野営地を見つけましょう
疲れていても生徒たちは動いていきます。
野営はヘグマントが授業をしたはずなので、受けたとおりにやればそう間違ったことはしないでしょう。
そう思っていた時期が自分にもありました。えぇ。
途中までは良かったんですよ。順調でしたね。
初夏とはいえ夜の風は冷たいものです。
まず探すべきは野営に適した場所です。
もう陽も落ちた頃です。
術式ランプだけで全景を見渡せるほど光量があるわけでもなく、自分もフロウ・エト・プリム――フロウ・プリムの巨大版ですね。で、周囲を大きく照らし、その間に生徒たちが良い場所を探し出しました。
「あ! アレなんかどーよ!」
マッフル君が指差した場所を少し強めに照らすと、生徒たちが手を伸ばして繋がっても足りないくらい大きな岩が傾いた形でどっしりと座っていました。
支えるように大岩の下に頑丈そうな岩があって、ちょうど隙間に空間が出来ています。
岩は風雨にさらされて角が取れたのでしょう。
柔らかい丸さが長い時間、ここにあったと証明しているようです。
なかなか良い場所を見つけましたね。
ティッド君がなんとなく岩を触っていたり、さっそくマッフル君とクリスティーナ君が荷物を一番奥に隠していたりしています。
なんでしょう、この牧歌的な光景。
夜でなければ、ちょっと穏やかな気持ちになれたかもしれませんが、今は夜で事は素早さを求められます。安全はもっと求められています。
生徒たちもそのことがわかっているのでしょう。
まず、フリド君が岩に登って術式ランプを頂辺に置きます。
これは今から薪を拾いに行く際、夜の森の中で迷って帰って来られなくなるのを防ぐためです。
簡易灯台みたいなものですね。
「岩もぐらついたりしないな。ここなら岩に布を掛けられる」
キースレイト君の紳士な意見。
岩を壁にして、布で女性陣との境界を作るつもりなのでしょう。
天然の、ちょっとした部屋ができるわけです。
布をかけてできた空間は三人くらいなら余裕の広さがありそうですね。
着替えが必要になったり、汗を拭うにはピッタリですね。
布を岩に固定する方法は、岩に布をかぶせて適当に石を置く方法。
ピッケルで岩に傷をつけて布をかます方法。そして、今回使われたのは簡易接着玉による岩に布を貼る方法です。
「ん~~! 開きませんわ!」
簡易接着玉はクリスティーナ君が今、頑張って開けようとしている小瓶に入っています。
見た目、薬品の入った瓶にしか見えませんが、行軍中に壊れないようにと包帯のような布でぐるぐる巻きにされています。
簡易接着玉――接着玉は樹精から作られる粘性のある液体です。
「ちょっと貸してみて。ぬ~……!」
粘着玉と呼ばれているのに瓶に入っているのは之如何に、と言いたいところですが粘着玉は元々、冒険者が使う道具の一つでした。
壊れやすい瓶に入っているのも一つの理由です。
「フリド、開けて!」
「うおわぁ!? 投げるな!」
粘着液を瓶に入れて投げつければ、命中した相手は粘着液を被ります。
速乾性なので、すぐに相手は動きが取れなくなる。
目に貼りつけば視界を防ぎ、鼻、口に貼りつけば窒息を狙えるえげつない道具です。
「ふんッ! ぬぐぐ……固いな」
「いい加減な方法で開けていると壊れるぞフリド」
「ならキースがやればいい」
「お前が開けられないものを私が開けられるものか。ティッドは粘着玉の良い開け方を知ってるか?」
魔獣や原生生物、時には人にも有効な道具ですが、まぁ、今回みたいに野営につかうこともありますし、遺跡などでは壊れた石版の修復にも使えます。
他にも罠を防いだり、壊れた道具の簡易修理に使うなどなど、便利な用途がある万能道具ですね。
「えーっと、隣のおばさんがよく綺麗に開けてたのを知ってるけど」
「隣のおばさんを呼んでくるわけにもいくまい。ヨシュアン教師」
製品名は【シュピンネボール】、広義の名前は粘着玉。グランハザードの店でも売っている冒険者用の道具です――と、お呼ばれがかかりましたね。
「粘着玉を開けたらいいんですね」
粘着玉あるあるの一つ。
瓶の中で粘着液が蓋のかませ部分に付着して、蓋が開けられない現象です。
何せ接着剤ですのでジャムのように熱膨張を利用するわけにもいきません。
粘着液の粘着を取る薬剤もありますが、普通は持ってきません。
最悪、割って使うのも一つの手です。
強化術式を使って力技というのも味気ないので、少し遊びましょうか。
自分は蓋を指で触れて、くい、と蓋に指先を滑らせました。
それだけで簡単に蓋が開きます。
「……何それ」
「どうやって開けましたの?」
目の前の現実が信じられない我がクラスの生徒たちがいました。
「白の術式、いえ、白色の源素の特性を言える者はいますか?」
これに顔を見合わせるのはマッフル君、フリド君、ティッド君。
一方、貴族組のクリスティーナ君とキースレイト君は以前から習っていた部分もあったのでしょう。
答えがわかっているような顔です。
「ではクリスティーナ君」
「白属性の特性は【補色】ですわ。他の源素の特性に干渉することから【干渉】とも呼ばれていますの。世界のありとあらゆる場所にありながら、その数は少なく、清廉とされる土地に多く集まる性質から、その場が聖地となることもありますわ」
実は白色の源素がどのような場所にどういう条件で集まるのかは少ししかわかっていません。
わかっていることは母性や愛などと言った感情により集まってくること。
聖女や偉人の聖遺物にも同じように集まってきたりしますね。
ルーカンやヒュティパなどの神に関わる何かと深い関係があるのですが、やはりよくわかっていないのが現状です。
ただし、その効果は他の源素とは違い、他の源素を立てるという良妻のような効果。
【補色】という特性です。
「蓋周りの源素に干渉したのですよ。物理的な現象にも干渉することができるのが白色の属性の力ですね」
蓋が締まる理屈を説明すると、きっと生徒たちは首を傾げるのでわかりやすく説明します。
蓋が開く理屈も同じです。
簡単に言うなら粘着玉が瓶に接着する理屈をなくしただけです。
細かいレベルでくっつき合う二つの物質を引き離すように差し向ける。
他の属性ができなくても白属性ならできる、特性です。
「術式をそんな日常的に使うなんて」
「クリスティーナ君。術式の多くは日常にこそ、多く使われているものです。攻撃や研究目的なんて使い方は一部でしかありません」
言った瞬間、全員が目を剥いてしまいました。
「何かおかしなことを言いましたか?」
「先生が言うと説得力が欠片も見当たらなくって驚いているだけですわ」
よし。殴ろう。
「薪を拾ってきますわ! ティッド、行きますわよ!」
しかし、危険を察知したクリスティーナ君は逃げるようにティッド君を引っ捕まえて、森へと入っていきました。
ティッド君が困った顔で連れ去られる姿はドナドナを彷彿させます。
スカウト経験が役に立ったようですね畜生。
「クリスティーナ、迷ったりしないかな」
「心配ですか?」
「違うっての! 心配とかじゃなくって、あいつ、いつも変なところで躓くしさ」
物理的に躓くんじゃなくって精神的にですよね、わかります。
まだまだ変なところで意地を張るクセは直ってませんし、プライドの高さはそう易々とパラダイムシフトを起こしたりしません。
でも、最初に比べたら幾分かマシになっていたりもして。
成長してないわけでもないんですよ。
「はいはい、わかりましたわかりました」
「うわ、そのわかってない感じのわかった感がムカつく!」
生徒にムカつかれました。
可愛いものです。ふはは、上から目線で見てやったった。
「……なんかマジでムカついてきた」
マッフル君の目が座ってきたので、逃げましょう。
生徒も生徒なら教師も教師でした。
「鍋に水を入れますから飯盒筒か水筒を出しなさい。薪が手に入ったらすぐにご飯にしましょう」
近くに小川がない場合、術式で水を作ります。
リオ・ウォに代表される製水の術式です。
「携帯食料か……、キースは食べたことがあるか?」
「いや、ない。一度、野営セットを開いたとき新物質の燃料のような灰色をしていたが……、食べられると知って衝撃を受けた。味見――いや、毒見をする者もいなかったためそのままだ」
「そうか……、それは良かった。味も色々と衝撃的だった」
古今東西、携帯食料ほど不味いものはありませんからね。
野営セットにもブロック単位の携帯食が保存されています。
何せ腐らないことを重要視されているので、味はまったく考慮されていません。
味を聞きたい人は聞くといいですよ。
堅焼きパン、ドライソーセージ、干し肉、魚の燻製などの乾き物を粉々にして混ぜ合わせて、腐りにくくする植物と一緒に圧縮して固めた物体ですので、すごいですよ?
ビスケットのような食感かと思いきや、湿ったパンのように歯ごたえがなく、腐敗を防止する植物の青臭さ、不味い肉と魚の味が合わさり、舌がおかしくなったかと思います。
似た味? 雑草と匂いのきついハーブの味をした弾力性の失ったハンペンです。
咀嚼するたびに魂が削られる味でした。
月間メニューといい勝負です。
「いえ、携帯食は食べません」
食べさせません。
自分がいる限り、野営で携帯食料は使わせない!
自分も不味い携帯食にはうんざりしています。食べたくもないのに食べて無理矢理栄養をつけて行軍、敵を見つけてはぶち殺すを繰り返す日々はもう送りたくないですね。
きっと今、携帯食料を食べたらフラッシュバックしてあの日々を思い出してしまいます。
自分的に士気は一定に保っていたものの、食事が美味しくないというのは魂的な何かをガリガリと削られていきます。
目に精気がない兵士や傭兵が居たりして、さしづめ死人の行進でした。
食事の重要さを物語る素敵なエピソードですね。
簡易竈の準備も整い始めたので、もう大丈夫でしょう。
「何のために鍛鉄製の鍋を持ってきたと思っているのですか。フリド君、ちょっと付き合いなさい。シェスタさんも」
ぼんやりして座っていたシェスタさんも自分に呼ばれて、ゆっくり立ち上がりました。
「初めてなら二人っきりがいい。野外で3人だなんて――」
「それ以上は言わせません」
子供に要らん知識を与えるんじゃありません。
「こんな夜に獲物を狩るおつもりなのでしょうか!」
フリド君は元気があっていいですね。
無駄にハキハキしています。
「えぇ。生徒たちにまずい携帯食料を食べさせるわけにはいきません。命を賭けて戦えば狩れない獲物はどこにもいません」
「おお!? よくわかりませんが着いていきます!」
携帯食料に手を出すと、下手すればクリスティーナ君が衝撃的に倒れてしまいますからね。
フリド君を連れて、平原に出ます。
夜なので一寸先も見えない闇。周囲を照らしているのはフリド君が持つ術式ランプの光だけ。
シェスタさんはずっとこっちを見ているので、特に問題ありませんね。
どうして普通の携帯食料として重宝される干し肉や燻製が用意されなかったか?
決して高い商品ではないにも関わらずです。
これはもっと簡単な答えで返せます。
携帯食料のほうがもっと安いからです。
身も蓋もありませんね。
製鉄のように大量生産される携帯食料は非常に安価で、魂を削ることに目を瞑れば優秀なのです。
デメリットが致命的な気がしますが、お金が生命を越えることなんてよくある話ですよ。
というわけでリーングラード学園特製の野営セットは、一番高い野営セットを除いて携帯食料が使われているのです。
お金がないと辛いという見本です。
まぁ、お金がなくとも工夫次第でどうにかなるのが大自然での生活です。
「リューム・フラムセン」
学園の懐事情に遠まわしな警告を鳴らしながらも暗闇へと術式を放ちました。
ピギィ、と甲高く鳴く音と倒れるような音が暗闇に響きました。
「え……?」
フリド君が術式ランプで音のした場所を照らしました。
そこには息絶えたタヌキのような生き物がいました。
「アナグマですね」
ヘイゲンアナグマ。
平原に住まうアナグマで、原生生物の一種でもあります。
夜行性で活発に動き、ときどき平原で眠る冒険者の荷物を荒らして持っていくという悪辣な生き物です。
その分、殺傷力はゼロに等しく、よっぽど油断しないかぎり冒険者が怪我をする相手ではありません。
むしろ一番、厄介なのは気配が気薄なことでしょうね。
リリーナ君ぐらいのスカウト能力があれば、見つけられるでしょうが。
「どうやってアナグマをこんな暗闇で」
肉がついているなら食べられるはずです。美味しいかどうかは定かではありませんが。
「【支配】の応用です。では、解体してしまいましょう」
驚き固まっているフリド君の背中を叩いて、解体作業を促します。
ちなみに気配の薄い原生生物を狙い撃った方法。
それはただ【支配域】を広げただけです。
【支配】は攻撃を予測すると同時に、攻撃の気配も読み取ることができます。
その原理は経験則と目視による、行動予測。
しかし、目視できない現状。
夜間の戦闘などで目視が難しい時、どうすればいいか。
これも単純です。
光に頼らない技術、『眼』で【源理世界】を見ればいいだけです。
『眼』が見る世界は光ではなく源素です。
これにより、源素の気配を探り、【支配】で予測し、周辺の原生生物を見つけ出し狙撃です。
「シェスタさんも解体の手伝いを。自分はもう一匹くらい捕まえようと思います」
血の匂いに何匹かの雑食性の原生生物が食指を動かし始めたようですね。
ヴォルフの影が見えないのがおかしいといえばおかしいですが、気にしてもしょうがないですね。
一番、近寄ってきた原生生物を狙撃します。
同じように甲高い悲鳴をあげて、倒れる獲物。
さすがに身の危険を感じた原生生物は、自分たちを遠巻きにしたまま近寄ってこなくなりました。
原生生物も身の危険を感じれば、臆病になりますからね。むしろ原生生物の大半が臆病な生き物なのです。
仕留めた獲物の検分をしなければなりません。
無造作に近づき、倒れた原生生物を見てみると――
「なにこれ?」
――緑の丸い物体でした。
それに四足歩行の手足がついた奇っ怪な生き物が生命の間際に漏れる息を吐き出し、その吐息が声帯の輪を通すヒューヒューという音が聞こえます。
緑の丸い物体には大きな顔が貼りついていて、苦悶の表情を浮かべています。
あぁ、丸い胴体に穿たれた穴から血とは思えない緑の液体がポトリ、ポトリと滴り落ちています。
うん。なんだこれ。
そいつは自分を睨みあげると憎悪と怒りに満ちた顔をし始めました。
「俺たちが一体、何をしたんだ」という声が聞こえてきそうです。
「ヨシュアン先生! こっちの解体は終わりました! 新しい獲物はどうでしたか!」
えー、これ、食べられるのでしょうか?
なんか知性の影が見え隠れしているのですが。
すぐさま緑の丸い生物を掴み――無駄に柔らかい――見えない場所へと放り投げました。
アレの解体とかやり方、知りませんから。見なかったことにしましょう。自分は何も殺してませんし、失敗しました以上。
いやぁ、リーングラードの闇は深いですね。
見たことない原生生物もいるのですから、はっはっはっ。
うん。普通におかしいですね。ファンタジーやファンシーで片付けられるような生物じゃないですから。
なんですかあの愉快極まりない生き物は。
きっと新種の何かだったと納得しておきましょう。非常に納得したくないですが。
【支配域】を広げてみると、さっきまでなかった憎悪の視線が。
すわ仲間か。
「すぐに持っていきますから、ちょっと待ってくださいね」
あとで復讐されないか心配です。
今度はあえて遠くの闇を狙い撃ち、すぐに倒れる音がしました。
狩りはつつがなく進んだと言えるでしょう。
途中、採取籠に薪を詰めたクリスティーナ君と一緒に野営地へと帰れました。
緑の丸い生物からの襲撃もなく、一安心と言えるでしょう。
帰る頃には血肉の匂いがまとわりついていましたが、生徒たちも特に過剰な反応もせず無事にお肉ゲットです。
しかし……、あとであの緑の丸い生物は滅ぼしておきましょう。非常に怖いですからね。