第97話 些細な手掛かり
真壁圭吾と会った日から、三週間が過ぎた。
神谷智和が出入りしていたという裏の賭場。
そこを調べれば、父親がエクストラバレットから生還したあと、何をしていたのか分かるかもしれない。
そんな期待は。
調査を始めて数日で、早くも打ち砕かれた。
「……何もないな」
蓮は助手席から、道路の向こうにある建物を眺めていた。
古い雑居ビルだった。
一階には飲食店。
二階には小さな事務所がいくつか入り、上の階には空室を示す看板が出ている。
真壁の記憶と当時の資料を照らし合わせ、ようやく辿り着いた場所。
かつて。
神谷智和がいたという賭場が入っていた建物だった。
「だから言っただろ」
運転席の黒田が答える。
「今もそのまま残っているとは考えるなと」
「分かってますけど」
蓮は窓へ額を寄せる。
「もう少し何かあると思うじゃないですか」
「何年前の話だと思ってる」
「……ですよね」
何度調べても。
当時そこに違法カジノが存在したという確かな記録すら出てこなかった。
当然、エクストラバレットという名前もない。
警察の摘発記録。
新聞。
ネット上に残された古い書き込み。
ビルの登記。
テナント履歴。
黒田が調べられる範囲で追っても、決定的なものは何一つ見つからなかった。
「徹底してるな」
蓮が呟く。
「何が?」
「消し方ですよ」
黒田は答えない。
「ゲームもそうだった」
蓮は続ける。
「島から帰ってきても、証拠になるものは何もなかった。首輪も端末もなくなってた。島がどこだったのかも分からない」
そして。
賞金だけが残った。
二億円という、あまりにも現実的な数字だけが。
「もし、あの賭場がエクストラバレットと関係してたなら」
蓮は建物を見つめる。
「同じやり方で消したのかな」
「まだ関係があったと決まったわけじゃない」
「分かってます」
「なら決めつけるな」
「黒田さんって、本当にそういうところ堅いですよね」
「お前が雑なんだ」
「俺?」
「すぐ答えに飛びつく」
「……気をつけます」
黒田がエンジンをかけた。
「行くぞ」
「どこに?」
「ここに用はない」
「じゃあ次は?」
「人間を探す」
「人間?」
「場所が消えても、そこにいた人間まで全員消えるとは限らん」
車がゆっくりと動き出す。
蓮はもう一度だけ。
雑居ビルを振り返った。
そこに父親がいた。
その事実だけは。
真壁の記憶の中に残っている。
*
それからさらに二週間。
調査は思った以上に地味なものになった。
映画のように秘密のファイルが見つかるわけでもない。
怪しい男を尾行すれば、そのまま巨大な組織の本拠地へ辿り着けるわけでもない。
ほとんどは空振りだった。
昔その地域で営業していた店。
違法賭博で摘発された人間。
高額な金が動いていたという噂。
真壁が覚えていた客の特徴。
その一つ一つを。
黒田は根気よく繋いでいった。
蓮も手伝った。
ただ。
「これ、本当に意味あります?」
ファミリーレストランのテーブルいっぱいに広げた資料を見ながら、蓮は思わず口にした。
「ないかもしれん」
「ないかもしれないんですか?」
「調査なんてそんなものだ」
黒田は紙から目を離さない。
「百調べて、一つ使える情報があればいい」
「警察って大変だな……」
「今さらか」
蓮はコーヒーを一口飲む。
向かいでは黒田が古い資料を読み続けている。
その横にはノートパソコン。
蓮の前にも、いくつかの名前と店名が並んでいた。
知らない人間ばかりだ。
ただ一つ。
何度見ても目を止めてしまう名前がある。
神谷智和。
父親の名前。
「黒田さん」
「何だ」
「親父って、なんでゲームのあともこんな場所にいたんでしょうね」
「分からん」
「賞金もらったなら、借金返して終わりでよかったはずなのに」
「そうだな」
「なのに、また賭場に出入りしてた」
黒田が紙から顔を上げる。
「お前の親父は元々ギャンブル好きだったんだろ」
「好きなんてもんじゃないですよ」
「なら、それだけの可能性もある」
「…………」
蓮は納得できなかった。
真壁の話では。
智和は真壁を見た瞬間に帰れと言った。
『ここは、お前が来る場所じゃない』
ただ賭けを楽しんでいただけなら。
なぜそんなことを言う。
「……何か知ってたんだと思う」
「可能性はある」
「エクストラバレットのこと」
「それも可能性だ」
「黒田さん」
「断定する材料がない」
「分かってますよ」
蓮は椅子の背にもたれた。
「ほんと堅い」
「お前が雑なんだ」
「それ二回目です」
「何度でも言う」
蓮はため息をついた。
その時だった。
「……ん?」
黒田の手が止まった。
「どうしました?」
「これだ」
黒田が一枚の紙を蓮の方へ向ける。
「何です?」
「真壁が覚えていた男の特徴だ」
賭場で何度か見た。
六十代前後。
いつも一人ではなく、数人を連れていた。
他の客とは明らかに扱いが違った。
そして。
智和とも何度か話していた。
「名前、分かったんですか?」
「本名かどうかは分からん」
黒田が紙に書かれた文字を指す。
「だが、同じ呼び名が別の場所でも出てきた」
蓮が覗き込む。
「どこです?」
「別の違法賭博の証言だ」
「……同じ人?」
「特徴は近い」
「いつの?」
「真壁が智和を見た時期より後だ」
蓮の表情が変わる。
「じゃあ」
「ああ」
昔の賭場が消えたあとも。
同じ人物が。
別の場所へ出入りしていた可能性がある。
「その場所は?」
「そこも、もうない」
「また?」
「焦るな」
黒田が次の資料を出す。
「だが今度は、その先がある」
「先?」
「その男と関係があったとされる人物が、数年前まで別の賭場へ出入りしていた」
「それも潰れてる?」
「潰れている」
「……駄目じゃないですか」
「最後まで聞け」
黒田の指が。
さらに別の名前へ移る。
「そこに出入りしていた人間の一部が、今も動いている」
蓮は黙った。
「表向きは会員制の店だ」
「何の?」
「バー」
「普通の?」
「表向きはな」
その一言で。
蓮は椅子から僅かに身を起こした。
「場所は?」
「まだ行かん」
「なんで?」
「本当に関係があるか確認する」
「行けば分かるじゃないですか」
「お前な」
黒田が呆れた顔をする。
「俺たちが何を調べてると思ってる」
「エクストラバレット」
「その運営に繋がっている可能性がある場所へ、何も調べず正面から入る馬鹿がいるか」
「……ここに」
「自覚があるなら直せ」
黒田は資料を片づけ始める。
「まず店を調べる。客もだ」
「俺もやります」
「勝手な行動はするな」
「分かってます」
「本当に分かってるか?」
「今回はちゃんと」
黒田の疑うような視線を受けながら。
蓮は紙に書かれた店の名前を見た。
聞いたこともない。
どこにでもありそうな名前だった。
それでも。
父親が残した細い糸が。
初めて。
現在へ繋がった気がした。
*
数日後。
蓮は一人で自宅にいた。
黒田から連絡はない。
あの会員制の店について調べているのだろう。
蓮には待てと言われていた。
「……暇だな」
スマートフォンをテーブルへ置く。
以前なら。
待つことくらい何とも思わなかった。
だが今は違う。
答えが近くにあるかもしれない。
そう思うだけで落ち着かなかった。
ふと。
莉奈の墓へ行こうかと思った。
けれど時計を見てやめる。
もう少し早い時間に行こう。
そんなことを考えながら立ち上がった時。
玄関の方で音がした。
郵便受け。
蓮は何気なく廊下へ向かう。
床にいくつかの封筒が落ちていた。
広告。
請求書。
見慣れた郵便物。
それらを拾い上げ。
最後の一通で。
手が止まった。
「…………?」
白い封筒だった。
差出人がない。
宛名だけ。
印刷ではない。
黒い文字で。
自分の名前が書かれている。
――神谷 蓮 様。
「……なんだ、これ」
切手がない。
消印もない。
郵送されたものではない。
誰かが。
直接。
この家の郵便受けへ入れた。
蓮の背中を。
冷たいものが走った。
すぐに窓へ向かう。
カーテンの隙間から外を見る。
人はいない。
車も。
不自然なものは見当たらない。
「…………」
蓮は封筒を見る。
開けるな。
頭のどこかで。
そう言っている。
それでも。
指は封へ伸びた。
ゆっくりと開く。
中に入っていたのは。
一枚のカードだった。
黒い紙。
中央に。
白い文字が一行だけ印刷されている。
蓮は。
それを見た瞬間。
呼吸を止めた。
そこに書かれていたのは。
店の名前だった。
数日前。
黒田が見つけた。
あの会員制の店。
その名前。
そして。
その下に。
短い文章が添えられていた。
『お待ちしております』
「…………」
蓮の指先に力が入る。
黒田と自分が。
必死に探していた場所。
ようやく辿り着いたはずの場所。
なのに。
向こうは。
最初から。
こちらを知っていた。
蓮はカードを握ったまま。
すぐにスマートフォンを取った。
黒田へ電話をかける。
呼び出し音。
一回。
二回。
三回。
『神谷?』
「黒田さん」
『どうした』
蓮は黒いカードを見つめた。
「……見つけたと思ってたの、俺たちだけみたいです」
『何?』
「向こうから来ました」
電話の向こうで。
黒田が黙った。
「俺の家に」
蓮はカードを裏返す。
そこに。
もう一つ。
小さな文字があることに気づいた。
日時。
そして。
たった一人分の入場を示す数字。
――1。
「黒田さん」
『読むな。写真を送れ』
「……はい」
『それから外へ出るな。俺が行く』
通話が切れる。
蓮は。
もう一度。
カードを見る。
『お待ちしております』
待っている。
その言葉が。
異様に気味悪く見えた。
こちらが何週間もかけて追い続けた相手は。
逃げていたのではない。
隠れていたのでもない。
少なくとも。
神谷蓮に対しては。
違った。
向こうは。
ずっと。
見ていた。
そして今。
自分から。
扉を開けたのだ。




