第三十三話
右手側に三件、左手側に二件の家が建てられている。屋根には穴が開き、壁が壊れて屋内がさらけ出されている。人の手から離れて大分経つのだろう。何か薄ら寒いものを感じる。
少し進むと両側に畑があった。柵で覆われていはいるものの、雑草が伸び、ほとんど自然に近い状態になっている。藁で出来た朽ち掛けの案山子が俺たちの方にその顔を向けていた。それだけが畑の名残であるように思えた。
さらに進むと、これまでの家とは比べ物にならないほど大きい屋敷を発見した。
恐らくは、この村をおさめていた領主の持ち家だろう。壁は汚れ、窓はわれ落ちて枠だけが残っている。建物が日の光を遮り、まだ昼だと言うのに辺りが薄暗く感じられた。
「ここに人はいないみたいだね」
隣を歩く理乃にそう声を掛ける。彼女は小さく頷き、周囲に視線をめぐらせた。何を考えているのかは何となくわかる。俺だってそう思うからだ。何と言うか、ここは凄く不気味である。
どちらとも無く互いの手を取り、ぎゅっと結ぶ。
やっと人間に会えると思っていたのに、まさか村がこんな有様であるとは。ここで何が起こったのかはわからないが、人がいなくなったのがかなり昔のことであるのは間違いない。
風が吹く。道端で重なり合う落ち葉を巻き上げて、すぅ、と流れていく。
――背筋に冷たいものを感じた。
音が鳴っている。何かの軋む音だ。それから足音も聞こえる。どちらも、俺たちが歩いてきた村の奥のほうから聞こえてくる。隈なく目を通したはずの場所から、である。
振り返る。しかし、寂しい光景が広がっているだけ。何ら変わりは無い。音はいつのまにか消えていた。
理乃が俺の手を強く握った。俺は顔を前に戻した。
――荷車を引いた誰かが俺たちの方に向かって歩いてきている。酷く鈍い歩みだ。聞き覚えのある音がはっきりと聞こえる。木の軋む音、地面を擦るような乾いた足音。
近づいてくる。ボロボロの布切れに身を包んだ何かが、俺たちの方に近づいてきている。
理乃の手が震える。俺は悲鳴を上げた。
近づいてくる何かには、あるべきはずのものがなかった。頭が無かったのである。
「……お前さんたち、早く立ち去りなさい」
耳元で、声が聞こえた。
俺たちに向かって進んできていた何かの姿が消えていた。俺は強張る首を動かし、顔を横に向ける。
頭部の無い何かが、そこに立っていた。
俺は理乃の手を引いて走り出す。
俺は気づいていた。声は、頭部のない何かの胸の辺りから聞こえてきていた。ぼろ布に覆われたそこに、何があるのか。それを明らかにする勇気は俺にはなかった。
五分ほど全力で走り、村から離れた細い道に出たところで、俺は後ろを振り返った。
遠くの方にぼんやりと、屋敷の屋根だけが見えた。
「……幽霊。そうに違いない」
理乃が言う。
俺も薄々感づいてはいた。きっとあの村では悲惨な何かが起きたのだ。それこそ、人の魂をその地に縛り付けてしまうような恐ろしい何かが。
「忘れよう」
俺は言った。理乃が少し呆れたように俺を見返す。彼女も最初こそ怖がってはいたが、その恐怖は俺よりも小さいものだったように思える。
はっきり言おう。俺は幽霊とか、そういう類のものが苦手だ。
もちろん、初めからそうだったわけではない。理由があるのだ。思い出したくも無い記憶だ。
だから思い出さない。理乃が興味津々と言った顔つきで俺を見つめてきていたとしてもだ。
俺はあの日のことを語らない。
「あの村にはもう二度と行かない」
俺は決意した。
理乃が呆れたように、目を細めて俺を見ていた。
細い道はやがて大きい道へと繋がった。
〈エクレール〉と書かれた看板がある。矢印のような形に加工された木の板が左の方向を示している。
左に進めば、そういう名前の町があるのだろう。
看板の案内にしたがって歩く。
広い道である。しっかりと整備されている。足跡や、車輪の跡もある。頻繁に利用される道であるようだ。
俺は心からほっとした。自分でも情けないことだと思うが、人には苦手なものが一つや二つあるもの。俺はお化けが苦手だ。理乃にもきっと苦手なものがあるだろう。いつかそれを知りたいものである。
前から誰かが走ってくる。フードで顔が隠れていたが、強めの向かい風を受けてそれが捲れた。
走ってきているのは女性だった。日本人離れした顔立ちの女性である。かなり綺麗だ。内心で、また頭が無いパターンだったらどうしようかと怯えていたのだが、いらぬ心配だったようである。
「助けて!!」
女性はそう言うと俺たちの背後に隠れた。何かから身を守ろうとするかのように。
地面を蹴る音が複数入り混じり、聞こえてくる。獣特有の荒い息遣いも耳に届いた。魔物が三匹、こちらに向かってきていた。
突然のことに驚きを通り越して呆れるほどである。
やれやれと呟きつつ、覚悟を決める。
俺は剣を抜いた。




