■中 編
デート当日。
待合せの駅前に先に着いたのは、勿論イツキだった。
10時待合せだがミコトを待たせる訳にはいかないと、最初10分前行動を目指
したのだが、案外キッチリした性格のミコトのことだ。 向こうも10分前には
来てしまうかもと20分前行動にシフトチェンジする。 20分前に着く為の
10分前行動をなどと悶々と考えるうちに、もう混乱して訳が分からなくなり、
結局1時間前にはそこに立っていた。
『おはよっ!!』 10分前に現れたミコトに、イツキは嬉しくて仕方なくて、
だらしなく緩む頬筋を必死にいなして、ペコリと首を前に出し会釈する。
『天気良くてよかったねぇ~・・・
きっと、今日はキレイに見えるね。 イチョウ・・・。』
ミコトがサラっと呟いたひと言に、イツキは内心ドキっとしていた。
隣街へ向かう電車に乗り込む為に、ふたり揃って改札を通る。
休日の駅はそこそこ混み合っていてプラットホームにも人が溢れていた。
特に先頭車両と最後方のそれは既に並ぶ人が行列をつくっていたが、イチョウ
並木をミコトに見せたいイツキはムキになって先頭の列に並ぶ。
躍起になっている背中をそっと盗み見てミコトはクスっと笑うと、混雑で離れ
ばなれにならない様そっと手を伸ばしイツキの上着の裾を掴んだ。
少しだけ引っ張られたミコトに掴まれたその感覚に、イツキは照れくさそうに
こっそり頬を緩めていた。
やっと乗り込んだ先頭車両は、課外授業か学童保育の一環のそれか、こども達
の姿でいっぱいだった。
皆一様に右側の車窓に張り付き、河川敷から見えるイチョウ並木に感嘆の声を
上げている。 その小さな邪魔者たちを目に、歯がゆそうに口を尖らすイツキ。
(クっソがき共・・・ どっか行けよ!! 邪魔なんだよっ!!)
するとミコトがイツキの肩に手を置き、爪先立ちで背伸びをした。
『あっ! 見えた見えたっ!! イチョウ並木、超きれ~~いっ!!』
その言葉に、イツキは不完全燃焼だった不満気な顔をそっと上げミコトを見つ
める。 イツキの肩でバランスを取りながら嬉しそうに目をキラキラさせて
窓外のイチョウを見ているミコトの笑顔に、イツキは満足気に微笑んだ。
『ま、まじか・・・。』
”女子が行きたいランチカフェ特集 ”堂々1位の店の事前予約したお洒落な
テラス席は、海外観光客で溢れ返っていた。
アジア系の外国語が矢継ぎ早に飛び交う、そこ。
日本人の耳には、その言語は急いている様なまくし立てている様な正直耳障り
なそれに聴こえる。 せっかくミコトと向かい合い座り、ゆったりとお洒落な
ランチタイムを愉しもうと思っていたのに台無しだ。 互いの話す声さえ聞き
取りづらい程のそれに、思わず情けない下がり眉でミコトに目をやったイツキ。
ミコトもまた ”困ったね ”という顔をして、小さく肩をすくめる。
(なんだよ・・・
せっかく予約して、イイ席確保しといたってのに・・・。)
すると、ミコトは4人掛けのその席のイツキとの間の一席空いたイスを後方へ
引くと、向かい合い座っていたイスから立ちあがってすぐ右隣席に座った。
そしてイツキに耳打ちするように、小さく呟く。
『こうしたら聴こえるでしょ?』
ミコトの息がダイレクトに耳にかかって、くすぐったそうに照れくさそうに
イツキがコクリ頷く。 そしてイツキは慌てて横を向いてミコトに見えない様
にして、胸ポケットからミントタブレットのケースを取り出し、手の平に転が
り落ちたそれを5粒一気に口に放り、超至近距離での会話に備えて口内環境を
整えた。
ランチタイムにはパスタやピザや、パニーニとかいうイツキには想像もつかない
謎の食べ物がサラダやドリンクとセットになってメニュー表に並んでいる。
ふたり寄り添ってメニュー表を覗き込み、互いにチラチラと視線を送りながら
なにを注文しようか幸福な優柔不断タイムに眉根をひそめていた。
ミコトが指をさしたのはだいぶ軽めのサラダメインのセットで、イツキはそんな
ので足りるのか甚だ疑問だったが、ミコトはそれでいいと言い張る。
『ってゆーか。 カノウの、ひとくち貰うしっ。』
リア充にはお馴染み、女子からの ”ひとくち頂戴攻撃 ”に、非モテ男子代表
イツキは眩暈がしそうだった。
そんなのデートプランには書いてない。 想像すら妄想すらもしていなかった。
”あ~ん ”して貰う激甘シチュエーションなら夢のまた夢として描くことは出来
ても、リアルと理想の丁度紙一重のようなそれは考えてもいなかった訳で。
『べ、別にいいけど?』 平静を装うイツキの第一声『べ』が、再びオクターブ
越えした。
騒々しくも想定外に寄り添って過ごす事が出来たランチタイムを終え、ふたりは
のんびり散策をする。
照れくさそうに並んで歩くふたりのその距離は、イツキの左手とミコトの右手が
触れ合いそうでギリギリの所で触れ合わない、歯がゆいそれ。
この街を代表するショッピングストリートである仲見世通りを進む。
やはり休日のそこは観光客が多く、行列が出来ている食べ物屋や、歩きながら
食べられるせんべいや団子の店も賑わっている。
すると、女子向けの可愛らしい和雑貨の店前でミコトが立ち止まった。
そして振り返ってイツキに視線を送る。
無言の ”ここ見てもいい? ”の合図に、”いいよ ”の意を込めて頷く。
そんな視線での会話がたまらなく幸せに感じて、イツキは俯いてじんわり込み
上げる熱いものをひとり噛み締めていた。
イツキがチラチラと左手首の腕時計に目を落とす。
そろそろパンケーキの古民家風カフェに移動する時間が近付いていた。
しかし、しっかりボリュームあるランチを完食したイツキの腹は全くスイーツを
押し込む隙など無く ”甘いものは別腹 ”という超有名フレーズに思わず身勝手
にも八つ当たりしたくなる。
(どうしよう・・・ 予約しちゃったしな・・・。)
すると、ミコトがぽつりと呟いた。
『アタシ、ランチ軽めにしちゃったから
なんか小腹すいてきたぁ~・・・ スイーツでも食べに行かないっ?』
『え。』 イツキが目を見張る。
イツキが満腹であったとしても、ミコトが食べたいのならそれで充分なのだ。
『す、すぐそこに・・・
なんか、有名なパンケーキ屋が・・・ ある、らしいよ・・・。』
どこか自信なげにミコトを横目で見つつ呟いたイツキに、ミコトは大仰に飛び
跳ねて喜んだ。 『アタシ、パンケーキ大っっっ好きなのっ!!!』
『へぇ~・・・。』 満更でもない緩む顔をいなすのに、イツキは必死だった。
やはり行列が出来ていたその店に、照れくさそうに背中を丸めてイツキが進む。
イツキはイマイチ食べきれる自信がなかったのでメニューを睨み尻込みしていた
ところ 『ふたりで、はんぶんこで良くない?』ミコトからのその提案に大きく
頷いた。
ひとつのお皿に、フォークが2本。
互いに、どこか遠慮がちに対極線上のそれを、ひとくち分ずつフォークで削って
口に運ぶ。
ただ向かい合って食べるだけの動作が、こうも照れくさいものかと困り果てる。
相手の動きひとつひとつを目にするだけでやけに嬉しくて胸がじんと熱くなる。
(やべぇ・・・ 胸いっぱいで ぜんぜん進まねぇ・・・。)
ランチを軽めにしていたミコトは事前の宣言通り、エベレスト級の生クリームや
色とりどりのフルーツが乗った3段パンケーキを物の見事に完食した。
『すっごい美味しかった!!』 ミコトが眩しいくらいの笑顔で微笑んだ。
ここから、だった。
本日のメインイベントは、ここから。
帰りの電車に乗るまでの2時間弱。
はじめてのデートのピークとなるこのタイミングで、そう ”あの計画 ”を
どうしても実行に移したいのだ。 移さねばならないのだ。
(キスがしたい キスがしたい キスがしたい キスがしたい・・・)
もうイツキの頭の中は ”キスがしたい ”でいっぱいで、他のことなどなにも
考えられずにいた。
本当は再びのんびりと散策をしながら、景色のいい所を巡って、手を繋いで
寄り添って歩いて、他愛もない話をして笑い合って、その延長線上で最重要
最終ミッションがあるはずだったのだが、テンパりまくるイツキはまっしぐら
に紅葉が有名なお寺へと、無言でズンズン進んでゆく。
ガッチガチの鬼の形相でひとり競歩のように前をゆくイツキに、さすがにミコト
も声を掛ける。 『ね、ねぇ・・・ カノウ・・・?』
しかし、イツキはその声に振り返りも反応もせず、目的地であるお寺のひっそり
佇む大イチョウの大樹前にやって来た。
そして、やっと振り返ってミコトと向き合う。
ふたり、ただ黙って見つめ合う。
見つめ合うというか、互いの間に ”無 ”の時間がただ流れる。
(こ、これから・・・ どうしよう・・・。)
(カノウ・・・ どうするつもりなんだろ・・・。)
イツキのパーフェクトデートプランには、ミコトが大イチョウに寄り掛かりキス
の気配に目をつむるシーンは描かれていたものの、そこまでの流れに持って行く
行程は一切考えられていなかったことに、ミコトと今、大イチョウの前で向き合
ってはじめて気付いた。
(や、やべぇ・・・ ノープラン、だ・・・。)
(な、なんなの・・・? この時間・・・。)
ふたり、ただただ黙って見つめ合う。
見つめ合うというか、互いの間に ”無 ”の時間がやはりただ流れるだけ。
意を決してイツキが小刻みに震えはじめた手で、ミコトの肩にそっと触れた。
イツキの手の異様な温度の高さに、ビクっと小さく体を跳ねたミコト。
恥ずかしくてどこか怖くて数歩後退ると、背中に大イチョウの樹表を感じた。
イツキが1歩前に出た。
ゴクリ。喉仏が上下して息を呑む音がハッキリ響く。
ミコトの肩に添えた手をゆっくりゆっくり白いその頬に当てようと伸ばすと、
自分が思っている以上に指先がふるふる小刻みに震えていて、格好悪くて情け
なくて思わず苦い顔を作る。
(ぁ・・・ ミ、ミントタブレット・・・
・・・そんなヨユー、ねぇか・・・。 )
震える脚をもう1歩前に出すと、イツキの胸とミコトのそれが触れ合うくらい
の距離になった。
その時。
潤んだ目を向けるミコトが、イツキと自分の唇の間に手を差し込んでキスを
阻んだ。
(ごめん・・・
・・・キスは、もう少し待って・・・。)