13.最大出力
その後はそのまま、アデルの部屋で3人で昼食を摂ることになった。
3人分の食事を浮かせて運んできたフォルカーさんは、執務室のローテーブルにそれを並べた。10人座れる分のソファが置かれているため、ばらばらに座って黙々と食事を進める。
ふと、「そういえば」と、フォルカーさんが口を開いた。
「文字が書けるようになったんですね」
言われてみれば、フォルカーさんの前で使ったことがなかった。昨日勉強したばかりだから。
勉強したのだと伝えると、フォルカーさんは小さく笑った。
「そうですか。もともと読めてはいたようですしね」
こくり、と頷く。
「魔術理論の方はどうです。ひと通り読み終えましたか?」
読み終えた。また頷く。
「魔術理論に関する記憶はどうです?これまでに学んだような感覚はありました?」
それは無かった。首を振る。
「全くありませんか?不思議ですね。通常は理論から学ぶものなんですが…失われてしまった記憶の中にあるのか…」
曖昧な記憶を漁る。薄ら覚えているのは嫌なことばかりだが、その中に言語について学んだ記憶はあっても、魔術について学んだ記憶は無い。
「良い機会だ。出身についても聞いておきてえんだが」
先に食べ終えたアデルが、煙草を燻らせながら口を開く。
「この世界じゃ無い、なんてことをこいつは言ってんだが。フォルカー、意味はわかるか」
「は…?」
パンを千切る手が止まった。フォルカーさんは不審そうな眼差しをこちらに向ける。
「おっしゃっている意味がよくわかりませんが」
「……」
この世界に、自分の生まれ育った場所はないのだ。そう伝えてみる。フォルカーさんは困ったような顔で顎に手を当てた。
「…よくわかりません。別の世界ですか…?それが本当だとしたら、【蝙蝠】の何かの術でこちらにきたと言うことなんでしょうか?」
頷く。多分そうだ。ふむ、と小さく唸って、彼はサラダをゆっくり咀嚼する。アデルと比べると、フォルカーさんの食事の速度は遅い。
「…私の知らない話ですね。王立図書館にでも行って、近々書籍を漁ってみます」
フォルカーさんでも分からないなら、私もお手上げだ。頷きを返して、誰よりも遅い自分の方の食事を進めることにした。
◇ ◇ ◇
午後、予定していた通り、森に向かうことになった。
首都の外壁の外、1時間ほど馬を走らせると、大きな森が広がっているのだという。そこから更に1時間も馬を走らせれば、猟師もなかなか立ち入ることのない、深く暗い森になる。そこまで行けば誰にも迷惑はかからないでしょう、とフォルカーさんは言った。
街を囲む高い壁までは主に徒歩での移動だった。私は歩くのが遅いので、隊舎のある敷地を抜けるまではアデルに背負われての移動になり、妙な恥ずかしさで悶えた。足まで隠れるローブ、更にフードを目深に被っていたし、側からみれば「性別不詳の小柄な、もしかしたら子供かもしれない魔術師を大隊長が背負っている」という、不思議な構図だっただろう。視線だけは感じた。
「俺も二度とこの移動はしたくねえ」
敷地から出た後、背中から下ろされて安堵していると、嫌そうな顔のアデルにそう言われた。そりゃあそうだろう。私もごめんだ。
街中は私はアデルの馬の上に乗せてもらって、アデルとフォルカーさんは歩きだった。手綱を引いてもらっているから、何もしなくても正しい方向に進める。
雨に濡れていない街を見るのは初めてだ。大通りの商店街は賑わい、様々な匂いがする。肉や魚の匂い、革の匂い、鉄の匂い、花の匂い。嗅いだことの無いような、形容し難い不思議な匂いもする。目から入る情報よりも、鼻から入る情報の多さで「知らない国に来ているのだ」と強く感じられた。
30分ほど進むと、この首都を囲う大きな壁が見えてくる。壁の外に出た後は、馬を走らせての移動だ。
私はまだ乗馬はできない。となれば、いつも通りアデルの馬に乗せてもらうしかない。
「馬を走らせんなら、前には乗せられねえ。俺の後ろに乗ってもらう。落ちねえように適当にどっか掴んでろ」
そう言って、アデルが私の前に乗り込んだ。どこを掴むか一瞬逡巡して、彼のシャツの背中の生地を掴む。
「それだと落ちるぞ。お前左手の握力あんまりねえだろ」
「……」
確かにその通りだ。アデルの腰に腕を回し、彼のお腹あたりのシャツを掴み直す。
「フォルカー、そっちは良いか」
「ええ」
フォルカーさんが頷きを返した。彼らは馬を軽く走らせ、そこから徐々にスピードを上げていく。
馬で走るのは初めてだ。思っていたよりもスピードがある。競馬のよう全力疾走をイメージしていたがそうではなく、軽く走っているというような感じではあるのだが、それでも速さは感じた。体が揺さぶられて、恐怖感でアデルのシャツを強く握りしめる。
畑を横目に舗装された土の道を走り抜け、ほどなくすると畑もなくなり、人も居なくなる。草原から、山道のような高い草が生い茂る道になり、まばらに木が生え始めた。
移り変わる景色を見ていると、時間が経つのは早い。会話は無く、ただ黙々と馬を走らせ、フォルカーさんの合図で止まった。
森の中にある、小さな池の前だった。いくらか拓けた場所で、落ち着くにはちょうどよさそうに思う。
「ここまで来れば良いでしょう」
「ああ」
アデルは馬を降りて、続いて私を降ろしてくれた。杖を渡され、やっと自分の足で地面に降りたてた気分。お尻と腰がとんでもなく痛い。背骨を伸ばすように伸びをしている間に、アデルは馬たちの手綱を引き、近くの木に結びつけた。
「じゃあ、後は任せる」
彼はそう言うと、池の横の大きな岩の上に腰を下ろして、煙草に火をつけた。こちらの煙草がどう言うものかわからないが、体に悪くは無いのだろうか、と心配になる。毎日かなりの本数を消費しているようだから。
フォルカーさんは居住まいを正して、私の方に向き直った。
「では、早速やってみましょう。魔術理論について理解されたと思いますが、貴方はどの属性の力が向いているか、ご自身では把握していませんか?」
「……」
知らない、と首を振る。
本によれば、火、水、風、光、闇の5つの力を扱うのだという。ああ、良くあるゲームのあれか、と納得したので良く覚えていた。
これらの特徴は、無から有を生み出すということ。物を浮かしたり動かしたりと言うことが初歩と言われるのは、無から生み出す物では無いから。これを扱うには、多くの場合呪文が必要になる。
「あなたの防護障壁は、光で組まれていました。文字を出す時にもそうですし、一番慣れているかもしれませんね。他の特性も見たいので、呪文を使いましょう。手を出して」
言われた通りに手を差し出すと、そこに透明なビー玉のようなものを置かれた。ガラスでできているようで、中には半透明の黒い塊が収められている。
「あなたの言葉を信じて、こちらの常識が伝わらないものとして説明します。このガラス玉の中にある黒い石は、魔硝石と言って、魔力を貯める力があります。人の手を介さず、自動で動かす物——例えば、部屋にある自動の洗濯装置。あれを動かしているのは、この石の力です」
電池みたいなものか、と納得する。頷くと、フォルカーさんは言葉を続けた。
「勿論、魔力とは有限です。石の中に蓄えた力が切れれば使えなくなります。魔術師の多くは、この魔硝石に魔力を注ぎ込み、それを国に売ることで生計を立てていたりします。高値で売れますから、とても良い商売です」
「おい」
思わず、と言った感じでアデルが突っ込んだ。フォルカーさんは気にした風もなく説明を続ける。
「しかし、普通の魔術師では、そう多く生み出すこともできませんし、当たり前ですがかなり疲弊します。販売している規格のうち、一番大きな魔硝石…だいたい、先日お渡しした木箱くらいの大きさのものですね。それに力を注いだ場合、通常——1日2つ作れれば上出来、というくらいです」
なるほど。こくこくと頷く。
「魔硝石はこの国の国民の生活を支えるものですから、国営事業となっています。力を込める際の調整も難しく、魔硝石内に入るエネルギー量を上回る量を注ぎ込んでしまうと壊れてしまいますし、それなりの技術も求められます。これも後日訓練しますので、頭の隅にでも知識として入れておいてください」
はい、と頷く。とはいえ、説明量が多くて忘れてしまいそうだ。メモ帳でも持っていた方がよかったか。
「長々説明しましたが、魔硝石は、中に込める力の種類によって色が変わります。壊れても良いので、今回は正しく術が使えているか確認用に使います。…という訳で、アデル」
フォルカーさんはアデルの方に声をかけた。アデルは煙草を手に、「なんだ」という視線をこちらに向ける。
「あなたが座っている石を使うので退いてください」
「…あぁ?」
反応は悪いが、渋々といった様子でアデルは立ち上がった。
「サヤさん、あの石の上に玉を置いてください」
頷いて、言われた通りに玉を置く。程よく真ん中が窪んでいたので、転がることはなかった。元いた場所まで戻ると、フォルカーさんは私の後ろに立ち、私の肩に手を置いた。
「まずは、火のイメージから。手から火の玉を飛ばすイメージを作ってください。玉に向かって手を伸ばして」
フォルカーさんの声は淡々としてはいるが穏やかで、聞いていると自然と落ち着く。
「目を閉じてイメージしてください。イメージができたら復唱して」
耳元で囁かれたのは、呪文だろう。目を閉じ、火の玉が真っ直ぐ飛んでいくイメージを持って、呪文を頭の中で復唱した。
手のひらに一瞬熱さを感じた。
「うわっ」
驚いた声を上げたのはアデルだ。目を開けると、石の上が焦げていた。中央に置かれた玉は赤色、しかし割れている。ちゃんと使えたか見ておきたかった。
「特性強めのようですね。さて、次は水を使ってみましょう」
フォルカーさんはアデルの方に新しいガラス玉を放って、石の上に置くよう指示する。アデルは釈然としない顔で、フォルカーさんの指示に従った。
今度は水の玉が飛んでいくイメージだ。
「目は閉じてください。視覚から入る情報に、強さが左右されてしまうので」
後でもう一度使ってみれば良いか、と開き直り、目を閉じたまま、順々に力の塊の球を放った。
◇ ◇ ◇
全て終えると、フォルカーさんは感嘆の声を上げた。
「闇の特性がてんでダメですね。ここまで極端な人は初めて見ました」
褒められていないような気がする。
「しかしそれ以外はよく扱えています。意外ですが、風の方が光の特性を上回っていますね。この2つが飛び抜けてはいるようですが、残りの2つも特性が高い。大抵の術は使いこなせるでしょう」
そうなのか、それならよかった。ほっとして笑みをこぼすと、フォルカーさんの目元も少し笑ったように見えた。
「魔硝石への注力作業も、闇以外のものなら全てできそうですね。良い資金源になるでしょう」
「………」
お金のことを考えていたのか…。
「さて、それでは、最大出力がどの程度かやってみましょうか。念のためどこにも被害が出ないよう、空の方に向かって、最も特性の高かった風の魔術を使ってもらいます。アデル」
馬の世話をしていたアデルが振り向いた。
「危ないので、一応私の後ろにいてください。馬の手綱も、きつく結んでください。暴れるかもしれません」
「…ああ」
「さて、サヤさん。また目を閉じてください」
フォルカーさんの声は、ほんの少しいつもより弾んでいる。
「まずは呼吸を整えます。深呼吸をしてください。大きく息を吸って、…ゆっくり時間をかけて吐いてください」
…こういう呼吸は、こちらでもしたことがあるような気がする。あの暗い場所で、同じように肩に手を置かれて。深呼吸をしていると、意識の中にある暗い穴の中に、ずぶずぶと飲み込まれていくようだった。
「手を上に上げて。あなたの手の前に風の玉をつくります。風を回転させながら球体を作るイメージです。今回は、できる限界まで術の重ねがけをしてください。呪文は——」
言われるがまま復唱する。風が集まる。ぐるぐると回転する。何度も、何度も。木々がざわざわと揺れる音がする。本当に少しずつ、体の中から力が抜けていくような。
限界なんて無い、と思えるほど呪文を重ねていると、唐突に頭に血が昇る感覚があった。立ち眩みを起こした時のように、瞼を閉じていても眩暈を感じる。ほんの少し体が傾いだ。
「限界になったら、それを放出してください。復唱して」
こんなにいっぱいいっぱいになっているのに、私の後ろで体を支える彼の声は静かだ。そしてどこか楽しげで、まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供のようで。少しだけ腹立たしさを覚えた。
半ば自棄になり、駄目押しの1回を重ねがけしてから、それを空に向かって放出した。周囲の空気が根こそぎ持っていかれるような風が吹き、目を開けると大量の木の葉が舞っていた。雲の形が変わっている。
特に音はしなかったと思う。というより、耳鳴りがひどくて何も聞こえていなかった。
あれ、鼻水が、凄い出てる。顔を隠していた布を取って手の甲で拭うと、べっとりと血がついていた。鼻血だ、鼻をつままないと、とぼんやりした頭で考えるが、膝から力が抜けた。後ろから誰かの腕に支えられる。地面の上に広がる木の葉の上に、ぼたぼたと血が落ちた。
覚えている。この感覚を覚えている。前にもやったことがある。
視界が揺れている。何も聞こえない。何も見えない。何度も鼻の下を拭って、拭っても拭っても止まらない血に、このまま死ぬかも、と意識の片隅でふと思って。
この程度ですか、と耳元で囁かれたような気がした。それは昔、誰かに言われた言葉だった。




