5-5 遠近
「クラトでーす。入りまーす」やや不貞腐れた声。
姫の執務室に入ると、いつもの背もたれが高い椅子にティエラが座っていた。
いつもは顎を手の甲に乗せて物憂げな態度だが、今日は違った。
「お、来たかクラト。良く来たな、こちらだ」
机を叩きながら手招きをする。
姫の他にはラヴィスと侍女長のファトマだけだ。
珍しくラヴィスも笑顔で迎える。
なんだよ気味が悪いな、おい。
「ファトマ、茶を。菓子もだ」
「はい、畏まりました」
ファトマの笑顔もいつもと違う。
「呼ばれたのは会議での発言ですよね。まぁ、言うだけ言ってスッキリしたから、罰を受けても構わないですよ」
「いやいや、そうではない。私は良く言ってくれたと思っておるのだ」
「え?」
ラヴィスが優しい笑顔で言葉を継ぐ。
「誰もが思っていたのだ。しかし言えなかった。それをお前は大隊長の立場で言ってのけた」
「え?」
ティエラはクラトにぐぃと顔を近づけて言った。
「そなたは私の気持ちを代弁してくれたのだ」
「え?あの・・・ハゲの事?」
途端に3人は笑い出した。
「キャー!」ファトマは思わずお茶をこぼした。
3人とも暫く笑い続けているので、クラトは半分だけ注がれたお茶を飲む。
笑いが収まると、ティエラはラヴィスとファトマに席を外させた。
2人が廊下に出ると、たまたまピサノ大臣が通りかかった。
「そなた達、どうした?」
「クラト大隊長がみえられ、我らは姫より席を外すように命ぜられました」
「そうか、かなり厳しくやってくれそうだな。あのお方はまさに炎のごとき性だからな」
「大隊長も少しは堪えるだろう。では失礼する」
(ふんっ)
ラヴィスは聞こえるか聞こえないか位に鼻を鳴らし、ファトマは心の中で鼻を鳴らした。
◇*◇*◇*◇*◇
「クラト、そなたに良く言ってくれたというのはな、ラヴィスやファトマが思っている事と私が思っている事は違うのだ」
「え、どういう事です?」
「ラヴィスやファトマは大臣達の無策というか無責任ぶりに強く憤っておったし、その点をそなたが指摘した事に喝采しておるのだろう」
「しかし私はな・・・」「私が私らしければ良いと言ってくれた事が嬉しいのだ」
「ティエラは無理をし過ぎなんだよ。苦しみも痛みも、悲しみも後悔も全部溜め込んでる」
ティエラの笑顔が消える。
「だから耐える事で精一杯になるんだ」
ティエラは小さな溜息と共に「なぜだ?」と漏らす。
「なぜ、そなたは私の事をこうも良く分るのだ」
「俺も知らない」
ティエラは何かを求めているようだったが、それが何かは俺には分らなかった。
ティエラは息が苦しいような仕草で溜息をつく。
「私はな、この城で孤独なのだ。本当に心を許せるのはラヴィスとファトマくらいだ。良く考えると、子供の頃から孤独だったのかも知れない」
「人間ってのは難しいよ。頭の中までは覗けないし、心なんて形すら無い」
「だから俺は余り気にしないようにしてるんだ。思った事を言って、やりたい事をやって・・・まぁ、本当にそれができたらいいんだけどな。俺もさすがに子供じゃないから、気を遣ったりするワケ」
ティエラは吹きだして机に突っ伏した。
「そなた、それでも気を遣っておるのか、ハゲやら、ははは、や、焼け跡!はは、あのような事を言い放って、ははは、はぁ、はぁ、ふぅ・・・ははは」
「ティエラは良く笑うよな。まぁ、いい事だ。笑うと長生きするらしいし」
「ふぅ、あぁ可笑しい。私はそんなに良く笑うか?」
「あぁ、いつも笑ってるだろ。茶を残さなかったといえば笑い、ラヴィスに殴られたといえば笑い、入院したといえば笑い、俺から言わせれば笑い姫だよ」
「パレントやルエンシャでは鬼姫とか呼ばれているらしいがな」
「へぇ、鬼姫ねぇ、それはそれで一理あるかもな」
「なんじゃと!」
「ほら、鬼姫」
また笑う。ティエラは本当に良く笑う。
「クラトが言っておった私らしいという事だが、言葉遣いも結構気にしておるのだ、私は」
「そうだろうね。あれだけの人間をまとめるんだから」
「それで、その、このようにそなたと話をする時には気にしなくても良いだろうか?」
「いいんじゃないの?大体、俺自体がこんな感じだし」
「そうか、ありがとう。らしくできれば良いな、私も」
「それがダメだっての。“らしく”を意識したら既に“らしく無い”って。まぁ、そう考えるところがティエラらしいのかもな」「・・・あれ、俺も分らなくなってきた」
「ふふ、何やら難しいものだな」
「いいんだって、思ったようにやれば」
「思ったように・・・か」
なぜだろう、ティエラはすぐ傍にいるクラトが遠くにいるように感じた。