、こっちを向きました。

 その瞳は薄く、水分の膜が見えます。


 何か言おうとして、でも何も言わず、蹲ったまま一歩、足を引きました。


 うわ、地味に傷つく。


「逃 げ る な」


 真正面から一気に距離を詰めて、頭グリグリしてやりました。

 痛みで頭を抱えてしまったマッフル君の腕を無理矢理に取って、手の甲を見ます。


 ちょっと赤みがかってますが、擦過傷も打撲もありません。大丈夫でしょう。

 一応、冷やしておきますか。


 リオ・ラム・フラァート。

 本来の威力は触れるだけで相手に凍傷を与えるためだけの攻撃術式です。

 ですが、不完全な術式が市場に出回り、今ではこうして打撲や筋肉疲労を外から冷やすために使われます。


 俗に治療術式の一つに数えられます。

 もっとも完全に『治療』と呼ばれている術式は伝説の中にしか存在しません。


 採掘作業が終わった時にクリスティーナ君が使ったのも同じ用途でしたね。

 アレは布を冷やして快適さを与えるためのものでしたが。


 まだまだ発育しきっていない細い手は、剣の修行と商人の仕事で手はほんのり固いです。

 それでも少女特有の柔らかさが固い皮膚の下にあるのがわかりま――変態っぽいのでこれ以上、描写しないでおきましょう。


「――なんで追いかけてきたの」


 マッフル君は頭を抱えたまま、ボソリと呟きました。


「逆上したマッフル君が剣を持って仕返しに来ないか心配で」

「――最悪」


 普通に凹ましてしまいました。

 うわお、そんなつもりはなかったのですよ?


「後、君が変な風にこじれてないか。傷ついてやしないかも含めてね」


 今度はだんまりでした。


「保証しますよ。君の、君たちの術式具は誰も傷つけていない。お金欲しさで作ったものでしょうが、それでも、道具は何かの役に立つために作られるべきなのです」


 間違っても、人を殺すために作られてはいけない。

 いえ、それは少し違いました。


 地獄を作るために作られてはいけない、ですね。

 

 人が人を殺すのはもう、止められないことです。

 誰も誰かを傷つけることを止められないように、人を殺すことは止められない。


 人であるが故に、決して逃げられない業罪です。


「先生もちゃんと確認しました。君たちの術式ランプは」

「……知ってる」


 それはどこか拗ねたような響きでした。


「キャラバンがごねるなんて、よくあることだよ。キャラバンみたいな大所帯だとちょっとの揉め事が大きな事故に発展したりするから。だから、前もって約束しておくんだよ。揉めないように」


 確かにグランハザード直々に鍛えられたマッフル君なら、キャラバンの特性や法をよく知っているでしょう。


「……商人としては、正しい考え方だと思う。事故じゃなくっても事故にしてしまえば丸く収まるんだから。周りが納得しちゃえば悪いのはあたしらで、学園が生徒の負担をすれば」


 学園が、引いては国から負担金が出る。

 それはキャラバン全体の利益です。

 国の利権を使えば、間違いなく誰にとっても利益になる方法です。


「あたしらさえ、悪くあれば――」


 そうすれば庇おうとした自分もまた、責任を負わなくていい。

 少なくてもキャラバンから白い眼で見られることはない、と。


 いや、どっちにしても君らの責任を取るの、自分ですからね?

 気を使いすぎです。


「あのですね、マッフル君」


 膝を抱えてしまったマッフル君の頭をゆっくりと撫でてやります。


「君は間違っています」


 大勢が幸せなら全てが幸せだと誰が声高に宣言したというのです?

 少数を犠牲にして幸せなら良しだなんて、誰が我慢できるっていうんです。


 今、この場にもっとも納得していない者がいます。


「もしも、君たちが自分たちのせいだと言いましょうか。その場合、先生は怒ります」


 自分です。


「キャラバンを半壊させてでもYESと言わせますよ。何故なら、こっちは何一つ間違っていない。争いになるでしょう。無意味に人が傷つけられるでしょう。怪我人も出るでしょうし、ありもしない負債を抱えるでしょう。しかし、そんなものなんてどうでもいいくらいにブチ切れます」


 大人らしくないと言えばいい。

 バカなヤツだと指差して笑えばいい。

 恐るならとことんまで恐れてしまえ。


「君たちはやんちゃでどうしようもなく先生の言うことを聞かない、事件を起こすわ面倒を起こすわで先生の睡眠時間は日に日に削れていますし、その腹いせにオシオキなんかして世界は平和に回っていますが、まぁ、それはどうでもいいことです」


 小さく瞳をあげたマッフル君が呆れる前に言い切ってしまいましょう。


「それでも先生は君たちを信じています」

「――それだけ言っといて、何をさ」


 努力しないものは成功しない。

 努力しても成功しない。


 だけど、成功するものは皆、一様に努力をしている。

 誰が言った言葉かは忘れましたし、そのとおりだと思います。


 その上で言いましょう。


「成功も失敗も含めて、君たちの正しくも間違った、その頑張り方です」


 だからこそ、自分は生徒たちの頑張りをなかったことにするわけにはいかない。

 その原因を決して許してはいけない。


「例え君たちが自分を悪いと言っても、先生は決して許しません。正しく決着をつけてあげましょう。絶対に認めさせてあげますよ。だから、今日は寝なさい。起きてそれから結果を教えてあげます」


 最後に一撫でだけして、マッフル君に合わせるために落とした腰をあげました。


「だから安心しなさい。何せ君たちの先生は――」


 キャラバンはシャルティア先生が丸く収めているでしょう。

 ヘグマントたちなら生徒を寮から出さないでしょう。


 なら、自分がやるべきことは一つです。


 ツィム・リム・フラァウォル――追跡の術式を起動させ、ブローチに仕組んだ術式を辿ります。


 源素を伝い、開かれた視界に映し出された光景。

 それはシェスタさんともう一人、見たことのない男の姿。

 年は自分より少し下くらいでしょうか?


 黒鋼の大剣を背負い、見たことのない黒く、肌に密着した防具。

 中途半端な長さの髪を逆立てた、挑発的な目つきの男にシェスタさんが食ってかかっているシーン。


 特徴は顔面に刺青。

 グネグネと目の下を這う奇妙な紋様は確か、帝国貴族の特徴でもあります。


 その男が浮かべる笑みは余裕そうなのに、どこかその嫌らしさを隠しきれていない。


 皮肉げに顎をさする仕草まで、気に入らない。

 初めて見るにも関わらず、自分はこいつが気に入らない男とわかりました。


 なるほど。こいつが今回の黒幕のようですね。


「先生?」


 ぼんやりと見上てきているだろうマッフル君に今の自分の顔を見せるわけにはいきません。


 今、邪悪な顔をしているでしょうから。

 やったー、姿を見せやがった、ぶち殺してやる、こんな感じの気持ちしか溢れてませんし。


「――ちょっと最強ですよ?」


 ローブを握り締めたまま、自分は倒すべき相手に向かって走り出しました。



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