第三十四話
俺に向かってきた魔物――〈ファニードッグ〉と言うらしい――は、四本足で走るまるで犬のような生物だった。
口元からは長い舌がだらんと垂れており、その両眼はまるで充血でもしているかのように薄らと赤い。
群れ同士で行動する習性でもあるのか、三匹のファニードックたちは統制の取れた動きで俺に迫ってくる。
動きは中々早い。並の剣士であれば、剣を振るいきる前に喉笛を噛み千切られてしまうのではないかと思えるほどに。
しかしだ。
俺はそれ以上の速さ、強さを持つ魔物と生死を掛けた死闘を繰り返してきている。
今更この程度の魔物に手を煩わすことはないのである。
揺ぎ無い剣筋で、刃を三度振るう。それぞれの刃が魔物の首を切り裂き、その命を奪う。どす黒い血液が宙を舞い、日の光に当てられて輝く。
俺は剣を鞘におさめた。
「うわぁ~~!! 凄い凄いっ! 危険度三のファニードッグをあんなに簡単に倒しちゃうなんてっ」
理乃の後ろに隠れていた女性が前へ出る。そして俺に近づいてくる。
女性は真赤な長い髪を後ろで束ねている。体の大部分はローブに覆われているが、その顔や首元は健康的な肌色で、スカイブルーの瞳は宝石のような美しさを連想させる。
美人に褒められて、素直に嬉しいと思ってしまう俺がいる。
危険度三が何のことかはわからない。もしかすると、人間の領土内では魔物の強さをそれで表しているのかもしれない。ノームたちの中ではそんなものは存在していなかった。
「助けてくれてありがとう! いやいや~、パッと見地味だったからどうなることかと思ってたんだけど、君本当に凄いねっ! お姉さん感心しちゃった!」
女性は俺の手を握る。
地味とは何だ。だがこの人、美人である。
俺は顔に上ってくる熱を必死に抑えようとした。
理乃が俺を睨んでいる。
「あの、手を離してもらってもいいですか?」
本当にごめんなさいと心の中で謝る。
俺の顔は今、きっと真赤になっていることだろう。
こんな至近距離に美人がいるのだ。そして俺の手を握ってくれているのだ。感情を表に出さないなんて出来るはずがない。
「なになに照れてるの? 可愛いなぁ~!」
女性はさらに顔を近づけてきた。
確かに照れてはいる。だけど問題はそれじゃない。見知らぬ女性よ、貴方の後ろに鬼がいるのです。
女性の体が離れる。
やっと離れてくれた、と思ったがそうではなかった。理乃が俺と彼女を引き離したのである。
理乃は俺の腕を抱いた。まるで女性に見せ付けるかのように。しかし、見えないところでは俺の腕を抓っていた。
『理乃、痛いんだけど』
『……ふん』
頭の中でも会話。
もう暫く許してくれそうに無い。
「あはは……ごめんね、ちょっと興奮しすぎたみたい」
引き離された女性はそう言う。
やっと落ち着きを取り戻せたようで、彼女の顔も若干赤くなっているのがわかった。
「いきなり魔物と戦わせちゃって本当にごめんなさい。あの時は本当に必死で……なりふり考えてられなかったと言うか……」
俯きがちに女性は言う。
それは良いのだが、彼女は誰なのだろうか。まだ名前すら知らない。こういうときは俺の方から名乗った方が良いのか?
でもそうすると、理乃が怒るかもしれない。
「あ、そういえば自己紹介まだだったね! 私はイルデリナ……イルナでいいよ!」
俺の視線に気づいたのか、女性は自分から名前を教えてくれた。こうなると、俺たちも名前を教えないわけにはいかないだろう。
「俺はヨイチです」
「……リノ」
「ヨイチ君にリノちゃんか~~! ねえねえ、二人は恋人同士なの?」
突然の質問。
俺と理乃が恋人同士なのか。それは、どうなのだろう。確かに俺と理乃は互いに好意を抱いているし、信頼もしている。
だからといって恋人かどうかと聞かれると困る。友達、と言う言葉でも俺たちの関係は表すことが出来ないような気がする。
俺の腕を抱く理乃が小さく頷いた。
え、と言うことはつまり、俺と理乃は恋人同士なのか。
そう決め付けるのはまだ早い。理乃はイルナを俺に寄せ付けないために恋人関係を装っているのかもしれない。だけど。
理乃の顔はリンゴのように真赤である。
「うわぁ~~そうなんだ! やっばりねぇ、うんうんっ! 二人は凄くお似合いって感じがするもん」
もしかすると、理乃は本当に俺と恋人になっても良いと考えているのかもしれない。
思い返せば、俺たちはキスだってしているのだ。理乃の好意は明らかである。
まだはっきりとさせていないだけで、もう俺たちはそういう段階に進むときにあるのかもしれない。
しかしそれを口にできるだけの度胸が俺にあるのか、それが心配だ。恋人になろう。そう言ってもし断られたら。俺は多分、三日三晩寝込むくらいのショックを受けてしまうに違いない。
「私はこの先の町に住んでるんだ。二人ももしかしてそこに?」
イルナの声にはっとなる。
恋愛について考え出すと、それこそ思考の留まりがなくなってしまう。気をつけよう。一人きりになって時間が出来たときに、改めて考えることにしよう。
俺はそう決めた。
そして頷いた。イルナの言葉に対する返答である。
「やっぱり! ねえ、良かったら一緒に町まで行かない?」
断る理由は特に見つからなかった。
俺たちは暫しの間、イルナと行動を共にすることにしたのだった。




