14.2年間の記憶※
◆ ◆ ◆で視点変更です。→アデル
酷い頭痛と共に目が覚め、次に猛烈な足の痛みで目が冴えた。
ベッドが硬い。もっと家のベッドのマットレスは柔らかいのに。石の上で寝てるのかと思った。体を起こして、自分が何故か地下牢のような場所にいるのに愕然としたのを覚えている。
石畳、石の壁、錆びの浮いた黒い鉄格子。その向こうから私と目があった男が、何処かへと慌てて駆けていく。
直前の記憶を漁ったが、やはり廃工場にいたことしか覚えていなかった。先程の男の顔は確実に日本人では無く、まるで物語の世界に迷い込んだようだった。
夢だろう、と頬をつねったり、目よ覚めろと祈ったり、あらゆることをしたが状況も変わらず、足の痛みでかなり意識は鮮明だ。
右足首に包帯が巻かれ、血が滲んでいる。昔から状況を把握しないと気が済まないタチで、恐怖を押し殺しつつ右足の包帯を外した。
踵の上、アキレス腱の辺りに、血塗れの布切れが充てがわれている。恐る恐るそれを捲ると、深い傷があった。鋭利なもので斬られたような跡。固定されているだけで縫われてはいない。流血はしていないものの、まだ傷口は湿ってぬるぬると光って、その光景に吐き気を催した。
「…あ、あ」
手が震える。なにこれ、どうして、と答えのない問いが頭の中をぐるぐる巡った。
誰かの足音がこちらに向かってくる。震える手で包帯を巻き直して、ベッドの上を這い、後ずさる。鉄格子とは反対の壁に背中を擦り付けると、ごりごりと背骨が痛い。ほんの数秒後に現れたのは、長い白髪の、若い男だった。
男は何事か言いながら、鉄格子の中に入ってくる。とても柔らかい声音だった。このような状況なのに、聞き惚れてしまうような、優しく、深く、妙な響きを含んだ、落ち着きのある美しい声だった。
彼は私の足を確認して、柔らかく微笑む。綺麗な男だった。男性に対して綺麗と言う言葉はなかなか使わないが、その言葉がとてもよく似合う中性的な顔立ち。まるで作り物のような…高名な彫刻家が彫り上げた稀代の名作のような美しさ。人形だと言われた方が納得してしまうかもしれない。男はまた、どこの言葉かわからない言葉をいくつか囁いて、私の左手を握った。
場所や状況が違えば、あまりの美しさに恋に落ちていたかもしれない。そんなことを見惚れながら考えていたら、大量の針に刺されるような痛みが左腕を襲った。
「っあああ!!!あ、あああ…!」
喉の奥から大きな悲鳴が迸る。慌てて左腕を男の手から引き抜こうとするが、手を握る力は強く、逃れられない。
皮膚が裂ける、肉が出る。神経を端から切られていく。それほどの痛みなのに、見た目には変化はない。何度も叫んで、もがいて、蹴っても、男の腕は外れなかった。意識が朦朧とした頃、男は腕を離し、また美しく微笑んだ。
左腕ががたがたと震える。遅れて涙が溢れ出した。
いたい。こわい。なんでこんなことされなくちゃいけないの。
あまりに理不尽だ。憎しみを込めて男を睨むが、彼の笑みは変わらない。
「言葉はわかりますか」
「……?」
不思議と、言っている意味は何となく理解できた。
「少しだけ、あなたの頭に単語を入れました。あなたには魔術師になってもらいます」
言葉の意味は分かれど、意図は分からない。何を言っているんだ、と困惑して相手を見るが、彼は笑みを崩さないまま、私に背を向け歩き出した。鉄格子の扉を潜ると、こちらには一度も視線を向けないまま、どこかへ歩き去っていく。
「まっ、待ってよ!意味がわかんないよ!」
叫んでも、彼は振り向かなかった。
「なんで、なにこれ…」
涙がとめどなく溢れる。何度もしゃくり上げて、泣きじゃくった。
これ以上辛いことなんてないと思って居たのに、それからの方が地獄だった。
翌日、再び白髪の男が訪れた。彼に「復唱しろ」と言われた言葉を、ただ繰り返すだけの日々が始まった。
「あなたは…がありませんね。…は1日でできたのに」
言葉は飛び飛びでしか理解できない。
それから毎日本を渡されて、音読するように言われた。これの監督をするのは牢番をしていた男で、私が読み間違えると鞭で背中を打った。鞭打ち刑は過酷だ、死ぬ者もいると聞いたことはあったが、身をもってその辛さを理解した。初めて背中を打たれた時は息が止まって、一瞬視界がブラックアウトした。
全部が嫌でも、いつかここから出られることを信じて、日数だけ数えていた。右足の包帯が取れても、まともに歩くことはできず、数日すると目に見えて右足だけ細くなっていく。それが嫌で、必死に思いつく限りの運動をした。
最初に何かされた左腕には、痺れが残った。ある時男が「回路を通した」というようなことを言っていたので、それをされたらしいということは理解した。理解できても納得できることは一つもない。
そんな日々が、2年続いた。
男に復唱しろと言われた言葉を復唱すれば、辛うじて魔術を扱えるようにはなった。初めは火の玉を出したり、コップに水を入れたり。外に連れ出され、大きな魔術を使わされたこともあった。巨大な水の塊を作ったり、沢山の風を吹かせたり、限界まで使って鼻血を出して倒れることも多かった。
外は一面雪原で、人気の一切ない場所だった。ここがどこかは結局ずっとわからなかった。
言葉もかなり覚えた。もう鞭で打たれることもない。どんな文章でもすらすら読めた。
だがそれも、男の期待値には達していなかったのだと、ある日思い知らされる。
その日もいつものように、魔術練習用の部屋に通された。だがその日はいつもとは違い、白髪の男だけでなく、金髪の30前後ほどの西洋系の女性と、アジア系の顔立ちの20代半ばほどに見える男性がいた。こちらでアジア系の顔立ちの人間を初めて見て、驚きを隠せなかった。
「彼らはあなたの先輩、ベアトリス・ルヴィエと、リ・ハオランです。2人とも魔力保有量が桁違いで、魔術の扱いもとても上手なんですよ」
2人とも、無表情だった。
「ベアトリス、ハオラン、魔術を見せて差し上げてください」
少しの間の後、先に手を動かしたのはベアトリスだった。彼女が宙に向かって手を差し出すと、水が螺旋を描きながら指先に集まる。それが大きな球になると、一瞬で凍りつき、割れ、沢山の鋭い破片となって空間を埋め尽くした。彼女の手の動きに合わせてそれがこちらに向かって飛んできて、私の周りの壁に突き刺さる。
呆然としていると、今度はハオランと呼ばれた男が炎と闇を生み出す。室温が一気に上がり、壁に刺さった氷の刃をジリジリと溶かした。それらは混じり合い、溶け合い、赤黒い複数の矢となり、こちらに向かって飛んでくる。それはベアトリスが放った氷の刃の上を正確に貫き、霧散して消えた。
私には、こんな繊細に魔術を扱えない。言われたまま呪文を読み上げるので精一杯だから。
「ありがとうございます、退出して構いませんよ」
その言葉で、2人は部屋から出ていく。扉から出る直前、こちらをちらりと振り返ったベアトリスの瞳が、どこか少し…憐れみを含んでいるように見えた。
「さて、あなたにもあれくらいできるようになってもらわなくてはなりません。あちらから五体満足で呼び出せた数少ない成功例の一つなんですから、もっと頑張ってもらわなくては」
「……」
「代償の魔術を使いましょう。これを使えば、魔力保有量を底上げできますし、力が多くなればもう少しまともな術師になれるかもしれません」
彼はいつもの穏やかな笑みをこちらに向けて、こう言った。
「失うならどれがいいですか?次から選んでください」
◇ ◇ ◇
頭を動かすと、髪が枕と擦れる音がする。柔らかいベッド。気持ちがいい。
目を覚ますと、殺風景な灰色の天井があった。体を起こそうとすると、手足が動かない。
あれ、と思って手に視線をやると、柔らかい紐でベッドのフレームに手足を固定されていた。手を動かすと、フレームがガタガタと揺れる。
「…目を覚ましたか」
声をかけられて、そちらに顔を向ける。そこにいたのは、金髪の男。あいつと違って、穏やかさのかけらもない顔の男。
「正気か?」
変なことを聞くな、と思うが、ここまで拘束されているのを鑑みると、私は何かしたらしい。正気だ、と頷くと、アデルはこちらに来て手足の拘束を解いた。
体を起こすと、背骨が軋む。少し頭が痛い。ベッドに座ったまま頭を抑えていると、アデルがコップに入った水を差し出した。ありがたく受け取って、ごくごくと飲み干す。
「何があったか覚えてるか」
「…?」
「森で魔術使っただろ。その時ぶっ倒れた。それは覚えてるか」
うっすら覚えている。
「お前、2日起きなかったんだぞ」
え、そんなに寝ていたのか。あんなに力使うの久しぶりだったからかな。
「…お前、本当に大丈夫か」
ぼうっとアデルの顔を見上げる。何故だか、彼の顔を見ていると安心する。あの男とあまりにかけ離れているからだろうか。
「フォルカーを呼んでくるから、そのままで待ってろ。いいな」
アデルはそう言って、足早に部屋から出て行った。慌ただしいな、と思いつつ、空になったコップを魔術でテーブルに戻しておいた。
◆ ◆ ◆
「サヤさん、大丈夫ですか。意識ははっきりしていますか?」
「……」
サヤはどこか茫洋とした眼差しをフォルカーに向けていた。少し間をおいて、小さく頷く。
「すみません、あなたに無茶をさせてしまった」
彼女は首を振り、気にしないでください、と文字を出した。
雲の形を変えるほどの衝撃波を放った後、サヤは大量の鼻血を出して倒れた。慌てて隊舎に戻り、ベッドに寝かせたあたりから、様子がおかしくなり始めた。
自身の首をしきりに掻き毟る。慌ててその手を止めるが、酷く暴れて手がつけられない。止むを得ずベッドのフレームに手足を拘束し、そっとしておくことしかできなかった。
サヤは視線を少し宙に彷徨わせた後、「少し、記憶が戻りました」と告げる。
——全部ではないですが、魔術のことも、少し思い出せました。
「そうですか。…しかし、暫く無理はなさらないでください。かなり体に大きな負荷がかかってしまったようです。力の強さに、体がついていっていないようですね」
——そうかもしれません。
表情は暗く、沈んでいる。
「…どのようなことを、思い出しましたか」
彼女は視線をフォルカーから外し、じっと動かなくなった。
「…嫌なことでも、言った方が楽になることもあんだろ」
そう声をかけると、サヤは瞳を揺らした。泣き始めるかと思ったが、涙は流さなかった。
——こちらに来て、2年ほどの記憶です。目が覚めたら、足が切られていて、血塗れでした。そこから先は、呪文と言葉の知識を叩き込まれ、言葉の方は、うまく読めないと鞭で打たれて。魔術は、あまりうまく扱えなかったので、倒れることも多かった。
サヤは淡々と文字を宙に刻む。
——私の先輩だという人が2人いました。2人とも強い術師でした。彼らと同じくらい魔術が扱えるようになってもらわないと困ると、そう言われて、声を奪われました。
「…声を奪ったとして、それで何を得られるんだ」
——代償の魔術だと言われました。何かを犠牲にして、保有量を底上げする魔術です。
「…そんなもの、聞いたことがありません」
フォルカーが苦い顔で言った。
——私がこちらにいるのも、秘せられた術のためなのだと思います。五体満足で呼び出せた数少ない成功例だと言われました。失敗が多いなら非人道的な術ですから、そうそう使っていいものではないと思うのですが。
以前より、文字を出す速度が速い。記憶が戻ったというのは事実なんだろう。
——魔術の理論は、やはり教わった記憶がありませんでした。ただ、呪文を唱えるだけで。物を動かす魔術すら使ったことがなかったようです。
「呪文だけでどうこうさせようとするとは、乱暴なことをするものですね」
フォルカーが呆れた声を漏らした。魔術師にも学習する手順というものは存在しているらしい。
「訓練は、3日ほど休んでからにしましょう。その間はゆっくり過ごしてください。…お腹は空いていますか?スープは食べられそうですか?」
サヤは顔を上げ、頷いた。髪の隙間から見える首の傷が痛々しく、思わず彼女から目を逸らした。




