泉鏡花にボコボコにされた話
高校二年の秋。早朝。
起きる。本を読む。
始めて30分は内容なんぞ頭に入らない。段々分かるようになってくる。これが面白い。
そんな習慣。いつものように手に取った本。
作者、泉鏡花。
知らん作家だ。ふん、読んでやろうじゃないか。
衝撃。俺の頭にいきなり電流が迸る。
「こ、この文は何だ! なぜこうも! 俺の頭に!」
ベッドからずれ落ち、周囲を見渡した。
森! 森森! ヒルの落ちてくる森!
浮遊感を感じる! これは何だ! どういうことだ!
こ、これは! まさか! 俺が世界へと入り込んでいるのか!
作品を斜め右下から眺め批評もどきを書き綴る、この俺が! 作品を客観視を絶対とし決して登場人物に共感を覚えようとしない、この俺が!
止まれ! 流れるんじゃない!
しかし、無情! 作品は止まることをしらず、流れていく。女。川。白痴の子供。山を登っていく男の背中。
高野聖!
負けた。
読み終わった直後にそう思った。身が風化したようだった。俺の心は老化した花より惨めだった。
この世に生を受けて初めて天才というものを味わった。
文庫本を放り出し、ベッドを叩いた。スプリングが軋んだ。虚しい部屋で。
「う、うう・・・・・・く、クソ! 俺が無様にも!」
負けを認めてしまえばそれまでだ。しかし、俺はまだ一度しか敗北していない! 次は勝てば良いのだ。
千鳥足。図書館に着く。・・・・・・泉鏡花全集、これだ!
勝ってやる。俺はこの人生、こいつに負けっぱなしでは終われんのだ!
義血侠血 外科室 化銀杏 婦系図 日本橋
読めば読むほど傷が深くなり、敗北感が露になる。
頭を抱え、唸るしかない。
ストーリーが特別面白いという訳ではない! このレベルの物語ならば巷に溢れかえっている! それなのに! 何故こんなに面白いのか!
文。ああ、そうだ。その通りだ。文だ。文が面白い!
一文が長い! まず着物をアップにし、次には顔を描写する。文を読んでいるにも関わらず女の姿態をじっくりと見ているような気分になり、それが何とも艶めかしく感じられる。
しかも、こんな文もさらっと入れて来やがる!
燈火に対して、瞳清しゅう・・・・・・この後にはしつこいくらいの顔の描写をする。
一度火に注意を向けさせておいて、瞳に移るもんだから、より瑞々しく感じられてしまう! 少し熱を帯びた顔に、ゆらゆらと映る影、描写されていないところまで光景が見えてきてしまう!
材料がB級だとしても、調理の技術がS級ならそれはとんでもなく美味しい料理へと変貌するんだ!
帰宅。沈黙。消沈。
食事を取る。
外出。
俺は走り出した。暗くなりかけている路を走り、俺は叫んだ。
「泉鏡花! 俺は絶対お前を超えるぞ!」
これも随分昔のことだ。未だに一歩も届いている感覚がしねえよ。




