第八部 白紙銀河の物語 ~まだ何者でもない、三十番目の奇跡~
序章 交差銀河に現れた、白紙の一冊
交差銀河に、静かな朝が訪れていた。
それは、太陽が昇る朝でも、星々が目覚める朝でもなかった。
幾千、幾万もの物語が交わるこの銀河には、朝も夜も、過去も未来も、ひとつの決まった形では存在しない。誰かが笑った記憶は柔らかな光となり、誰かが流した涙は銀色の雫となって、銀河の海を漂っている。
忘れられた物語の村では、子どもたちが図書館に集まり、ノエの読み聞かせに耳を傾けていた。元・断章王バラグもまた、村の人々と一緒に、新しい物語を書き続けている。
二十九人の守護者たちは、それぞれの旅で得た経験を胸に、穏やかな時間を過ごしていた。
春の桜花隊は花びらの舞う丘で笑い、夏の蒼海隊は青い水晶の湖で遊び、秋の紅葉隊は黄金色の森を歩き、冬の銀雪隊は静かな雪原に足跡を刻んでいた。
ニジはルミナとユイを連れて、交差銀河の中央にある大広間を訪れた。
そこには、二十九の光を象徴する大きな紋章が輝いていた。
「ねえ、ニジ。あの紋章の真ん中、前から少し気になっていたんだ」
ユイが、紋章の中心を指さした。
そこには、小さな空白があった。
二十九の光が互いに結ばれているのに、その中心だけは、何も描かれていない。
ルミナがそっと手を伸ばした。
「ここには、まだ誰かの色がないのかな……?」
その瞬間だった。
大広間の床が、淡い光を放ち始めた。
紋章の中心から、ひと筋の光が立ち上る。光はゆっくりと形を変え、二十九人の前に、一冊の本を浮かび上がらせた。
表紙には、題名も、作者の名前もなかった。
金色の縁取りさえない。
ただ、何も書かれていない、真っ白な本だった。
アマネが息をのむ。
「これは……創世の光に似ている。でも、何かが違う。まだ何も生まれていないのに、すべての可能性を秘めているような……」
トワは本を見つめ、静かに告げた。
「この本からは、遠い記憶の気配がする。けれど、誰の記憶なのかは分からない」
クロノスが一歩前に出た。
「何も書かれていない本か。だが、何もないということは、何でも書けるということでもある」
その言葉に、ニジはうなずいた。
「そうだね。でも、この本は誰かに物語を書いてもらうのを待っているようにも見える」
そのとき、白紙のページが一枚だけ、ひとりでにめくられた。
そこに、淡い光の文字が浮かんだ。
『この物語の主人公を、あなたたちは知っていますか?』
二十九人は顔を見合わせた。
その問いに答えられる者は、誰もいなかった。
そして、本の奥から、かすかな声が聞こえた。
「……ぼくの物語を、見つけて」
その声は、幼い子どものようでもあり、遠い星の風のようでもあった。
白紙の本が、ゆっくりと閉じる。
交差銀河の空に、二十九の光とは異なる、もうひとつの小さな輝きが生まれた。
それは、まだ名前を持たない奇跡の始まりだった。




