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プロローグ「白完」

 白完《しろかん》。

 構成・テンポ・動画尺、そのすべてが決定された映像のこと。


 その過程は進学や就職を決めるようなもので、映像の未来を決める最も重要な作業だと僕は感じている。だから、ADが白完まで任されることなど本来は無い。


 しかし、僕が担当する情報番組のディレクターは違った。放送中に使う映像の編集は、全て僕に丸投げされてしまう。それを彼は、ディレクターになるまでの訓練だと称している。


「ふう、終わったぁ……」


 やっと一段落終わり、コーヒーを少しだけ啜ることが出来た。味蕾《みらい》に広がる苦味は、寝ぼけている僕の目を覚ましてくれる。


 軽く伸びをしながら向かいの席を見ると、キーボードを乱雑に叩くディレクターの姿。見たところ、今日はかなり機嫌が悪そうだ。


 けれど、遠慮していては仕事にならないし、何故こちらが気を使わねばならないのかも分からない。なるべく機嫌を損ねないよう、静かに丁寧に、姿勢をなるべく低くして話しかけた。


「すいません、江籠《えご》さん。いま大丈夫ですか?」


 彼はこちらに一瞥もせず、「おん」とだけ答える。おおよそ社会人がするような返事ではない。


 その粗雑な扱いにうんざりしながら、僕はノートパソコン片手に席を立った。そして、今日もアレが始まるのだ。


 「あーもうダメダメ。なんかこうテンポがなぁ、早い気がすんだよ。それにこんなシケた芸人より、可愛い女優さん映せ。それとなぁ──」


 2倍速の画面を見ながら、次々と繰り返されるダメ出し。自分の不甲斐なさに胸が詰まる一方、その抽象的なダメ出しに苛立ちもする。


 そりゃあ倍速で見てるんだから、テンポも速くなるだろう。それに女優さんの態度が悪いから、使えるところが無い。そもそも、このVTRは江籠さんの担当で──


「おい、聞いてんのか!」


 鼓膜を揺さぶるような声に、愚痴が現実へと引き戻された。


「あ、あぁ。す、すみません!」


 咄嗟に平謝りの姿勢となり、ひたすら何度も頭を下げる。

 あぁ、また自分が嫌いになってしまう。簡単に垂れる頭《こうべ》と、仕事の出来ない自分がとても憎い。


 そして、それを少しでも顔に出そうものなら、またそれすらも指摘してくるのが江籠ディレクターだ。


「真中《まなか》、お前シケた面してんなぁ。俺がやったコーヒー、ちゃんと飲んだのか?」


「あ、先ほど頂きました。とっても美味しかったです、ありがとうございます!」


 嘘である。ほんの少しでも機嫌を取るために偽った。本当はすごーく苦かったから、すごーく薄めて飲んだ。その嘘がまた、自分を嫌いにさせてしまう。

 

 何をしたってうまくいかないし、ずっと嫌なことばかり。スマホの履歴を辿れば、『AD 転職』『WEB配信 スタッフ募集』とか、そんなのばかりだ。


 とは言え、僕はまだこうして働けている。搾取されていると言われるかもしれないが、この業界はやりがいがある。それに、僕には目標も居た。


「おおっ、真中!」


 明るく伸びた声がオフィスに響き渡る。神代《かじろ》透《とおる》プロデューサーの声。僕が入社してすぐ担当したお笑い番組の元ディレクターだ。


 数々の名番組を生み出しているのに、それでいて驕らない性格。プロデューサーになった今でも、それは変わらない。僕の憧れの存在だ。


「真中、四月から初ディレクターだって? やったじゃーん」


「え、えへへ。まぁ」


 実は四月から異動の関係で、ディレクターをやれることになっていた。本来であればチーフADの経験は必要不可欠なのだが、人員不足に喘ぐ局が苦肉の策で、僕をねじ込んだらしい。


 それなのに僕は、未だペコペコと頭を下げてばかり。

 嬉しさと不安で半分だった心は、不安に侵食されつつあった。


 僕の顔が暗く染まっていくのが分かったのだろうか、先輩はふっと笑うと僕の肩に手を置いた。


「まぁ、そんな顔すんなよ。お前の五年間、長かったが無駄じゃなかった証だろ。取れ高、掴みに行けよ」


 肩にずしりと重みを感じる。

 それとは裏腹に、僕の肩はふわりと軽くなった。


 六十二時間──寝ていないことすら、忘れさせるほどに。


「はい! 頑張ります!」


「おう。じゃあな!」


 そうだ、これに耐え切れば、来月から新しい仕事が待っている。席に戻って作業を終わらせるんだ。


 閉じたノートパソコンを小脇に抱え、足首を返した。


 ぐにゅん──嫌な感覚が襲う。自分の足ではないかのような感覚、足に力が入らない。踏み出したはずの一歩は空を切り、視界がぐらりと傾く。


「おい、真中!?」


 明るく伸びた声が遠くなる。

 まずいと思った時には、もう遅かった。


 ガンツッ──鈍い衝撃が側頭部に走る。

 デスクの角、視界の端に見慣れた木目が映る。


 ぐるりとオフィスが回って、ノートパソコンが宙を舞っている。

 痛みを感じて良いはずの頭部は、まるで他人事みたいだ。

 手足は動かない、目だって閉じることすら満足に出来ない。


「真中! おい、返事しろ!」


 ああ、蛍光灯の光がやけに白い。

 そういえば昨日、僕が変えたばかりだったな。


「おい! はやく救急車呼べ!!!」


 あぁ、やばいなこれ、死ぬんだな。

 そう思いながら、頭は変に冷静だった。


 僕の人生、取れ高ないじゃん──って。


◇◇◇


 白完《しろかん》。

 構成・テンポ・動画尺、そのすべてを決定してしまった映像のこと。


 字幕も効果音もなく真っさらという意味で、クリーンと呼ぶこともある。


 真っさら、本当に真っさらと言って良い空間。

 その白の中、僕は仰向けに揺蕩《たゆた》っていた。


 それにしても、天国って本当にあったのか、とんでもないスクープだな。


 って──もう意味ないんだっけ。


 僕は笑って、ひとり目を瞑る。

 もうこれを伝えることも、映像素材にすることも出来ない。ただこのまま浮いて、時が流れるのを待つだけなのだ。


「働きすぎじゃ、戯《たわ》け」


 その声にはっと目を開ける。

 女性……いや、子供みたいな声だった。


 宙に浮く体をなんとかよじらせ声の主を探るが、見つからない。

 バタバタと落ち着きなく体を回していると、向こうの方から語りかけてきた。


「やめておけ。儂《わし》は高次元の存在ゆえ、そちらから観測不能。無駄な足搔きよ」


 高次元? まさか、本当に存在するのか。

 だが、それ以外に何があるというのだ。


 僕は恐る恐る、それを口にした。


「かみ……さま?」


 空間のどこかから、ふっと波打つ。それと同時に高笑いが聞こえた。


「まあ、そう呼べ。それにしても、最近のは話が早くて助かるのぉ」


 驚いた、ちゃんと居たんだ。時には願い、時には恨んだこともある神様。ちゃんと仕事してたんだ。


「なら、これも分かるじゃろ」


 まだ戸惑う僕をおいて、あくび混じりの声が容赦なく割り込む。


「──生生流転《せいせいるてん》。塵《ちり》の世で言うところの異世界転生よ」


 うわ出たよ異世界転生、何番煎じの出涸らしで味もしない。これがもし企画会議なら、「新規性、それと話題性は?」って蹴られるぞ。


 けれど現実に起きるなら別、アレを聞かなければ。


「あの……」


「なんじゃ?」




「その世界って、テレビありますか?」




 ほんの一拍、空間が静まり返った気がした。


「……は?」


 さきほどまで飄々《ひょうひょう》としていた声色が、わずかに低くなる。


「今、なんと申した?」


「テレビです。映像、動画、放送とか、そういう類のもの」


「……ほお」


 興味からか、ただ小馬鹿にしているのか、ほんの少しだけ声が近づいた。


「妙なことを。チート能力なんかを強請《せび》るならまだしも、テレビと?」


 たしかに、自分でも驚きだ。この期に及んでテレビがどうとか、なんで言ったんだろう。今じゃ俗世間で、『オールドメディア』なんて呼ばれている。


 でも────


「おもしろい、から」


 言った後すぐ後悔した。

 すごーく恥ずかしいことを言わなかったか。十二歳の少年が言うならまだしも、齢二十八の成人男性がこんなこと言うなんて幼稚すぎる。


 でも同時に、それが本心なんだと気付かされた。

 僕は死ぬほど、好きだったんだ。実際に死んだし。


 しかし、そんな僕の溢れる想いを、神様は鼻で笑った。


「おぉ、御生憎様。あのような下等なものを愉《たの》しんでおるのは、おぬしらの世界だけよ」


 ──────────。


 えーと。意味と、言葉が、入ってこない。

 しかし、遅れてじんわりと染み入ってくる。


 え、無いって言ったの? テレビが無いって、どういうこと? なんで?

 それじゃあ異世界の人々は、何が楽しみで生きているんだ。


 家族と集まって笑える時間は?

 職場や学校での共通の話題は?

 一人寂しく、どうしようもない夜は?


 傍から見れば大げさかもしれない。それでも僕にとっては、ありえないことだった。テレビが無い生活を過ごした事がない。


 テレビがあることが、いつの間にか当たり前になっていた。けれど異世界には無いと知り、その絶望が喉の奥まで込み上げて嗚咽《おえつ》になりかける。


 そこでふっと、あの笑顔がよぎった。


『取れ高、掴みに行けよ』


 尊敬する神代先輩の、最期の言葉。なんだか僕の背中を、押してくれているような気がした。


 そうだ、撮れ高ってのは自ら掴みに行くものじゃないか。芸人さんの調子が悪くても、俳優さんが全く喋らなくても、ありとあらゆる方法で獲りに行く。


「じゃあ、もういい。チート能力はいらない」


「ほお?」


 神様の声が濁り、好奇の色が混じる。


「その代わり、僕に記憶を残してください!」


「記憶?」


「映像の作り方、撮り方、見せ方、編集。先輩に教えてもらったこと全部!」


 取れ高が無いなら掴み取る────もう迷いは無かった。


「テレビ局、作らせてください!」


 ………………無音。

 耐えかねるほどの沈黙が続く。


 そして──


「断る」


 答えは、なんとも無情だった。


「記憶の持ち越しなど、そう軽々しく認められん」


「いやいやいや、待て待て待て待て!」


 思わず反射的に食い下がってしまう。


「あるでしょ、前世の記憶を持って生まれてくる子供とか。ニュースでもたまに聞くやつ!」


「…………それは例外。代替えみたく言っておったが、チート能力も例外!」


「なんだよそれ! じゃあ僕それで、例外ってやつでいいから──」


「なっ、うつけものッ!」


 ぴしゃりと空気が張り、空間が大きく揺れる。怒っているんだろうけど、大道具さんの怒声に比べたら大したことない。


「大体、分かっとらんだろう。前世の記憶を持つことが、どういうことか──」

「分かってるよ!」


 食い気味に遮った。それほど分かっていないけど、遮った。


 前世の辛いこと、楽しいこと、それら全て抱えて生きること。

 それは足枷になるだろう、テレビが恋しくなるだろう。


 それでも────


「異世界でテレビ、やらせてよ」

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