第68話 敵の本質への理解
地下遺跡の崩落する通路を駆け抜ける中、背後から轟音が響き渡った。帝国軍の魔導砲の炸裂音だ。ヴァルデスの身体が、その爆発の中心で光に包まれていく。
「ヴァルデス!」
シャーロットが叫ぶ。しかし、その声は途中で途絶えた。セリアが彼女の腕を掴み、先へ進むよう促していた。逃げるしかない。そう判断して、俺たちは走り続けた。
だが――次の瞬間、崩落する石壁を突き破ってヴァルデスが現れた。その身体は無傷。むしろ、彼は落ち着いた表情で俺たちの前に立っていた。
「逃げる必要はない」
低い声だ。いつもの傲慢さはなく、単なる陳述だった。
「奴らは一時的に足止めされている。俺が五分の約束を与えた。その間、俺たちは話す時間を得た」
リリアが息を切らしながら問いかけた。
「なぜ……帝国軍を足止めしたの?」
ヴァルデスは、くすりと笑った。その笑顔は悪意に満ちていた。
「理由?簡単だ。アルト・ソルヴェン」
彼は俺を見つめた。その目は、深い洞窟のように暗かった。
「お前の『救済』という名の欺瞞を、最後まで見届けたい。その欲望に従っただけだ」
「欺瞞……?」
「そうだ。お前は何だと思っている?奴隷たちを『解放』していると?」
ヴァルデスが一歩前に出た。その動きは流れるように自然だった。
「俺は商人だ。だからこそ、取引の本質を知っている。『等価交換』、『因果の循環』。世界はそうして回っている」
エミリアが警戒の姿勢を取った。しかし、ヴァルデスは彼女を無視した。
「お前の契約とは何か。知っているのか?」
彼は歩きながら話し続けた。
「相手の自由意志を奪い、その代わりに『約束の安全性』を与える。それだけだ。違うか?」
「違う。俺たちは──」
「違わない」
ヴァルデスが手を上げた。その仕草で、俺の言葉は遮られた。
「奴隷商人は何をしているか知っているか?相手の自由を奪い、その代わりに『食事』『住む場所』『生存の確実性』を与えている。お前と同じだ」
ニナが吠えるような声を上げた。
「ふざけるな!全く違う!」
「本当にそうか?」
ヴァルデスの声に、奇妙な静けさが含まれていた。それは、彼が本気で俺たちに理解させようとしていることを示唆していた。
「リリアを見ろ。お前の『約束』がなければ、彼女は自分の足で立つことができるのか?セリアは?」
セリアが前に出た。その顔は怒りで紅潮していた。
「論理のすり替えだ。奴隷制度と救済は根本的に異なる」
「異なるのか?」
ヴァルデスが頭を傾げた。
「具体的に説明しろ。どこが違うのか。どこが『根本的に』異なるのか。詳細にだ」
セリアが言葉を失った。その瞬間、俺は何か重く、冷たいものが心に沈むのを感じた。
「システムについて、お前たちは何を知っている?」
ヴァルデスの質問は、話題を唐突に転換させた。
「古い文明が作った『救済装置』だ。人類を『最善』へ導くために」
「それが真実だと思うのか?」
彼は嗤った。
「世界中に十二個のコアが埋設されている。それらはすべて同期している。つまり、世界全体は一つのシステムとして機能している。そのシステムの中で、人類は何をしているか知っているのか?」
シャーロットが答えた。
「『最善の状態』を保つために操作されている。ただし、その操作は『自由意志の侵害ではない』という名目の下で」
「正解だ」
ヴァルデスが拍手した。その音は、石室に冷たく反響した。
「つまり、システムとはこういうことだ。人類全体に対して、古い文明が与えた『契約』である。個々の人間に『自由』を与えるふりをしながら、全体としては『最善の状態』へ強制する装置だ」
「そして、お前は何だ?」
彼の指が俺を指した。
「第七番目の契約者。新しいシステムの『管理者候補』だ。つまり、お前が『解放』していると思っているのは、単にシステムの支配形態を『個人的な契約』から『大規模な強制装置』へ段階的に移行させているだけなのだ」
ニナが怒って叫んだ。
「違う!アルトは俺たちに本当の選択肢を与えた!」
「選択肢?」
ヴァルデスが眉を上げた。
「では、聞くがいい。もし、アルトが『俺たちとの契約を破棄する』と言ったら、お前たちはどうする?本当に、その『選択肢』を受け入れられるのか?」
その言葉は、俺たちの中に深い沈黙をもたらした。
リリアが、ゆっくりと口を開いた。その声は、震えていた。
「俺たちは……アルトを信じている」
「信じている。つまり、依存しているということだ。信頼と依存は紙一重だ。そして、システムが求めるのは、その『依存』なのだ」
ヴァルデスの言葉が、次々と俺たちを刺していく。
「お前たちの『自由』は、アルトという名の別の『枠』へと移動しただけだ。奴隷商人の鎖から、『約束』という見えない鎖へ。それ以上でも以下でもない」
俺は、その言葉に反論する言葉を探した。しかし、見つからなかった。心の奥底で、何か黒い疑問が蠢いていた。
本当に、そうなのか?
俺が与えた『契約』は、本当に解放なのか?それとも、別の形の支配なのか?
「時間だ」
ヴァルデスが立ち上がった。
「五分が経過する。奴らが突破してくる。逃げろ。そして、よく考えるんだな。お前たちが『自由』だと思っているものが、本当に自由なのかどうかを」
彼は身を翻した。帝国軍の方へ向かっていく。
「ヴァルデス、待て」
俺は、思わず声を上げていた。
「お前は何がしたい?」
ヴァルデスが振り返った。
「教えてやるよ。俺は『システムの真の支配者』になりたい。お前みたいな甘い『救済』ではなく、完全な『支配』を。そのためなら、お前たちの『約束』などどうでもいい」
「それは……」
「悪だと思うか?そうかもな」
彼が嗤った。
「だが、少なくとも『正義』という名の欺瞞には包まれていない。その点では、お前より誠実だ」
彼の身体が、次の爆発に包まれた。今度は、本当に消える気がした。しかし、その中から、最後の言葉が聞こえてきた。
「考えろ、アルト。お前の『約束』が、本当に何であるのかを。そして、その時、お前は初めて『真の選択肢』を得られるだろう」
爆発が、遺跡全体を揺さぶった。
俺たちは、無言で中央コアへ向かい続けた。しかし、心の中には、ヴァルデスの言葉が深く刻まれていた。
リリアの淡紫の糸は、震えている。シャーロットの銀色の糸は、迷いに満ちている。ニナの深紅の糸は、怒りと悔しさに染まっている。セリアの蒼白の糸は、知識の追求と矛盾の間で揺らぎ続けている。
そして、エミリアの黒紫の糸は――微かに笑っているように見えた。
俺たちは本当に、『解放』しているのか?それとも、別の『支配』へと導いているのか?
その答えは、中央コアの奥に隠されているのだろう。
だが、その答えにたどり着く前に、俺たちは一つの決定的な真実と対面することになるはずだ。
帝国軍の足音が、次々と迫ってくる音が聞こえ始めた。




