第81話 皇帝の野心
帝国首都ソルネイアの夜明けは、誰もが予想しなかった宣言とともに訪れた。
皇帝マクシミリアン・ウェスタリアの声は、帝国全土に響き渡る魔導放送を通じて、すべての国民に向けられた。その声は低く、しかし揺るがない確実性を帯びていた。
「国民よ。長きにわたり、我が帝国は混沌の中にあった。奴隷制度の廃止を掲げる反乱勢力。獣人の独立要求。商人ギルドによる経済的横暴。これらすべてが、真の秩序の不在から生じた悪しき現象である。本日より、我が帝国はこの混沌を終わらせる」
アルトたちが身を隠している帝国城の東館での、セリアの呟きが、その長い沈黙を破った。
「彼は本気だ。完全に」
帝国首都の広場では、市民たちが魔導放送の拡声器の前に集まっていた。年老いた商人、若い職人、身分の低い下女たち。すべての者が、皇帝の言葉に耳を傾けていた。
アルトは窓の隙間から、その光景を眺めていた。光景ではなく、すでに起こりつつある現実を。
「我が帝国の新しき秩序は、古き時代の遺産――いわゆるシステムと呼ばれる魔力装置の支配にある。この装置を掌握した者が、人類全体の運命を統制できるのだ。かつての愚かな契約者たちは、この力を個人の利益のために用いた。しかし我は違う。我は帝国全体、いや人類全体の統制のためにこの力を用いるのだ」
セリアの肩の傷は、完全には癒えていなかった。銃撃から数日しか経過していないのだ。しかし彼女の目は、医療の苦しさよりも、皇帝の宣言がもたらす危機の大きさに焼き付けられていた。
「中央コアの到達予想時間は?」
アルトの質問に、セリアは古い掛け時計を見た。帝国城の古い館に備え付けられた、錆びた針の動き。
「六時間。帝国軍の精鋭部隊が地下遺跡に到達するまで、残り六時間だ。皇帝の宣言は、彼らへの出撃指令だと考えていい」
窓の外では、帝国の兵士たちが通りを走り始めていた。街から街へと、何かが急速に移動していくような雰囲気。緊急呼集の笛の音が、何度も何度も響き渡っていた。
皇帝の声は、さらに続いた。
「本日より、アルト・ソルヴェンは帝国の公式な敵と認定される。彼は人類の秩序を脅かす反逆者である。彼を匿うもの、支援するものは、即座に死刑に処される。これは帝国全域での通達である」
その瞬間、魔導通信機が激しく震動した。複数の魔導通信が、一度に接続を試みていた。シャーロット、リリア、ニナ。そしてイザベラの声も。
シャーロットが最初に通信した。その声は、平静を装っていたが、内には激怒の感情が秘められていた。
「帝国評議会が緊急招集された。皇帝権制限投票の予定は中止。代わりに皇帝直属軍による帝国評議会議員の身柄確保が開始された。改革派は壊滅状態にある」
次にリリアが報告した。東大陸の商人ギルドから、彼女の声は静寂とともに聞こえた。
「帝国軍が商人ギルドの支部を次々と占拠している。物資の流通が完全に遮断された。東大陸の三つの王国が、帝国軍の侵攻に対応できていない」
ニナの声は、もっと直接的で、怒りに満ちていた。北大陸の獣人たちの声も、背景で聞こえていた。
「帝国軍別働隊が、北大陸全域での獣人狩りを宣言した。奴隷制度の廃止なんて言ってた改革なんて、すべて嘘だったってことか。俺たちは戦う。アルト、お前も戦え」
その言葉に対して、アルトは返答できなかった。返答をする前に、イザベラの声が割って入った。西大陸の孤児院ネットワークからの報告だった。その声は、年長女性の落ち着きがあったが、言葉の内容は深刻さのものだった。
「帝国軍が西大陸への上陸を開始しました。孤児院への襲撃も始まっています。難民受け入れどころではなくなりました。こちらは防衛態勢を整えます」
すべての戦線で、同時に状況が悪化していた。
アルトは、四つの約束の鎖を感じた。リリア、シャーロット、ニナ、イザベラとの心の繋がり。その繋がりを通じて流れ込んでくる感情。恐怖、怒り、決意。そのすべてが、彼の心に押し寄せていた。
セリアが、アルトの横に立った。彼女の手は、完全ではない肩の傷をかばいながらも、確実に握られていた。
「システム改革の理論は完成した。だが、中央コアに到達する前に、皇帝がそこに到達する。そうなれば、我々の計画は完全に終わる」
「わかっている」
アルトは呟いた。その声は、いつもの優しさを失っていた。代わりに、何かもっと深い、決定的な響きを帯びていた。
「皇帝は、人類全体を支配することで、秩序をもたらそうとしている。それは奴隷制度と同じだ。むしろ、それ以上だ」
セリアは頷いた。
「そうだ。システムを通じた全人類への支配。それが皇帝の野望だ」
帝国の兵士たちの足音は、建物の下の階を通過していた。彼らはこの建物をまだ発見していない。しかし、時間は刻々と過ぎていた。
アルトは、約束の鎖を通じて、四人のヒロインたちに心の中で呼びかけた。言葉ではなく、感情の投射として。
相互選択。それは彼らが掲げた理想だった。しかし今、その理想は現実によって踏みにじられようとしていた。
皇帝の宣言は、さらに続いていた。魔導放送の音量は上がり、帝国全土に響き渡っていた。
「すべての帝国軍は、直ちにアルト・ソルヴェンの捕縛に当たれ。彼がいかなる場所に隠れていようとも、彼を見つけ出し、彼を我が手に渡すのだ。これは帝国皇帝マクシミリアンの直接命令である」
窓の外では、帝国軍の隊列が走り去っていた。馬蹄の音、兵士の足音、魔導機関の唸る音。すべてが、ひとつの方向へ集約されていた。
セリアが魔導計時器を確認した。その数字は、残り時間の縮小を示していた。
「五時間五十分」
アルトは、禁足の間への扉を見た。帝国城地下へ続く秘密通路。それが、中央コアへの唯一の道だった。
「行く」
その一言は、単なる決定ではなく、すべてを賭けた宣言だった。
四つの約束の鎖が、弱まることなく、アルトの心に繋がっていた。リリア、シャーロット、ニナ、イザベラ。彼女たちは、今この瞬間も、各地で戦っているはずだった。
皇帝の野心は、すべての者の運命を変えようとしていた。そして、アルトたちは、その野心に立ち向かう道を選んだのだ。
帝国首都ソルネイアの上空では、魔導砲の音が響き始めていた。戦いの時が、本当に来たのだ。




