第101話 帝国再編成
第101話:帝国再編成
シャーロットは玉座の間に立っていた。かつてマクシミリアン皇帝が君臨していた玉座だ。だが彼女は、その椅子に座ることなく、その前に立つことを選んだ。
「帝国は終わる」
彼女の声は、この広大な玉座の間に響き渡った。周囲には改革派の貴族、軍の高級士官、そして各地から集まった民間の指導者たち。およそ三百人の目がシャーロットに向けられている。
「ウェスタリア帝国という名前も、その支配体制も、全て廃止される。我々が作るのは帝国ではなく、自治都市国家の連合体だ」
貴族の一人が手を挙げた。老いた男だ。旧体制で高い地位にあった者だろう。
「しかし王妃殿下。急激な改革は混乱を招きます。段階的な移行が――」
「混乱は既に起きている」
シャーロットは冷静に遮った。
「マクシミリアン皇帝のシステムによる支配が消滅した今、帝国の統一は何によって保たれると思いますか?」
貴族は口を開きかけ、やめた。答えは明白だ。もはや何によっても保たれていない。帝国領全土で奴隷たちが首輪を外し、兵士たちが軍を去り、官吏たちが職務放棄の直前だ。
「私たちが選ぶのは、同じ支配の形式を別の者が担当することではない。支配そのものの廃止だ」
シャーロットは玉座の傍に置かれた地図に目を落とした。ウェスタリア帝国の版図が描かれている。およそ百の都市と千の村落。
「各地域は自治の権利を回復する。中央から命令することはない。その代わり、相互の利益と安全のために、連合という形式で繋がる。参加は強制ではなく、選択だ」
別の貴族が立ち上がった。肥満した男で、商業ギルドとの結びつきが強い者だ。
「王妃。そのような統治体制では、帝国の経済力は失われます。我々の利益も――」
「失われるべき利益だ」
シャーロットは彼の目を見据えた。
「支配による搾取で得られた利益など、新しい世界には不要だ。我々が得られる利益は、信頼に基づいた交易と協力からのみ生まれる。その方が、長期的には遥かに大きいはずだ」
玉座の間に沈黙が落ちた。シャーロットは続けた。
「具体的には、こうする。帝国領全土を三十の自治区に分ける。各自治区は独自の統治組織を持ち、内部の問題は自分たちで解決する。中央政府は、自治区間の紛争仲裁と、共通の防衛、そして交易の円滑化のみを担当する」
「その中央政府の長は誰が務めるのですか」
年配の軍人が質問した。シャーロットは彼を見た。ドミニク・カリス将校だ。三十年マクシミリアン皇帝に仕えた者で、最後には皇帝に選択の重要性を説いた男だ。
「私だ」
簡潔な答えだった。貴族たちが囁き始めた。
「だが」とシャーロットは続けた。「私は王妃ではなく、調整者と呼ばれるべき。玉座は、この瞬間から廃止される」
彼女は身を翻して、玉座の背後に歩んだ。そして腰を低くして、その豪華な椅子を持ち上げた。多くの者の予想に反して、彼女は玉座を抱えて、玉座の間の中央へと運んだ。
「この象徴は、もはや権力の座ではない。むしろ、我々が何を失ったかの記憶だ」
彼女は玉座を横に倒した。豪華な木製の椅子が、重い音を立てて床に落ちた。
「帝国再編成宣言。本日より、支配と従属の構造は完全に廃止される。我々は相互に選択した関係のみを築く。その過程での混乱と困難は、我々全員で背負う。一人の支配者が負わせるのではなく」
ドミニク将校は、ゆっくりと拍手を始めた。その音は玉座の間に静かに響いた。やがて、次々と他の者たちも続いた。全員ではない。だが、三百人中の二百人以上の拍手が、シャーロットを包んだ。
玉座の間を出たシャーロットを、アルトが廊下で待っていた。彼の腕には、セリアの遺体がまだ抱かれていた。三日前から、彼は彼女を下ろしていない。
「終わったか」
アルトは問いかけた。声は疲弊していた。
「帝国の廃止を宣言した。だが、実現するのはこれからだ」
シャーロットは彼に近づいた。セリアの蒼白い顔を見つめた。
「彼女は、この世界を望んでいた」
「ああ」
アルトは頷いた。
「彼女は約束した。新しいシステムが起動したら、自分たちで彼女を救う。新システムに死者蘇生の機能があるか確認すると」
シャーロットは沈黙した。その後、口を開いた。
「システムコアは今、何をしている」
「眠っている。新プログラムが完全に統合されるまで、外部との干渉を受け付けない状態だ。セリアの設計による」
「では、確認は」
「一週間後だ。セリアが設定した目安だ」
シャーロットはアルトの横に立った。二人は、連絡通路の大きな窓から、帝国の夜景を眺めた。かつてのような規則正しい光はない。各地で火が灯り、消え、また灯る。人々が自分たちの意志で行動し始めたことの証だ。
「君は彼女を救うつもりか」
「ああ」
アルトの返答は即座だった。
「新システムが彼女を蘇生させるまで、どんなに時間がかかっても待つ」
シャーロットは頷いた。
「それなら、帝国再編成は、その時間を作るための行動でもあるのだな」
「違う」
アルトは首を振った。
「帝国再編成は、セリアが望んだ世界を形にするための行動だ。彼女を救うことと、新しい世界を作ることは、別だ。ただ、両立する。それだけだ」
シャーロットはアルトの顔を見た。彼の瞳には、決意と疲弊が同時に存在していた。
「わかった。では私は、帝国再編成を完成させる。その間、君はセリアを守れ」
アルトは無言で頷いた。
その時、廊下の奥から駆け足の音が聞こえた。リリアだ。彼女は息を切らしていた。
「アルト。大変だ」
「何があった」
「各地の自治区が、統治方針について中央に意見を送ってき始めた。シャーロット王妃も見ましたか?」
シャーロットは首を振った。
「調整者だ。王妃ではなく」
リリアは一瞬戸惑い、すぐに理解した。
「調整者様。各地から大量の意見書が届いています。全てを読むだけで一週間必要です」
「それは良い兆候だ」
シャーロットは微笑んだ。
「支配への異論ではなく、構築への提案が来たということだ。これから我々の本当の仕事が始まる」
彼女は歩き始めた。リリアが続く。だが、アルトは動かなかった。
彼は依然として、セリアの遺体を抱いたまま、窓の外を見ていた。その視線の先には、アレクサンドル魔術師塔の跡地がある。セリアが埋葬される予定の場所だ。
一週間。
新しいシステムがセリアを蘇生させるまで、あと一週間。
アルトはセリアの髪を優しく撫でた。彼女の冷えた額に、唇を寄せた。
「必ず戻してくる」
彼は呟いた。その声は、誰にも聞こえなかった。だが、その約束は重く、深く、アルト自身の心に刻まれていた。
窓の外では、新しい帝国が、着実に再編成され始めていた。一人の調整者と、複数の自治区の指導者たちによって、未だかつてない統治体制が模索されようとしていた。
その過程で、様々な困難が生まれるだろう。だが、同時に何かが生まれることも確実だった。
セリアが望んだ世界。
相互選択による、相互信頼の世界。
その世界の入口で、アルトはセリアを抱きしめながら、一週間後を待っていた。




