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22.軋轢〈side:アデル〉

 サヤが勉強のために病院に通うようになって2週間が経った。


 最初の数日は真っ青な顔をしていたが、徐々に慣れてきたようで、今では普段通りの顔色に戻っている。

 午前中はフォルカーの下で魔術について学び、午後は病院で医学について学び、帰ってからは疲れてすぐに寝ているようだ。今は魔硝石は作らず(作り過ぎて足がつきそうだとフォルカーに言われた)、実践向きの魔術訓練をしているらしい。

 依然として砦にいた時の記憶は無いようだが、感覚が覚えていることはあるようで、防護障壁は問題なく使えそうだとフォルカーから報告は受けた。次の遠征はおそらく約1ヶ月後、休養期間が終わってすぐになるだろう。それまでに扱えそうな術は全て教え込むと言っていた。


 日中はサヤがほぼ不在のため、休憩がてら彼女の部屋に茶を飲みに行くことも無くなったが、食事だけは何だかんだ一緒に摂っている。結局病院に迎えに行く役目は自分のものになっていて、帰りがてら夕食を外で食べることも多かった。


 こうして一緒に過ごすようになって気付いたが、彼女はどうやら朝がかなり苦手なようで、毎朝起こさないと部屋から出てこない。勿論疲労もあるのだろうが、隊舎内で鳴らされる鐘の音で起きた試しがないので、そもそもが弱いのだろうと結論付けた。

 正直なところ部屋に入るのはかなり抵抗があるものの、起こさないわけにもいかない。どちらにせよ訓練を始める時間になればフォルカーが来るのだから、俺が起こそうがフォルカーが起こそうが然程違いはないだろう。

 寝起きのサヤはかなり鈍臭く、起き上がる時にいつも長い髪を肘で踏み、痛そうな顔をする。そんなに邪魔なら切ればいいのにと思うが、切りたくはないらしい。

 軍靴を履いていなければまともに歩けない彼女は、室内では足を引き摺って歩く。そのまま洗面所にいつも5分ほど篭り、長い髪を後ろで1つに纏めてから出てくる。そこからはいつも湯を沸かし、茶を用意してから、俺の部屋で朝食を摂っていた。


 朝食を摂っていると徐々に目が覚めてくるらしく、覇気のない細い目から、爛々とした大きな目に変わる。こちらの方が先に食べ終わるので、煙草を吸いながら、のんびり食事をするサヤをぼうっと眺めるのが日常の一部になっていた。


 考えてみれば、こうして特定の誰かと共同生活を送ること自体が久しぶりだ。家族といえば——記憶から呼び起こすことすら億劫な奴らだし、あの家の中では心が休まることもなかったし、一緒に食事を摂ったのも、数えるほどしかなかったように思う。

「砦の魔女」と畏れられていたはずの女との食事の方が、あの空間より何倍もマシだと思えているのは不思議な気分だ。


 ◇ ◇ ◇


 大隊長と言っても、仕事は然程多いわけでもない。仕事の多くは大隊内の設備関連の管理と、人員管理、訓練の視察だ。殆どはシュナイダーとフォルカーがやっているので、日中は暇なことも多い。

 しかしその日の午後は、面倒な場所に呼ばれていた。


 自分にとっては「家」にあたる門扉の前に立ち、執事が扉を開けるのを待つ。

 高級住宅街の一角にある、広大な敷地と美しい庭に囲まれた大きな屋敷だ。艶やかな白い石はこの国では高価なもので、それを贅沢に使って建てられた3階建ての屋敷には、血の繋がった父親と、血の繋がらない母親と、半分だけ血の繋がった兄が住んでいる。

 庭は常に庭師が手入れをしており、どの季節でも常に花が咲いていた。整えられた生垣が迷路のように紋様を作り、屋敷の3階から見下ろすと美しい光景が広がっていたのを覚えている。ここにサヤを放り投げたら迷うだろうな、などとどうでもいいことを考えてしまった。

「おかえりなさいませ、アデル様」

 老いた執事が門扉を開け、こちらに深く頭を下げた。この執事もこの家に仕えて長いのだろうが、何故こんな家に長く仕えているのか甚だ疑問だ。この腐り切った家の中で、彼だけは自分に対して他の家族と同様の態度で接する人間だった。


 元々この家に、俺の居場所は無い。

 この家に迎え入れられたのは15の時で、家の人間は皆腫れ物に触るように自分に接した。


 父はこの国の宰相をしていた。兄は、…その時まで兄がいることなど知らなかったが、彼は酷く病弱で、その時は生死の境を彷徨っていた。彼が死んだら自分の後継者がいなくなる、と無理矢理連れてこられて、これまで全く触れてこなかった学問や剣術、礼儀を叩き込まれた。

 そうして1年経った頃、兄は快復し、それまでの病弱ぶりが嘘だったかのように健康になった。そうなれば自分がお払い箱になるのは、たいして学のない頭でもよく分かっていた。


 そうなってしまえば、もはや自分は空気と同じだった。この家にいるのが嫌で、兵士になる道を選んだ。家にいるよりも、戦場にいた方がマシだった。死んでも良いとすら思っていたが、仲間が増え、部下が増え、そうしているうちに死ねなくなった。

 兵士として従軍する道を選んで10年が経った頃、今度は親の七光で大隊長の地位に据えられた。あの家から出たはずなのに、あの男は俺を勝手に縛り付けて、自分の経歴を飾るための装飾品にした。


 そんな父親に呼ばれ、数年ぶりに足を踏み入れる「実家」は、心底胸糞悪い。

 高価な建材で形作られた空間も、煌びやかな装飾も、派手な調度品も、全て嫌いだ。玄関ホールで突っ立ちながら、煙草に火をつける。

「ここで煙草を吸うなと言っただろう」

 低い声が上から降ってきた。

 白髪混じりの金髪の、背の高い男。60過ぎの筈だが、背骨はまだ曲がっていない。顔を見るだけで血のつながりを感じて不快だ。

 気にせず口の端から煙を吐いて、玄関ホールの階段の上からこちらを見下ろす男を睨みあげる。

「うるせえな、見下ろしてんじゃねえよ」

 父はふん、と鼻を鳴らして階段を降りてくる。最後に会った時から特に変化は感じない。赤い上衣を見に纏った男は、まるで王にでもなったような風体で、こちらに向かってゆっくり歩いてきた。俺の方が背が高いはずだが、威圧感と気品が、より体を大きく見せる。

「来ないものかと思っていたが」

「来ねえとどうなるか分かってるか、って脅したのはお前だろ」

「脅しが効く相手だとは思っていなかったのでな」

 そう言って、軽く片眉を持ち上げた。

「話があるならさっさと終わらせろ。俺だって暇じゃねえんだ」

 面倒臭くなって煙混じりに息を吐く。父は眉間に皺を刻みつつ、廊下を歩き始めた。ついてこいということか。

 その廊下の突き当たりにあるのは、父の書斎だ。


「座れ」

 ソファを示されたが、ドアの横に置かれた飾り棚にもたれて立つ。父は気にした風もなく、ソファに腰を下ろした。長い足を組み、こちらをじろりと睨む。

「ファウストの砦を落としたそうだな」

 それが何だというのだ。返事をするのも億劫で無視していると、父はため息を漏らした。

「あれだけ礼儀を叩き込んだのに、この有様か」

「この家の中に礼を執るに値する人間がいねえだけだ」

「…育て方を間違えたか」

「そもそも外でガキこさえてんのが間違いだろうが」

 育て方など、口にできる人間か。思わず嗤笑が漏れる。父は一度口を噤んだが、気を取り直すように咳払いをして、言葉を続けた。

「さっさと本題に入るが、お前に縁談を用意する」

「………はぁ?」

 突然何言ってんだこいつは。

「グラハム家の者として、社交界に出る義務があるだろう。今までお前がそれを蔑ろにしてきたツケだ」

「は、何だそれ。馬鹿馬鹿しい。俺が従うと思ってんのか。俺は俺の仕事で忙しいんだよ」

「ヴァイツ家の令嬢が成人した。元々お前と婚約させるつもりだったんだ。それを勝手に軍に入り、好き勝手しおって」

「そんなもん知るかよ、興味もねえ。そういうのは優秀なオニイサマにでもやらせときゃ良いだろうが」

「あれはもう別の縁談が決まっている。ヴァイツ家は商人としての手腕が良い。軍事産業で財を成している。繋がっておけば後々資金面で援助も——」

「だから、俺はその気はねえって言ってんだろうが!」

 ——ガシャン!


 力任せに、背後の飾り棚を殴る。壁面のガラスが割れ、床に散らばった。大きな音に気圧されたように、数秒沈黙が流れる。

 この男の、まるで人をモノのように見る眼差しが嫌いだった。今でもこの男に対して、憎しみ以外の感情は湧かない。


「家のために縁を結ぶのが、グラハムの血を受け継ぐお前の役割だ」

「受け継ぎたくて受け継いでるわけじゃねえよ」

「どうせ結婚の約束をした女がいるわけでも無いのだろう。それならば——」

「…いる」

 取り敢えずもう、この場を凌げればそれで良い。父の言葉を遮って、さらに言葉を続ける。

「結婚の約束をしてる奴がいる」

 父は胡乱げな顔でこちらを見ていたが、徐々に顔を険しくする。

「どこの家の令嬢だ。グラハム家の利益になる家の人間だろうな」

「どうでも良いだろうが。元々俺はこの家の人間じゃねえし、この家の人間になったつもりもねえ。こんな家も衰退しようが傾こうがどうでも良い。俺には関係ねえんだよ」

 父が家門に執着する人間だということは分かっている。分かっていてそれを口にした。相手は憤怒の表情になる。

「社交界に出なかったツケだと言ったな。それなら出てやるよ。だから二度と縁談なんて持ってくんじゃねえ」

「……」

 父は怒りを抑えるように深呼吸をして、ゆっくりとソファから立ち上がった。

「良いだろう。ちょうど明日が建国記念パーティーの日だ」

 王城で年に一度開かれる、豪華なだけで何をしたいのかわからない会合のことだ。過去一度だけ連れて行かれたことがある。パーティーなんていうものは、心底、馬鹿馬鹿しくて嫌いだ。今がちょうどその時期だったか、クソ、と心の中で毒づく。

「その結婚の約束をしたという女も連れてこい」

「はぁ?」

「連れてこなければ認めん」

「お前の許可なんて求めてねえよ」

「従わなければ、縁談を進める」

「…分かったよ、その代わりもう二度と俺のことに口出しすんな」

 まずいことになった、と頭の片隅では思いつつも、言ってしまったことは取り消せない。書斎の扉をバタンと閉め、玄関へ戻る廊下で、頭を抱えそうになるのを我慢するしかなかった。


 ◇ ◇ ◇


 知り合いの女というとかなり少ない。かつて、まだこの家に入る前に友人だった者たちは、この家に入った瞬間に繋がりが途絶えた。以降は兵士の知り合いしかできず、そうなると片手で数えられるくらいしかいない。あとはもう娼館の女くらいしか。

 既に外は薄暗く、夕方に差し掛かる時間だ。そろそろサヤを病院に迎えに行く時間だ、と思考を巡らせて、ふと足を止めた。


 そういえばかなり身近にいた、知り合いの女。


 病院に行くと、既に今日の訓練を終えたらしいサヤが、岩の上に座ってぼうっと待っていた。こちらに気付いて、すとんと地面に降り立つ。黒いローブの裾がひらりと翻った。

 彼女は危なっかしい動きでこちらに走り寄り(そうやってよく転ぶのだが)、俺の前に立つと、不思議そうに首を傾げた。

 ——もしかして、怪我をしていますか?

「あ?…ああ……」

 言われるまで忘れていた。ガラスで手を切っている。右手の小指側の側面に、長い切り傷が2本。もう血は止まっているが、サヤはそれをじっと見て、眉を顰めた。

 ——そこまで深く無いので縫うほどじゃ無いですが、消毒はした方がいいと思います。

 そう言うと、俺の手首を掴み、病院のほうへ引っ張る。

「いや、これくらいほっときゃ治る」

 そう返すが、手を引っ張る力は緩まない。仕方なく諦めて、彼女のやりたいようにさせることにした。


 病院の一室(おそらく処置室だろうとは思う)に連れ込まれ、手を水で流された後、消毒液をかけられた。手早くガーゼをあてがわれ、テープで留められる。魔術でやるのかと思ったが、普通に手で処置された。

「こんな大袈裟にする傷じゃねえよ」

 ——ちゃんとした方が治りが早いです。

 いつもの気の抜けた顔ではなく、真面目な顔で返された。どうやらちゃんと勉強しているようだ。

 ——訓練で怪我をしたんですか?

「いや、…別の用事で」

 改めてサヤの顔を見下ろす。頼んでいいものかどうか。おそらくパーティーの参加は1回きり、その場に父も出るだろうから、父が納得すればそれで終わりでいいはずだ。それから先は、何があろうと招待に応じなければそれでいい。最悪俺だけ出れば何とかなる。結婚だの何だのも、もう言われなくなるだろう。


 彼女は小柄だし、顔も幼いし、猛獣だらけの社交界に放り投げるには少々、いやかなり不安が付きまとう。何だ?と言う顔でこちらを見上げている彼女の顔を10秒ほど見下ろして、迷いながら口を開く。

「…頼みがあるんだが」

 礼に何でもしてやろうと思いながら、きょとんとした顔の彼女から目を逸らした。

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