第9話
隣の部屋、またその隣と次々覗いてみるが、変わり映えのない客室が続いているだけだった。
廊下がやけに長く感じられた。どれだけ進んでも角に突き当たらない。
もしかすると延々続いて終わりがないのかもしれない。悪魔の巣窟なのだから、そんなまやかしがあってもおかしくはない。
そもそも、出口はどこだ? どうやって帰ったらいいのだろう?
ヒスイは真っ暗な廊下の先を見つめ、少しだけ途方に暮れた。
「ま、今考えても仕方ないよな」
すぐに頭を切り替えて廊下を進んだ。
目下の目標はリリア王女、または王女のいた部屋を探すことだ。
そろりそろりと進む廊下の先が唐突に切れた。右に折れている。
壁に張り付き、その先を覗いた。
こちらには窓がなく、真っ暗で何も見えなかった。
「うーん、進むべきか戻るべきか……と言っても戻るのは面倒だから進もう」
相変わらずの軽さで一瞬だけ迷い、簡単に答えを出して先へ進んだ。
闇の中を踏み込んではみたものの、何も見えないのですぐに足を止めてしまった。
「やっぱりハズレだったかも。何にも見えない」
手を伸ばして闇の中を探るも、その手すら闇に溶け込んで見えない。それでも後ろには戻らず、壁伝いにそろそろと進んだ。
壁に触れる手が扉らしき形のものを探り当てた。ドアノブを探してそれを回してみた。
隙間から覗いてみるが、廊下同様、何も見えなかった。
「暗過ぎだろ。ランプとかないのかなぁ? 灯りよ、点け! なんちゃって」
冗談で言った台詞に反応したのか、辺りが薄明るくなった。まるで月明かりに照らされたかのようだ。
「おぉ! 何だこれ? すごいな」
明るくなった部屋を見回してみる。光を発しているものは見当たらず、この部屋には窓もない。光源が何なのかわからないが、部屋を見渡すには十分な明るさだった。
この部屋は食堂のようだった。大きな長テーブルにはろうそくのない燭台だけがいくつか並んでいた。
「悪魔も食事をするのか? 食材は俺だったりして。ハハハ……」
しょうもない思い付きで笑ってはみたが、想像するとゾッとするので扉を閉めた。
「おぉ?」
振り返った廊下がぼんやりと明るかった。食堂と同じ明るさで照らし出されている。
先程まで暗闇だった廊下にはやはり光源などなく、自分の目がどうにかなったとしか考えられない。
両目をゴシゴシとこすってみる。
廊下はそれ以上明るくも暗くもならない。
夜空に浮かんでるこの城が見えたくらいだから、自分には闇を見通す何らかの力があるのかもしれない。
「便利でいいや」
簡単な感想を漏らして、ヒスイはまた廊下の先を進んだ。
食堂の隣には応接間、その隣には美術品の並んだ部屋、そのまた隣には絵画の並んだ大きな部屋があった。
ヒスイは絵画の部屋に入ってみた。
もしかすると夜の王やリリア王女の肖像画があるかもしれない。
そう思って一枚ずつ見て行ったが、ほとんどが風景画だった。肖像画も数枚あったが、リリア王女のものはなく、夜の王は姿もわからないので特定はできなかった。
「あー、疲れた」
壁際に並んでいた椅子のひとつに腰掛けた。
こんな調子でひとつひとつ部屋を覗いて行ってはきりがない。大抵の城には大小何百という部屋があるのだ。この城も恐らくそうだろう。
「しっかし普通の城だな。悪魔のあの字もない」
自分の住む城と比べても、見劣りするところは何一つない。
隣りの国の城だと言われれば、そうかと納得してしまうほど、至って普通だ。
ただ人気がないだけで。
ただ灯りがないだけで。
何気なくぐるりと部屋を見回したとき、二階へ上がる螺旋階段の上に仄かな赤い光がわずかに見えた。
ヒスイは階段まで飛んで行き、下から様子を窺った。
何の音もない。何かがいる気配もない。
下からは赤い光の正体は見えず、階段を一歩、二歩と上がってみた。
頭を出したそこは、図書室のようだった。壁全体にぐるりと本が並べられている。
小さな机がいくつか並び、そのうちの一つに火の灯ったランプが置いてあった。しかしそれを使っている者はいなかった。
「不用心だな。紙のそばに火なんて」
ヒスイは部屋へ入り、律儀にランプの灯を消した。それでもぼんやりと明るい部屋をもう一度ぐるりと見回して、扉から廊下へ出た。
この廊下にも窓はなく、下の階と同じ静けさを漂わせていた。
右の先には上へ上がる階段が、左の先には両開きの扉が見えた。
「悪魔の舞踏会でもやってるかも。こっちにしよう」
ヒスイは右へ進み、階段を上がった。
階段の踊り場に小さな覗き窓があった。そこから月が輝いているのが見えた。
「綺麗だなぁ」
月と共に星も瞬いている。上空にいるせいか、いつもより明るく冴えているように感じた。
少しだけ月を眺め、それからまた階段を上がった。
ぼんやりと明るい廊下を進むと、また扉があった。こちらは下の客室より手が込んでいて、艶のある表面に幾何学模様が彫刻されている。特別な部屋のようだ。
もしや王の私室では?
そう思いつくと、俄かに恐怖が込み上げてきた。扉の装飾を見つめたまま、固まって動けなくなった。
王に気付かれるときっと瞬殺だ。いや、じわじわと嬲り殺しかもしれない。
早くここから立ち去らなければ。
ヒスイは動かない足を何とか運んで、よろよろと扉から離れた。
夜の王であれば、ヒスイが立てるわずかな物音、あるいは気配すらすでに察知しているかもしれない。
それでも扉の前で立ち尽くしているよりはマシだ。
腰が引けて壁を頼りに進むが、次の扉もその次の物も同じ装飾が施されたもので、ヒスイは立ち止らずに素通りした。
ようよう廊下を曲がると、思わず大きなため息が出た。心臓が音を立てて打っている。
緊張した……。
そんな独り言も聞かれそうで飲み込んだ。
大きく深呼吸し、気を落ち着けてから前へ進んだ。
こちらの廊下には窓どころか扉もなかった。ずっと壁ばかりが続いている。いくら進んでも何も変わらない廊下に、またもや、まやかしでは、という疑惑が浮上する。
立ち止って振り返ってみる。
曲がり角はかなり向こうにあった。
戻るのも面倒だが、またあの扉の前を通るのは遠慮したかった。
仕方がないので先に進む。戻ろうか、いや駄目だ、と内心葛藤しながら歩みを進めて行くと、ようやく変化があった。
下に行く階段と、その向こうに部屋の扉が見えた。
扉は夜の王の私室と思われる部屋のものに似ていたが、彫刻は違っていた。
一面にたくさんの花々。
ヒスイの心臓がひときわ大きく、ドクリと打った。
花に囲まれて暮らしていたと思われるリリア王女。ここはその王女の部屋ではないだろうか?
中にいるのだろうか? あるいはその痕跡があるだろうか?
緊張の面持ちでドアノブを握る。
中にいたら? 何を言おう、何て声をかけよう……何か言ってくれるだろうか? それともまた泣いてしまうだろうか?
いや、居ないかもしれない。遥か昔の話だ。もしかするとただの部屋かも……悪魔が居座っているかも……。
ヒスイは意を決してドアノブを回した。
静かに開いた扉のその向こうは、柔らかな灯りの溢れた、可愛らしい部屋だった。
壁は白地に小花模様、いくつか灯されている灯りが柔らかな印象を与える。大きな窓には繊細な編み模様のレースが下がり、その際に置かれた白い机には金の縁取りがされ、色の入った花模様があしらわれている。揃いの白い椅子には手の込んだ織物が張られている。机には本が数冊、開いて置いてあった。部屋の角には大きな花瓶が置かれ、溢れんばかりの見た事もない花が活けてあった。
ヒスイの胸はますます高鳴った。
この部屋が悪魔の部屋であるはずがない。
悪魔が窓にレースを下げるだろうか? 悪魔が花を飾るだろうか?
期待にざわめく胸を押さえ、ヒスイはそろりと部屋へ入った。
奥の次の間からも柔らかい光が漏れ、そちらへ近づいて行った。
そして息を飲んだ。
柔らかい光を受けて仄かに輝く金色の髪。
夢で見たのと同じ後ろ姿がそこにあった。
これもまた夢ではないかと疑った。手を伸ばそうとしてみるが、凍りついたように動かない。声をかけようとしても、何も言葉が出ない。
ただ黙って金の髪を見ていると、ヒスイの気配を感じたのか、彼女はゆっくりと振り返った。
夢の中と同じ彼女。リリア王女だ。
儚げな白い肌、大きな緑色の瞳に、花のように可憐な赤い唇。
リリアは驚きに目を見開き、そうしてしばしの間お互いを見つめ合った。