闇の王の帰還
冷たい雨が、アレンの足跡を王都の暗がりへと消し去った翌日。
ヴィットーリオ・ファミリーの長兄アンソニーは、王都の裏社会に向けて冷酷な通告を放った。
『ファミリーはアレンを破門した。奴は今後、我らと一切の関わりを持たない。奴に水を与え、あるいは手を結ぼうとする組織があれば、それはヴィットーリオへの明確な敵対行為とみなす』
それは、弟として愛した男への完全なる絶縁状であった。
すべては、長兄としての誇りと、家族の血を守るための決断だったはずだ。しかし、皮肉にもこの通告が、誇り高きヴィットーリオ・ファミリーの凄惨な凋落への引き金となった。
アンソニーは、確かに傑出した戦士であった。
圧倒的な武力と、局地戦における鋭い戦術眼は誰にも引けを取らない。
だが、巨大な組織を束ね、大局を見定めて繁栄へと導く『戦略的な頭脳』を、彼は致命的なまでに欠いていた。
血の気が多く、直情的な彼は、何百、何千という構成員の命を預かる「ドン」という器には決定的に不向きな男だったのだ。
アレンという冷徹な『羅針盤』を失ったファミリーは、荒れ狂う海をさまよう巨大な船と化した。
親父を撃たれておきながら、首謀者すら特定できず復讐も果たせない。
あろうことか、莫大な利権を他の五大ファミリーに割譲して手打ちにした。
裏社会において「弱さ」は罪だ。
ハイエナのように群がる敵対組織は、ヴィットーリオを牙を抜かれた老獅子とみなし、彼らのシノギや縄張りを次々と、そして容赦なく削り取っていった。
ジリ貧となっていく状況に、アンソニーの怒りは限界を超えた。
「舐めるな……! 俺たちを、これ以上舐めるな!!」
状況の悪化に耐えきれず暴発した彼は、武闘派の精鋭だけを引き連れ、他の五大ファミリーの拠点へと無謀な抗争を仕掛けた。
弾雨の中を獅子のように駆け抜け、敵対組織の拠点に多大な損害を与えたその武勇は、裏社会を震撼させた。
――しかし、それは大局的に見れば、自らの首を絞めるだけの『意味のない破壊』でしかない。
『アンソニーがヴィットーリオの頂点にいる限り、いかなる話し合いも無駄だ。あの狂犬は、殺すしかない』
他のファミリーがそう結論付けるのに、時間はかからなかった。
最期は、マフィアの流儀にすら反する、吐き気がするほど汚い罠だった。
偽りの和解交渉の席。指定された廃工場に足を踏み入れたアンソニーを待っていたのは、交渉人ではなく、四方から一斉に火を噴く数十丁の機関銃だった。
全身を鉛玉で貫かれながらも、アンソニーは倒れなかった。血反吐を吐きながら二人の敵を道連れにし、壁に寄りかかったまま、その短すぎる生涯を閉じた。
その瞳は、最期まで愛する家族のいる本部の屋敷の方角を見つめたまま、開かれていたという。
次男カルロに続き、長男アンソニーまでも失ったヴィットーリオ・ファミリー。
残されたのは、車椅子に乗った病み衰えた老ドンと、士気を失い怯える構成員たちだけ。
誰もが、かつての最大派閥が歴史から完全に消え去るのだと確信した。
だが、その時。
老いたドン・ヴィットーリオが残していた『ただ一つの置き石』が、音もなく致命的な毒を放ち始めた。
ある夜、敵対するファミリーのドンが、何者かの手によって密室の書斎で息絶えていた。
翌日には、別のファミリーの知恵袋であるコンシリエーレ(相談役)が、乗っていた車ごと「音のない爆発」によって跡形もなく融解した。
さらにその次の日には、アンソニーを罠に嵌めた実行部隊の幹部たちが、厳重な警備を敷いていたアジトの中で、一人残らず喉を掻き切られて肉の塊と化していた。
銃声はない。足跡もない。ただ、絶対的な死だけが平等に配られていく。
存在しない幽鬼が、夜の闇に紛れて五大ファミリーの中枢を次々と刈り取っていく異常事態。
No.1、No.2を相次いで殺された他組織の幹部たちは、恐怖に顔を歪ませ、護衛を連れてヴィットーリオの本部へと怒鳴り込んできた。
「てめえらの仕業だろう! どんな手品を使いやがった!」
だが、車椅子に深く腰掛けた老ドンは、悲哀に満ちた瞳で首を振るだけだった。
「知らんな。ワシは息子を二人も殺され、今はこうして死を待つだけの惨めな老人だ。幽鬼を操る力など残されておらんよ」
知らぬ存ぜぬを貫くドンの言葉とは裏腹に、暗殺は止まらず、犠牲者は増えていく。
見えない死神の鎌が自分たちの首筋に触れたことを悟った敵対組織の生き残りたちは、ついにプライドを捨て、秘密裏にドン・ヴィットーリオの元へ接触を図った。
和睦だ。これ以上、幹部を殺さないでくれ、と。命乞いにも等しい懇願だった。
薄暗い書斎。
すがりつく男たちを見下ろしながら、老ドンはゆっくりと口を開いた。その声は嗄れていたが、裏社会の頂点に君臨し続けた『本物の怪物』の冷気を孕んでいた。
「……ワシは、息子を二人失った。愛する家族を奪われ、組織も今、消えようとしている」
ドンの瞳の奥に、本物の父親としての深い悲哀と、煮えたぎるような昏い怒りが交錯する。
「だがな。一人だけ……血こそ繋がってはおらんが、ワシの息子がどこかで生きている。アンソニーが勘当し、このワシが破門した『アレン』という男だ」
幹部たちの息が止まった。
あいつか!
あの音のない死神の正体が、一人の男に過ぎないという事に、彼らは戦慄した。
「もう、ワシには子がおらん。すべてを失ったのだ」
ドンは車椅子の肘掛けを強く握りしめ、冷徹な死の宣告を下すように言い放った。
「もし、お前さんたちが、あの男――アレンを『ヴィットーリオ・ファミリー』として裏社会への復帰を認めるというのなら。……ワシの最期の力で、この見えない死神をなんとか納めてみせよう」
「わ、わかった! 認める、だからあのバケモノを止めてくれ!」
幹部たちが口々に叫ぶ中、ドンは静かに目を伏せた。
「……しかし、忘れるな」
地を這うような声が、男たちの心臓を鷲掴みにする。
「ワシは、愛する息子を二人、お前たちに殺されたのだ。お前さんたちが今後、無事にこの王都で生きていけるかどうか……それは、これからの『お前たちの行動』次第だということを、ゆめゆめ忘れるな」
それは、五大ファミリーがヴィットーリオの前に屈服を誓った瞬間であった。
アンソニーの死すらも利用し、ドンは己のすべてを懸けてアレンのための玉座を用意したのだ。
数日後。
降り続いていた雨が上がり、薄日が差し込んだ王都の裏路地。
開かれたヴィットーリオ・ファミリーの重厚な鉄門を潜り、一人の青年が歩みを進めてくる。
黒いコートを羽織り、底知れぬ漆黒の瞳を持った男。
もはや、誰の陰に隠れる必要もない。
スラムで拾われ、組織を追放され、見えない影として血の雨を降らせた男は今、最も恐れられる死神として、そして裏社会を統べる『若きドン』として、ヴィットーリオ・ファミリーへの帰還を果たしたのだった。
お読みいただきありがとうございました。
もし「面白かった!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、ページ下部にある【ブックマークに追加】や、【☆☆☆☆☆】の評価を押して応援していただけると、今後の執筆の何よりの励みになります!
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




