第96話 システムコア侵入
中央コアの最深部へ向かう通路は、異様な光で満ちていた。
白く輝く壁が呼吸するように明滅し、その光に従うように空間そのものが歪んでいる。アルトはセリアを抱き続けたまま、足を進めた。背後では帝国皇帝直属の親衛隊が次々と消滅していく。改革プログラムの投入によって、システムそのものが古い支配体制を拒絶し始めたのだ。
「セリア、聞こえるか」
アルトは意識が薄れかけているセリアに呼びかけた。彼女の出血は止まっていない。銃撃傷は深く、腹部から赤い液体が絶え間なく流れ続けている。
「……いえ。聞こえます」
セリアの声は弱々しかった。しかし、その瞳には確かな光が残っていた。
「改革プログラムが起動しています。システムの旧コアが……破壊されています」
「破壊?」
「はい。新しいシステムへの転換が始まった。だから……親衛隊が消えた」
アルトはセリアの言葉を理解した。改革プログラムは単なる設定変更ではなく、古いシステム自体の物理的な破壊を伴うものなのだ。それは同時に、旧システムに依存していた存在すべてを消滅させる。帝国皇帝が支配権を奪おうとした理由も、そこにあった。システムそのものが消滅すれば、支配権など存在しない。だが皇帝は誤解していた。システムは消滅しない。進化するのだ。
通路の奥が輝き始めた。
眩いばかりの光が辺り一面を満たし、アルトは目を細めた。セリアもまた、かすかに目を開く力を絞り出している。その瞬間、二人の視界に広大なホールが映った。
「……あ」
セリアが小さく声を上げた。
ホールの中央には、直径十メートルほどの白い球体が浮遊していた。完全な球形で、その表面には無数の紋様が刻まれている。その紋様は光を放ち、微かに脈動している。まるで心臓のように。
「これが……」
「システムコア。世界の意思そのものです」
セリアが続けた。彼女の声は驚愕で震えていた。
「紀元前一万二千年、過去の文明が人類を救済するために製造した装置。それが、このコアです」
アルトは球体に近づいた。抱いているセリアの体重が増していく。出血が加速している。時間がない。
「どうする」
「コアの北東、結晶体があるはずです。そこに改革プログラムを……」
セリアの声は途切れた。アルトは慌てて彼女を揺すった。
「セリア!」
「……大丈夫。ただ……」
セリアの目がゆっくりと開く。その瞳に映っているのは、白い球体だ。
「美しい。世界の中枢が……こんなにも美しいなんて」
「セリア、集中しろ」
アルトはセリアを片腕で抱き続けたまま、もう一方の手を前に突き出した。『約束の鍵』——契約スキルの応用により、封鎖された扉を開く力を放つ。目の前の空間が歪み、隠されていた結晶体が露出した。
北東の壁に埋め込まれた、人間の胸部ほどの大きさの紫色の結晶体。その表面には、セリアが説明した改革プログラムを投入するための端子が輝いている。
「あと少しだ」
アルトは足を速めた。だが、その時だ。
コア全体が鮮烈な赤色に変わった。
警報音が響き渡る。それは空気を振動させる低い音だった。まるで地球そのものが悲鳴を上げているかのように。
「何が……」
「皇帝です」
セリアが呟いた。
「皇帝がコアに接続している。改革プログラムの投入を……阻止しようとしている」
アルトは瞬間的に理解した。皇帝が消滅したわけではなく、むしろシステムコア自体と融合したのだ。旧システムの最後の砦として、皇帝の意思がコアを支配し続けている。
ホールの空間が歪んだ。
光が放射状に放たれ、アルトへ向かってくる。その光は物理的な攻撃ではなく、精神的な圧力だった。あらゆる契約を無力化する、システムそのものの権能。
「『約束の壁』」
アルトが防御スキルを展開する。複数の契約から生み出された光の壁が、皇帝の攻撃を遮った。だが、その代償として、アルトの腕に激痛が走る。複数契約の統合体『万約の盟約』は強力だが、同時に枷でもあった。
セリアを抱いたまま、結晶体へ向かう。あと五メートル。
再び光が放たれる。
今度はアルトの足元を狙い、床が崩壊し始めた。アルトは転ぶことなく、セリアをしっかりと抱き直した。
「セリア、力をくれ」
「何を……」
「契約を。もう一度、俺と契約を」
セリアはアルトの顔を見つめた。その瞳は明確に濁り始めている。出血による貧血が進行している。しかし、その瞳に映る光は消えていなかった。
「わかりました」
セリアは微かに笑った。
「アルト。私は、あなたと新しい世界を見たい。改革プログラムを投入して、古いシステムを壊して、新しい世界を作る。その世界を、一緒に見たい。それが、私の約束です」
新しい契約が成立した。
その瞬間、アルトの体に異様な力が流れ込んだ。セリアの残された全ての魔力、全ての意思が、アルトへと流入する。
「セリア、お前……」
「平気です」
セリアの声はもう、ほぼ無音だった。彼女の瞳が、ゆっくりと閉じ始める。
「行ってください。世界を変えてください。私の分も……」
アルトは走った。
セリアの体をそっと地面に下ろし、彼女の頭部に優しく手を添えた。彼女の脈はもう、微かだ。
「待ってろ。絶対に救う。新しいシステムが起動したら、その力で……」
「それは……約束ですか」
セリアが、瞳を完全に閉じる前に、呟いた。
「約束だ。絶対に守る」
アルトはセリアから手を離し、結晶体へ向かった。
背後で、セリアの呼吸が止まったのを感じた。だが、アルトは振り返らなかった。振り返ったら、進めなくなる。彼女との約束を果たせなくなる。
結晶体の前に到達したアルトは、掌を端子に押し付けた。
改革プログラムが流入する。
システムコア全体が、激しく震えた。
白色だったコアが、赤色から紫色へと変わり始める。その色は波のように拡がっていき、ホール全体を覆い尽くした。アルトは目を瞑った。
世界が、変わる音が聞こえた。
ごおおおおおおと、地を揺るがす低い音が、あらゆる方向から、いや、異なる次元から聞こえてくるような錯覚。
改革プログラムの投入が完了した瞬間、新しいシステムが起動する。古い支配体制から解放された世界が、その姿を現わそうとしていた。
だが、アルトの視線の先には、ただセリアの静寂した体だけがあった。
新しい世界への扉が開く、その時に。
最も大切な者が、その世界を見ることなく、静寂に沈もうとしていた。




